2015年09月05日
自分が今の仕事やライフスタイルを選んできたのは父親の影響が大いにある。その中でも一番はクルマとテニスだ。この二つは自分にとって切るに切れないものになっている。
小学4年の時、親父の転勤で吉祥寺から博多に戻ってきた。その時から実家には親父のクルマがある。それから40年経つが、親父のクルマは6台目だ。前半の三台は、中古だったが四台目は念願の新車を手に入れた。その時の子供のように喜んでいたオヤジの顔は今でも忘れない。あぁ、クルマを所有する喜びって、こうゆうことなんだなって教えてもらった。そのころの自分は大学生で、免許も持っていて、兄弟が遠方で乗れないことをいいことに、いつも貸してもらっていた。自分のクルマは社会人になってからだと父親にはいつも言われていたし、費用も出せないので、貸してもらえればいいので、まるで自分のもののように大切に使わせてもらっていた。
子供の時、家族で乗るときは、いつもオヤジの後ろだった。ヘッドレスト越しにいつもオヤジの運転操作を見ていたが、交差点を曲がるときに、ウインカーがどうして勝手に点いて、自動に切れるのか、不思議で仕方なかった。オヤジに聞いても笑ってとぼけるだけで教えてくれないし、自動車学校に行くまで謎のままだった。オヤジの助手席は、いつも母親か兄で、乗った記憶があまりないが、後部座席から眺めていたものはいつもオヤジの視線の先か、あるいは手元の操作だった。まだ二台目のクルマでマニュアル車だったある時、助手席に乗った際に、ミッションレバーを興味深く見つめていると、オヤジがレバー操作をさせてくれてことがあった。クルマが走り出すとオヤジの合図で、1から順に、5までアップしていくのだ。あの時の緊張と興奮は、鮮烈だった。なんでスピードを上げるとギアチェンジするのか疑問に思ったのが、自分の人生を決めたきっかけだったのかもしれない。遊園地に行くと、どこに行っても、まずゴーカートを探す。自分の意志で速度とコースをコントロールできる喜びは、他の乗り物にはない至極の喜びだ。エンジンの音と振動、排気ガスの匂いはいつも欠かせないアイテムだ。オヤジも、遊園地に着くとまずはゴーカートに案内してくれる。
うちら兄弟のクルマ好きはみんながいつもオヤジの背中を追っていたからかもしれない。

Posted at 2015/09/05 12:38:33 | |
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