2016年11月03日
・ミライースのスタッドレスへの交換をやったら、いかにOEタイヤの横浜ブルーアースA34が酷いタイヤだったのか思い知らされてびっくりした。詳細は整備手帳に書いたのだが、よくこんなの我慢して乗ってたなと。ステラもファルケンで大損してたが、ミライースもスタッドレス(しかもダンロップのDSX-2)で車格が1ランク上がったかのようだ。という事でサマーラジアルはもう捨てる事に誘導、溝を測ると4㎜なので、ちょうど半分ぐらいか。2万キロぐらい新車から乗っているので寿命としては3万キロレベルはありそう。時間は2011年頃だったと思うので、車検二回目だから経年劣化も大きいとは思う。さて、問題はミライースにはくタイヤだ。サイズは155/65R14になる。そこらへん調べると今は各社から主力タイヤが沢山出ているジャンルなのだが、エコタイヤとスタンダードが幅を利かせていて、コンフォートというか少し上ってクラスが寂しい。まずハマは除外、ダンロップも除外(でも、DSX2でかなり見直した)、石橋はレグノには惹かれるが高い。以前なら無条件でTOYO、今だとトランパスLuKとかにしたのだろうが、耐震偽装からこっちTOYOのイメージも悪い。残るはミシュランだが、サイズの中だとエナジーセーバーという物1種類しか無い。
エナジーセーバーはエコタイヤとしては一世代前にあたり、現在はエナジーセーバー+が出ている。ウェットグリップがラベリングでC→Bに上がっているようだ。他は前調べた時にも分かったんだけど、太くて大きいタイヤに比べて小さくて軽いタイヤは元からあまり改善の余地がないらしく、抵抗もそんな変わらない。静粛性はミシュランの通例でそれほど良くはないが、走行性能や燃費にカンしてはそこそこ良いみたいだ。調べたらなんと、XM1がまーだ売られていたりするが、あれ買ってもそうそう損した気にはならないだろう(でもサイズはない)。で、エナジーセーバーは一応モデル末期らしくお値段はかなーり安かった。ネットだとネクストレイやGTエコあたりより安い。
・明日はこのミライースで山梨方面にまたドライブ、先生にお会いしてくる予定。また、夕方からライブもある。朝はワイナリーで新酒発表しているはずなので、予定が合えば見てくるが、飲むのは明後日かな。もし朝あれば手土産にしてもいいし。また明後日はかえる電車で古本のイベントがあるそうで、そっちの案内ももらったし、割と忙しい。
・うちに普段は内側から施錠して使っている扉があるのだが、最近また外から施錠しようと思ったら鍵が出て来ない。しょうがないので外して鍵屋に行ったら、いかつい顔のヤンキーみたいな小太りな店員がろくに見ないで「カンで作るから1万三千、錠ごと交換した方が安い。錠は同じ物は無いが取り寄せで1万円」という話だった。お前、キーをカンで作るんかい!と思ったし、事前に軽く調べて錠が1万円もせんだろうなという事で頼まなかったのだが、実際後で調べたら全く同じ物がまだ出ていた。結構売れた商品らしく、全くモデルチェンジしないで売っているみたい。価格は2500円ぐらいだった。という事で鍵屋には極力お世話になりたくないなと。デカデカと看板上げてる所とか出張車にへんなナンバー使っている所とか、よく考えたらそういう事なんだよね。最近ナンバーからのキー作成が犯罪になるからと断られているらしくて、それもまあ分かるんだけど、私が利用した所では問い合わせの返事も早く価格も安く、こんな地元のへんなチェーン系鍵屋に頼むぐらいなら絶対そっちの方が良さそうだ。
で、普通はネットショップでこの手の物は売っているのだが、発送時期が1月とか信じられない数字だったのでYKK自身が運営しているオンラインパーツショップで購入した。価格は少し高かったけれど、翌営業日で発送だそうなので早い。この一月って数字はおそらくスペアキーを作る製品の数字なんだろうけど、一律で長くしとけば平気だろうという怠惰が逆に商売のチャンスをつぶしているな。
・インスタント紅茶が欲しい。インスタントコーヒーは多いのに紅茶は少ない。先日リプトンの濃縮タイプを買ったが、結構美味しいけれど砂糖が多すぎる。スプレータイプも出たらしいが日本だと発売されてないし高い。調べたらちゃんとインスタントも存在はするみたいだったが、値段が250gで2000円ちょっとする。ネスレの安いのが150gで500円ぐらい、ゴールドブレンドでも100g1000円もしないので躊躇する。という事で、お試しでメイトーの紅茶を買ってみた。メイトーのはレモンティーの製品が昔からあったが、今はアップルとロイヤルミルクティー、それにオレンジティーなんて物まであった。なのにストレートはないのね・・・ミルクティー以外は砂糖割合が若干多いので、ミルクティーを買ったのだが、味は紅茶花伝あたりとそっくり。まあメイトーに何期待したんだろうかとも思ったが、そういう味である。
さて、紅茶なんてティーバックでいくらでも安く手に入るし本物の味なのに、何故インスタントが欲しいのかと言うとお湯の方の問題である。ティーバックやリーフティーでがっつり飲みたい場合はそれでいいが、ちょっと一杯飲みたい時にはポットのお湯でいれたい。ただの真空ポットだとお湯の温度が低いので再沸騰が面倒なのだ。そういう時にコーヒーばかり飲んでいると、カフェインがきつくなる。
「植えない森づくり」大内正伸
鋸谷式間伐とか四万十式林道の本を書いている人が提唱というか取材で林業家から学んだ方法を抽出した本。前半で宮脇昭批判がすっごい出ているのだが、実の所私もかなり疑問に思っている部分があったので「なるほど」と思った。宮脇さんは少し前に亡くなっていて、「潜在植生」と言う考え方が日本林業に対して与えた影響は大きかったとは思うが、その著書や評伝を見るとかなり怪しい部分も多かった。まあ、行動力がある人は客観的に見ると思い込みが激しすぎる奇人なケースが多いんだけど、フィールドワークがそんな必要だったのかと言うぐらいフィールドワークに予算ぶんどる事に熱心で後継者教育もスパルタというかそれ手下だろって感じだったし、潜在植生の実例も大企業の看板みたいな所があった。それでも沢山の木を植えた事には変わりはないけれど、そこも遺伝的特性とか海外事業のやり方に多少は批判もあった訳だ。まあ海外緑化にカンしてはこの本は「日本の自然条件と(宮脇さんが提唱した)ドイツの林業じゃ勝手が違う」という事からはじまっているので、直接批判する事じゃないが、結局の所何が問題だったのかと言うと「行政補助金制度」に尽きるかも知れない。
今全国的に人工林の間伐が遅れていて利用が進んでない事が問題になっているが、なぜ山奥の利用が難しい所まで人工林、杉桧の単一林が広がっているのかと言うと、昭和初期に戦後復興で建材需要が増えて植林が進められたからだ。大体60年ぐらい前かな。この時、杉桧の植樹に補助金が出たので、どこでも植えた。もちろん、切り出した場所もあったろうから、当時はそれで採算取れるほど木が高かったという事もあるだろうが、植樹は行政の後押しがあった。まあ植樹そのものは必要だったろうが、杉桧じゃないと補助金つかないとかあったんじゃないかな。私の学校の道具はブナだったが、それは地元の山から採られた物だったはずだが、ブナ植えたって話は聞かないし。
そして現在も基本的に植林するという考えは根強く残っていて、業者と行政が予算取って影響力を与えている構造は変わっていない。むしろ本業の木で儲からないから、補助事業の方が主になり、結果として先日我が県を揺るがした補助金不正時給問題のような緑の公共事業での不正が広がっている訳だ。もちろん、行政が未来の状況を正確に把握出来る訳じゃないし、学術もその時その時でもっともらしい物に変わっていくし、自然条件や手入れでどの理論でもそれなりの結果が出ているとなおさら迷うだろう。だから、「行政が悪い」と言う気はないけれど、「産業として終わっていて行政のカンフル剤頼みの所は補助金政策で方向性が強く歪められうる」という事は自覚した方がいい。そして、宮脇さんのように「林業の学者」ってのは行政にそうやって持ち上げられるためにしている所が多分にあって、思い込みが激しいほどどーなんかなーと思う訳だ。それは大内さんにも恐らくは当てはまるだろうけれど、学者畑じゃないので行政がこの方式を補助金に組み入れるって事が出来ない分安全とも言える。
まあ学者のヒエラルキーは「学校内にずっと居て論文作りと人脈実績作りに余念がないタイプ」>「フィールドワーク主体で学外にいるタイプ」なので、宮脇方式が部分的にでも補助金政策に受け入れられているなら、それはそれで柔軟になったというか活動が稔ったとみるべきだろうが、コンセプトからのラグが軽く20年30年あると、その問題点も目立ってきている訳だ。コンセプトに修正すべき部分が内在するだけじゃなくて、周辺の社会情勢が20年30年の間に大きく変化してしまう事もあるし。
さて、そういう余談が長くなったが、この本の本質としては「日本は伐採して放置してもすぐに木が生えてくるから、単一林や経済性を重視して植林管理するのは無駄という考えである。最初から潜在植生を狙って永続性のある森を目指すのは長期的に手入れしないんならアリだけど、過渡的な森を全否定する事もないし、時々の植生はそれなりに最適化されているのではないかという事なのね。そして、過渡的な森は代替わりするのだから、無理にそれを維持する必要はないという指摘はもっともだ。最近松枯れがここらへんでも大問題になっていて、シンボルツリー的な200年ぐらいの松がどんどん枯れてしまってはいるけれど、周辺の松林はせいぜい40年ぐらいの物だから、過度に松が増えすぎて病気が広がっているのが分かる。それを限定的な農薬や伐採でどうこうしようというのが間違いなのだが、これがまた補助金出るもんで林業組合がやりまくっている背景がある。先日もこの農薬が市価より大分高く仕入れたことになっているってんで問題になったけれど、補助金林業はやっぱり汚くなるわけよ。
とは言えこの本の方式は自家消費的なケースでは当てはまるだろうし、森林保全としても分かるんだけど、大規模林業や高生産性との相性は多分良く無い。当座あと30年ぐらいは戦後植林の間伐だけで既存の木が間伐メリットで肥大するので樹冠は維持されて生産性は残るだろうけれど、その後植えないで何が生えるのか、それが木材として使いやすいのからへんは時が経たないと分からない。山林は畑ではないという意見が林業家から出ているそうで、それは分かるんだけど、多分林業はその畑じゃない山を畑にする人工的な技術という側面がある。なんとなれば大昔は平野も森林で、そこで林業していた訳なんだから、生産性が低い土地に生産性が低い産業が押しやられたという側面もある(自然災害対策とか降水が多いから成長が早いとか他の要素も沢山あるけど)。
私がこの本読んでいて「そういえば」と思い出したのは、とある林業試験場で見た「ケヤキの植林」。ケヤキというのは広葉樹でもとりわけ価値がある木材で、比較的成長が早いし需要もあるので、人工的に植えられないかとなっていたのだが、30年生ぐらいのその森は木がグチャグチャに乱れておおよそ良材生産からは遠そうだった。ケヤキって一本立ちだと真っ直ぐに立って綺麗な樹形になり良材になるわけだけど、植林した単一林だと競合やらなんやらで思い通りにはならない。これがもし自然に生えている形だったら、もしかしたら良材が出る「かも」知れない。が、仮に良材の大径ケヤキがポツンポツンと山林にあったとしても、なかなかそれを狙って伐採するって訳にもいかないだろう。そうすると、結局ケヤキの希少性はそのままで高くならざるをえないと思う。
と偉そうな事を書いて来たが、実はこの自然放置案は部分的に実行されているというか、そうならざるを得なくなってきている。行政もすでに今後は植林は極力しないで自然植生の回復メインの広葉樹主体の山林に戻すって言っている。あまりに消極的すぎて、この話が出た時には「伐るだけ伐って、予算がないから後は野となれ山となれ」と言われたし、やっぱり全ての地形でそれを言うのは酷いとは思うのだが、緊縮財政でそうなっているのは事実。そういう意味だとこの本の内容も行政の論拠になってしまっているかも知れない。では、そういう山林の回復状況がどうなのかだよね。地元は10年ちょっと前の大火災ではげ山になった大きな面積があって、そこはイオンが植林事業したり、行政が管理したり、いろんな森林再生の実験場になっているのだけれど、その中には放置して自然再生って所もある。5年ぐらい前の番組でそこの植生回復を取材していたし、街からも見られるのだけれど、率直に言って植林に比べると再生が遅い」と私は感じた。理由の一つは「植林が困難でペイしない急傾斜地」に特にその方法が選ばれた事があるし、そういう所は降雨での土壌流亡があるので痩せ地なのもあるけれど、森林保全という意味で言えば燃えた木の残根周辺で木が生えてちゃんと再生していくという事は確認出来たので、さらに先に最適樹種の自然選択が出来るんならいいんじゃないか?とは言える。
もっとも、一つだけ指摘したい事がある。この自然再生は日本の中の植生が長年積み上げてきた生態系に限っては保証されるが、それ以外はわからんという事だ。具体的に言うとニセアカシアなどの侵略的外来生物が増えると、全く自然再生と遠い結果が待っている。ニセアカシアの問題点は「アレロパシーで他の植物を枯らすので、下草や他の大体樹種の控えが育たない」「凶悪な繁殖力がある、特に地下茎」「用材としては劣悪である。硬いんだけど直通じゃないので端切れにしかならん」「鋭い棘が多くて林内への立ち入りが大きく制限される」「浅根性で土留め性能がすこぶる悪く倒木する」などなど。多分他にもこんな困った植物が増えているだろう。なんでも放置って訳にもいかないだろうな。
Posted at 2016/11/04 19:32:19 | |
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