
トップの写真は 廃ガレージにあったフロンテバン フロンテ自体珍しいけどバンは更に珍しい ナンバーは付いていたけど動いているような感じはない。
上り下りの石畳を克服するとそこは菊川宿は平地で標高80m(自宅や名古屋駅で-40mと出るから信憑性は無い)
菊川宿が終わり 角を曲がると 唖然
なんと45度はあろうかと思ってしまう急坂が目の前にあるのだった。降ってきた方々の装備はウオーキングではなくてトレッキングか登山?と思ってしまう靴や手にはストックが2本握られていたりした。

峠ならば 七曲りとか道がクネクネしているのだろうけど ここはただの坂 急坂で一直線である。
廻りは茶畑だらけで絶景ではある(左手)
峠ならば 頂上とか標高何メートルとか表示がありそうだが
あんなに高く見えていた栗ヶ岳の「茶」文字は同じくらいの場所に見える
左右が崖で 旧東海道の道だけがちょんまげみたいな状態である感じか?
登り切った場所には久延寺があり 夜泣石とか家康公お手植え五枚葉松とかコンクリート製の二宮金次郎像が有ったりと不思議な世界。

看板が良い雰囲気を醸し出している 子育飴が有名らしいおみやげ屋さん。
此処から先は下り坂
途中 小夜鹿一里塚跡通過
どんどん下って 最後にすごい下り坂(二の曲がり 車両通行不可とあった)で
80m→215m→60m これはもう登山である でも山の名前は無い模様。
石畳に急坂で右足が痛くなり日坂宿の本陣跡でくつを脱いでしばらく休養。
持参した地図では 本陣跡には幼稚園のマークがあったけど 今は立派な門だけありあとは広場に。少子化の影響か。
日坂宿は小さいけれども 古い旅籠が残っていて 自由に中に入って見学できる。

見学者用の駐車場が有ったり 説明の係員が常駐してたり。
この辺りまでは 「小夜の中山ハイキングコース 日坂・諏訪原城跡」で人気のコースなのだろうか すれ違ったり追い越したり越されたり 20名近くの人が歩いていた。
此処から先は国道1号線に沿って歩き 時々旧道にそれるパターンで伊達方一里塚跡に到着

人影は無い
浜松まで34キロの標識発見
そう言えば掛川宿は東海道五十三次の26番目の宿場だから 結構進んできたようだ。次回で中間地点なるようだ ゴールは近いぞ。

葛川一里塚跡通過
今日は金谷の一里塚跡からスタートして 三箇所の一里塚を通過したけど 地図上で歩いた距離は11キロ弱なんだなぁ 不思議だ。
掛川宿の「七曲り」を曲がって曲がって 何の雰囲気もないただの住宅街なんだけどね 今日はJR掛川駅でゴール。14時40分。
新幹線も停まる掛川駅は歩いてゆく場所では無い 車で行く場所 そんな設計の駅前だった。
昼食を食べぞこなったので 昼食件夕食の浜松餃子を食べるため浜松へ急ぐ。今日こそは浜松餃子を食べるぞという強い意志で歩いていたのだ。
石畳の場所にはコンビニがないのはわかるけど 国道1号線沿いコンビニや吉野家などがなかなか無いのも変だし 道の駅掛川に行ったら凄い人出で行列が東京まであるぐらい並んでいて 諦めたり(ワザワザ歩いて行ったのに) この辺りの人はご飯は食べないのだろうか 茶葉でも食べてるのかなぁ。
食い物の恨みは・・・
次回は12月の予定
今回は万歩計を持って来るのを忘れた ボケが始まったか。
Posted at 2015/03/29 21:49:01 | |
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東海道五十三次 | 日記