2015年07月26日
中国自動車道をひたすら西へ向かっている。ところどころ、トンネルと対面通行で、ゆっくりとした流れだ。門司の伯父貴とスキーには、いつも広島の大山に来ていた。冬には雪で覆われる景色もGWは、新緑がまぶしい爽やかな山道だ。適度の緊張感と鮮やかな景色が心地よいドライブを演出してくれた。
山口県に入ってしまえばゴールは近い。大学時代は北九州を基点にして遠出をしていた。バイクなら九州の南側へ、クルマなら本州側へ、山陰、山陽、ルートはさまざまだ。中国自動車道はその真ん中を突き抜ける最短ルートだった。山口は、下関に親父とメガネを作りに何度か来た。ヒイキのメガネ屋があったからだ。その時にフグをご馳走になった。これが本場のトラフグなのかと感動したものだ。関東にきて三十年になるがあの時より旨いフグを食べることはなかった。下関まで来れば、この先、関門橋を渡って、九州は、すぐ目の前だ。バイクのときはいつもトンネルだったが、橋を渡るときは、九州の玄関口なんだと実感する。やっとの思いで、たどり着いた感慨にふけると思わず「ただいま!帰って来たよ!」とクルマの中で叫んでいた。親父とお袋の顔が浮かんだ。
Posted at 2015/07/26 09:50:28 | |
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2015年07月20日
神戸を抜けて岡山に入った。大学の同級生に岡山出身がいたので学生時にレンタカーで彼の実家に皆で行ったことがある。あの時は、4人で交代だったので距離は気にならなかった。岡山から西が私にとって西日本だ。なぜかというと、その友人は田舎の素朴なあんちゃんだったので、関西人という感覚がなく、西日本の仲間だという意識がついたのだと思う。岡山は東西にみると結構距離がある。横断するには果てしなく遠くまで行かないとなかなか通り抜けられなかった。独り旅にはこの時間帯が一番つらかった。
( ̄~ ̄)ξぽかぽかとした陽当たりが睡魔を誘い、関西圏の緊張感が一気に抜けたのもあって、惰性で運転していたようなもので記憶が何もない。ただ長かっただけの印象しかない。広島の県境まで来ると、なんかスッゴく遣り遂げた感が身体を包んだ。実は広島も東西に長い。当時は山陽道が山口まで開通していなくて中国自動車道を通るしかなかった。広島の従妹のところに寄るにも、広島市内まで行くには高速からかなり離れていて、この時は断念した。中国自動車道は対面通行で60kmh規制で、全くのんびりした旅路となった。
叔父貴たちとスキーで何度か通ったことがあるし、ここまで来ると山口九州とゴールまですぐなんだと実感が湧いてくる。
Posted at 2015/07/20 12:45:37 | |
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2015年07月18日
中央道をひたすら西に向かってひた走る。気分はまるで西遊記のようだ。ただし、お供のカッパもブタもいない独り旅だ。街灯もICの近くにしかなく、ほとんどが暗闇の山間で景色も何も記憶に残らない。
白々と夜が明けるころには名古屋の看板が見えてきた。しかしながら、富士山は暗闇を抜ける間に、過ぎてしまったので見ることはできなかった。今度通るときはお日さまが明るいうちにしよう。
名古屋は入社した年に鈴鹿で研修していたときに、同期の仲間とツーリングで来たことがある。研修が終わって九州に帰るときに徹夜で走破したことを思い出した。けど今回は四輪で屋根もあるし、天気も服装も気にしなくていい。なんて幸福なんだ。関西地区に入るとクルマも増えてきた。中央道から名神道をついで賑わってくると、運転のマナーのひどさに驚いた。車間は空けない、追い越し車線はいつもギチギチ、ちょっと風景に目をやって、気を抜くとビタビタにケツをつついてくる。そんなときは素直に走行車線に移ってやり過ごすに限る。この前、博多の街を久しぶりに走ったが、ひどい運転なのはこちらも同じものだ。親父のせわしい運転はこの土地柄で培ったものだと納得した。
関東の優しい運転を昨日まで感じていたので、一層そう思ったのかもしれない。京都大阪奈良は、取り敢えず、早く通り抜けることだけ考えていた。
つづく
Posted at 2015/07/18 01:19:52 | | モブログ
2015年07月04日
インテグラが来て半年経ったGWに、九州までクルマで帰省してみることにした。年三回の帰省は楽しみだったけど公共交通機関で帰るのは面倒に思っていた。ナビとかケイタイとかない時代だったし、一冊の全国マップだけを頼りに行路を想像しとても緊張していたことを覚えている。往復の交通費は、高速料金とガソリン代だけで七万円を越える。独りでの移動と考えると、効率も費用も労力も無駄ばかりで、何でそんなことしたいかというと、インテグラを親父に一度は、見せてあげたかったからだ。距離はざっと片道千三百キロの道程かくらいの感覚しかなかった。栃木の部屋を出たのは夜の10時、都内の渋滞を避けるためだ。北関東道がない時代だったので、東北道の最寄りの栃木ICを目指して夜中の森の中を抜けて行った。東北道を南下し川口から外環道を経由し首都高池袋線から中央道に入った。中央道は初めて走って見たが、夜中なのにクルマが多いこと、皆の運転が優しいことに少し驚きながら西に向かってひた走る。
つづく
Posted at 2015/07/04 08:45:54 | |
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