• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

TMKのブログ一覧

2025年07月19日 イイね!

バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)

バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)リーガ旧市街の観光を終えてからは、新市街でも旧市街寄りにあるユーゲントシュティール建築群を観に行きました。
ユーゲントシュティールとは19世紀末から20世紀初頭にかけて欧州で流行った美術様式で、フランス語で言うアール・ヌーボ(新しい芸術)を、ドイツ語圏での呼び方でJugendstil(青春様式)と呼んだものだそうです。


                   何れの画像もクリックで拡大します。


3本の通り(ストレールニエク通り、アルベルタ通り、エリザベテス通り)沿いにあるユーゲントシュティール建築群の殆どは、ユダヤ系ロシア人であるミハエル・エイゼンシュテインによって1903年から1906年までの間に建てられています。
以下、特記していない建物はエイゼンシュテインの設計によるものです。また、特別な建物名も付いていないので、歩いた順番に番地で表記して区別することにします。

         
                    ストレールニエク通り4a番地 1905年竣工
altalt
壁に青煉瓦が貼られている右半分の建物です。女性の像を含めて優しく柔らかい表現が綺麗です。現在はリーガ法科大学院、スウェーデン商工会議所などが入っています。
注)左半分の建物は次で紹介する建物(アルベルタ通り13番地)を横から見た形になっています。


                   アルベルタ通り13番地 1904年竣工
alt

altalt
動物、植物、人間等沢山の彫像がありますが、特に女性の表情、喜怒哀楽が豊かです。
装飾的折衷主義ユーゲントシュティール建築の代表例(難しい)だそうですから、やはりここで一番なのでしょうね。


        アルベルタ通り12番地 1903年竣工 K.ベークシェンス、E.ラウベの設計です。
altalt
内部にある螺旋階段が有名です。現在はリーガ・アールヌーボーセンター美術館として使われています。

                   アルベルタ通り8番地 1903年竣工
altalt
窓枠に貼られた青煉瓦が綺麗ですが、柱か出窓のように突き出た建物の中心部がアクセントとなっており、更に中心部の装飾も念入りに造られています。


                   アルベルタ通り6番地 1903年竣工
alt
壁2面に赤煉瓦を貼ってあります。隣(8番地)と比べて地味です。装飾も控えめですが手は込んでいます。


                   アルベルタ通り4番地 1904年竣工
altalt
中央上半分の窓は曲線で描かれており、ガウディのカザ・ミラやカザ・バトリョほど徹底していませんが、最も完成度が高いユーゲントシュティール建築のひとつ、なのだそうです。また、最上部には、魔除けでしょうか。。。2頭のライオンと3人のメドゥーサの頭部が飾られています。


                   アルベルタ通り2a番地 1906年竣工
altalt
6本の柱に紅い柵のような形で煉瓦を埋め込んだ建物です。女性や用心棒?の人面などで飾られています。玄関前に置かれているのはスフィンクス像です。アパートオーナー協会が入っています。


                   エリザベテス通り33番地 1901年竣工
altalt
エイゼンシュテイン設計最初期のユーゲントシュティール建築なのだそうです。言われてみれば、未だ多くの技法を投入していないような。。。


                                 
alt
エリザベテス通り10b番地 1903年竣工






壁の半分に青色の煉瓦を貼っているのと、柱に融けこんだ人間の頭部が特徴的です。
また、銀色の像と最上部の怖い顔も目立っています。
















以上、歩いた順に並べてみましたが、歩いた範囲の略図を作ってみました。

左上から右下に向けて歩いており、その順に写真も並べてあります。





alt
こんなお店が営業していました (^^)/

エリザベテス通り10番地 竣工年、作者未詳




上記エリザベテス通り10b番地の2軒隣です。

10番地は建替えられているのでしょうか。。。



この日の午後は、スペインノルウェーに続いてアールヌーボーの建造物を楽しみました。何れも20世紀初頭の同時期に、欧州各地で同じように競って建てていたというのが興味深いと思います。
派手さを比較すると、スペイン → リーガ → ノルウェー の順ではないでしょうか。。。




********************************************************************************************************************

観光の合間にトラム(リーガ市電)の撮り鉄も敢行しましたので、少しだけ紹介します。

        タトラT3A @中央市場西         シュコダ15T @旧市街城壁近く(火薬塔北)
altalt

シュコダエンブレムも誇らしげに、S字カーブを抜けてくるシュコダ15T。上右と同じ。
alt

タトラT3Aプラハプルゼニのタトラと、又、シュコダ15Tも同じくプラハのシュコダと同類型のトラムです。

ご参考)プラハ、プルゼニの関連ブログは👉  プラハ   プルゼニ

********************************************************************************************************************



夕食はレストラン・TAILS に案内されました。TAILSしっぽというだけあって。。。

altalt
        しっぽの形をしたバター            前菜は鯖のペーストにイクラのトッピング


altalt
          スズキのグリル                 デザートはカモミールティーのプリン

前菜。。。鯖のペーストは◎、でもイクラのトッピングは要らないかな?? スズキの皮はパリッパリ身はフワッフワで、これも美味しかったですうまい!うまい!うまい!
カモミールティーのプリンは初めて食べましたが、写真で見てもよく思い出せません (^^ゞ



この日は、3泊も予定されている首都・リーガで、早朝から丸12時間
ルンダーレ宮殿、リーガ旧市街、同新市街と盛り沢山な行程を堪能しましたが、若干疲れました (^^ゞ



つづく



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
 ◇ バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)
 ◇ バルト三国(その10:リーガ旧市街)



Posted at 2025/07/19 20:20:18 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年07月15日 イイね!

バルト三国(その10:リーガ旧市街)

バルト三国(その10:リーガ旧市街)5月25日、午前中ルンダーレ宮殿を観光して首都リーガに戻って来た時には、既に13時近くになっていましたが、昼食はオアズケ状態でした。
と言うのも、リーガ入口に位置する中央市場の観光 → リーガ市内のレストランで昼食、とした方が、動きとして無駄がないからだと考えられます。

👈リーガ大聖堂前・ドーマ広場でのワンシーン。


                   何れの画像もクリックで拡大します。


alt


ということで、まずは中央市場です。
信号待ちの間に撮りました。

ドイツ軍が残していった20世紀初頭に建てられた飛行船格納庫を移築し再利用したカマボコ型のドームが4つ並んでいました。




カマボコ型ドーム内を散策してみます。
altalt
ウサギの肉もありますとの案内でしたので、撮った写真(右)に写っている値札部分を翻訳すると、ウサギは見つからず、代わりに牛タン、鶏頭そしてトカゲと書いてあることが判明しました (^^ゞ


生鮮食品や乳製品、更には土産物店などもあって見ていて楽しいものですが、旅行者としては。。。
altalt
。。。売られているのは食材がメインで、そのまま食べられるものは少ないので、チョット買えないなぁ、と思いました。実は、翌日の夕飯は自由食でしたので、中央市場で何か買う(テイクアウトする)ことも選択肢のひとつにしていたのですが、この時点で候補から外しました。




alt
そんな市場でしたので散策は早めに切り上げて、思ったより早く旧市街周辺部にあるFORESTというレストランに到着。

喉を潤した🍺のは13:40でした。

サラダはチーズ入り。



メインは柔らかポークのグリル(左)。 デザートはアップルパイ+シャーベット(右)でした。
altalt
何れも美味しくいただきました。お腹が空いていたから、という理由だけではないと思いますうまい!うまい!うまい!




午後からの(と言っても14時半を回ってから。。。ようやくですが)観光は、リーガ旧市街から始まります。

三人兄弟
まるで兄弟のように並んでいる中世の住宅です。17番地のプレートが見えているのがリーガで最も古い住宅です。そこから左に19番地、21番地と連なった3軒が三人兄弟です。17番地には小さい前庭があるのに対して、左の2軒は順に間口が狭くなって、余裕がありません。但し、17番地の建設当時には課せられていた窓税が廃止されたため、残りの2軒は目いっぱい大きな窓を持っている、という変化が興味深いものでした。
alt
旧市街観光時は、全て左隅に写っている電動のミニバスで移動したので、楽チンでした。


alt


三人兄弟の家の前の道に丁字路繋がる路地を歩くと見えてくる聖ヤコブ教会


尖塔の途中にある出っ張りには鐘が吊ってあります。
15世紀に建て直されて以来、色々と不評だった鐘で、一旦は取り外されたのですが、2001年のリーガ800年祭を機に取り付けられているそうです。














ミニバスは、一旦リーガ大聖堂前のドーマ広場を経て猫の家に向かいます。


リーガ大聖堂 
この写真に写っている4枚揃いのランセット窓(中からはステンドグラス)は最後に入場して観ます。
alt


猫の家
ドーマ広場を北東に進むと見えてきます。
猫。。。ドイツ人が支配的なギルド(組合)に、加入させてもらえなかったラトビア人商人が怒って猫の像を設置したもので、当初は隣接するギルド会館にお尻を向けていたそうです。
altalt


猫の家の北には火薬塔(左)があり、ソ連軍が撃ち込んだ鉄球が今も残っています。
altalt
更に旧市街の境界を東に進むとラトビアの独立を記念して建てられた自由記念碑(右)が見えました。左奥には、宿泊しているホテル Radisson BLU LATVIJA が写っています。翌日の夕方には、ここの26Fにある SKYLINE BAR からこちら側の景色を眺めながら夕食をとりました。


そこから南下して旧市街中心に向かう途中、外から眺めただけの聖ヨハネ教会と。。。
alt


。。。聖ペテロ教会(左)。その前に建つグリム童話ブレーメンの音楽隊(右)の像には。。。
altalt
。。。童話の登場動物(ニワトリ、ネコ、イヌ、ロバ)が勢揃いしていました。姉妹都市ブレーメンから寄贈されたそうです。


ブラックヘッドの会館
14世紀から500年以上もかけて構築されたのに、1941年にドイツ軍の砲撃で破壊されたものの。。。
alt
。。。1999年に修復が完了と刻まれています(下右)。同様に、広場にはリーガの守護聖人・聖ローランドの像も再建されていました。
そして、壁にはハンザ都市の紋章(左からリーガ、ブレーメン、リューベック、ハンブルク)とギリシャ神話の神々の像が飾られており(上)、彫金細工が美しい壁時計も、月、日、時刻そして月齢を刻む仕掛けになっています(下右)。
altalt
因みに、この時は5月25日、15:37、月齢27.5でした。 この写真から、月、日、時刻、月齢を読み取ると見事に合致しています。感動しました



alt


広場の反対側にあった市庁舎です。

ラトビアの国旗、ウクライナの国旗、欧州旗、そしてリーガ市の紋章(左から)が掲げられていました。







alt
旧市街をひととおり周遊したので、ミニバスと別れて。。。


リーガ大聖堂に入場







楽しみにしていたステンドグラス(先ほど、外から見た4枚揃いのランセット窓で、各々タイトルが付けられています)、パイプオルガンとご対面です。






ステンドグラス。。。入口側から順に~


   👇寄進者・ティゼンハウゼン一家と聖母マリア
alt
















  礎石を敷くアルバート司教👇
alt
















 リーガ市長に信仰の自由宣告書を渡すリヴォニア騎士団長👇
alt
















スウェーデン王グスタフⅡアドルフを迎える大聖堂前のセレモニー👇
alt

























alt









見事なステンドグラスに見入ったあとは、これまた美しいパイプオルガン



16世紀からある木彫りのフレームに、1883年に造られたパイプオルガン本体を組み込んだものです。






alt



頂部に天使の像がある説教壇


天使の像を頭上に掲げてお説教というのも可愛い気がしますけど (^^ゞ








alt












主祭壇

全体的にシンプルに造られていると思いました。








主祭壇のアップ(左)。。。右側には1709年の大洪水の際の水位を示すプレートが~(右)
altalt




リーガ大聖堂から出た所で、ドーマ広場を見渡すと証券取引所美術館(左)と。。。
altalt
。。。ラトビアラジオ放送局(右)が見えました。



次は新市街地に向かいますので、バスに乗るために旧市街の外まで歩きます

altその途中で案内されたスウェーデン門。。。リーガに唯一残る城門です。

城壁を利用して住宅が建てられた際に付け加えられた門ですが、17世紀当時、外国人と会うことを禁じられていたにもかかわらず、スウェーデン兵と密会していたリーガの娘が、捕らえられて門の内側に塗りこめられた、という逸話があります。
そのため、真夜中になると娘のすすり泣きが聞こえるようになった、そうです。




スウェーデン門の外にあるスウェーデン兵の兵舎(左)に沿って歩いて行くと。。。
altalt
。。。今も一部残っている城壁がありました(右)。リーガが城塞都市であったことが判ります。

この辺りは、先ほど通った火薬塔や自由の記念碑に近い場所で。。。何度も通ったような気がします。




続いて、バスで新市街にあるユーゲントシュティール建築群へ向かいます。



つづく



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
 ◇ バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)


Posted at 2025/07/15 23:54:27 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年07月12日 イイね!

バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)

バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)ラトビア観光の初日(5月25日)は、午前中にルンダーレ宮殿を観光します。

バルトのベルサイユ宮殿と言われるルンダーレ宮殿は、首都・リーガから南に約80kmの地点・バウスカの町はずれにあります。従って、前日リトアニアから国境を越えてA8を北上して稼いだ距離を、そのまま南下するイメージです。但し、今度はA7を通ります。


                     何れの画像もクリックで拡大します。


alt
3泊するリーガのホテル、Radisson BLU LATVIJA での初日の朝食です。
リトアニアのヴィルニュスでも Raddison でしたが、やはり系列。。。安心の朝食。。。和食はありませんが、日本と同じ感覚で食べることが出来ます。

こちらでは、注文すれば出来立てのオムレツが提供されます。



出発は8:15。
まずは前日通ったダウガヴァ川沿いの道を前日とは逆の向きに走ります。
alt
前日、撮りそこなったダウガヴァ川に架かる美しい鉄道橋を撮ろうとしていたら、こんなモニュメントを発見し、一緒に撮りました。

このモニュメントは、「1905年のファイターズ」と呼ばれていて、ロシア帝国時代に起こった労働者たちのデモでの為政者との衝突(血の日曜日事件と呼ばれています)の犠牲者を弔うもので、長いこと埋もれていたものです。



血の日曜日事件は、ロシアの首都・サンクトペテルブルクで発生した衝突を機に、各地に労働者のストライキや農民反乱が拡がり、1907年にかけての第一ロシア革命に繋がったとされています。当時、ロシア帝国の支配下にあったこの地域でも、当然ですが血の日曜日事件は発生しています
元々、くすぶっていた上流階級への不満と上流階級が支配する軍隊における士気の低下=弱体化した軍隊、そこで発生した日露戦争における敗北とそれに起因する国内の混乱。。。等が第一ロシア革命に繋がっているようです。もっとも、日露戦争で日本が勝てたのも、既に軍隊が弱体化していたからでもあるのでしょうから、まさに日本が第一ロシア革命に複雑に関係していると言えるのかも知れません。



ダウガヴァ川の対岸にはラトビア国立図書館(左)が、中洲にはラトビア国営公共テレビ局(右)が見えますが、前日渡った橋(Island Bridge)より1本上流側に架かる橋(Suthern Bridge)を渡って。。。
altalt
。。。A7を南下し、45分でバウスカの街を通過しました。


alt





こちらはバウスカの市街地を出る橋から見たバウスカ城です。今回は訪問しません。







更に走ること10分ほどで、ルンダーレ宮殿に到着しました。リーガの街を出てからの約75kmを55分で走っています。一応、高速とは言え、日本で言えば信号のない田舎道ですから、結構なアベレージ(平均時速=約82km/H)だと思いました。
駐車場から宮殿までの道からの景色。。。静かで綺麗。手入れも行き届いた美しい庭です (^^)/
alt


宮殿の正面にて、時間調整中に撮りましたが。。。左のマロニエの木のテッペンに何かある。。。
alt
。。。コウノトリの巣です 前日も道路沿いに何か所か見えていましたが、キッチリ見えたのは初めて!  この時期は子育て中なのだそうです。

子育て中を観るのは初めてなので、順光の反対側に回ってアップで撮ってみます。まだ孵化していないのでしょうか、子供は写っていません。因みに、飛んでいるコウノトリはこのように見えます。
altalt




結局、10分少々の時間待ちの後、正門(左)を通って、前庭に入って(右)。。。
altalt
。。。奥に見えている正面玄関から宮殿内に入ります。



ルンダーレ宮殿は、ロシアの女帝アンナに愛され、クールランド公(以下、公)にまで昇格したビロン公により、1768年に完成したものです。冒頭にも書きましたが、バルトのベルサイユと言われるバロック様式の豪華な宮殿です。
宮殿内では2階を主体に見学通路が設けられていました。


黄金の間
最初に入った黄金の間と呼ばれる宮殿一豪華な部屋です。ここで公の戴冠式が行われたそうです。
alt

壁面は金箔を貼った漆喰彫刻人工大理石で覆われ(左)、天井にはフレスコ画が描かれており(右)、贅を尽くした部屋になっています。
altalt


白の広間
舞踏会が開催された広間です。女性のドレスを引き立てる効果がある白一色の内装に注目です
alt

黄金の間と同様に美しい漆喰彫刻に目を奪われますが、こちらは神話(左)や動物(右)。。。
altalt

。。。そして農村風景(左)など、優しく柔らかい表現が特徴的でした。
altalt
白の間には、磁器の間(右)が繋がって配置されていました。有田焼と思しき作品もありました。


以下、写真を撮っていた宮殿内の見所を順に載せます。

図書室(左)です。また、薔薇の間にあったロココ様式の椅子寄木細工の床(右)です。
altalt


化粧室にあったバスタブ(左)とトイレ(右)です。
altalt


庭の眺めがあまりにも綺麗で公の寝室内を撮り忘れていました。。。公の寝室からの眺め(左)。
altalt
謁見の間にあった調度品はまるで漆塗りのようでした(右)。


イタリアの間には、イタリアの画家の手による絵画が沢山ありました(左)。
altalt
大理石の間は、ダイニングルームとして機能していたようです(右)。


ビリヤード室(左)・・・やけに大きいビリヤード台が置いてありました。
altalt
夫人の寝室も公開されています(右)。



宮殿内部を一通り見学のあとは、ミニトレインに乗って庭園を周ります。所要時間は20分弱でした。

alt


altalt


altalt


alt






広い庭園を行ったり来たり巡ってくれたミニトレインです。おかげで楽チンでした。




宮殿内部の観光と合わせてルンダーレ宮殿には1時間半以上滞在しており、この時点で11時半を回っていますが、昼食は未だ食べさせてもらえず。。。このあとリーガに戻る行程が待っています。


つづく



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)


Posted at 2025/07/12 21:55:21 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年07月08日 イイね!

七夕に国際宇宙ステーションるんるん

七夕に国際宇宙ステーション最近、国際宇宙ステーション(以下、ISS)を撮ってないなぁ、と確認したら、この時が最後でしたので、未だ3か月ほどしか経っていませんでした (^^ゞ

👈取り敢えず、ナマの画像。。。ISSが写っている画面21枚を比較明合成しただけの画像です。北西方向から北東方向に移動するISSを捉えました。


                   何れの画像もクリックで拡大します。


冒頭の画像に星座線、星座名等を付記しました。
alt
<撮影条件>
シャッター速度:5sec. 絞り:f/3.5 感度:ISO-1000 焦点距離(35mm換算):27mm
21:18:40~21:20:37に撮った21枚を比較明合成しました。




続いて、七夕ですので東の空を撮ってみます。
alt
天気予報によると近畿地方はチョット厳しいかな。。。ということでしたが、何とか織姫と彦星は出会うことが出来たと思います。判りにくいので、星座線、星座名等を付記すると。。。


。。。ベガが織姫アルタイルが彦星です。
夏の大三角は捉えましたが、肝心のわし座が切れちゃいました。。。失敗です (>_<)
alt


下の方には薄雲が出てましたが、夏の大三角は撮れそうでしたので、30分ほど回してみました。
alt
<撮影条件>
シャッター速度:25sec. 絞り:f/6.3 感度:ISO-400 焦点距離(35mm換算):27mm
21:32:40~22:05:35に撮った66枚を比較明合成しました。


同じ画像に星座線、星座名等を付記してみますが、やっぱり複雑でしょうか。。。
alt




今回は、比較的遅い時間帯にISSが通ってくれたので、夕食後にゆっくりと過ごした後、1時間ほど夜空で遊ぶことが出来ました。


Posted at 2025/07/08 09:32:03 | コメント(0) | イベント | 日記
2025年07月05日 イイね!

バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)

バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)カウナスで、杉原千畝記念館、街歩きを楽しんだあとは、カウナスから140kmほど北のシャウレイ郊外にある十字架の丘を経て、更に130km北上してラトビアの首都・リーガへ向かいます。

十字架の丘には、無数の十字架が立ち並んでいますが、これはロシア帝国の支配に対するポーランド及びリトアニアによる1831年の武装反乱でロシアにより鎮圧され処刑、流刑された同胞の鎮魂の意を以て始められたらしい、とのことで、墓地ではありません
その後も、抑圧された民族の象徴として扱われています。特にソ連統治時代は、様々な手段でソ連側は潰そうとしましたが出来なくて、今日に至っているようです。


                  何れの画像もクリックで拡大します。


altカウナスからはA1でクリージュカルニスまで西北西へ向かいます。そこからA12で北西へ向かいました。

背景に見える風車は、風力発電に注力しているリトアニアの中でも、主力のケルメ風力発電所。クリージュカルニスとシャウレイの中間にありました。

A12に入ってからラトビアの辺りまで結構、目についた菜の花畑


alt



シャウレイの街を右に見て、街の左側を時計回りに大きく迂回(所謂バイパス)します(左)。
このオーバーパスは、ヴィルニュス → シャウレイ → クライペダ(バルト海の港湾都市)を繋ぐリトアニア鉄道の線路を跨いでいます。
altalt
迂回してシャウレイから出てきた旧道にぶつかりました(右)。十字架の丘まで、あと6kmです。



十字架の丘・・・A12から1km半ほど逸れたところにありました・・・に到着
駐車場から400mほど歩いて来たところで、おびただしい数の十字架が見えてきました。
alt
幅2~30m、奥行き100mもない位の丘です。手前左右にも比較的大きな十字架が並んでいます。


まずは、青空に映える大きな十字架から。。。
トラックで運んだのだろうなぁ、とか、ついつい詰まらないことを考えてしまいました (^^ゞ
alt


alt


小さい十字架も無数にあります。ウクライナ絡みと思しきものあり(右)、最近は抑圧事案が多く。。。
altalt
。。。益々十字架が増えているそうです。


altalt

小さい十字架は入口の売店でも販売しています。協力することも考えましたが。。。

altalt


alt
40分ほど滞在して、この日の宿泊地へと移動を開始しました。



十字架の丘から再度A12に戻って北上。。。すぐの所にあった踏切です(左)。こちらもリトアニア鉄道の線路で、シャウレイからヨニシュキスを経由してラトビアの首都・リーガまで繋がっています。
altalt
その25分後に通過したラウンドアバウトです(右)。ヨニシュキスを迂回して、もうすぐ国境です。



国境を挟んであったリトアニア出国審査場(左)と、ラトビア出国審査場(右)です。もう使われていませんが、将来使うことを想定しているのでしょうか???残してありました。まさかね。
altalt
ここでラトビアに入りました ラトビアに入ってからは、A12はA8になっていました。


ラトビアに入ってから、右端に描かれているピクトグラムの謎が解けたきっかけの看板です。
ピクトグラムだけ単体で描かれた看板はリトアニアの道路にも立ててあって📷じゃないのかな?と思ってはいたのですが、この看板でカメラを指していることが確認出来ました
alt
欧州では、「速度計測中」だけでなく、実際に計測結果を表示する装置もあります。スピード違反に対する牽制として効果的ですので、日本でも導入すれば良いのに、と思います。


リーガが近づくにつれて、交通量が増え、道路も立派になってきました(左)が、リーガの入口で。。。
altalt
。。。注意道路工事中 という看板(右)を過ぎてから、突如として立派な道路が無くなり、爆撃を受けた跡のような場所を数分位でしょうか?通りました。色々調べましたが、アレは何だったのか? 判っていません (^^ゞ




リーガを流れるダウガヴァ川です。ロシア、ベラルーシを通って流れてきています。
中洲に建つテレビ塔(左)や、リーガ中心部(右)も見えてきました。中心部の内訳は。。。
altalt
。。。一番高い塔があるのは聖ペテロ教会、そのすぐ左が聖ヤコブ教会、手前の蒲鉾の断面の形状(半円形)がチョット覗いているのが中央市場、左側の2番目に高い塔がリーガ大聖堂です。


alt


ラトビアの首都・リーガではこのホテルに3連泊します。
このホテル。。。Radisson BLU LATVIJA ですが、旧ソ連時代から使われている歴史あるホテルなのだそうです。
ソ連時代には、外国人専用のホテルとして指定されており、隣接するKGB事務所の監視下におかれていたそうです。つまり、外国人は盗聴や尾行によって、行動は全て把握されていた、という歴史のホテルなのですね。

現在は、当然リフォームもされており 。。。3日目に入った最上階のラウンジも綺麗だし、そこで食べた軽めの夕食も美味しくて。。。快適に過ごすことが出来ました。




到着日(5月24日)は、このホテルで夕食ですうまい!

alt










まずはマッシュルームのスープ(右上)が出てきましたが、アルコールはラトビアの代表的なビールであるチェス・アルスでひと息🍺(左)。そしてメインは大好きな。。。
altalt
。。。牛ほほ肉の赤ワイン煮込み(右)。 う~ん、どちらも美味しかったですうまい!うまい!うまい!


alt





そしてベリーのタルトにバニラアイス 丁度良い甘さでしたうまい!






バルト三国の旅、この日で2つ目の国に入りました 翌日からラトビアを楽しみます



つづく



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)


Posted at 2025/07/06 10:36:43 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記

プロフィール

現住所変更(横浜 → 神戸)に伴い追記しました。(2011.5.17) ****************************************** ...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

掲示板

<< 2025/7 >>

  1234 5
67 891011 12
1314 15161718 19
20212223242526
2728293031  

リンク・クリップ

代行ドライバーとの会話・‥の巻 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/08/21 09:58:09
雨の日の鉄分補給 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/05/02 19:43:04
もみじの飛騨・信州ドライブ(その3:上高地を発つ三日目の朝まで) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/01/08 08:05:17

愛車一覧

スバル インプレッサ スポーツ スバル インプレッサ スポーツ
前車の劣化?に伴い、買い替えを決めましたが、車両購入のタイミングが悪くて好みの新車が無く ...
スバル インプレッサ スポーツ スバル インプレッサ スポーツ
2022年に発生したリアのハブベアリング損傷に続き、CVTも損傷(異音発生)したため、2 ...
日産 プリメーラ 日産 プリメーラ
2016.2.28  12年で約8.5万km乗りましたが、車齢や家計(私もいつの間にか雇 ...
トヨタ カルディナ トヨタ カルディナ
ここ数年専有していた次男が新車を購入し、その下取り車としたことにより、本日(2014.3 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation