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2018年04月30日 イイね!

森 恵/80年代B級アイドルアーカイブ300430

森 恵/80年代B級アイドルアーカイブ300430今回は、平成のアイドルAKB○8前田○子と共通してるところが変に面白いアイドルです。







36 森 恵








1969年3月10日生 (50歳)







熊本県阿蘇市出身







1984年、TBS.『スクールウォーズ』でデビュー。



1985年、『乳姉妹』で準主役







同年、『夢見るダンス ア ウェイ』でアイドルデビュー。







小さな体でパワフルな歌を唄う雰囲気は、当時のアイドルらしからぬ大物の雰囲気がありました。
デビュー当時から彼女の演技力には定評があり、それが唄にも反映していましたね。


・・・なので唄はともかく(失礼)、その演技力でアイドルとしては異例のドラマスタッフ受けをしてた様です。



1988年、当時の東映特撮監督の目にとまり、子供に大人気の戦隊ヒーロー

『超獣戦隊ライブマン』

のヒロイン、ブルードルフィン/ 岬めぐみ役に抜擢され、それをきっかけに老若男女問わず一気に知名度が上がりました。




この作品は、昭和最後の戦隊ヒーローシリーズで、正に今活躍していた現役アイドルの『嶋 大輔』や、後に大ブレイクを果す『西村和彦』などが出演。
またヒロインに現役アイドルの森 恵を起用するなど、アイドルドレンド傾向が強い作品でした。
そして彼女が、歴代戦隊ヒロインで最初の現行アイドル起用になったわけです。(後に千葉麗子等々)




その後も彼女はその演技力を買われ、頻繁に時代劇などにゲスト出演しており、アイドルと言うより、よもやの女優さんですね。
(いやいや、れっきとしたアイドルです!)



















さてさて話は戻り、サブタイトルの

『A○B 前田○子ちゃんと共通・・・』

・・・って、気になりませんか?












なら、そろそろお答えを!
・・・森 恵ちゃんをジーっと見てください。









何か気付きませんか?












・・・判りました?















・・・顔のパーツが中央に寄ってませんか?









そう、彼女が『顔面センター』と呼ばれた最初のアイドルなんです。
・・・とは言っても、当時に『顔面センター』なんて言葉はないので、当時一部のアイドルファンの間で彼女の事を、

『寄り顔の恵ちゃん』

なんて呼んでたみたいです。





時代は流れて、平成に入り前田○子ちゃんがしっかり『顔面センター』を伝承しましたね(笑)
時代は繰り返される訳です、ハイ!

(前田○子ちゃん)












シングル8枚、アルバム2枚
唄はハードボップ調が多く、かなり唄も上手いです。
しかし、ディスコサウンドとしては中途半端なのであまり売れず、
3od『東京街(TOKIO TOWN)』
のオリコン36位が最高でした。




CDは滅多に市場には出回りませんが、価格は低め安定です。







聴くか聴かないかはあなた次第!








80年代B級アイドル度・・・70%
戦隊ヒロインもこなしているわりには、あまりヒットしなかった理由は、彼女の『顔面センター』が原因でなかったことを祈ります(笑)

(ファンだった方ごめんなさいm(_ _)m、親しみを持って書いてますから許してね!)








おわり






Posted at 2018/04/30 19:59:27 | コメント(6) | トラックバック(0) | 80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ
2018年04月23日 イイね!

馬鹿やってます(笑)~趣味にハマるとこんなもんでしょ?~

馬鹿やってます(笑)~趣味にハマるとこんなもんでしょ?~こんばんわ。

今回はいつものネタブログは休憩して、趣味の現況をアップします。
・・・とは言っても愛車のネタは正直停滞気味。
最近は新鮮味がない毎日なので、
『なにしてる』
に写真1枚だけアップする程度で、全く淋しい限りです。









話はすっ飛んで、先月私の青春時代のアイドルの一人だった、

沢田聖子ちゃん(・・・?今はさん)



が、近くのライブハウスに初めて来たので、ん~っこれは千載一遇・・・とばかりに、18年振りにに行ってきました。

このライブは、『オールリクエスト』で、沢田聖子さんが直に当日お客さんのリクエストを聴いてピアノかギターで弾き語りをするもの。

(ライブ当日の映像・・・拾いものです)



やはり、お客さんも私と同年代で、リクエストの7割は80年代当時の曲でした。
勿論全曲知ってました!幸せだったのが、私のリクエストも叶い唄ってくれました!!!
ヤッホーッ! (80年/17歳の感傷)
超感激~!正に青春が甦りました。

でも、80年代のアーティストが今でもこうして唄ってるって、凄い事ですよね?スッゴク嬉しい。
沢田聖子さんも昔と全く変わらず、キュートで可愛いお姉さまでした。





・・・んっ、やっぱり80年代ソングは素晴らしい!


そんな事を感じながら、沢田聖子さんの歌声に刺激されて、いよいよ自分の趣味が加速することになりました。



・・・てなことで、私の収集趣味の80年代アイドルのCDは着実に増え、現在650枚、300アーティストを越え、未だに増加中です。



いよいよラックの余裕が無くなり、買い足しても置く場所も決まらず、少々困ってます。

(これで220枚前後)


更に更に、最近80年代当時のオーディオでCDを聴きたくなって、ヤフオクで、

パイオニア ブライベートの中古品、
システムコンポのフルセット(当時もの)をポチってしまい、間もなく届きます。


勿論中古ですし程度は不明ですが、当時高くて買えなかったパイオニアのシステムコンポが手に入ったので、これで当時の音に浸れます。

・・・って、何処に置くんだよ?
マヂにヤバイよな・・・アハハハハ(笑)


・・・遂にはあのポルシェフリークの聖地、
『喫茶POR』
の様な、人が座れない喫茶店みたいになるんだろうか?(笑)



※マスターネタにしてごめんね(笑)


まあ、その前にいずれこのCDは見える場所から撤去して、完全保管を予定してます。
・・・なのでそうなる前に購入したCDは、好みの曲を選定してパソコンのミュージックサーバーに保存します。




これで曲やアルバムの取りだしは簡単にできますし、元のCDに傷が付かなくて済みます。

この時、購入したCDを全て聴くわけですが、やっぱり凄い量ですね。
80年代当時の曲で、私が聴いて記憶してた曲なんかは、マヂに5%程度ですよ。
まあ、新しい曲に出逢うのが楽しみなんで、決して苦にはなりませんでしたね。















さてさて本題!
最近になって、この際だから大好きな曲だけ集めちゃおうと企てて・・・・・・



・・・遂にオリジナルCDを作っちゃいました!






・・・とは言っても、勿論ですが販売目的ではありません。
ただ単に、私の好きな曲を集めてCDに焼いただけです。(自己満足です)




しかし、ここからは趣味馬鹿の発揮です。

どうせオリジナルCDを作るなら、ます自分が保有欲が沸くように、デザインから全てオリジナルにして、ケースも新調、ラッピングまで施しました。

ひとつひとつ手作りですが、以前映像関係の仕事(趣味)をしていたので、パソコンには画像加工やジャケット作りに容易なソフトが残っていて、作り始めるとチャチャチャと出来ちゃいました。






流石に手作りなので大量生産は出来ないし、元々自分だけニヤつくためだけのCDなので、取り合えず
1~3巻を各5枚ずつ作りました。




1巻(20曲)





2巻(20曲)





3巻(20曲)






これぞ究極の馬鹿!

そう、80年代の中高生達は、好きな曲をカセットテープに録音して、雑誌の付録のインデックスを手書きしてた・・・よなぁ~。
・・・やってることは全然あの頃と変わらんやんけ!(笑)

でも楽しい。

これは将来、愛車のオーディオを変えたりしたときに、最低この曲だけは・・・ってのを集めたもので、最終的には10巻位は作りたいなと。

でもね、今はSDカードや他の記録媒体があるやんけっ!
・・・いやいや、CDで聴きたいんですよ!
カセットデッキやCDデッキが、80年代のオーディオ型式だから、それがいいんですわ!
(70年代は勿論、レコード世代ですよね。)


これも趣味馬鹿、マニア馬鹿・・・完全に自己満足です(笑)












そこで・・・、







このCD・・・、







聴きたい方はいますか?









よかったら、さしあげま~す~!
(いらないよね?)




一部のみんともさんには差し上げました。
もし他に聴きたいという、私と波長が合う方(笑)は、是非個人的にメール下さい。(笑)
3枚を限定3セットしかありません・・・勿論先着順です。
※くれぐれもオリジナル非売品の趣味ものです。
販売等は行っていません。
また、今後の増刷も全く未定です。



但し、メジャーな80年代アイドルは殆どいません。
所謂80年代B、C級アイドル辺りに属すアーティストばかりです。
更に、有名なシングルカットの曲より、アルバム内の超マイナーな曲ばかりです。
そして・・・なにより私の好みです。
(マイナーでアップテンポの切ない唄が多いかな!)




・・・悪しからず・・・(笑)








こんな変態趣味人ですが・・・これからも宜しくお願いします。







すてきな時間、すてきな歌

(沢田聖子さん直筆)








おわり
Posted at 2018/04/23 20:40:01 | コメント(10) | トラックバック(0) | 80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ
2018年04月17日 イイね!

水谷絵津子/ 80年代B級アイドルアーカイブ300417

水谷絵津子/ 80年代B級アイドルアーカイブ300417今回は、花の82年組の中で、ヒットしたアイドル達とは逆に、大成することなく静かに消えていった、正に哀しき80年代B級アイドルです。







35 水谷絵津子







1967年4月18日生まれ (ブログUPの翌日51歳)






大分県大分市出身






スター誕生第39回グランドチャンピオン大会で優勝。


1982年 『キラリ・涙』でアイドルデビュー。







少し太めの顔立ちで、健康的で爽やかなイメージを全面に出して、いかにも当時のアイドルの王道スタイルでした。
そのコケティッシュでロリータフェイスは、小数ながら熱狂的なファンがデビュー当時から付いていました。







しかし、時期はあのアイドル大豊作の82年。
彼女の様な爽やかな印象の清純系アイドルは、正直星の数程いました。
更に事務所のプッシュ、プロデュースマネー、歌唱力、個性などの武器を持った強力なライバル達の中で、事務所が小さかった彼女はひと押しもふた押しも足りませんでした。




更に、歌声は下手では無いものの、メゾソプラノのハイトーンボイスで、やや幼稚っぽさがあり、好き嫌いが完全に分かれました。
加えて、デビュー曲『キラリ・涙』も70年代アイドルのイメージを色濃く残していて、変調具合もやや時代遅れのアレンジに聴こえました。




・・・なので、デビューシングルはオリコン90位止まり。
カルト的な人気があったにも関わらずデビューシングルがヒットしなかったのでセカンドシングルは、逆にレトロ感を全面に出して、70年代アイドルの代表格麻丘めくみの『芽ばえ』をカバーするも全くヒットせず。





急激に萎れた人気も回復することもなく、翌年1983年1月に、サードシングルを出して間もなく静かに引退します。




売れなかったとは言え、僅か半年のアイドル活動はあまりにも短かったですね。

早々に引退した理由のひとつとして、売れないプレッシャーからなのか、彼女はかなり太ってしまった様で、その後も本人の体型管理が出来なかったとか・・・?
まあ、元々太目でしたので、スタイルの良い新生アイドル達には、彼女の健康的なイメージもアドバンテージにはならなかった訳ですね。







シングル3枚、アルバム1枚

70年代アイドルの雰囲気を色濃く残していて懐かしさ満点です。
唄の上手い近所のお姉さん的な親近感があり、良きアイドル時代のアレンジングです。




唯一のアルバム『初恋』は、2010年デジタルCD化されましたが、滅多に市場に出回りませんので、見つけたら買いです。








聴くか聴かないかはあなた次第!







80年代B級アイドル度・・・96%
私事ですが・・・、私は彼女のデビュー曲、
『キラリ・涙』は、よく覚えてます。
しかも、Aメロがいきなりサビだったのも、インパクト大で大好きな曲でした。
しかし、誰の曲なのか最近まで思い出せず、昨年CD入手した事により35年振りに彼女の唄だと思い出しました。

・・・35年振り、謎は解けた・・・(笑)

短いアイドル活動、売れなかったシングル、歌と歌手が繋がらない、カルト的人気等、どれもBアイドルの枠にしっかりはまってたアイドルでした。








おわり
Posted at 2018/04/17 14:11:37 | コメント(5) | トラックバック(0) | 80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ
2018年04月10日 イイね!

水谷麻里/ 80年代B級アイドルアーカイブ300410

水谷麻里/ 80年代B級アイドルアーカイブ300410今回は、ベタなアイドルがブッ飛んだりダンサー付けたりと、アイドルの敷居の広さを感じた、不思議ちゃんです。







34 水谷麻里







1971年7月18日生 (46歳)






愛知県津島市出身







1986年、資生堂主催の『86 ミスヘアコロン・イメージガールコンテスト』でグランプリ。


1987年 『21世紀まで愛して』でアイドルデビュー。


当時はアイドル全盛で、どの番組にも何人ものアイドルが出演していた時代であり、その中で敢えて正統派のキャピキャピアイドルでデビュー。
緊張ぎみな硬い作り笑顔が、やけに素人っぽくて逆に可愛かったですね。

勿論唄はそれなりのセールスがあって、新人賞レースの常連でしたね。





ところがところが、1987年に入り大胆なイメージチェンジを図ります。

まず、シングル『春が来た』から、今までの大人しい清純系路線を棄て、元気系にスイッチ。
更に意味不明な歌詞に併せて『不思議ちゃん路線』をアピール。
キャラクターや唄風を完全に替えての挑戦に、当時のファンはついて行けたのでしょうか?(笑)




更に、その頃からバックダンサー(女性二人)を付けています。

『あしたの黄色をつかみ隊』

と言う、かなり意味不明なユニット名でした。


これは、松本伊代を代表として、アイドルが専属バックダンサーをつれて出演するスタイルで、これには色々な意図があります。


①曲が変わってもアイドルのイメージを継承する効果がある。

②センターのアイドル人気にあやかって、バックダンサーとして知名度を上げて、後々デビューさせる。

③アイドルとしてのキャラクターイメージを強く印象付けるアレンジ。


などの効果があります。




そのバックダンサーシステムは、現在のAKBを筆頭としたグループアイドルの研修生やアンダーメンバーとは全然違います。
現在のアイドルグループは、センターを中心に全てのメンバーを売り込む目的があります。
更に、グループの中には、ステージで目立つ事で個人をアピールして、自分を売り込むなんて事も出来ますし、事実そうしてグループ内で切磋琢磨させてます。



しかし、バックダンサーはあくまでセンターアイドルの引き立て役であり、決して前に出ることは許されません。
勿論、自分をアピールするなんて論外なポジションなんです。



水谷麻里ちゃんにバックダンサーを付けた本当の作戦意図は不明です。
しかし、彼女のイメージチェンジを効果的にアピールすることと、イメージチェンジにより逆に離れて行くファンを、バックダンサー人気で引き留めようとしていた節があります。







それはその後この『あしたの黄色をつかみ隊』が独立して、伝説のバックダンサーアイドル、

『パンプキン』

としてデビューしたことで立証出来ます。





今回はパンプキンの話は割愛しますが、バックダンサー出身のアイドルグループは意外に少ないです。
有名どころとしてはこのパンプキン以外に、前記の松本伊代のバックダンサーをしていた、

『麻生真美子&キャプテン (Be-2)』

位です。


・・・なので、プロデューサー側が裏で、将来のパンプキン作りに彼女を使った様に思えます。









話を戻します。

肝心な水谷麻里ちゃんは、唄である程度のセールスがあったためか、ドラマ・バラエティ等の出演は極端に少なかったですね。
その代わり、歌謡番組にはかなりの露出度がありました。
これも将来のパンプキンの知名度に影響したのかも知れません。




残念なのは、1987年中頃から、有名漫画家とのスキャンダルが発覚、次第に求心力が衰えて行き、
1990年結婚引退と、活躍が極端に短かった事です。









シングル8枚、アルバム5枚(ベスト2枚)
意外と多いですね。



シングル8枚中4枚が、オリコン10位以内にチャート。
殆どが不思議路線にスイッチした後だったことを考えると、イメージチェンジは成功だった様です。

唄は、とにかくぶっ飛びな歌詞にアップなテンポでやけにライトに聴こえます。
所謂不思議ちゃんです。

シングル『ポキチ ペキチ パキチ』なんて、全く意味わかりません(笑)

それを踏まえて彼女の不思議さを感じるのは楽しいです。
ちょっと違いますが、現在のキャリーぱみゅぱみゅに通じるイメージがありそうですね。








聴くか聴かないかはあなた次第!









80年B級アイドル度・・・88%
スキャンダルがなかったら、もう少し売れていかも知れませんね。
ヒット曲が4曲もあったのに、当時のイメージが薄いのは、色々やった割には本人のキャラクター自体が薄かった裏返しかも。

80年代の異種アイドルとしては貴重な存在です。
Posted at 2018/04/10 09:54:12 | コメント(5) | トラックバック(0) | 80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ
2018年04月04日 イイね!

松本明子/ 80年代B級アイドルアーカイブ300404

松本明子/ 80年代B級アイドルアーカイブ300404今回は、これぞ80年代B級アイドルと言える・・・83年組の中でも特異な女の子です。







33 松本明子







1966年4月8生 (51歳)






香川県高松市出身






1982年 スター誕生第44回決勝大会で合格。

1983年 『♂・♀×kiss』でアイドルデビュー

当時はヒットしていた『アン・ルイス』のファッションを参考に結構派手ないでたちで登場するなど、力を入れて売り込みをするも、全くヒットしませんでした。
(オリコン131位)

その後は曲を出すも泣かず飛ばず。
本人は芸能ニュースのレポーターや、都内のスーパーでアルバイトをしながらのアイドル活動だったそうです。
当時通っていた堀越学園は3年間無欠席で皆勤賞だったようです。
これは芸能人としては、仕事がないという裏返しでなんですね。

ですがこれには、別の重大な事件が深く関わっていました。





アイドル活動中の1984年8月13日放送の、
『解決!ナイナイアンサー』
という番組で共演の片岡鶴太郎に、

『付き合っている彼氏をばらされたくなかったら放送禁止用語を言え!』

と脅迫じみた無茶ぶりをされ、悩んだ末に見事な放送禁止用語を3回も連呼してしまいます。

直後にディレクターに抱かれて画面から退場させられてしまいました。


これが有名なアイドル最大の放送事故

『四文字言葉事件』

です。
なかなかアイドルがそこまでする事はありませんが少し面白くて、でも無知で無垢な当時の彼女は、ある意味人一倍正直だったのかも知れません。
それ故に番組内で大人に弄られるシチュエーションに観る側が期待していたのだと思います。




この事件を期に、翌日から全ての仕事が白紙になり、以降約2年間完全に干されてしまいます。

これが影響して、結局堀越学園を無欠席通学の記録を残したのは明白です。






テレビ出演が解禁された後は、仲の良かった中山秀往に拾われる形で、バラエティにスイッチします。

事件後も変わらない歯にもの着せぬ語り口と、バラエティ受けするキャラクターで次第に人気を回復していきます。
1980年終わりには、『井森美幸』『森口博子』と共に『バラドル3人衆』としてバラドルの先駆者として活躍します。




また、1990年代に入るとモノマネ番組の常連になり、『松居直美』『斎藤ルミ子』『しじみとさざえ』と共に『女四天王寺』と呼ばれました。


しかし、残念ながら現在でも彼女には、
『下ネタ系要注意タレント』
のレッテルが貼られています(笑)

それだけ当時の『四文字言葉事件』が大ニュースだったかが判りますね。







シングル10枚 
当時のアルバムはなし。
但し、マイコレシリーズなど、複数の復刻版ベストが出てます。
また、2013年には、自費でオリジナルベスト
『くてうてん』
を出してます。



唄はスター誕生出身者だけあって、安定した歌唱力があります。
唄自体もアイドルとしてはアップテンポで楽しい楽曲が多くて、意外と聴きやすいです。










聴くか聴かないかはあなた次第!







80年代B級アイドル度・・・95%
アイドルデビュー・・・売れない・・・事件・・・干される・・・バラドル・・・モノマネ・・・とB 級アイドルの王道です。

アイドルとして芸能界を去るのが良いのか、なにが何でも芸能界でしがみつくのが良いのか、考えさせられるアイドルです。
しかし知名度は抜群で、現在でも活躍されているのは、ある意味凄いですね。








おわり
Posted at 2018/04/04 21:29:13 | コメント(5) | トラックバック(0) | 80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ

プロフィール

「@ひーちゃんH 、大江戸温泉物語…ありますね、昼神温泉抜ける途中ですね。」
何シテル?   08/06 08:28
極々平凡な勤め人です。 ですから見栄はりしません、背伸びも出来ません、金も無いから贅沢もしません。 ただのデブだからお腹と舌しかでません(笑) 車...
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