2012年09月02日
・先日WEBコミックランキングで「雨宮鬱子の 証券会社で働いたらひどい目にあった」というサイトを読んだ。証券会社の営業をやっていた人が、上司や先輩からパワハラをされて精神を病んで退職するまでの話しだ。基本、ファンタジーとか恋愛物が多いWEBコミックランキングでは珍しい「ブラック企業物」だが、本当にそういう事はあるよなーと共感したし、作者がそこからちゃんと教訓を得、決して自己弁護に陥らず、かと言って精神疾患もひどくならずに漫画というはけ口でカタルシスを得ているのは、一つの映画のような感じだ。精神疾患が酷くならないと言ったら本人に怒られそうだが、この人は身体症状として強く出たので、その分精神は防御されたかなーと思う。まあ漫画の中だと泣けているので、本当ならそういう部分もあったかも知れないけど。
ちょうどその直後にニコニコ動画のニュースでココロコネクトのどっきり企画で、ある声優さんに偽のオーディションを受けさせて、後で役がないという種明かしをして笑いものにし、さらに罰ゲームがある宣伝企画をやらせるという事件が発覚して炎上した事を知った。これ、雨宮鬱子さんが見たら、どんな気持ちになるだろうかと暗い気持ちになった。上司や権力者が一番弱い人を笑いものにし、先輩もそういうのに同調する。あるいは、そういう先輩と心ある人との間で軋轢が生まれたり、何か良いことがあったのだろうか?そういうのをクリエーターの仕事として見せられた視聴者はどう思うだろうか?アニメという世界に誇る文化は、労働環境という点では決して恵まれてないし、才能に関しても激しく切磋琢磨される厳しい環境だろうと思うから、皆が仲良くとか甘い事は言ってられないとは思う。でも、とりあえず、夢を売る仕事をしている人達が、こういう事をやっていて何とも思ってないというのは、やっぱりなという気持ち半分ショック半分だ。
確かに笑いものにされた声優さんは失礼ながら声優としてのキャリアは薄いかも知れない。人が良くて馬鹿にされても笑ってしまうような弱さがあるかも知れない。でも、真剣に仕事に取り組んでいたそうだ。それを、仕事じゃない点からいじめ・パワハラの対象にする権利が誰にあるだろうか?原作や他の出演者・制作者さんはいい迷惑かも知れないが、少なくともいじめに関わった人間や迎合放置した人がいると思うと、私はアニメ版は認める気にはなれないな。そういう種類の殺伐さを仕事の厳しさと考えている人間は、本来の仕事なんか頑張ってないんじゃないだろうか。
余談だが、雨宮さんの話しは証券業界の中の病気とも言える対応が数々出てくる。要らない証券を売りつけるためにノルマがあり、優良資産を持っている人をそそのかして財産を目減りさせたり、言う事に一貫性もなければ信頼性もなかったり、と。ただ私が不思議に思うのは、雨宮さんは決して証券業界や営業業自体が駄目だとは考えてないようだし、職場の雰囲気と業務内容との関連性も特には言及していない。私は金融など全く認めてないので(そりゃ銀行に賃金が支払われりゃ取りに行くし、それに微細な利子がついてないとは言わないけど)、なぜパワハラや職場問題にこれだけ気がつけた作者が、その本質的な欺瞞というか搾取についての意見を持てないのか不思議に思う。まあ、「女性が数字で対等になれるから」って単純な理由は挙げられているが、そうすると私としてはタブーではある事を言わなくてはいけなくなる。もちろん男だけが仕事していた時代にパワハラが無かった訳でもないし、ユダヤ人が蔑まれながら富を蓄えるという背反する社会はあるわけだが。
もう一つ、あまりいい事ではないかも知れないが、ある種の創作はカタルシスであり、自分の治療のために何かを産み出す作業があると思う。例えば精神異常者が学校で児童を無差別に殺した事件などでは、その後で生き残った子供達は同じ事件を繰り返し繰り返し模倣しながら、やがてその形を子供達が逆に倒す形にするとか、あるいは単純に繰り返して固定化する事などで解消していく。怒りや悲しみが創作の動機とも言える。私は村上春樹はねじまき鳥ぐらいで終わっていると思うのだが、それは形はどうか知らないが、彼の創作の根源はそこらへんで綺麗に昇華されているように感じたのだ。ピンボールやノルウェイにあった時代へのいらつきは作者の中で、社会の中で、もはや居場所が無くなってしまったように感じる。
雨宮さんの話しを読むと、「ブラック会社自慢」みたいな漫画を思い出す。それらは社会の歪みでの出来事という点では似ているが、そのスタンスは対照的である。ま、そもそもから、あそこらへんの作品は読んでいると気持ち悪さが先立つのだけれど、根本で社会に対する怒りとか、そう感じる自身への省察とか、そういうのが全く抜け落ちて、ただただいじめを繰り返す部分だけ流して、いつか自分がそこから出られたらいいと考えそうな感じだ。一言で言えばカタルシスがない。イジメコネクトやスターチャイルドなどは今回の指摘を受けてどう動くだろうか?カタルシスの無い作品を作り続けるのだろうか?
Posted at 2012/09/02 01:31:27 | |
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2012年09月01日
・湾岸MNで車を建物に喩えて補強のやりすぎをいさめる話しがある。まあ湾岸MNでちょくちょく同じテーマは出てくるのでお馴染みなのだが、筋交いの話しは確か荻島FDの補強をゆるめる話しだったか。本体より補強がまさって突っ張っているという主張だったと思う。さて、アキオの主張は正しかったのか?偶然それをテストしてしまう事になったので答えるが、事実だった。先日軽トラの荷台のコンパネあおり板の固定を強固にすべくネジを付け直して筋交いも入れて補強しなおした。その時はガッチリしてきしみ音もしなくなったのだが、すぐにネジ部分が外れて倒れてしまったのだ。いや、ほんとアキオの言う通り、建物なら筋交いを入れると強度が桁違いに上がるのだが、車のように常に動いている奴だと逆効果かも知れない。
・筋交いは強度が上がるのは間違いない。建物の壁倍率で見ると筋交いがない壁が1だとすると、1.5cm×3cmのほそい筋交いを入れただけで2倍、4.5cm×9cmの筋交いで4培、9cm角で6倍、さらにたすきで入れるとさらに倍(9cm角の場合だけはなぜか10倍)に計算される。ところが、モノコックに相当する耐力壁という合板を壁に全部打ち付けた構造の壁倍率は意外に低くて2.5でしかない。まあ、壁組工法だと3倍とかなので、そっちの方が近いかも知れない。筋交いの表記は壁倍率という基準だと2倍になっているので、モノコックの強度は6倍だと考えていいのだが、4.5cm×9cmのたすき掛けの筋交いの方が剛性(8倍)は高い訳だ。これが何を意味するのか?たすき掛け筋交いを入れるとモノコックボディーそのものより補強の方が剛性が高くなってしまう可能性がある、という事である。いや、もちろん補強の太さや元のモノコックの強度はまちまちなので、補強の方が突っ張るかも知れないという点が重要なのね。
・軽トラの荷台でだと補強が弱い時点ではきしみ音が出ていたという事は変形していたはずだが、それで振動が逃げてネジが抜けたりはしなかった。ところが、補強して変形を抑えたら、その分の力がネジ部分に集中して折れたり外れてしまった訳だ。対策としては「さらに補強を加えて応力分散を図る」「取り付け部の強度を上げて絶対折れないようにする」「補強を抜いて変形する事で力を分散させる」という事になる。1番は建物だと重量は問題になりづらいので、筋交いと耐力壁を同時に使ったりして可能だが、車のシャーシだと重量を無闇に増やせないので限度がある。もし徹底的にやりたければアルミ合金使って素材を軽くしつつやるような工夫が必要だろう。取り付け部の補強というのは、言ってみればアーム基部のあて板補強のような物で、まあ有効なんだろうね。でも今度はアームが折れたりする危険性はある。3番目は要はノーマルの車の考え方で、ふにゃふにゃするけど逆に壊れないという感じだと思う。
・軽トラの荷台は今はそれほど強度が必要ないので、もう少し補強の入れ方を工夫して2番と3番の間を狙って改善したい。
Posted at 2012/09/01 00:21:29 | |
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