
私の幼少期だった、1970年代。
日産と言えば「技術の日産」でした。
他社とは一線を画した、技術オリエンテッドなクルマ作り。
「世界の恋人」が流れる企業CMと共に、私の中ではそのイメージが刷り込まれています。
もちろん、今も「技術の日産」ですよ。
その方向が、ドライビング プレジャーから自動運転に代わりましたけれど。
あと「技術の日産」たらしめたる所以、それは海外ラリーでの活躍でしょう。
510型ブルーバードによるサファリ総合優勝は、さすがにリアルタイムで観てはいませんでしたが・・
その後のPA10型バイオレットでのサファリ4連覇は、私にとって正に「技術の日産」の象徴でした。
そんな「ラリーの日産」、そういえば日産のWRC最後の優勝車ってなんだろう?
まさか、このバイオレットではないと思うのですが・・・
サファリ4連覇はグループ 2/4時代。
その後、グループ Bの時代に代わります。
日産車のグループ B車両は、この車両でした。
240RS
クワトロショックで幕開けした、グループB。
勝利の選択肢としては、ターボ + 4WDは必須となります。
そうは言っても、日産、ひいては日本車の場合、グループBは即ちサファリ仕様。
スピードよりも耐久性を重視していました。
2つの技術を同時搭載は難しいけれど、ターボはチャレンジ。
トヨタは、この方法を選択しています。
結果、生み出したグルーブBホモロゲ車両。
それが限定生産された、セリカ ツインカムターボ(TA64)でした。
片や国内初のターボを市販した、日産。
トヨタ同様に、ターボは必須と考えていた様です。
そこで高熱による耐久性問題を検証すべく、実戦にターボのテスト車両を投入。
導き出した結論は、時期尚早としてターボは見送りとなりました。
その為、日産は、パワーを排気量によって得る方法を選択します。
設計されたのは2.4L DOHC4気筒、FJ24でした。
その240RS、サファリでの最高位は、1985年の4位。
それ以外でも1983年ニュージーランドで2位と、残念ながら未勝利で終わります。
それでは、グループAはどうだったのか?
グループAに参戦していたのは、このクルマ。
パルサー GTI-R
WRCスタンダードとも言える、ターボ + 4WD車両を遂に投入します。
軽量コンパクトな2BOXボディに搭載したのは、4連スロットルで武装した2Lターボ、SR20DET。
スペックだけ見れば、他社に引けを取りません。
これだけのクルマを、ラリー経験豊富な日産が投入すれば、今度そこWRC勝利が・・・。
満を持して投入したデビュー戦、1991年のサファリ。
ここでは優勝ならずの5位。
翌1992年では、雪のスウェディッシュで3位と、これが最高位。
パルサーのワークス参戦は、この2年間だけで終了となりました。
コンパクトなボディにハイパワーエンジンは、WRCでは常套手段のはず。
ですが、物には限度があった様でして。
ちょっとコンパクト過ぎたが故に、エンジンルームに隙間なし。
熱の逃げ場もありません。
同じくコンパクトの弊害で、ホイールストロークの確保が難しい。
また大径ホイールも入らないので、ブレーキも小さい。
熟成も新車投入もなく、日産ラリーの歴史はここで途絶えてしまいました。
という事は、日産最後のWRC優勝は、1982年のサファリ?
流石にそれはないだろうなぁ・・・。
いろいろ調べてみると、日産初のGr Aは、パルサーではなかったんです。
200 SX
Gr A移行初年度、1987年。
ターボ + 4WDで参戦したくとも、日産に該当する市販車はなし。
そこでGr Bの240RSと同様に、FRをベースに選択します。
このクルマの国内仕様シルビアには、FJ20ET搭載のRSターボがありました。
という事は、ここで遂にターボ投入?
しかし、この200SX、搭載エンジンはVG30E。
V6 3L、SOHCのNAです。
またしても日産、ターボを回避しています。
NA + FRという、結局は240RSと同じコンセプトを踏襲します。
Gr Bでは、トヨタがセリカ ツインカムターボ(TA64)でサファリ3連覇。
ターボの信頼性は実証済みです。
それでも、またしても日産は、大排気量NAを選択しているのです。
デビュー戦のサファリでは8位。
実戦で熟成を重ねた、翌1988年のサファリでは2位と3位。
そして迎えた、第11戦コートジボアール。
ここはマニファクチャラーズ タイトルが、掛かっていません。
その為、ランチア、トヨタ、フォードと言ったワークスチームは、不参加。
それでも、アウディ クーペクワトロ、マツダ 323(ファミリア)が、プライベートで参戦しています。
ワークスと言えどもFR + NAの200SXでは、決して楽なラリーでがありません。
アフリカの大地で開催される、このラリー。
サファリ同様のタフさが、ここでも要求されます。
そんな過酷な状況の中、序盤からリードをしていたのは200SX。
しかし、アウディ、マツダも、僅差で食らいついて来ます。
先にアフリカの洗礼を受けたのは、ライバル勢。
マツダは駆動系トラブル、アウディはコースアウトと、徐々に遅れが目立ち始めます。
これで200SXも安泰かと思いきや、まさかの牛に激突。
フロント損傷し満身創痍となりながらも、トップで帰って来たのでした。
1988年コートジボアール、ワークス不在とは言え、WRCの1戦には変わりありません。
結局、これが日産車最後のWRC優勝となったのです。
ちなみにこの勝利は、WRCにおけるFR車最後の優勝でもあります。
疑問は解決したものの、ちょっと気になったのは、参戦車両。
V6 3Lの200SXって、どんな素性の車なんでしょう?
TA64セリカの様な、ラリーホモロゲ用の専用車両なんでしょうか?
調べてみたら、こんなものが出て来ました。
これは、200SXのFIAホモロゲーションの公認書です。
形式名はRVS12。
確かにエンジンは、V6 2995ccとあります。
実はこのV6、ラリー専用のホモロゲモデルではなく、北米で市販されているクルマでした。
同じく気になったクルマ、ライバルのアウディ。
車名は「アウディ クーペクワトロ」とありました。
これって所謂、アウディ クワトロ?
でもあれはGr Bでしたので、Gr Aでホモロゲ取れる程は生産出来ないはずでは?
これも調べてみました。
う〜ん、あのラリー常勝のクワトロでは無さそうです。
ブリスターフェンダーではないですし。
やっぱりこれ、あのクワトロとは別物の様です。
クワトロなので4WDなのですが、エンジンはNA。
アウディのGr Aって、セダンの200クワトロしかないと思ってました。
それにしても、日産最後のWRC優勝が37年前とは、ちょっと寂しいですね。
ラリーの日産復活・・・って、今の日産を見ていると、無理だろうなぁ。