2016年11月18日
高齢者の事故が益々深刻になってきた。毎日、新聞の紙面から目に入ってくる。原因はアクセルとブレーキの踏み違いだったり、事故時点の記憶がなかったりするらしい。残念だが、これは運転者が気を付けるしかないが、自動運転技術もなんとかしようとしている。
例えば、自動ブレーキはすでに採用されてるし、踏み間違え時の急激なアクセル操作時にはスロットルの反応を抑える制御だったり、居眠りや飲酒の検知だったり、電子制御の進化はとどまることを知らない。
残念なことに、新技術が浸透するには、いくつものハードルがある。コスト、信頼性、そして、人間とのインターフェイスだ。
どんなに信頼性が高く、素晴らしい制御でも、人間が違和感を感じるものは、やっぱり受け入れられない。
これまでの自動運転技術はすべてこのハードルを乗り越えてきた。
問題は、これからの高齢者が受け入れられるかどうかだ。学習機能も進化し、どれも同じ画一的な制御ではなく、運転者固有のクセや特徴を模擬した、固有のプログラムとなっていくことができれば、きっと広く普及するだろうし、可能性は無限に広がる。
開発者には十分の検証時間と熟成時間が必要だが、高齢者時代の到来は待ってはくれない。
そう言ってるそばで、今日も記事になっている。
ウチのオヤジも、亡くなる直前まで運転していた。弟がクルマを買ってあげようとしていたころ、母親からオヤジの事故が心配だと相談された。家族からすれば止めてくれた方が安心なのは間違いないが、本人の自由と楽しめを奪ってしまうことになるだろ?
ウチのオヤジは、子ども達のやりたいことはすべてさせてくれた。一人の男は自分の責任で行動することを教えられた。そんなオヤジから運転を取り上げることはできなかった。
事故を起こすことはなく3年後に亡くなったが、やっぱりあの時、運転を止めさせなくてよかったと思っている。きっと弟も同じ思いだと思っている。
高齢者事故の被害者が一人でも少なくなることを切に願う。

Posted at 2016/11/18 22:19:02 | |
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自動運転 | クルマ
2016年08月16日
お盆休みに入った。今年は次男が受験生のため、家族旅行は予定に入れられない。家で、いろんなことに思いを馳せることにした。
夏休みに入ってから朝の渋滞に巻き込まれることが多くなった。いつも事故渋滞だとでている。圏央道が出来て、外環道はめっきり渋滞がなくなってきたのに、夏休みになった途端に毎日のようにお知らせが出ていて朝の会議がいつもギリギリになっていた。
なぜこんなに毎日事故が起きるのだろうか?いつも走り慣れた経路とたまたま旅行で通り過ぎる経路が重なると、ドライバーの心情の差が、周囲への注意不足と速度差を生んでいるのではないだろうか?
とかく、仕事中の営業車、ダンプ、トラック、高速バスは、ペースが速い。1分早く着けば休みも取れるし次の仕事にもつける、たかが1分、されど1分なのだ。
大型車は目立つし、気付けばこちらが避ければいいので、比較的問題ではない。意地を張って、とうせんぼとかしなければ、だが。
一方、営業車はタチが悪いことが多い。社名が入っているのにも関わらず、傍若無人に駆け抜けていく。かなりの速度差で脇から射すように抜いていかれるとヒヤリとする。横の車間距離も空けずに、もし気付かずフラリと横に揺らいでもしたらミラーの接触どころでは済まないぞぅ。また、追い抜いた目の前にいきなり車線変更してくるやつ、本当に後ろを見ているのか、疑いたくなる。
あとは、追突事故が無くならない。事故処理中のクルマをみると、後部の凹みから追突したことがわかるが、なぜあんなに車間距離を詰めたがるのだろうか?
走行中でも、前車が急に減速したら間に合わないことぐらいわかるはずなのに、止められないのは、そんなとこは起きるはずはないとタカをくくっているからだろうが、後悔する前に止めればいいのにと、いつも思っている。
連休中のニュースは、高速渋滞と事故のことばかり。いつも思うのは、自分が巻き込まれないようにするには、どうすべきなのかだ。
前にも書いたが自動制動装置が普及し始めて精度が上がってきた。事故防止に有効なことには間違いない。
が、キカイに頼るばかりではなく、操作する側の意識を変えていかないといけないことに気付いているだろうか。楽になればなるほど運転は怠惰になるし、危険予知にも鈍感になる。何かあってもキカイが避けてくれるという慢心にもつながっていく。
近い将来、高速道路は自動運転道になって、運転することが禁止されるときがくるかもしれないぞぉ。まぁ、それもいいかもしんないけどね。
メーカーと国が本気で考えていることに気付いているだろうか。

Posted at 2016/08/16 16:21:33 | |
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