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2020年04月25日 イイね!

鉄道の強力たち DD54形

鉄道の強力たち DD54形鉄道の強力たち DD54形












日本国有鉄道(国鉄)が1966年から設計・製造した
亜幹線用液体式ディーゼル機関車




故障が多く悲運の機関車と呼ばれていました


記事、画像はウィキペディアより引用

1950年代後半以降、ヨーロッパの各国国鉄では
2,000馬力から2,700馬力程度の出力のディーゼルエンジンを1基搭載し、
車両重量の軽減・保守の容易化・製造コストの削減を狙った設計の
本線用ディーゼル機関車の量産が行われており、日本でも注目されていた。
しかし、日本においては、車載可能なクラスの2,000馬力級
ディーゼルエンジンの製作経験がなく、
またこのクラスの単一機関出力に対応するトルクコンバータを
自力で設計・製造することも技術的に困難であった。

三菱重工業が当時、液体式ディーゼル機関車の設計製作で
先進国であった西ドイツ(当時)のメーカーから
ライセンス供与を受けて技術を導入、
まず1962年に西ドイツから輸入され、無分解運用が可能と謳われた
1,820馬力級ディーゼルエンジン、およびこれに対応し
自動変速を可能とした液体式変速機を搭載したDD91形を試作製造。
同機は1965年まで国鉄に貸し出されて
山陰本線の京都 - 園部間などで試験運用された。

試験結果が好成績であったこと、
1機関1820P.S.と当時最も強力な出力でありながら
自重は70tと軽量であり、同等の車両が欧州各国でも
導入・運用されていた実績から、
これを基本とした亜幹線用液体式ディーゼル機関車が
量産されることとなり、本形式が設計された



1966年に試作車としてDD54 1 - DD54 3の3両が製造され、
各種試験に供された

その後、1968年から1971年までの4年間にDD54 4 - DD54 40の37両が
量産車として製造。
西ドイツ側メーカーと三菱重工業がライセンス契約を結び、
国内で製造を行った。

1968年から1971年までに量産車37両が順次落成し、
全40両の内DD54 1 - DD54 29・DD54 38 - DD54 40の32両が
福知山機関区に、DD54 30 - DD54 37の8両が
米子機関区(現・後藤総合車両所)に、それぞれ配置された。
本形式はその新製時の計画通り、
当時山陰本線・播但線・福知山線などの列車牽引運用に用いられていた
C57形・C58形等の蒸気機関車を置換え、
当該路線群における無煙化を促進した




1970年より、重大なトラブルを招いていた推進軸の交換を進める。
1972年3月15日から京都 - 浜田間で、
米子機関区配置機6両により寝台特急「出雲」牽引が開始された。
しかし、この頃からエンジン本体や液体変速機側での故障が
頻発するようになる。
本形式の牽引する列車を当時残存していたC57形蒸気機関車が救援する、
といった皮肉な事態すら発生するようになっていた。

本形式での故障頻発が運用・保守の両面で深刻な問題となっていたことと、
DD51形が初期故障をほぼ克服し安定した稼動実績を確保していた状況から、
本形式はDD51形で代替・淘汰されることが決定される。

本形式は1976年6月30日に12両、1977年1月17日に10両、
同年11月21日に10両 、1978年5月11日に4両が廃車された。
最後に残った4両も1978年6月18日を最後に運用から離脱
DD54 12とDD54 33については一旦、休車、廃車の後、
何故か車籍復活の手配がとられ、
1978年12月1日に改めて廃車された。
これをもって本形式は形式消滅となっている。
40両製造されたDD54のうち、
最終期に稼働できたのは15両に過ぎなかった
本形式の重大故障は、ライセンス生産された液体変速機や、
DD91から変更された台車まわりなどに集中していた。

ライセンス生産となったエンジンや変速機については契約上、
日本側での設計変更や改造は認められておらず、
あくまで製造のみが認められていた。
この事項が同機関車の運命を決定づける要因になった。
DD91は正規品の機関変速機であったが、
DD54はライセンス生産品であり、マイバッハやメキドロが
秘匿としたであろう製作ノウハウが、
正規品との差異、トラブル多発につながったことは否めない。

お召し列車記事はこちら


DD54 33号機



最後まで使用された4両中の1両で、
米子機関区配置時代に特急「出雲」牽引機に指定された6両中の1両でもある
1984年1月に福知山機関区から搬出。
同年3月に交通科学博物館(大阪市港区)に搬入され、
第2展示場で保存展示された



2014年4月の閉館後、
2016年4月29日より京都鉄道博物館で保存展示されている。

Posted at 2020/04/25 03:49:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 機関車 | 趣味
2020年04月24日 イイね!

鉄道の強力たち DD253形

鉄道の強力たち DD253形鉄道の強力たち DD253形








富山訪問中
伏木駅ヤードに見慣れない塗装の
ディーゼル機関車発見






調べると 永らく南松本で活躍した機関車だそうです
2013(平成25)年3月入換が廃止されると失職し
伏木では約4年ほど保管されていたようです

参考にしたブログはこちら

私があったのは整備が完了し搬出前だったようです
(2017年4月撮影)






2017年に北陸ロジスティクスによる整備の上
デンカ青海工場専用線にて復活を果たしたようですね


・車番  DD453
・製造年 1976(昭和51)年
・製造所 日本車両
・製番  3251
・重量  45トン
・所有社 デンカ(旧電気化学工業)
・検査  H18 11~H24 11 明希工業 ※H29 9/4 確認     
・経歴  [納入1976年]新茂原(三井東圧)
     [転属1986年]倉賀野(高崎運輸)
     [転属1994年]南松本(信州フレートサービス)
     [転属2013年]伏木(北陸ロジスティクス※整備保管)
     [転属2017年]青海(デンカ)
 

Posted at 2020/04/24 13:55:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 機関車 | 趣味
2020年04月23日 イイね!

跨線橋探索その2 山陽線 河内駅

跨線橋探索その2 山陽線 河内駅跨線橋探索その2 








跨線橋とは

橋の一種で、鉄道線路をまたぐもの

鉄道駅構内の跨線橋には古くから大切に使われているものも多く
、産業文化財として貴重なものもあるが、
建て替えが進められているため、古い跨線橋は急速に減りつつある
。跨線橋の主要な構造部材を中古のレールで造ることもかつてはよく行われ、
そのレールが貴重なものであることもある。
ウィキペディアより引用


今回は山陽線 河内駅
1894年(明治27年)6月開業の古い駅です




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Posted at 2020/04/23 17:09:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 跨線橋探索 | 趣味
2020年04月21日 イイね!

鉄道の強力たち EC40形

鉄道の強力たち EC40形国鉄EC40形電気機関車










日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が
1912年(明治45年)に輸入したラックレールを使用する
アプト式直流用電気機関車

日本の国有鉄道が初めて導入した電気機関車
日本で唯一、動軸数が奇数の電気機関車



本形式は横川~軽井沢区間の電化に際して新製された電気機関車で、
1912年5月11日の同区間の電化の際に使用される電気機関車として、
12両が輸入された。

ドイツのAEGおよびエスリンゲン社(Esslingen)の合作により
1911年(明治44年)に製造された。
落成当初の形式番号は10000形10000 - 10011と称したが、
1928年(昭和3年)10月の車両形式称号規程改正により、
EC40形EC40 1 - EC40 12に改められた。




Posted at 2020/04/21 11:09:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 機関車 | 趣味
2020年04月19日 イイね!

東武 伊香保軌道線 探索

東武 伊香保軌道線 探索東武伊香保軌道線









かつて群馬県前橋市の前橋駅前・同県高崎市の高崎駅前から
同県渋川市を経て同県北群馬郡伊香保町(現・渋川市)の
伊香保までを結んでいた東武鉄道運営の路面電車



伊香保線:渋川駅前 - 伊香保間 12.6km
軌間:1067mm

1956年(昭和31年)12月29日 伊香保線 渋川駅前 - 伊香保間廃止。
伊香保軌道線全線廃止

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伊香保線は、標高173mの渋川駅前から標高697mの伊香保へ
全線の平均勾配41.8‰(パーミル)最急勾配57.1‰のルートを
渋川市街地を抜けてから87か所の急カーブを切りながら登り降りした。


山の下り方向には行き止まりで登り勾配を付けた安全側線を兼ねる
待避線が元宿・六本松・大日向診療所・水沢の4か所あり、
山を降りる電車はここに入線して登ってくる電車を待機し、
対向する電車が通過したのち後退して
本線に戻るスイッチバック式を採用した。

坂を下る渋川方向については停車状態から起動すると
すぐ電車のトロリーポールを架線から外し、
あとは下り坂の惰性とブレーキの制御だけで
渋川の市街地付近まで下っていた









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伊香保「峠の公園」で保存されているデハ27
群馬県内で個人所有のデハ27(状態は良好だが台車・機器類なし)
が唯一の現存車体となっていた
この車体を公園内で展示保存することになり
別途入手した豊橋鉄道モハ300形モハ301の台車
横浜市電の機器類も使用して復元工事を実施した。
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Posted at 2020/04/19 10:14:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 今は亡き鉄道探索 | 趣味

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何シテル?   06/14 12:44
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