2013年03月20日
・酔っぱらってて書いたか忘れたが、ロメオって品種はイタリア系らしい。なぜドイツからイタリアの苗もらってんだ?と思うが、緯度が日本とイタリアが同じぐらいだからかも知れない。でも気象条件を見ればまた違うんだけど、そういう関係なんだろうね。日本だと勝沼の日川という所のプチヴェルドーとメルロのブレンドが、ちょうど以前飲んだボルドーのちょっと甘い感じで好印象だった。てか、最近の赤ワイン、辛過ぎなんだと思う。2,30年前のボルドーの味と言われていたが、ボルドーでもそのぐらいのバランスだったのに、今いきなり辛口フルボディーの赤からはじめられる人がどれだけいるだろうか?またワイン会を否定はしないけど、数杯飲むと後はだんだん味が分からなくはなってくる。順番に強い感じにはしていくのだけれど、そうすると結局強い奴ほど印象が強くなるインフレになる。ただ、今回はピノのニュイサンジョルジュって所のも出たが、これはピノの印象をすっかり変えるほど強かった。そういうピノもあるけど、一方で同時に出たシャート ラプチ シャルドンヌって所のカベルネ50,メルロー50の奴の方がさらに強く感じてしまったのも事実。
・ま、これに合わせて料理も魚のカルパッチョからソーセージやローストにいくので、メインディッシュと前菜みたいな違いだと思えばいいのかも知れない。前菜とメインディッシュを比較してどうこう言う人はいないし。また今回はデザートがパンナコッタで、ナイアガラの氷結との組み合わせだったが、これまた良かった。甘い物同士だけど、料理とは強い弱いが出なくて、どっちも美味しく食べられた。
・畑は今日はピオーネの剪定と棚線張り直し。ピオーネの方は三年目でこの酷さか・・・とゲンナリして、速く進められる物が進まない。再生が遅い原因は主に2つで、一つは元がはげ上がる現象。これは主枝を急速に伸ばしたツケとも言えるが、初年度では暴れすぎてダメで二年目でコレだとなんと言ったらいいのやら。3年あれば計画密植なら来年には生産年齢になっているはずだが、これじゃ全然進んでない。もう一つは虫害の酷さで、本来虫害が少ないはずの整枝なのに、まだ全然収まってないというか、むしろ酷い。あちこちから樹液がしみ出していたり、枝の中に虫が入っているのを見ると吐き気を催す。皆伐時にそういうのは一掃されると思っていたのだが、少し残したスチューベンが病巣になっていた。あの時スチューベンにも酷く虫が入ったのだが、今思うとあれはスチューベンが病巣だったのではなくて、伐採して他に入る物が無くなってスチューベンに寄生したのが多かったという事ではないだろうか?そう考えると、初期化のための皆伐では文字通り皆切らないと意味がないと思える。
・棚線も修理していて「よくこんなひっどい修理でOK出たな」と言った感じ。棚線ユルユルは放置してなっただけじゃなくて、元がそうだったとしか思えない。主要なアンカーも欠損があって、張り直していて「これ、どういう事だよ?」と疑問に思うやり方多数。実はこの園をやっていた人は死んでいて、その奥さんがオーナーだがかなり長い事来ていない。面積はかなり持って居る人なんだが、無気力というかそうなっている背景には、性質的な物があるみたい。で、その隣接の人があくどい感じの人で、どうも測量をやり直したと言って園を縮小して農地を自分の物にしてしまい、崖なんかもメチャクチャな削りかをしている。その時に棚線を作り替えているのだが、そのあくどい人間が呼んだ業者がやったようで、私の地元の人間という話しだが聞いた事もない名前だった。地元でこんな作業やったら逆に有名で呼ばれなくなるよ。
・ちょっと迂遠な話しになるが、ニコニコニュースで、「人間はだまし騙される事が歴史的に多かったので、今の世代はそういう情報の習得に長けており、利己的な人間を簡単に識別できる能力がある。そういう人間はつまはじきにされるので、世の中上手くやっていけない」という京大の先生の持論展開があった。基本的にそうだと思うし、そうあって欲しいという気持ちで書かれた議論だとも思うが、この理屈が説明しないのは、言ってみればタカが何で絶滅しないのか?という事である。まあ、ハトからするとタカはうざいので村八分にされ、タカはタカ同士で群れる事になりつぶし合いになる、とは言っているし、そういう現象も見ないではないけれど、意外と毒は毒同士良くやっているよなーって事もある。類友という事があって、ブラック企業の親方って皆良く似ているじゃん?そりゃ同族嫌悪になるかも知れないけれど、肉食獣ぐらい異質である思考の人類は、むしろ肉食獣が食物連鎖に普通にいるというだけの話しになる。翻って、この地域の人達も言ってみれば肉食獣とまでは言わないが、そういうハト派から見ると腐りきったモラルや交友関係、利害関係とよろしくやっているんだよね。ま、だから、外部からも半分孤立状態なんだけどさ。
・今日もラジオで武士の経済学って話しをしていたけれど、江戸時代が今の日本の文化の根底であり、それは身分制度社会ではあるけれど、安定していた庶民の暮らしがあったと言っていた。他にも大変興味深い話しがあったけれど、日本は鎖国する事で自国の文化を高めていたのは事実だと思う。明治の文明開化とやらは、自然科学的な発想の転換で日本人に一種の西洋コンプレックスを植え付けたとは思うけれど、文化に関しては逆に日本が世界に対して全く見劣りがしない素晴らしい独自性を持って居る事の証明にもなった。で、その時代の税率と今の税率、通貨比重の違いとか色々あるんだけど、ま、所得に対する課税率で言えば江戸時代の農民の方が「低かった」と言うのが面白かった。実際私も調べて居て雑収入に対する課税は無く、表作の米だけに課税だった事は知っていたが、じゃあ雑穀や製材の分がいくらか知らなかったので、そういう研究結果には驚いた。多分だが、今よりさらに寄り合いや結いの比重が高かった当時は、比率以上に税率が低かったのではないかと思う(もっとも、うちの地域は米の作付け限界集落も多かったので、米以外でも租税を取られていたらしいし、やっぱり生産効率が低いので、生活が楽だったと言う訳ではない)。一方今はほぼ100%貨幣経済で、社会保障費などは上積みと見るべきかも知れないが、なんで身分的支配層がいないのにこの高さなのかは考える必要があるかも知れない。その人は武士の経済学という本や映画の反省点として「そもそもアレでは倹約でその当時の経済レジームの中で乗り切れた成功例を提示したが、根本的な消費の問題点に開眼してない点で、流行りの財テク成功例みたいな例に過ぎなかった」と述べている。江戸時代に対する発言であるが、当然現代の消費の異常性についての反省が無い事を突いているのは明白だ。江戸時代で言えば草履取りとか参勤交代とか、そもそも戦争しないのに武士を大量にやとって彼らの8割は役職がなかったという構造を「既存の社会構造だから」と思っていていいのだろうか?という指摘は、もう今の日本の官僚役人機構や公共工事の無駄遣い、既得権益ビジネスなんかそのまんま当てはまるでしょう。もちろん庶民が正しいとも思わないけど、貧すれば鈍するの言葉通り、このまま日本人が生活に困るほど貧しくなれば、江戸時代に培った道徳心や誇りも失ってしまうのではないかと。
・私はちょうど第二次ベビーブーム、団塊の世代の最後の方で、就職の時にすでにバブルがはじけ、ずっと割食っている世代だとは思っている。ただ、当時は失われた世代、ロストジェネレーションの10年なんて言っていたのだけれど、実際はそのロストジェネレーションが20年を超えてきて、もうこれは一時的な不況とかそういうレベルじゃないぞ、と気がついてきた。もちろん、その間も社会はどんどん発達してきているので、停滞や退行してた訳じゃない。ぶっちゃけ日本という国が発明されてからですら、そんな長い訳じゃないから、今後国債の償還が国内で回らなくなって外国資本が云々となったら、最終手段として国が無くなっちゃってもしょーがないとは思う。きっと本当の共産主義は一度資本主義がそこまで行き詰まらないと来ないだろうし。あ、訳分かんない日記になったな(いつも通りで)。
Posted at 2013/03/20 23:55:34 | |
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