2015年12月16日
・ずっと古い本の方がシンプルで入門にいい事がある。いや、素直に昔最初に読んだので、その著者の視点に慣れ親しんでいるのだけれど、そんなのがバイクで言えば万沢康夫さん、音楽で言えば諸井誠さんと言えば年がバレる。しかし、諸井さんのピアノ名曲100選はずーっと愛読書だったのに、諸井さんが誰なのかは全然知らなかった。検索したら作曲家でもあり、セメント会社のご親族で2013年に亡くなられていた。幸い他の著書がヒットしたので購入して読むのが楽しみ。万沢さんはまだご存命だと思うがウィキにはないので不明。共通しているのは批評家ではあるけれど著述専門ではないという事かな。
・今年も年賀状のシーズンになって郵便配達員の外回り職の人達大変だなーと思いながら話していて、先日ケケ中平蔵が「消費税を上げなければアベノミクスは成功」とか意味不明な妄言を言ったと聞いて突然農協解体論が何であるのか分かりやすく分かった。郵便を解体して市場にぶちこむ事で荒稼ぎした人達が今更いい人ぶって、実行されるはずもない政策を言う所は、小泉とセットのこいつも相当なワルというか、経済学者じゃなくて時代劇の悪役商会のちんけな商人でもやった方がいいんじゃないかと思ったりするのは置いておいて、つまり小泉・竹中が規制改革とか言って日本をダメにしたのと全く同じ事が阿部・黒田の農協解体なわけだ。どうしてここまでそっくりな間違いを繰り返すのかと思う。
・昨晩は帰宅直後に疲れて寝てしまい逆に夜中目が覚めて眠れなくて困ったのだが、そこで大江健三郎が編集した「何とも知れない未来に」という作品集を読んで逆に眠れなくなった。何故私がこの本を持っていたのか良く思い出せないのだが、中身は第二次大戦の原爆被害の小説というか実体験集であった。大江健三郎はいささか左がかった人だというのが世間様の認識だと思うけれど、実際問題ここらへんの話を読んだり、作者達と親しくしていれば、原子力や戦争という物がどういう物であるのか、一市民として黙認出来ない気持ちになるのはやむを得まいと納得する内容だった。というか、さ、本来なら日本の国語の授業で大江健三郎の屍体を洗うなんか読むよりは、この中の一編、死の影でも学ばせた方がいいんじゃなかろうか。
ちょっと驚いたのは、この短編集では被爆者が語る内容が多く、被曝で死にかかった内容もあった事だ。何故意外に思ったかと言うと、原爆を描いた作品はほぼ全てが外部からの視点というか、被曝当事者は全て死んだという大前提で書かれているような感じなので、全身大火傷で見るも無惨になった人がどういう経験をしたのか?というのは知らなかった。もちろん熱線被害がなくても放射線による障害で苦しんだという話、あるいは被爆者という事で社会的に被った偏見などはあるのだけれど、ケロイドだらけになって蠅にたかられて下痢をして、それでも回復したという話は初めてだった。
ちょうど先日、被爆地からのニュースが重なった。一つは広島の原爆ドームが築100年になり、地震で倒壊する恐れがあるので鉄骨を内部に入れて補強しましょうという話。もう一つは長崎で被曝者の語り継ぎを親族以外にも広げようという話だった。反戦のために考える資料とメッセージを伝えるという大事な活動だが、原爆ドームの維持計画としては「被曝後100年」というのを一つの節目と考えているように感じられたし、長崎のも大事な取り組みとは言え結局は被曝者の体験は被曝者本人の物である。人間の寿命が長くても100年ちょっと、認識力が10歳ぐらいから80歳ぐらいまでとりあえず保つとして、せいぜい70年ちょっとしかその経験は持続しえない。その度にまた同じ過ちを繰り返す事になるのだろうか?
・ソーラーはボイラーつかう為に一次接続で入れて見たが温度が明らかに低い。サーモスタットを使ったミキシングバルブなど温度調整装置はどうしても最低限の混合比率があって100%温水側のみという事は出来ないように感じるし、直結ソーラーの場合は温水側の水圧損失がある。基本的にはサーモは同じ圧力で温水と冷水が来ている前提での混合だと思われるが、ソーラーはタンクまで送っている関係で水圧がどうしても下がる。そうするとミキシングバルブでの混合がさらに下がるのではないだろうか?じゃあ冷水の水圧を下げればいいかと言うと、普通の配管だとその水圧でタンクまで送水しているので難しい。まあ別途バルブを追加してミキシングバルブに入る所をいじる事は出来るはずだが・・・こう考えると、ミキシングバルブを介さないで温水を二次側に入れるだけでは不十分で、ボイラーの一次側にも直結装置が欲しくなる。そこまでゴテゴテするのは明かに間違っている事になるが。
・仕事はスチューベン園の房落とし・笠紙回収、午後は巨峰の剪定など。
Posted at 2015/12/16 19:13:17 | |
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