2018年07月11日
・今日は生き死にが間近で起きる日だった。まずモズの雛が消えていた。時間的に巣立ちはまだなので、襲われたと考えるべきだろう。妙にモズがさわがしいのは雛が襲われた後だったのだろうか、悲しい話だ。今日、警告を無視して巣を覗いて発覚した。その代わり巣には新たな卵があった。またここで子育てするのか、順調に行っても産卵に一週間、抱卵に2週間、巣立ちに二週間で一月かかるし、おそらく敵は再び来るのに。もっと頻繁にチェックして必要なら拉致すべきだったかもとも思うが、百舌の子育てができる訳でもないんだよなぁ。育てるだけなら出来るだろうけど、狩りを教えるとか出来ないし。
次はブドウ園のお隣の畑の所の猫が交通事故で死んでしまったらしい。なかなかかえって来ないと思ったら近所の車の下に死骸があったそうで、そこで力尽きたのだろうかと飼い主さんは涙声で言っていた。孫のようにかわいがっていただけに気落ちも激しく心配になってしまう。そこの防鳥ネットにさっそく害鳥がかかっていたが、かわいそうだから放さなければとか言っていて、まあうちには関係ない種類にしてもアレだなぁと思いつつ、殺生する気になれないのも分かる。
交通事故という事から分かるように、その猫は放し飼いで、これまで3代全部交通事故で亡くなったと聞くと、愛猫家からすると自業自得という気もするが、一方で1度外で暮らした猫を家に閉じ込めておく事の難しさも分かる。結局、外猫で飼うという事は野良よりマシで楽しい生き方をしたという事であり、外で元気に遊んでいた猫の姿を思い浮かべると、あれはあれでいい生き方、死に方だったのかもとも思う。飼い主さんは年齢的にもう飼わないだろうなぁ。
結局生き死には運で最終的に死に向かうプロセスだけは避けがたい自然だが、逆に産まれるというのはかなりエントロピーが居る不自然な状態だと思う。人間はカラスには滅んで欲しいし猫には平和に暮らして欲しいしモズには増えて欲しいけれど、全部エゴというかバランスがどうなっているのかなんて分からない。13人のタイ人の生還するのと同時期に、自然災害で多くの人命が失われ被災された人や不便な生活を強いられている。自分が生きている不自然を感謝しなければいけないのにすぐ忘れる。
・って事で仕事、Z園の袋掛けでしたが、やっぱりグダグダして半分は進まず。ガチれば800枚とか考えていた割に600枚ちょっとしか掛けられませんでした。暑いし(と言っても今日はほとんど曇りで気温よりは過ごしやすかった)他の仕事を全くやらないでいい訳じゃないし、生活関係も手が回らなくなってきた。特に料理、暑くて食が細くなると麺類が恋しくなるが、いちいち麺を作るのが手間。お米ならご飯炊いて総菜準備しておけばいいだけだが。A園のマメコガネは大分発生が減ってきた感じがするが、それでもまだ被害はある。
袋掛けは列をやると共に、着色がはじまったパープルを狙って付けている。恐ろしい事に、すでに鳥が食べた痕跡がある。こんな酸っぱい状態でも色がついていれば突くのだ、鳴き声や食べ方からしてヒヨドリだが、今日はあの耳障りなムクドリの奇声も聞こえた。害鳥って鳴き声もみんな耳障りだわ、カラスといいヒヨドリといいムクドリといい。そして着色はほんと一瞬でギューンと色づく。午前中に一回りして作業していてちょっと休んでると、もう別の房がどんどん色が付きだしている。着色と肥大が同時で、伸びる玉ほど色が乗ってる感じ。L型なので全然袋掛けは負担じゃなかった。
・明日はお手伝いさん入れてZ園で作業、猫の墓参りらへんかな。
Posted at 2018/07/11 21:58:57 | |
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