
パルサーGTI-Rを維持していくには、
相当の「体力」が要求される。
いや、正確には、
「要求されるクルマになった」
と言うべきだろう。
「体力」とは、文字どおりの「体の力」ということではなく、
維持していく上で必要な「力」である、
物理的なモノと精神的なモノを総合して、
「体力」と表している。
物理的なモノで最大のモノは、金銭的な事である。
他に環境であったり、状況であったりするだろう。
精神的なモノとは、それを維持したいという強い気持ち、
思い入れである。
ただ、精神的なモノの中には、
「金」という物理的なモノが大きく関わってくるモノも多く、
逆に、たいていは「金」で解決されるモノであったりする。
そのクルマが、特異なものであればあるほど、
相応の強い「体力」が要求されることになる。
最近、iR記に書いてある「諸事情」とは、
まさに私の「体力」の衰えであり、
「体力」に自信が無くなったということなのである。
パルサーGTI-Rに対する私の気持ちに変わりはない。
ただ、壊れ行くパルサーGTI-Rには、
「体力」の限界を感じずにはいられないのである。
パルサーGTI-Rというクルマに「罪」は無い。
最近、やっとそう悟り始めた。
「クラッチペダル折れ」という、
最もiRらしい衝撃的なトラブルや、
「クラッチ交換にはエンジンを下ろす必要がある」
などといったことで、
iRは厄介なクルマというイメージがどうしてもできる。
私もそう思っていた。トラブルの度にグチる。
すると、他のiRオーナーの方々から、
「そうではない。そういうクルマになったんだ。」
というようなコトを今まで何度となく聞かされた。
以前はピンとこなかったが、最近ようやくわかりはじめた。
生産後、外気にさらされ風雨に耐えた長い年月、
iRらしい激しい走りで重ねられた走行距離。
それらが、iRにのしかかっているのだ。
これらの条件が揃えば、他のどのクルマでも同じコトであろう。
iRに「罪」は無い。
問題は、それを支える「体力」があるかどうかである。
そして、その「体力」の無くなった者は、
降りることになってしまう。
始めは十分な「体力」を持った者も、
徐々にその「体力」を使い、奪われ、果てていく。
そして、ついには些細な事でさえ、
くじけそうになってしまうのだ。
それは、まだこれからの十分な「体力」を持った者から見れば、
大したことに思わないだろう。
そうやって、次のオーナーの元へ行くのだろうか・・・。
もちろん、機械である以上、
部品を交換すればその部分は新品になり、完調になる。
もしかしたら、それでうまくおさまることもあるだろう。
クラッチ交換の時には、
それを乗り切る「体力」が確かにあったのだ。
物理的・精神的に・・・。
2・3ヶ月で無くなるタイヤも、モノともせず・・・。
そして、その時にはiRのライバルとなるクルマも、
私の中に存在しなかった。
しかし、現在はiRの強力なライバルとなるクルマが存在する。
金銭的な負担は、減るだろう。
アクセルも遠慮無く全開にできるだろう。
新車ということで、
修理などで他人に託すということもほとんど無いだろう・・・。
ヘンタイも究極までいくと、
修理に出すことさえイヤになるのだ。
「金」の問題では無く、
大事なクルマを他人に出すという行為が・・・。
たとえ、不調なiRを引きずってでも・・・。
今の私がまさにそうである。
これからのiRは、さらに修理を必要としてくるだろう。
それが、とても苦痛なのである。
iR存続の、
最大の危機の一つであるクラッチ交換を乗り切っても、
それで終わりでは無かったのである。
当然といえば当然だが・・・。
そして、その先を見ると・・・。
これらが、私の「体力」を弱めていく。
もちろん、iRに魅力が無くなったというわけではない。
iRに「罪」は無い。全ては私の問題である。
Posted at 2018/11/16 16:04:32 | |
PULSAR GTI-R | クルマ