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2015年03月28日 イイね!

箱根も大井川も越えたのに 東海道五十三次 下

箱根も大井川も越えたのに 東海道五十三次 下トップの写真は 廃ガレージにあったフロンテバン フロンテ自体珍しいけどバンは更に珍しい ナンバーは付いていたけど動いているような感じはない。



上り下りの石畳を克服するとそこは菊川宿は平地で標高80m(自宅や名古屋駅で-40mと出るから信憑性は無い)

菊川宿が終わり 角を曲がると 唖然
なんと45度はあろうかと思ってしまう急坂が目の前にあるのだった。降ってきた方々の装備はウオーキングではなくてトレッキングか登山?と思ってしまう靴や手にはストックが2本握られていたりした。


峠ならば 七曲りとか道がクネクネしているのだろうけど ここはただの坂 急坂で一直線である。


廻りは茶畑だらけで絶景ではある(左手)


峠ならば 頂上とか標高何メートルとか表示がありそうだが



あんなに高く見えていた栗ヶ岳の「茶」文字は同じくらいの場所に見える
左右が崖で 旧東海道の道だけがちょんまげみたいな状態である感じか?

登り切った場所には久延寺があり 夜泣石とか家康公お手植え五枚葉松とかコンクリート製の二宮金次郎像が有ったりと不思議な世界。

看板が良い雰囲気を醸し出している 子育飴が有名らしいおみやげ屋さん。

此処から先は下り坂
途中 小夜鹿一里塚跡通過

どんどん下って 最後にすごい下り坂(二の曲がり 車両通行不可とあった)で


80m→215m→60m これはもう登山である でも山の名前は無い模様。

石畳に急坂で右足が痛くなり日坂宿の本陣跡でくつを脱いでしばらく休養。
持参した地図では 本陣跡には幼稚園のマークがあったけど 今は立派な門だけありあとは広場に。少子化の影響か。

日坂宿は小さいけれども 古い旅籠が残っていて 自由に中に入って見学できる。

見学者用の駐車場が有ったり 説明の係員が常駐してたり。
この辺りまでは 「小夜の中山ハイキングコース 日坂・諏訪原城跡」で人気のコースなのだろうか すれ違ったり追い越したり越されたり 20名近くの人が歩いていた。

此処から先は国道1号線に沿って歩き 時々旧道にそれるパターンで伊達方一里塚跡に到着

人影は無い



浜松まで34キロの標識発見
そう言えば掛川宿は東海道五十三次の26番目の宿場だから 結構進んできたようだ。次回で中間地点なるようだ ゴールは近いぞ。


葛川一里塚跡通過
今日は金谷の一里塚跡からスタートして 三箇所の一里塚を通過したけど 地図上で歩いた距離は11キロ弱なんだなぁ 不思議だ。

掛川宿の「七曲り」を曲がって曲がって 何の雰囲気もないただの住宅街なんだけどね 今日はJR掛川駅でゴール。14時40分。
新幹線も停まる掛川駅は歩いてゆく場所では無い 車で行く場所 そんな設計の駅前だった。

昼食を食べぞこなったので 昼食件夕食の浜松餃子を食べるため浜松へ急ぐ。今日こそは浜松餃子を食べるぞという強い意志で歩いていたのだ。

石畳の場所にはコンビニがないのはわかるけど 国道1号線沿いコンビニや吉野家などがなかなか無いのも変だし 道の駅掛川に行ったら凄い人出で行列が東京まであるぐらい並んでいて 諦めたり(ワザワザ歩いて行ったのに) この辺りの人はご飯は食べないのだろうか 茶葉でも食べてるのかなぁ。
食い物の恨みは・・・

次回は12月の予定
今回は万歩計を持って来るのを忘れた ボケが始まったか。
Posted at 2015/03/29 21:49:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | 東海道五十三次 | 日記
2015年03月28日 イイね!

箱根も大井川も越えたのに 東海道五十三次 上

箱根も大井川も越えたのに 東海道五十三次 上北陸新幹線が開通しても JR東海の東海道本線には何も影響がなくて いつものようにJR大垣駅6時9分発の豊橋行に乗車 早く行ってムーンライトながらの「大垣ダッシュ」を見学すればよかったかなぁと思いつつ 今日のスタートの駅 金谷駅には9時19分着。

事前の情報では 箱根よりも日坂宿越えの方が厳しいとのことだが・・

前回の終了地点 金谷の一里塚跡からスタート
いきなりの登りである 登った先が 金谷坂の石畳 これまた登りオンリー


桜はまだ 満開ではない 石畳の雰囲気はとても良いけど 暑かった

石畳の中にマンホールがあるのが平成製の石畳らしい


石畳は歩き難いけど 長いコンパスで大きめな石を選んで進むのだ。 

諏訪原城跡で現地説明会が開催されていた その見学者の駐車場に珍車が。

ダイハツ ベルリーナ 「静5」ナンバーだった

その先が 菊川坂の石畳 こちらは下りオンリー
下りの石畳は足に悪そう




もちろん舗装路を通る


廻りは茶畑だらけ 遠方の栗ヶ岳の「茶」が笑える

やっと石畳が終わったかと思ったら



江戸時代の物の(今まで歩いてきたのは平成12年に復刻した物)本物の石畳 江戸時代製なので平成製よりは歩き難いのは石の大きさがバラバラだからか。


石畳地獄が終わると菊川宿
菊川といってもJRの駅からはすごく離れているけど。

後半へ

Posted at 2015/03/28 22:14:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 東海道五十三次 | 日記
2014年12月13日 イイね!

越すに越されぬ大井川 東海道五十三次 下

越すに越されぬ大井川 東海道五十三次 下大垣日大高校の校歌のはじめは 「伊吹おろしが~」で始まる 伊吹山から吹き込む西風は「伊吹おろし」といい 刺すように冷たい風 それは北海道の人がこちらに出稼ぎに来たときに 北海道よりも寒いと嘆くぐらい 真冬の北海道にジャンプを見に行って大垣に帰りJR大垣駅から出たら 大垣のほうが寒いなと思うこともある。そんな感じの風が大井川の堤防に上がると吹き荒れていて まっすぐ歩いていても 西風に流されて斜め右に進む感じで 軌道修正が必要。風速10メートルぐらいあるのではと感じる 寒い寒い 歩いていないと凍え死にそうはオーバー気味だが 歩いていても汗をかかない。

いよいよ大井川越えだ。
今日は土曜日曜祝祭日は人足は定休日だから自分の足で渡らなければならない。



13時7分撮影

富士川や安倍川も渡ってきたし 岐阜には木曽川・長良川・揖斐川と大きな川があるからと思っていたが 想像以上の川幅だったようだ。

風も向かい風で帽子は飛びそうで手で押さえていないと大変だ脱ぐと寒いし 自転車の方は大変そうだった 徒歩より少し早いぐらいでペダルを漕ぐのは大変そうだったけど 反対は天国。

途中で写真を撮るけど 何しろ幅がありすぎるし 水が少なくて 巧く撮れない。

下流 南方面

上流 北方面 

この辺りが真ん中かなぁと思うが そうではなそうで 真ん中という看板が欲しいです。


13時26分 強風の中 無事渡り終わる。

橋を渡る前に厠に行って 渡り終わって堤防を降りてまた厠 寒かった。

途中で写真を撮っていたけど 意外と時間がかかったものだ。



今日の予定は藤枝から金谷まで。
金谷から先は峠越えで結構な距離があるから区切りが良いのだ。
早く歩いて 大井川鉄道でSLにでも乗ろうかとも計画。
新金谷駅に寄る SLの件もあるが昼食と風のない場所で休憩がしたかった。

SLは午前中しか走行は無いようで残念 昼食も思うようなものが無かった。近所にあったイオンでお弁当をチンして食べた。

食べ終えて街道に戻るとき どうやら東海道五十三次を歩いているような人が見えた。後ろに付くと金魚のフンみたで嫌なので 地図を見たり ゆっくり歩いたり 写真を撮ったりしてたけど 足が痛のか悪いのか腰が悪いのか体が「く」の字みたいな感じで歩いていたので歩くのが遅い。

大井川を越えてから金谷駅まではあまり当時の物は無い 大火事があったからなのだろう。


夜来たら綺麗だったかもしれない本陣跡 LEDの装飾があったようだ。



一里塚跡に あの「くの字」のおじさんが座っていた 一声かければよかったかなぁと少々後悔。おじさんもJR金谷駅から東京方面に帰っていたった。

真っすぐ行けばJR金谷駅 左に曲がれば峠だが今日はここ一里塚跡で終了。

なんだか一番風が強い時に大井川を渡っていたような感じだ。

大井川越えがあるこの地域 イマイチ東海道五十三次には興味が無いのか無頓着なのか 東海道五十三次を歩く人が多くなれば 考えが変わるかも。まぁ無理か。

次回は来年 春には峠を超えたいなぁ。
Posted at 2014/12/14 12:12:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | 東海道五十三次 | 日記
2014年12月13日 イイね!

越すに越されぬ大井川 東海道五十三次 上

越すに越されぬ大井川 東海道五十三次 上前回はいつ歩いたか 調べてみたら 昨年の12月15日だった。毎年「忠臣蔵の日」辺りに歩くのが恒例になっているようだが 元々 年に一度 死ぬまでに完了すれば良いという 適当な予定だから こんな進捗状態でも問題ないけど 今年は なかなか歩けなかった。「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」状態であった。

今日も どうしようかなぁと悩んでいたけど 天気は良さそうなので 昨日夜 青春18切符をレンタルしてきた慌ただしさ。気力体力時の運とはウルトラクイズのキャッチフレーズだけれど 東海道五十三次を歩くのも 気力も体力も運も必要なんだろうなぁ。

いつもの電車 JR大垣駅6時9分発豊橋駅行きに乗車 前回の到着点の藤枝駅には9時31分着。駅から少し離れた前回の終了地点まで歩く。風が強くて寒い。

TSUTAYAの前の交差点を渡って 見つけたのが上の写真。
「東海道を旅する方へ」
店内のお手洗いもご遠慮なくどうぞ お飲み物のご用意も有ります
素晴らしい会社である。

いつも東海道本線の車窓から見える松並木を今日は歩く。

歩道の脇に松が生えているのだが たまに歩道の真ん中に生えていて 車道に迂回することも 松があってそこに歩道を造ったのだから 松は悪くない。



本当に一里塚があったという説明

しばらく国道1号線を歩く 

島田宿一里塚跡に到着

隣の石柱はノッペラボウ?


車道側に「東海道島田宿一里塚跡」とある バカだね~車の運転手がこんなモン見るか 反対に設置したとしか思えない。

JR島田駅前は 僕が知っている島田駅 駅前に何も無い辺鄙な田舎駅の面影はすっかり無くなって 都会になっていた。島田宿本陣跡も綺麗さっぱり無くなり からくり時計がそびえ立つ意味不明さ。綺麗なお店が立ち並ぶ街になったようだが そんな綺麗な店舗より 欲しいのは厠である。藤枝駅から六合駅 そして島田駅まで途中で公衆トイレや休憩できる公園など一切なく この辺りの人は出さないのだろう。

いよいよ本日のメーンイベント 「島田宿大井川川越遺跡」
なのだが人影なしには驚いた。

当時の面影が残るような 良さそうな雰囲気なのだが たまに抜け道として通る車が残念だ 進入禁止でも良いと思う。こんな観光資源をもっと活用できないものかなぁ。

中に入れるようだけど靴を脱ぐのが面倒で諦めた。


せぎ跡はリアリティ満点

この渡し場と 島田宿が結構離れているのが不思議だ。何か離れている意味でもあるのだろうか。

いよいよ大井川越え時が来た。

下に続くはず
Posted at 2014/12/13 22:44:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 東海道五十三次 | 日記
2013年12月15日 イイね!

ゴンとマツ 東海道五十三次

ゴンとマツ 東海道五十三次噂の刑事トミーとマツなんて刑事ドラマ好きだったなぁ。

宇津ノ谷峠を越えると岡部宿となる。前回の帰りと今日の行きと二度路線バスで通ったわけだ。そんなんで松並木も本陣跡もあるから期待は膨らむ。

本陣跡は「大旅籠 柏屋」歴史資料館となっていた。
館内は通り過ぎは無料で 部屋の中に上がると300円とあるから 遠くから建物を写真撮影のみで通過だ。



県道208号線から離れたり戻ったりする旧東海道。そんな昔の旧道に分け入ると 「ゴン企画」なんて名前が書かれた建物が目に入った。

ゴン企画なんて変な名前だなぁと思えたけど ゴン??

そういえばテレビで東海道を歩く番組で宇津ノ谷峠の先に(松村さんと格さんの山田さん出演)ジュビロ磐田で活躍した中山選手の実家があることは見たから知っていたけど(テレビでは訪問して取材してた)まさかねぇと隣の家の表札を見ると「中山○○」とあり やはり実家であった。歴史資料館にも劣らない立派な建物だ。(ゴン企画の建物はあれだけど)

更に進むとまた県道に出て 少しすると バスの車窓から見えた松並木が現れる。

持参した地図には「東海道岡部宿の松並木(黒松13本)」とある ライオンズクラブの寄贈と有ったような気がするから江戸時代にすでにライオンズクラブが有ったのかなぁ。

バイパスを越えると バイパス道路のために通れなくなったような雰囲気がある「東海道横内村」になる。この村は一致団結しているのか 東海道400年祭で作成された「屋号」の書かれた木の看板が各家に掛けられているので 東海道に理解がある村なんだなぁと思えた。

たいした史跡もないのでどんどん進むと国道1号線を横断 また県道208号線を進むとホームセンターが見えてきた。地図によるとそこには立派な松並木が有るはずなのだが 松の姿は全然なくて カーマと静鉄ストアがあり 国道1号線に繋がる道路と住宅街に様変わり。もしかして松並木はバッサリと伐採か?と思ったら 住宅の裏側に松の木がちらりと見えた。



松並木の場所だけは取り残されたようで 道は半分死んでいるような状態だったけど残っていてよかった思いたい。地図的にはここから国道1号線を斜めに横切るのだが 国道まで出る道はかろうじて残っているけど 国道を横切った先の道が無い。面影もない。ホンダのディーラーの先に松の木を発見 多分あの道が旧東海道だろうと推理して行くと正解だったけれども そこまでに行く道は再開発で無くなったようだ(コンビニにでもなったのかな)。

この先 藤枝駅の先まで歩いたけど 駅に近づくにしたがって 旧東海道に関するものはあまり無かったように思う。

とても悲しい街である。

藤枝駅に16時1分着
16時5分発の浜松行きで帰宅へ。

宇津ノ谷峠は良かったけど 岡部宿はゴン中山さんの実家と松並木のみだけとは。


約13キロ 35158歩 京都に近づいたぞ。



Posted at 2013/12/17 23:44:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 東海道五十三次 | 日記

プロフィール

「マキソン完成 http://cvw.jp/b/279393/48591679/
何シテル?   08/10 16:22
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