
人間の神経の信号伝達速度をご存じだろうか?
神経細胞(ニューロン)内部の伝達速度は速いところで秒速120mだ。
音速が秒速340m、電線を流れる電流がほぼ光速の秒速30万kmであることを考えると極めて遅い。
神経細胞間(シナプス)における伝達にいたっては電気信号ではなくて化学物質による伝達だから更に絶望的に遅い。
つまり天才や超一流スポーツ選手であってもコンピュータの計算速度やロボットの運動速度には到底かなわないということだ。
俺はこれに着目した。
もし人間の神経信号伝達速度を高められればスーパーマンになれるのではないか?
例えば脳内の伝達速度を早くできれば知性や判断が飛躍的に向上するのではないか?
例えば筋肉への信号が速まれば運動能力が高まるのではないか?
時速160kmの野球のボールを軽々と打ち返したり、短距離走の世界記録を塗りかえたり、はたまたピアノやギターの演奏で超絶速弾きが可能になるのではないか?
そんな仮説が頭を離れず俺は研究に没頭した。
そして20年以上費やしてその方法をついに開発したのだ。
理論的には可能だがまだ実証はされていない。
別に身体を改造するわけではない。
神経伝達速度を速くするだけだ。
光速とはいかないが計算上通常の10倍程度は早まるはずだ。
言ってみれば「神経のサイボーグ」だ。
俺は自分の身体で実証するという誘惑に勝てなかった。
目が覚めたらスーパーマンになっているはずだ。
気がついたら周りには何の変化もなかった。
俺はひとつひとつ仮説を検証することにした。
まず運動能力の向上だが、これはうまくいかなかった。
確かに体の反射神経や運動速度は速くなったが、そもそも野球や楽器のスキルのない50歳の俺がそこまで上達するはずもなかった。
単に練習時間が10倍に増えたようなものだ。
じゃあ、頭脳はどうか?
これは飛躍的に向上が進んだ。なにせ10倍の速度で本を読んで学習することができるのだ。
たった1日で何十冊も読破することができた。
俺の研究はこれから飛躍的な速度で進むだろう。
どんな課題でも今までの10倍のスピードで片づけることができる。
天才になった気分だ。
困ったこともあった。
まずは睡眠だ。
とても8時間も眠れない。
なんせ俺の8時間は80時間なのだ。
強い睡眠薬なしにはそんなに長い時間眠れるはずもなかった。
しかし脳の機能を維持するためには一定時間以上の睡眠は不可欠だ。
次は食事だ。
猛烈に腹が減る。俺の一日は240時間に相当するのだから食事は三度ではとても足りない。
四六時中腹が減って四六時中食事をするようになった。
1日10食以上食べるようになった。
特に脳は大量のブドウ糖を消費するから糖質を大量に摂取しなければならない。
この結果米や麺類、パンなどを大量に消費した。食費で破産しそうだ。
それにこのまま大量の糖質を摂取し続けると糖尿病にならないか心配だ。
娯楽に飽きた。
映画のビデオを10倍速で視聴すると1日で何十本も観れてしまう。
早晩見るものも無くなって退屈極まりない。
本や雑誌だってあっという間に読み終わってしまう。
早口になってしまった。
早口すぎて人になかなか伝わらないが、人と会う機会は少ないのでまあよい。
心拍数が速くなった。
血圧も上がり動悸もするようになったが、これはそれだけ身体を酷使しているのだから仕方がない。
2年経ち俺の研究は飛躍的なスピードで進んだ。ノーベル賞候補になる日も近い。
しかし最近物忘れが酷くなった。
3年目に物忘れがあまりにひどくなったのでCTで脳を撮影してみた。
すると俺の脳は明らかに委縮していた。
「これは!?」
アルツハイマー症だった。
俺の脳はたった3年で80歳の脳に老化していた。
たしかに常人の10倍のスピードのスーパーマンにはなったが、3年で30年分脳を酷使してしまったせいだ。
しまった。
これから若返りの研究を開始して果たして間に合うだろうか?
#ショートショート
そろそろ飽きました?
僕も飽きました😅
Posted at 2020/11/29 10:57:10 | |
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