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くまとっどのブログ一覧

2023年05月12日 イイね!

カローラと言えば、この人

カローラと言えば、この人日本を代表する大衆車、カローラ。

1966年の誕生以来、11代にも渡る歴史あるブランドです。

もっとも現行型は、そのサイズ故に大衆から離れてしまった感も、否めめなくはありませんが。

そんな歴代カローラ、CMには様々な方が出演されています。

例えば初代は、このお方。





ゴリさん事、竜雷太さんです。

初代は私が1歳の時なので、当然リアルタイムでの記憶はありません。

ところで竜雷太さん、本名は「長谷川 龍男」さんって言うんですね。

あれ? この名前はどこかで・・・

あっ、初代カローラ開発の主査、長谷川 龍雄さんと同姓同名、漢字違いなんですね。






続いては、5代目。

みんな大好きハチロクを擁した、E80系です。

この時は、このお方。






「エキゾティック ジャパン」な、Hiromi Go! ですね。

CM、カタログにと、そのお姿が拝見出来ました。






雑誌広告だと、AE86にもHiromi Go バージョンがあったんですね。

あんまり記憶になかったです。





でも私的に Mr カローラと言えば、やっぱりこの方かなぁ。






ジェリー藤尾さんファミリー。

登場していたのは、3代目「さんまる」。

このE30系、モデルライフがちょっと長めなんです。

他のモデルは4年サイクルなのですが、E30は5年。

厳密に言うと、途中でE50系と形式名は代わっているんですけど。

E50系、これはE30系の51年排ガス規制適合車なんです。

形式名は違いますが基本はE30なので、3代目のMCモデルという位置づけにあります。

E30系はなぜモデルライフが長かったのか?

それは生まれた時代に関係あります。






E30系は1974年のデビュー。

当時の日本は、第4次中東戦争のあおりを受けた、オイルショック真っ只中。

今まで消費は美徳されていた生活が激変します。

そして、その影響は新車開発にも影響が出て来ます。

4年ごとに投入される、新型車。

これは、まだまだ使える現行型を無意味に陳腐化させる事によって、不要不急な買い替え需要を巻き起こしている。

これは資源のムダ使いに繋がり、けしからん!

そんな事を言われてしまいまして。

でも自動車メーカーは、車を買い替えてもらう事で収益を得ていますもので・・・。

それをムダ!と言われてしまうと、自動車メーカーは商売上ったりなんですけどね。

まぁ、そんな時代だったので、3代目さんまるは他よりも1年長いんです。

長めのモデルライフ&記憶力抜群の小学生だったせいか、カローラ=ジェリー藤尾ファミリーの式が、確立したんだと思います。






そんなある日、ブログネタを探すべく、ネットを徘徊していたところ、1枚の写真を見つけました。






4代目 E70系カローラと・・・あれ? ジェリー藤尾さん!

3代目から継続して、4代目でもイメージキャラクラーを続けていたんですね。

調べてみるとE70前期までは、ジェリー藤尾さんだったそうです。
(ちなみに後期は、伊武雅刀さん)

と言うことは、E30で5年、E70で2年の、合計7年だったんですね。

あぁ、これだけ長ければ、印象が強くなりますね。

また別の日、今度はこんな画像がありました。






えっ!! E20にもジェリー藤尾さん!!

実はさんまるがデビューではなくて、E20後期型からの登場だったのでした。

そうなるとキャラクター歴は更に2年延びて、合計9年!

そりゃ私的には、ジェリー藤尾さんは「Mr カローラ」になってしまいますよ。


モデル途中からもありますが、CM出演を3代務める方って、相当珍しいんじゃないでしょうかねぇ。



Posted at 2023/05/12 10:12:28 | コメント(10) | トラックバック(0) | トヨタ | クルマ
2022年06月24日 イイね!

パブリカのオープンカー

パブリカのオープンカー思い起こせば、最後に名古屋に行ったのは、いつの事だろう?

ブログを遡ってみたところ、2020年3月以来でした。

2019年の暮れにN-ONEが納車されるも、2020年からはコロナ蔓延。

それが少し落ち着いてきたのを見計らい、間隙を縫って行った様に記憶しています。

まさか、それから2年も、あの騒動が続くとは・・・。


愛知には、スバル360とかクルマ以外の事とか、いろいろ相談させて頂いているみん友さん(と言っても人生の大先輩ですが)がいらっしゃいます。

久しぶりに、近況を尋ねてみました。

そうしたら、まぁ驚いた!

所有車が、かなり入れ替わったそうで。

外出自粛の反動が、クルマ爆買いに向かったのでしょうか?

送られて来る写真を見るたびに、驚嘆するやら果ては爆笑するやら。

なんで? どうして? のクルマが連発です。

それらの写真を見ているうちに、なんか気付いちゃいました。

これ・・テーマがある?

で、聞いて見たんです。 やっぱりありました。

そのテーマは・・・




水平対向エンジン


ポルシェとスバルでしか生産していない、今や希少なエンジン。

そんな水平対向、昭和の時代に生産していたのは、スバルだけではなかったのです。

今回購入されたクルマも、スバルではない水平対向エンジン車でした。





パブリカ(初代)


思えば初代パブリカ、かなり異端です。

それまで水冷直列4気筒を作っていたトヨタが、なぜか開発した空冷水平対向2気筒。

参考にしたシトロエン2CVの影響だったそうです。

2CVの影響は、エンジン以外にも見られます。

キャビンまでのモノコックボディから、前方に飛び出したサブフレーム。

そこにエンジンが搭載されています。

この構造も2CVと同じです。


購入されたパブリカは、オープンカーとの事。

「コンバーチブルですか?」との問いに対して「デタッチャブルトップだよ」との返答。

デタッチャブルトップ? コンバーチブルじゃなくて?

パブリカでオープンと言えば、「パブコン」ことコンバーチブル。

デタッチャブルトップという事は、それに別体ハードトップが載ったモデル?

オプションでハードトップがあったのでしょうか?

そういえば、マツダ ロードスターにはありましたよね、






こんな感じです。

オープンカーの上にハードトッが付いています。

パブリカも、こんな感じなのかな?

早速2年ぶりに、愛知へ逢いに行きます。






300kmを走破し、いよいよパブリカとご対面。

エンジンが700ccから800ccに拡大された、初代の後期型でした。





なるほど、確かに屋根は幌ではありません。

別体のFRP製ハードトップが付いています。

と言う事は、マツダロードスター同様、幌も装備しつつのハードトップなのかな?





あれ? 幌がありません。

その証拠が、この穴。

ドアの後ろ、セダンならBピラーの辺りにあります。

コンバーチブルであれば、ここに幌骨があるのですが、それがありません。

つまりこのクルマ、ハードトップ装着のクローズか、それを外したオープンしかないんです。

つまり、パブコンじゃないの?




パブリカのオープンカー、実は2種類あったんです。

左が幌屋根のコンバーチブル、右がFRP屋根のデタッチャブルトップ。

デタッチャブルトップの存在、今まで知りませんでした。

どうやら販売台数99台という、とんでもない希少車なんだそうで。

こんなクルマがあったなんて、ほんと驚きです。


今回、運転もさせて頂きました。

走り出しは、旧車の常、重いステアリングです。

しかもレシオがスローで、かなり回さないと小回りが効きません。

これはノンパワステの中、操舵力との兼ね合いでこうなっているのは、仕方ないです。

軽量な空冷2気筒エンジンですから、決して回せないほどの重さではありません。


水平対向2気筒エンジン、発進直後は、鼓動が感じられます。

これは水平対向だからと言うよりは、2気筒だからかな?

大むかしに乗った2代目レオーネ(1.8L)に比べると、ドコドコしてません。

なんか水平対向のイメージとは、違うかな。

これが3000rpmを越えた辺りから、ビート感を残しつつ軽やかに回っていきます。

回転で馬力を稼ぐエンジンではありませんが、小排気量故かレッドギリまでとは言わずとも、そこそこ回して走れば気持ちよく走れます。

2車線のバイパスくらいの流れだったら、問題ありません。

このビート感を伴いながらも、軽やかなエンジン。

250ccの単気筒バイクに似てるかな。






旧車全般に言えますが、ドアハンドルが特徴的ですね。

今だと樹脂成形したハンドルユニットを、ドアに開けた四角い穴にはめ込むのが一般的。

ですがそんな樹脂成形技術がなかった当時、ドアハンドルは金属製(鍛造品?)で、質感もあります。

当時のクルマは、取手と開閉ボタンの2部品構成。

それがこのパブリカ、取手の前側を引き上げる事で、開閉ボタンの機能を持たせています。

1つの部品を多機能で使うところ、カッコいいです。

ですが、このレバー、前側が開く構造故に、レバーが歩行者に刺さると言う事故が発生し、以降使用が出来なくなった様です。






モノコックボディの屋根を切れば、当然落ちるボディ剛性。

それを補う為、ドア開口部に板を貼り付け、剛性アップを図っています。

まるでコンペティションモデルの様で、大胆な手法です。






実はもう1台、ボクサーエンジン車を見せて頂きました。

今回はエンジン不調で走行は出来ませんでしたが、いずれはイベント参加に向けて公道復帰させるそうで。

完調になった暁には、また見せてもらおうかと思っています。



人生初の空冷フラットツイン、良い体験をさせてもらいました。

クルマって走らせて見ると、当時どんな思いで作られていたのか、その片鱗が感じられたりするので楽しいですね。
Posted at 2022/06/24 11:54:09 | コメント(7) | トラックバック(0) | トヨタ | 日記
2021年04月02日 イイね!

ヘアピンサーカス

ヘアピンサーカス1972年公開の作品です。

学生運動や日米安保で揺れ動いた、激動の60年代。

若者達は、有り余るそのパワーを世の中にぶつけていました。

それらも収束し訪れた、混沌の70年代。

日本は、成長期から熟成期に移行しつつありました。

そして訪れた、閉塞感からの不安と無気力。

若者達は、社会の一員から個人へと、考え方が移り変わってゆきます。

より自由に生きる為に。

そんな若者が夜ごと繰り広げる、命懸けの暴走。

そこに登場するのは、当時でも高級車だったトヨタ2000GT。

そんな若者を描いた映画です。




この映画、wikiに記載がありません。

所謂、大ヒット映画の類ではない様です。

私もその存在を知ったのは、結構最近の事です。

今まで観る機会がありませんでしたが、Youtubeにあったので、初めて観てみました。






主演は、見崎清志さん。

俳優ではなく、あのトヨタワークスのレーシングドライバーの見崎さんです。

レーサーを主演に抜擢するなんて、なかなか大胆なキャスティングです。

見崎さんの寡黙な演技も、いい味を出しています。






もうひとりは、江夏夕子さん。

見崎さんが教師を演じる自動車練習所(公認教習所ではないです)の、元生徒。

トヨタ2000GTを操っているのも、彼女です。






そして最後は、トヨタ2000GT

おそらくオリジナルではない黄色を纏い、リアにはウィング装着。

超高級車のボディに穴を開けて付けるなんて、小市民が理解出来る範疇を越えています。






おや? ウィングの横にあるものは・・・

これ、レースのクイックチャージ用フィラーキャップじゃないですか。

なんでこれが付いているんでしょうか?

もしかして、この2000GT、タダモノではないのかもしれません。

この怪しげな、2000GT。

車両製作に関与されていたのは、この方です。






大坪 善男さん

映像制作会社「ユニオン プロジェクト」創立者。

そして、元トヨタワークスドライバーです。

大坪さんは、レーシングドライバーを引退後、映像制作会社を設立しています。

というのも、現役ドライバー時代、映画製作に関与された事があったからだそうです。





007 You Only Live Twice (007は二度死ぬ)


映画で活躍したボンドカー、こちらもトヨタ2000GTです。

大坪さんは、この映画にアドバイザーとして参画。

ある時は、ボンドガールに成り代わり2000GTをドライブ。

またある時は黒服を纏い、敵役としてドライブ。

様々なシーンのカーアクションを、大坪さんが担当されたそうです。

それがきっかけで、映像製作に興味を持たれる事に。

レーサー引退後、映像制作会社設立に繋がったのだそうです。

レーシングドライバーを引退するにあたり、退職金変わりに要求したもの。

それは「トヨタ2000GT 3台」だったそうです。


この要求は意外にも、あっさり許諾。

ただし譲り受けた車両は、全て使用済みのレース車でしたが。

しかも2台は、エンジン不動。

かなり訳ありの退職金となった様です。


そのレース仕様3台をベースに、仕立て直したのが、今回の劇中車なのです。

あのフィラーキャップには、そんな理由がありました。


実は、もっと驚いた事実があります。

このクルマ、ボディの一部がアルミだったそうです。

具体的には、フロントフェンダーとリアハッチ。

もしかすると、それ以外にもあったかもしれません。

このトヨタ2000GT、ただのレース仕様車ではありません。






夜の首都高を疾走するシーン。

この姿、カッコいいですね。

というのも、リトラを使っていないのです。

恐らくデザイン初期は、このイメージだったのでしょう。

ですが市販となると、法規の都合で、このライトはヘッドライトとは見なされず。

結局はリトラクタブルにして、クリアさせています。


リトラを使わなかったのは、その方がカッコいいと判断したのか。

もしかすると、この車両、ベースがレース車だったので、リトラクタブルのリッドはあれど本体がなかったのかもしれません。






このシーンで写る2000GT。

ドライバーの後ろが、銀色に光っています。

これはどうやら、レース用の安全タンクなのだそうです。






ネタバレになるのですが、最後のクラッシュシーン。

ドアの下側に、肉抜きの穴が開けられています。

こんなところにも、元レース車の片鱗が伺えます。

こんな貴重なクルマですが、残念ながら現存しません。

撮影後暫くは、完全な形ではないものの、現存していたそうです。

その様子が、意外にも他のドラマで確認が出来ます。






ドラマ「俺たちの旅」でのワンシーンです。

後ろに写っている、黄色い車両。

これが、ヘアピンサーカス劇中車です。

偶然、このシーンに写り込んでいた様です。

解体されたのは、この暫く後だったとか。



007の劇中車は、以前かなり話題になりました。

同じ2000GTでも、こちらはさほど話題にはなっていません。

元レース車のアルミボディ車なんて、もし残っていれば希少だったでしょうね。



Posted at 2021/04/02 11:53:31 | コメント(6) | トラックバック(0) | トヨタ | 日記
2020年10月20日 イイね!

30年前の未来のクルマ <トヨタ博物館企画展> 後編

30年前の未来のクルマ <トヨタ博物館企画展> 後編トヨタ博物館の企画展、続きです。

まずはこのクルマから。






トヨタ MRJ


1995年のTMS出展車です。

当時はユーノスロードスターが発端となった、ライトウェイトオープンカーの大ブーム。

国内外から多くのフォロワー車を生み出す、一大ムーブメントとなりました。

まさか20世紀の終わりに、こんな古典的なオープンカーが大ヒットするとは。

当のマツダも予想出来ていなかったことでしょうね。

トヨタからの回答は、2代目 MR2をベースにしたミッドシップ。

これに+2ながらリアシートを追加した、4人乗りのオープンでした。

エンジンはMR2流用ではなく、1.8L NAの5バルブ DOHC。

絶対的な速さではなく、エンジンパワーをフルに使い、気持ちよく走れる爽快感を狙ったのでしょう。

このあたりは、ユーノス ロードスターと同じ方向性ですね。

MRJのデザイン、私はカッコいいと思います。

前後オーバーハングの強い絞り込みが重量感を打ち消していて、ギュッと凝縮した様に見えます。

ヘッドライトも固定式になり、表情が出てきています。

4人乗りとは言っても、間延びした様に見えないところも良いです。

もっとも、後席はかなり狭いのですが。

このデザイン、トヨタのヨーロッパ拠点発のものなんだそうです。



きっとTMSでの反応も良かったのでしょう。

このクルマは後に市販化されます。






トヨタ MR-S


ミッドシップ、NAエンジン、オープンカーは、MRJより継承。

4人乗りだったものは、MRS同様2人乗りになりました。

あと、大きく変わったのは、デザイン。

前後の絞り込みが、なくなってしまいました。

衝突要件をクリアさせる為でしょうか。

それとも幅広感を出して、より低く見せる演出なのでしょうか。

MRJがカッコいいと思っていた私は、ちょっと残念に思ってしまいました。






トヨタ セラ


このクルマは、なぜか市販バージョンだけが展示されていました。

セラは、一度購入を検討したことがあります。

ライバルは、ユーノス ロードスター。

幌を下げて季節感を満喫する、オープンエアーか。

片や天候を選ばず景色を堪能出来る、グラスキャノピーか。

結局は、更にスポーツドライビングも楽しめるという事で、ロードスターを選んでしまいました。






セラにも、アドバンテージはあったのです。

それは、スーパーライブサウンドシステム

トヨタと富士通で共同開発した、DSP(Digital Signal Processor)です。

このオーディオ、とにかく凄いとの前評判が。

「音場コントロール」なんて言う、聞いたことのない単語が出て来ます。

これがどんなものか体感したかったのも、セラ購入要因のひとつでした。






スピーカーの構成も見事なものです。

フロントには、当時はまだ珍しかったセパレート2ウェイ。

中央にある丸いのが、センタースピーカーです。

ここで残響音を再生します。

残響音とは、音源から出る直接音とは別に壁などに反射してから聞こえてくる音です。

残響音の遅れ時間、長さで、空間の広がりを演出しているのです。

スーパーライブサウンドシステムそのものは聴いたことないのですが、会社の後輩で富士通DSPを付けたプレリュードに乗っていました。

それを聴かせてもらったのですが、もう感動的でした。

特にコンサートホールモードだと、もの凄い広がり感があります。
(定位ボケボケとも言えなくもないですが)

私も結局、富士通DSP買いました。

もちろん、ロードスターには付けていません。

オープンカーだと、分かりにくいでしょうからね。






セラの元となったコンセプトカーは、このAXV-Ⅱ。

会場とは別の場所に展示されていました。

このドア、厳密にはガルウィングとは呼ばないのだとか。

ガルウィングの意味は、「カモメの翼」。

クルマを横から見て、ドアが垂直に上がるものが本来のものなんだそうです。

セラの様にドアの支点がAピラーにあり、横から見ると斜め上に向かってドアが開くものは「バタフライドア」なんだそうです。






トヨタ e-com


1997年のTMS出展車です。

全長2.8mと、軽自動車よりもコンパクトな車体の2人乗り電気自動車です。

所定の駐車場に置いてあり、ネットで予約してからICカードを使って借り出します。

航続距離は約100km、都市内移動が主なので、これで十分です。



この企画展で一番現代に近いのは、実はe-comなんじゃないかと思います。

他のクルマには懐かしさを感じるものの、e-comにはそれがありません。

このクルマだけは回顧ではなく「イマ」なんです。



クルマは個人のものではなく、公共のもの。

所有はせず、使用のみ。

全てのクルマがこうなるとは、まだ思いません。

ですが、こちらが多数になる気がしています。

電動化、自動運転化。

今の技術開発は、確実にこの方向へ進んでいるのです。



30年前のコンセプトカーは、個人所有を前提にされていました。

速く快適に遠くて行きたい、青空の下で季節を感じながら走りたい。

そんな思いを応えてくれそうなクルマを、みんな購入していたんです。

それが今では、クルマはいずれ公共インフラの一部に組み込まれるのはないか。

そんな予感さえもしています。



いろいろな夢をカタチにしてきた、コンセプトカーの数々。

その中で現代への解になっていたのは、この小さな電気自動車だったとは。

血中ガソリン濃度の高いシロクマには、一抹の寂しさを感じてしまった、今回の企画展でした。
Posted at 2020/10/20 10:10:36 | コメント(5) | トラックバック(0) | トヨタ | 日記
2020年10月15日 イイね!

30年前の未来のクルマ <トヨタ博物館企画展> 前編

30年前の未来のクルマ <トヨタ博物館企画展> 前編みん友であるGris Boreailさんのブログを見て、いずれ行こうと思っていました。

愛知県長久手市にある、トヨタ博物館の企画展です。

会期も6月~10月と長いので、そのうち行けるかなぁ。

当面の課題はスバルの公道復帰だとして、休日はそちらを優先していました。

そんなスバルも、先週、無事に車検合格。

さて次はトヨタ博物館だなと期日を確認すれば、10/11まで!

台風の影響も危惧されましたが、最終日に行ってきました。




30年前と言えば、日本はバブル絶頂期。

クルマは、速さと快適さの向上を目指し日々進化してきました。

果たして、30年前の未来は現代なのでしょうか?

展示車の中から抜粋して見ていきます。






トヨタ GTV


1987年のTMS出展車です。

トヨタのハードスポーツモデルに付けられる、由緒あるグレード「GTV」。

このGTVは、違う意味を持たされていました。

「Gas Turbine Vehicle」の略です。

トヨタはガスタービンエンジンの研究に、古くから力を入れていました。

開発スタートは1965年から。

10年後の1975年、センチュリーをベースにしたガスタービンハイブリッドをTMSにて発表しています。






展示車のGTVは、ハイブリッドではなくガスタービンエンジン車です。

軽量で高出力、そして燃料の汎用性が高い、ガスタービンエンジン。

その特性は、全負荷時(全開時)の効率は良いのですが、反面、低負荷時では燃費が悪く、レスポンスも緩慢です。

ガスタービンは、GTVの様に動力として使うよりは、センチュリーの様に発電機として使う方が、効率良さそうですね。

当時よりもハイブリッド全盛の現代の方が、実用化しやすい様に思えます。

残念ながら現代には実現しなかったガスタービンエンジン車。

ですが基本デザインは、2代目ソアラとして世に出る事となりました。






トヨタ 4500GT


1989年のTMS出展車です。

名車トヨタ2000GTと、同じ文法に基づいて付けられたネーミング。

そこから、このクルマのコンセプトがうかがい知れます。

それは、「高速グランツーリスモ」

4.5L V8のハイパワーエンジンを、トランスアクスル式FRに搭載。

Cd 0.29を誇るロングルーフボディを纏い、その最高速は300km/h。

しかも2000GTと違い、4人乗りでラゲッジも備えています。

このコンセプト、非常に明解です。

それまで目指してきた方向性を極めたものだからです。

ですが、残念ながらこのコンセプト、現代では通用しません。

「快適性」は変わらずですが、「走り」は「環境」に優先順位が置き換わってしまいましたから。

思えば、1989年は日本車のヴィンテージイヤー。

セルシオ、NSX、スカイライン GT-R (R32)と来て、このトヨタ4500GT。

この時が、内燃機関の日本車が大輪を咲かせた、最後の打ち上げ花火だったんだと、今にして思います。






トヨタ AXV-Ⅳ


1991年のTMS出展車です。

このクルマ、今までライトウェイスポーツだと思っていました。

ボディはアルミ、ホイールにはマグネシウムを採用。

対してエンジンは、800ccの2気筒。

しかもスーパーチャージド 2サイクルです。

当時、トヨタは2サイクルエンジンの開発に、余念がありませんでした。






この2サイクルソアラは、1989年のTMSに出展されていました。

エンジンの仕様は、ガソリンとディーゼルの2種類です。

この技術、初代エスティマにも応用される予定だったそうです。

ですが排ガス等の問題もあり、市販車には普通の4サイクルエンジンが搭載されました。


軽量ボディと空力の良さそうなデザイン。

そしてクランクシャフト2回転で1回爆発する4サイクルに対して、1回転で1回爆発する2サイクルの高効率。

AXV-Ⅳは、スポーツカーではなくて、燃費コンシャスのインサイトに近いコンセプトだったのですね。



だいぶ話が長くなって来ました。

続きは後編で。
Posted at 2020/10/15 10:21:51 | コメント(4) | トラックバック(0) | トヨタ | 日記

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「@中島乗り さん UDの意味、時代と共に変わりますね。私が学生の頃、先生からは「ユニフロー ディーゼル」の略だと教わりました。」
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