6/1の朝、御殿場の銭湯でリフレッシュ、コースを練り歩き辿り着いたのは開館直後。内燃機関自動車黎明期からモータリゼーション、日本車が世界に挑んだ歴史的展示物が目を見張ります。客足もまばら、貸し切りの
パナール・エ・ルバッソール Type B2(1899年/仏)
この時点で丸いハンドルやアクセル、ブレーキペダルがありました。
現代に繋がる操作系統は構築されていたのですね。まだまだ馬無し馬車…大形ホイールにサイクルフェンダー、自転車の様なチェーン駆動、FRレイアウトか。2+2シート
トーマス・フライヤーの「モデルL」(1909年/米)フロントにウインドシールドが設けられました、幌型のルーフを展開できるようになった。リーフスプリングサスが見えます。
スタッツ・ベアキャットシリーズF(1914/米)
インディー500レーサーのスタッツが自身の「こうあるべき」を具現化した市販スポーツカーの祖
クランキングハンドルが見えます。
ヘンリー・フォード 999(レプリカ)(1902年/米)
マスプロダクションで躍進したフォードが、自動車の販売促進に付加価値をアピールする為に作ったスポーツカー。製品の優秀さ、走破性を伝える事で、量産車T型フォードのセールスに結びつけたそうです。この時はハンドルは自転車のようなバータイプ
イスパノスイザ アルフォンソXIII (1912/西)
レーシングカーを基に公道で使えるスポーツカーに仕立てた初期のもがスペイン産というのが意外でした。
ブガッティ タイプ35B(1926年/仏)かの有名なエットーレ・ブガッティの作品、この頃からディスクホイールが使われ始めたとの事。数々の栄誉を納めたスポーツカーの祖。
横の1/2モデルは息子のために作ったモーター駆動のベイビーブガッティ、1品ものではなく、ちゃんと(誰に?)販売されたらしい。
まじか~、カウルのルーバーやR形状とか板金だよなぁ…。排熱に腐心しているのが良く分かります。ボンネットはベルト止め。
WW2で収監されたフェルディナントに代わり、フェリーが作り上げたポルシェの名を冠したスポーツカー。
博物館映えしますねVWビートルとはプラットフォームを共有するものの、ショートホイールベース化などして運動性を向上させたそうです。
日野コンテッサレース日本GP優勝車レプリカ(1963年/日)
リアドア脇のエアスクープを見て分かるRRレイアウトセダン。
トヨペットレーサー(1951年/日)
トヨタのスポーツカー試作車。おもちゃの様な見てくれではあるが、1950年代初頭のGPカーを手本にしているのでしょう。情報を集めるのが難しい時代、高速=飛行機という発想からか垂直尾翼が設えられています。
昔のおもちゃに通じるデザインです、夢がつまっているのですね。
ダットサン富士号
依然、お台場でも見た日産の遺産モデル、オーストラリアの冒険ラリーで国産車初優勝の栄誉を授かりました。
いすゞ ベレットR6 (1969年/日)日本GP参戦車
フェンダーがセクシーですね、この頃は空力に関しては「抵抗が無い方がいい」というもの、欧州車の見様見真似だったと思われます。
リアフードのルーバー…好きなんです、この形状だとサイドラジエーターかな。
DAIHATSU P5 1968年 日本グランプリ GP-1クラス優勝車
小型車が得意なダイハツらしいエンジンは4気筒1300cc
バッサリ垂直に切られたリア断面は新鮮、ディフューザーが無いのは車体下面の空気の使い方が認知されていなかった黎明期の
LOLA T70 Mk. Ⅲ 1968年 日本グランプリ参戦車
ローラ製シャシーにシボレーのV8 6300cc、ダイハツP5とは同世代ですが、こういった欧米車のコピーからスタートしたのでしょう。
キャビン高さに合せ、リアの両サイドの峰後端で跳ね上げるスポイラーでリアダウンフォースを稼ぐ考え方。リアタイから後方はせり上げていますが、まだこの時代はウイングカーではないようです。
NISSAN R382 1969年 日本グランプリ優勝車
日産製V12 6000ccエンジン、レース前に情報戦でトヨタを出し抜いたのは有名です。
NとPの組み合わせに見えるのが意味深長。

TOYOTA 7 1969年 日本カンナム優勝車
V8 5000ccコスワースエンジンを参考にした…との噂、知らんけど。
サイドにでかいラジエーター、この車は独立したウイングが付けられているのですね。タイヤ太すぎ~。
PORSCHE 910 1968年 日本グランプリ2位入賞車
クローズドクーペながらラウンドしたウインドシールドで視界が良さそう。
両フェンダーにミラーが無いので後方視界は室内のミラー頼り

アルファロメオ 6C1750 グラン・スポルト
ナンバー通り直6 1750cc SC加給
ドア下端に小さくZAGATOのプレートがありました、イタリアの至宝
AARダンガーニ率いるIMSA米トヨタワークスのイーグルMarkⅢ
エンジンは3S-GTM 2,140 cc 直4 Turbo ミッドシップ
余談ですが、セリカ等ラリー車で活躍した名機3S-G系のエンジンですが、80年代半ばル・マン参戦当時、「トヨタは大衆車メーカーなのだから、エンジンも4気筒でやろう」とエンジニアの意欲で4T-GT~3S-Gと4気筒エンジンで夢を見たそうです、この話は結構好き。その後、コンペティターに追い付く速さを追求する中で、4気筒断念、R32V V8ターボにスイッチしてます。
ル・マン挑戦由来のエンジンは同時期にアメリカに渡り、IMSAで磨かれシリーズ優勝、日産に次いでデイトナ24時間を制覇しました。(この時代は少し覚えているので…)
ニューマンハース ローラB20/00
トヨタ製CART用エンジンを塔載しています、米国のフォーミューラーはあまり知らないですがかっこいい。
NASCAR カムリ
いわゆるシルエットフォーミューラーですね、FRのカムリ。
東海大学のル・マンチャレンジ…日産時代VRH35Zを設計された林義政教授が指揮を執った学生チームのチャレンジ。林さんにはF1用エンジンも挑戦して欲しかったです。VRH35Zの設計思想は後のR35GT-R専用エンジンVR38に紡がれました。
※林さんの著書でこれはお勧めです。
理系技術職でなくとも仕事、仲間との向き合い方、何が一番大事か…を教わりました。
堅苦しくもなく、軽妙な文章に誘われ度々、読み直している本です。
ホンダRC162 初めて世界選手権を制した日本のバイク、この頃は本田宗一郎が指揮を執る開発チームは4サイクル多気筒化を推進、苦労の末、技術をものにして勝ちました。WW2敗戦の3流国と見下されていた日本の躍進はここから始まったのかもしれない。
第一期ホンダF1 RA273 V12 3000㏄このマシンまではオールホンダでした、翌年はローラベースのRA300~RA301と戦い、いわゆる第一期活動を終了します。
※ホンダF1といえば…
これも大好きな本です、学生時代の後輩に借りて一気読みしました。
その数年後、偶然に古書店で古びた一冊を手に入れまし、数年おきですが気が向くと読み直します。
この時代のエンジンは後年、本田技研社長を務められ第二期F1活動を推進された川本信彦さんが若手の頃に設計されたそうです。
ここまでで、40分ほど滞在、レースも気になるけど人気のない博物館は落ち着いてしまうのでにどっぷりでした(レースなかったら3時間くらいいたかもしれない)。
もう一回分あるのでそれはまた後ほど。