2015年06月28日
カッコインテグラは私に、クルマの魅力と一緒に、リスクも教えてくれた。まだ二十代だったし、ムチャなこともやってたと思う。栃木に赴任して社会人としてのたしなみはゴルフとスキーだ。これらなくして独り暮らしはやっていけない。ゴルフは、平日でも打ちっぱなしに行っていた。親父にもらったパーシモンのウッドのセットだ。親父が使っていたときは、いつも日曜日の午後に廊下に干してあったのを思い出す。それをもらったときはとても嬉しかった。グリップだけ交換してもらったが、今でも部屋の隅に大切にしまってある。スキーは門司の叔父貴に連れていってもらったのが初めてだった。九州にいたときは数回しか行く機会がなかったが栃木なら交代勤務明けに独りで行ける。クルマの契約時にスキーキャリアも頼んだ。スタッドレスは、会社の契約店でホンダ純正の鉄ホイールとセットで、冬のボーナス一括で買った。インテグラはFFなので、クラッチをカツンとつなぐとホイルスピンするだけで、前に進まない。誰もいない駐車場で、ホイルスピンする直前で発進でき
るように半クラの使い方を練習した。これは凍結した登り坂発進に凄い役立った。さらに、コーナー中のアンダーが出たときのカウンターの当て方や、サイドブレーキを引いて体勢の立て直しなど運転の基礎を学んだ。あれからずっとFFしか乗ってなくてFRは今も乗れない。スキーには独りで行くのが好きだ。何故かって言えば、スキーが下手だからだ。みんなに着いて行くのが必死で、楽しくもないし、みんなに気を遣わせているのが苦しかった。行き来の道中はみんな寝てるし、スキー場のメシは高くて不味いし、自分のペースで好きに滑るのが楽しかった。いや、それ以上に自分で雪山を運転して行くのが楽しかったんだ。近場は二時間半で着ける。雪のアップダウンをアクセルだけで駆け上がる。下りもノーブレーキだ。二速のエンブレだけで減速しそのまま加速する。タコもスピードも見る暇なく、エンジン音だけで回転を把握する。ホイルスピンとロックだけはさせないようにアクセルに細心の注意を払う。きっと、あのエンジンだからこそ壊れることなく素人の運転に付
き合ってもらえたんだと今でも思っている。
結局冬はツーシーズン過ごした。クルマも一度もぶつけることもなくスキーを満喫できた。ただし、スキーは学生だった在京の弟と、一度一緒に行ったとき、自分より上手だったことがわかって、ショックを受けて足を洗うことにした。また、遊び好きの親父だったが、スキーだけは一度も一緒に行くことはなかった。

Posted at 2015/06/28 00:02:18 | |
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2015年06月27日
自分にとってのカッコインテグラは、誠に快適だった。免許を取って、乗ったクルマは親父のセダンと学生時代の友人たちの小型車か軽自動車、それとレンタカーぐらいで、借り物だったので、いつも遠慮しながら運転していた。ターボパワー全盛に、小型車のNAなんてこんなものかと勝手に判断していた。けど、DOHC-VTECは、全く別物だった。ならしが終わって本当のエンジンパワーを使える時が来た。ハイバルブに切り替わるのは、約5500rpmから。一速のまま引っ張ってもローギヤードのため、スピードにのらない。そこで、ハイバルブに切り替わったとこで、回転をキープしたまま二速に入れて、さらに踏み込む。するとバックシートに押し付けられる加速感と排気のコホウとともにトップスピードに到達する。すぐさま三速に上げるか、アクセルオフしないとレッドゾーンに突っ込んでしまう。なんてパワーなんだ。一瞬で虜になってしまった。

Posted at 2015/06/27 11:34:07 | |
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2015年06月20日
私にとって初めての相棒は、社会人になって配属先が栃木に決まった時に決まった。実習先で配属先が発表されたとき、寮もなく通勤用に車かバイクを準備しなさいと言われた。バイクは持っていたが、学生でもないから車の方がいいだろうと言ってくれたのは父だった。販売店の方に相談すると、配属先の近所の販売店に届けてくれるよう手配してくれるとのこと。そこで、急遽実習先の販売店で契約することになった。販売店の車は色々乗る機会が多かったので、車種は初めから決まっていた。インテグラだ。もちろん、エンジンはDOHC-VTECのXsiだ。当時、NAで1L-100馬力を達成した唯一の乗用車だったと記憶する。マイケルJフォックスがCMをやっていたカッコインテグラだ。悩んだのは、3Dか4Dにするかと、Manualにするかオートマにするかだ。誰もが3D-Manualにするところだが、4Dにした。これには親父の影響が多々ある。車は家族のコミュニケーションの場で、後席も前席と同様のおもてなしをされるべきだと
いう子供心からの考えがあったからだ。色は白。これも親父の影響だ。同級生たちは、黒とか紺とか濃い色を選んでいたが、白の4Dが自分にとってマイカーのシンボルだと感じていたからだ。入社して半年未満の新入社員には、新車で買うような現金はない。親父に相談すると、社会人としての出発へのはなむけとして出してやると言ってくれた。販売店の人に、そのことを相談し、目一杯値引きに応じてくれた。今も感謝しているし、当時の契約書も今も大切に保管している。このインテグラとの付き合いは意外と短く終わってしまった。そのときの話はこれから徐々に書いていきたい。

Posted at 2015/06/20 21:03:29 | |
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2015年06月17日
ブログを始めてみようと思った。父親を先月に亡くして、自分も残りの人生を考えてみる時期になったのだと思う。いつか息子たちが見たときに、父親が何を考えてどう思っていたかを知ってくれたら嬉しいと思う。父親からのメッセージは社会人になってからはほとんどない。きっと父親の役目が終わって、敢えて言うことは止めたのだと思う。一人で、もがき苦しんで悩んでいるときも相談することはなかった。一度の例外を除いて。
父親のことはこれからちょくちょく出てくると思うが、最初のころは、愛車について書いていきたい。

Posted at 2015/06/17 18:14:33 | |
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