
今回のアーカイブが多分『平成』最後になるので、私のお気に入りの超B級アイドルをご紹介!
80年代は色々な切り口のアイドルがいました。
その中で、他の追従を許さない個性を発して、疾風の様に走り去った幻のアイドルです。
62 速水陽子
1960年8月19日生 (58歳)
大阪府出身
1980年、大阪市内で買い物中にスカウトを受けたラッキーガール。
1981年8月1日,『い・か・が』でデビュー。
当時のキャッチフレーズは、
『センチメンタル少女』
であった事から、所謂アイドル歌手としてのデビューだったのは間違いありません。
しかし、彼女は当時ロック好きな少女だった様です。
彼女は当時イギリスで絶大な指示を得ていた
『アダム&ジ・アンツ』
の影響を強く受けていました。
…なので自然な流れとして彼女のデビューも単なるアイドルではなく、アダルティでニューウェイブな演出を与えられました。
デビュー当時彼女は20歳でしたが、夜のお勤め嬢の様な落ち着き感と、大人びた表情をもっていたことから、当初からそちら側の分野では注目を浴びます。
しかし時は70年代後半、ヤングアイドル同様メディアでの地位を確立していた、
『アダルト系アイドル』
達と一緒に見られてしまったことが、彼女弾けなかった原因のひとつだと推測します。
アダルト系アイドルは、荒木由美子、寺島まゆみ、逸見まりなどの熟れ線アイドルが、70年代後半のテレビ番組を席巻していました。
そのアダルト系アイドルが歌を歌うスタイルも決して目新しくありませんでした。
…なので、彼女にはそのアダルト性にプラス別の路線、
『女ジュリー』
としてのスタイルを与えたわけです。
ジュリー…、そう『沢田研二』です。
沢田研二も同じく『アダム&ジ・アンツ』の影響を強く受けていて、当時はニューロマンティックムーブメントを唄う大人気アイドル歌手でした。
そこで、速水陽子にはその女性版として、ネオロカビリーサウンドをプラスしたアダルトなニューウェイブを唄わせた訳です。
デビュー曲の『い・か・が』は、
男を見下しながら、『いかが』を連発して誘惑をする魅惑な歌詞。
音楽はどこか古臭く、同じフレーズが繰り返される覚え易い歌でありながら、サビは敢えて不安定な旋律を与えて、妖艶な雰囲気を煽っています。
鼻に抜ける彼女の独特なアルトサウンドに、語尾のムリムリなファルセットがたまららなくセクシーです。
一度聴くと耳に残る独特なメロディーは、80年代初頭デビューしたアイドル歌手の中では、間違いなく異端でしたね。
因みに売り上げは1万枚、オリコン最高97位とさっぱりでした。
彼女の歌の殆どの作詞は、後に松田聖子、荻野目洋子などの作詞で大成功を収め、後に大御所になった、
『神田広美』
が担当していました。
彼女も70年代後半にデビューしたアダルトチックなアイドルでありましたが、80年代早々にアイドルを引退して作詞家に転向してます。
しかし、速水陽子はその年、セカンドシングル
『やっぱり』
を出した後はめっきり露出がなくなり、11月以降は全く芸能活動も確認されてません。
これが彼女の引退とすれば、歌手活動は実に3ヶ月!
まさに『疾風』の如く走り去った訳です。
だから、彼女の私生活や性格の話題は勿論、写真も殆ど残っていないのが残念です。
シングル2枚、アルバム1枚
彼女にしてこの枚数はかなり寂しいですが、活動期間を考えれば当然かも。
前にも述べた様に、アダルト系アイドルファンであれば尚更、レトロな楽曲を好む方が一度聴くと、耳から離れなくなります。
然もすると彼女の歌声の虜になる様な、異様な妖艶さとアンニュイな雰囲気はお墨付きです。
※YouTubeで『速水陽子』と検索すれば聴くことができますが、残念ながら画像な残ってない様です。
是非是非お聴きください!!!!
アルバムは、1981年に、
『センチメンタル倶楽部』
が発売されていました。
その後2000年11月5日に、待望のCD化されました。
収録曲は、彼女の楽曲全曲の他、
『ウナ・セラ・ディ東京』
『恋のフーガ』
など、ザ・ピーナツのカバーが収録されてます。
どちらもレトロ感を保ちながらも、速水陽子らしいニューウェイブテイストに仕上がってます。
聴くか聴かないかはあなた次第!
80年代B級アイドル度…150%!!
彼女にあっては、B級の枠にも入らないC級カルトアイドルだった気がします。
しかし、未だに『沢田研二』を狙ったアイドルは、後にも先にも彼女だけですから、それなりにアイドル史としてもかなり貴重な存在です。
この趣味は、こんなアイドルを発掘するのが、無茶苦茶楽しい訳です。
…いゃあ~格好いいですよ!!!!
おわり
Posted at 2019/04/24 09:20:39 | |
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