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2016年12月04日 イイね!

【2輪遍歴】2輪遍歴 第5弾 GPZ900R(A7) MY1990

【2輪遍歴】2輪遍歴 第5弾 GPZ900R(A7) MY1990友人@CBX400F乗りが
限定解除に成功したことに刺激を受け、
自分も挑戦する気になったのが1989年の夏。

バイクを「生涯の趣味」とするならば
乗ることができるバイクを
お上に制限をされることはイヤだもんね…
という想いにも後押しされ、
10数時間の練習の末、1989年11月に3回目の受験で
どうにか合格することができました。

  当時の京都における
  大型自動二輪の合格率は8~9%。
  全国平均が11~12%だったので、
  3回で合格できたのはラッキーでした。

  ちなみに、オーナー様は
  ボクの合格後に受験して、
  僅か2回で合格しやがってるんですけど…


で、免許を取得したら
大きいマシンに乗ってみたくなるのは
人情と言うもの(笑)

この時に候補となったのは
長い間の憧れであった『SRX-6』と、
SRX-4を購入するときに競合車となった
GPZ400Rの上位機種である『GPZ900R』の2台。

散々迷った挙句に選んだのは
これまで一度も乗ったことが無い
4気筒Engを搭載した900R。

当時のカワサキのフラッグシップは
900Rより2世代も新しい、
アルミフレーム採用のZX-10。
一方、ロートル扱いの900Rは
年末になると毎年のように
生産中止の噂が流れていました。

そんな事情もあって
ボクが車両を探し出した頃には
新車も中古車も壊滅状態。。。


そんな時に、
東京モーターショウを特集した雑誌の記事で、
900RのMCとSRXのFMCを知りまして…

セル付きシングルサス仕様になった
前のめり姿勢のSRXには食指が動かず、
改めて900Rに乗ることを
再確認した次第なり(苦笑)

掲載されていた900Rの写真からは
Fが17インチになること、
アンチノーズダイブ機構が廃止になること、
サイレンサーが従来モデルよりも
長くなること位は分かったものの、
それ以上の詳しいスペックは不明なまま。

それでも
数日後にはカワサキ屋さんに発注していたのは
勢いのある若さ故、、、なのかな?


注文したのはフルパワー仕様の赤黒モデル。
乗り出し価格は90諭吉弱だったと
記憶しています。


ところが、何の因果か先に入荷されたのは
黒金モデル。

ショップからは、
「赤黒モデルはあと1ヶ月待って!」と
言われたものの、現車を目の前にして
我慢できるはずもなく、、、

『これ以上待つのはイヤだから
  コレ(黒金)にするぅぅぅ~』と
即断即決の21歳大学生(笑)


マシンが納車されたのは1990年2月27日。

ノーマルのフルカウル仕様で走ったのは
ショップから下宿までの僅か数キロだけで、
下宿に着くや否や
ミドルとロアのカウルを剥がされて
いきなりのアッパーカウル仕様への
変身と言う露出プレイ炸裂太郎の巻。
 

で、納車3日目には1,000kmを走破して
1回目のオイル交換をして
納車4日目には1,600kmの慣らしを終了。

3月には
サイドカウルのGPZステッカーを
仏壇(A5)仕様の純正Ninjaに貼り換えて、
長いリアフェンダーを糸鋸でぶった切り。

4月には
オービックのキットによるバーハンドル化と、
アップハンに伴い
Fの接地感が薄れたことの対策として
Rエキセンシャフトの上下逆さ組付による
定番のケツ上げ仕様。

5月には
友人から譲ってもらったKERKERの
レンコンタイプS/Oサイレンサーに換装。

7月での
マックレーンのBSへの換装を経て、
第1ステージのモディファイ完了。


今からは想像がつかないかもしれないけれど
1990年当時、
アッパーカウル+バーハン仕様の900Rを
走らせていた層は極一部に限られていたため、
周囲からは奇異な目で見られることが
多かったものです。

当時のボクがお手本にしたのは
メーカー系プライベーターのチーム38から
8耐に参戦したライムグリーンのGPZ750Rと、
「ONE & ONLY」と「イエローコーン」のデモ車。


メーカー系のショップ:チームHiroからは
8耐レプリカのS/Oサイレンサーが
出ていたけれど、
当時の水冷カワサキ車には
KERKERのレンコンS/Oか
バンス&ハインズの爆音集合管が定番。

マフラー以外のパーツに関しては
月木がサブフレームや
ピポット部を強化したBS kitのリリースを
始めた程度で、
今のようにパーツを選ぶ余地は
殆どありませんでした…


その後、
TIサーキットで開催されたRC誌主催の
ライディングパーティーに感化され、
モディファイは第2ステージに向かいます。

FブレーキのMTシリンダーを
RC30の純正部品に換装して
ホースをステンメッシュ化すると同時に
パッドをベスラに交換。

この頃になると各メーカーから
多くのアフターパーツがリリースされていたので、
排気系をBEATのナサート管(4-2-1)に
変更した上で
吸気系にはK&Nのパワーフィルターと
ダイノジェットのst3kitを投入。

タイヤをミシュランのハイグリップにして、
リアショックは純正新品(爆)に交換。

Fフォークのスプリングとオイルを
ホワイトパワーにして油面を20mm程up、
トップブリッジをZep750用に換装すると共に
ハンドルバーをZ1000J用に交換。

でも何故か外装はGPZ750R(G1)の赤灰カラー
という切って貼った感ありありの
パッチワーク的な900Rの出来上がり。

走行6万kmを超えていたマシンは
クラッチがすべり気味ながらも
最終的には後輪出力で114.5psをマークして
クラッチをラフに繋ぐと簡単にFが上がる
やんちゃ仕様の出来上がり♪

この時は市川の某ショップで計測したのだけれど
ショップのヒトも首をかしげる程度には
パワーが出ていたみたいでつ。

この900Rではサーキット以外にも、
キャンプ&野宿のロングツーリングで
紀伊半島、四国、北陸、信州、東北を
走り回ったのもいい思い出。



そうそう、
当時は色んな夢も見ました。

RC30輸出仕様車を相手にした
初めての最高速バトルとか、

'91年のデビュー当初は
900Rの敵ではなかったGT-R(R32)が、
あっと言う間に速くなっていく過程を
リアルに体験する夢とか、

出たばかりのGT-R(R34)の
反則みたいなスラロームに面食らった
近畿道でのバトルロイヤル(vs.FD・993・R34)
とか、

ロートルだと思っていた930が
ノーブレーキのまま嘘みたいなスピードで
中央道の高速コーナーに突っ込んでいく様に
ココロを折られたこととか、

舐めて掛かった4代目プレリュードに
完膚なきまでにやっつけられた東関道とか、

軽い気持ちで仕掛けた
デビュー直後のZX-9R(C型)に、
あっけなくも返り討ちにあった
奥多摩周遊道路とか、

初代ZX10Rを返り討ちにした
鈴鹿スカイラインとか、

CBR600RRを追いかけている時の
コーナー進入でプッシングアンダーを出して、
マシンの限界を感じた京都の峠とか、、、

…そんな感じのヤンチャな夢です。



仕事の都合で日本を離れていた
6年半のブランクを挟んで、
1990年2月から2008年6月までの18年5ヶ月を
共に過ごした愛機。

その間に運転手は、
21歳から40歳になりました。



ボクが再び900Rに乗ることはないだろうけれど、
今でも900Rを見かけると、
目で追ってしまいます。。。


今は東北に住む友人の許で
しっかりとしたメンテを受けながら
静かな余生を過ごしている筈の900R。

元気にしてくれているといいのですが…(苦笑)
Posted at 2016/12/04 01:18:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2輪遍歴 | 日記
2016年12月03日 イイね!

【2輪遍歴】2輪遍歴 第4弾 SRX-4 MY1988

【2輪遍歴】2輪遍歴 第4弾 SRX-4 MY1988シリーズ4台目でつ。

4台めにして、
ついに憧れの単車を手に入れました。

YAMAHAのSRX400。


前後ウィンカーのボディがアルミになって
ラジアルタイヤが導入されたSRX-4の3型。

ツインショック&キックスターターを採用する
オリジナルSRXの最終型です。

新車購入後僅か7ヶ月で下取りに出したGPX250R-IIを
思いのほか高値で下取って貰ったこともあり、
追金16万円で新車のSRX-4に乗り換えることができた次第♪

納車は1988年10月。
中免を取得して僅か11ヶ月で既に4台目のマシン。
乗り換えのペースが早過ぎますよね(苦笑)


当時は体力的にも技術的にも
限定解除をして大型バイクに乗るなんて
夢のまた夢だと思っていたので、
SRX-4には長く乗ることになるものと思っていました。

対抗機種として考えていたのは
GPZ400Rと、そのノンカウルver.でもあるFX400R、
そしてGPX250R-IIの兄貴分GPX400R。
3台ともカワサキと言うのが笑えます(爆)

ツーリングに出ることを考えると、
カウル付でパワーがあって、
車重もそれなりにあるマシンの方が楽だということは
経験則的に学んではいたものの、
フルカウルマシンはノンカウルと比較して
10万円以上高くなるので金銭的に無理と断念…

最後はFXとSRXを天秤にかけた上で、
憧れのマシンと同じルックスナイスな単気筒マシンに
軍配が上がった、と。


ってか、
当時世話になっていたバイク屋が
YSP店だったこともあり、
SRXの方が下取り&値引き価格で有利だったことも
大きな理由、、、かな。

このマシンに乗るようになって
ようやく峠を走る楽しさを覚えて、
徹夜勉強明けに1人で峠に出る機会も増えました。

  当時は法曹界を夢見る
  真面目な法学部生だったので、
  徹夜で勉強をすることは普通だったんです…

ところが、
日本国憲法を勉強した後のある徹夜明けの朝のこと。
初の自損事故に遭遇しちまったのさ~

路肩に土産物屋がある右コーナーで、
前を走るトラックの屋根から零れた水パッチに乗って
前輪からスリップダウン。

ワンカップ大関の自販機目掛けて
滑走していくマシンを視界に捉えたまま、
マシンを追いかけるように
自分自身も道路を滑っていく状況では
ナニができる訳でもなく…


場所は峠の土産屋、
時刻は朝の5時前。

―にも関わらず、
衝突音を聞いて飛び出してくる
店のおっちゃんが1人(爆)


美しかったSRXは
ゾッキーも真っ青なカチ上げテールになってるし、
自販機からはワンカップ大関が転がり出てくるし、
学術系サークルで民法709条(不法行為)を専攻していた
法学部生としては逃げる訳にもいかないし、
もう二進も三進もどうにもこうにもブルドッグな状態。

結局、サークルの先輩の指導を仰ぎながら
示談交渉から示談書の取り交わしまでを独りでこなし、
損害賠償金として14万円をお支払いしたのが
1989年の春のこと。

ニワカ暴ヤン仕様カチ上げテールのSRXは
シートレールとテールカウルの他、
ウインカー等の小物部品を交換しただけで見事復活。

タンクやフォークにダメージがあったら
こんなものでは済まなかっただけに
修理代が一ケタ万円で済んだのは
不幸中の幸いでした…



初めてのモディファイに手を出したのもこのマシン。
先にも書いたように長く乗るつもりだったから。。。

ウルトラスリムなタンクでの
ニーグリップをしやすくするために
POSHのタンクバッドを装着したトコロから始まり、
ショートミラーへの換装、
SRX-6にのみ採用されていた
オイルクーラーの取り付け等々。

ウェリントンやシルバーバード等の
昔ながらのシングル専門店に加えて、
OVERやヨシムラがパフォーマンス重視の
パーツをSRX用に開発していた時期だったので
モディファイの方向性も
パフォーマンス系に走るか、
ルックス重視でまとめるか、
悩んだことを覚えています。



ところが!!!

このSRXも乗り換え僅か13ヶ月にして
友人に売却されていきました。

1989年の11月に限定解除を果たしたことで、
大きなマシンに乗りたくなったの♪

中免を取得してから僅か2年で
4台のマシンを乗り継いだというのは
なんなんでしょうね(苦笑)
Posted at 2016/12/03 04:30:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2輪遍歴 | 日記
2016年12月02日 イイね!

【2輪遍歴】2輪遍歴 第3弾 GPX250R-II MY1988

【2輪遍歴】2輪遍歴 第3弾 GPX250R-II MY19883台目にして初めての新車購入!

デビュー前から予約をしていたので
発売直後に納車をしてもらえた
ピッカピカのニューモデル(当時)♪

Fブレーキをダブルディスクにして、
二本出しのサイレンサーを黒く塗って、
Ninjaステッカーを纏ったGPX250Rのマイチェン版。

水冷DOHC4バルブ2気筒のEngから
自主規制値ギリギリの45psを搾り出す
ルックスナイスなフルカウルマシンです。

当時の流行は
アルミフレームに
水冷DOHC4バルブ『4気筒』Engや
2ストロークEngを積んだ
バリッバリのレーサーレプリカ。

そんな中でボクが選んだのは
ポジションが楽で、
前後一体式シートと荷駆けフックによる積載性の高さと
4st2気筒のトルキーさが売りの
ツアラーもどきのフルカウルマシン、
カワサキ謹製。

免許を取って半年も経たない初心者&貧乏学生には
いくら250ccと言えども
過激なレプリカや
重くてパワーのある400cc@車検付きに
乗ることなんか無理!!! と
信じて疑わなかった19歳の純情初心者運転手。

用途としては、
通学&街乗り:7割、
ツーリング(帰省の足も…):3割 
くらいを想定していたので
GPX250R-IIを選択したのは
ある意味当然の帰結だったのかもしれません。

  実際は、
  腕も無いのにレプリカなんて乗ったら
  絶対に死ぬ― と確信していたので
  最初からレプリカ系のイケイケマシンは
  選択の対象外としていたの~(ホンネ)

  ついでに言うと、オフ車や
  アメリカン(今風に言うとクルーザー?)には
  全然興味がなかったし(爆)


革製のプロテクター付ライディングパンツや
ツーリング用のライディングブーツ、
タンクバッグ、レインウェア、ツーリングマップル(笑)等の
ライディングギアを揃え始めたのも、
このマシンに乗るようになってからのこと。

初めての高速、
初めての帰省、
初めてのロングツーリング、、、

今にして思えば、
ボクのバイクライフの実質的な幕開けに
立ち会ってくれたマシン― とでも言えるのかな?
   
    
   
   
だが しか~し!

消去法的に選ばれたマシンは、
長く愛されることを許されなかったみたい。

あまりの乗りやすさから
購入半年で8,000km近くを走る程
気に入っていた筈なのに、
あまりの乗りやすさ故に
飽きが来るのも早かった…

っつう訳で
納車から7ヵ月後の10月に
憧れのSRX-4が3型にマイナーチェンジしたタイミングで
突然の乗り換え決定(爆)(爆)

  乗り換えを決めた時の
  ワタクシの対応の早さは
  10代の頃から変わっていないのだな、、、
  と、妙に安心しました♪ 

しかし、、、
免許を取って11ヶ月で
4台目のマシンに手を出したってことは、
他に趣味がなかったんでしょうね~(自爆)

自分で自分が不憫になるわ(苦笑)
Posted at 2016/12/02 10:54:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2輪遍歴 | 日記
2016年12月01日 イイね!

【2輪遍歴】2輪遍歴 第2弾 GSX250E

【2輪遍歴】2輪遍歴 第2弾 GSX250E1台めの愛車であるSRX250を
事故で潰したのが1987年の12月。

相手の保険金で次期マシンの購入を
決めたのはいいものの、
納車までの3ヶ月間、足がないのは困る― 
ということで、手に入れたのがGSX250E。

  撃墜王のドランクン・ファイターは
  保険会社から求償を受けたものと
  思われます(ばく
 

250ccクラスでさえも水冷4バルブ4気筒Engを搭載した
フルカウルのレーサーレプリカ勢が
幅をきかせていたあの時代にあって、
丸目一灯のノンカウルに
座布団のようなシートを装備する
アップハンドルのGSX250Eは
時代に取り残された感アリアリな
賞味期限の切れた地味めマシンにしか
見えませんでした(苦笑)


が、、、

かのGSXの系譜に連なるマシンだけあり、
カタナに似たデザインのタンクと
空冷4バルブ並列2気筒Engを250cc専用フレーム(!)に
搭載するという拘りようには
メーカーの気合を感じないこともない…
という実に微妙なこのマシンの
当時の通称は『赤ザリ(=赤いザリガニ)』。

言い得て妙だと思います(爆)

購入価格は4万円(爆)


大学生協の個人売買コーナーで
5万円で売りに出されていたマシンに目を付けて、
実車確認をしたところ
バッテリーが死んでいる、
フォークオイルが漏れている等
幾つかの不具合が見つかったので、
1万円の値引きをしてもらった次第なの。

抜けていたフォークのオイルシールは
CBX400Fに乗る友人の馴染みのSBS店(?)で
修理をしてもらったものの、
バッテリーを交換するまでの余裕はなかったので
Engの始動は押し掛けオンリーという潔さに
自己陶酔(嘘)していた19歳の冬。

  でも、
  左足首は依然として
  リハビリ中だったというのが
  泣けるでしょ?

外見は地味めでも、
アップライトなポジションと
適度にダルいEngの組合せは
初心者にとって実に乗りやすく、
ナニゲに気に入っていたのでつ。


初めて個人売買で手に入れたマシンということもあり、
名義変更の手続きを自分でしたのもこの時が初めて。

webがない時代だったので、
名義変更に必要な書類等の情報収集をするにも
バイク雑誌の記事だけを参考に
おっかなびっくり陸運局に向かったことを
記憶しています。


前述の友人@CBX400Fに連れられて
初めて峠を走ったのもこのマシン。

腕も知識も経験もない中、よくもまぁ 
あの状態のマシンで峠を走ったものだな、と
思い返すにつけgkbrもの。

何年モノのタイヤなのか知らないままに走っていたのに
コケずに済んだのは
偏にペースが遅かった故なんだろうな~
とか、ね(苦笑)

とは言え、
最初から3ヶ月程度のツナギとして
購入されたマシンだけあり、
次期マシンが納車されるや否や
2万円(自賠責9ヶ月分付き)で
後輩に引き取られていったという
薄幸さもハンパない赤ザリ号でしたのよ(苦笑)



後日談としては、
後輩の手に渡ってからもパンクしたバッテリーのまま
走らせていたことが災いしてか、
しばらくして電装系が軒並み逝ってしまい、
最終的には解体屋に叩き売られていったとか…

南無。。。
Posted at 2016/12/01 19:15:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2輪遍歴 | 日記

プロフィール

「【URBAN_G/S】初乗り http://cvw.jp/b/2594760/48477846/
何シテル?   06/09 19:31
心情的には『バイク乗り』。 所有マシンは R nineT URBAN G/S(MY2017)と クロスカブ110(MY2019)、 セロー250F....
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