ザナヴィNISMO Z スーパーGT(2005)
Z33ベースですね、キャビン部分のみ生産車を流用、エンジンはV8 4.5L VK45DE…ってシーマ用エンジンか。
ザナヴィNISMO GT-R 最後のRB26搭載車 JGTC(2002)GTがフォーミュラー化していく中フロントヘビーのアンバランスさからリアを滑らせて走る様は、ライバルメーカーのレーサーすら「ドリフトしながら走る姿が後ろから見ててかっこいいんですよ」って言われてました。この後、VQエンジンにスイッチしてZ33型にスイッチしました。
JTCCトヨタ・コロナEXiV、車高を下げるメカスペース確保と全面投影面積の少なさから選択されました。ツメ折フェンダーは公道レーサーみたい。この頃はワイド&ローなアコードが無双したり、日産はP10~P11プリメーラで戦っていました。
AE86レビンのN2レーサー(TRD製)
AE86(カローラレビン/スプリンタートレノ)をベースにしたレース車両の改造規格の一つで、N1よりも改造範囲が広いのが特徴、オーバーフェンダーやエアロパーツの装着、エンジンやサスペンションの大幅な改造がOKのカテゴリー。
富士GCシリーズのマシン マーチ85Gヤマハ
TF109 トヨタF1カー 開発はドイツのTGR。ハースF1との提携で人材育成と技術蓄積とオフィシャルなコメントですが、アメリカ系チームとのジョイントはちょっと興味深いです。
ル・マンコーナーではGT-ONE TS020、アンドレ・デ・コルタンツ指揮下TTEで製作した名車。エンジンにWRC譲りのミスファイアリングシステムを組込み、そのため耐久性の高いエンジンが求められ、Cカー時代に開発したR36Vエンジンを搭載。1998年時代で「今では使えない高価な素材」の使われた素材を求めて、博物館送りになっていたエンジンブロックを集めて再開発したそうです。
これは99年2位に滑り込んだ日本人トリオの車。シャシーは前年モデルの流用で継子扱いのカメ組でバックアップ扱い。上位2台の欧米トリオのうさぎ組が潰れるや否や、A・コルタンツが陣頭指揮を執り始め、鈴木(敏)、土屋、片山が意地を見せ2位に。優勝したBMWはサテライトチームに妨害運転をさせるなどなりふり構わず、結果的に終盤のタイヤバーストの遠因になったようにも見えました。
当時は日産R390~R391のライバルでしたので、好きなマシンではありませんでしたがデザイナーのA・コルタンツのカリスマ性と抜群のセンスに唸らされました。
日本車初のル・マン戴冠はMAZDA 787Bですね。
名車ではありますが、速さという点ではメルセデスに対しては厳しい車でした。
IMSAエントリーとして車重規定の軽減、政治的なお膳立て、787型でのウイークポイントを盛り込んだ設計が光りました。メルセデスを心理戦で追い込む作戦などメーカー、チームの総合力が勝った結果でした。
4ローター耐久用エンジンの完成形
低いリアウイングはル・マンでの高速スピードを稼ぐ設計、マツダは欲張らずル・マンにフォーカスした事が結果に結びついたのでしょう。
スープラGT LM
TEAM SARDに託したGTカー、1995年当時、GTの定義が曖昧なまま、市販スポーツの改造車に1台ナンバーを取得すればGT1認定を受けられることから、トヨタはスープラ、日産はBNR33をFR化した車両で挑戦。マクラーレンF1の登場から、国産FR勢は出場を断念することに…。
ここからはWRCカーの展示、ランサーエヴォリューションⅢ
小型車枠のナロ―ボディ、市販車にもミスファイアリングシステム用の燃料供給経路を持ち込んだ車(市販車は機能はカット)K・エリクソン組の車ですが、オーストラリアラリーかな?グラベル仕様で車高が高いです。
OZのホイールが…布屋根ンゴに履かせたい。
ST185セリカ、この車はラリー用セリカの完成形でした。藤本さんはこの車でサファリラリーで日本人初優勝。欧州スプリント仕様よりも耐久性を重んじているため重いらしいと当時聞きかじりました。
高い車高、川渡ようのシュノーケル、アニマルガード、ウイングライトはアフリカンラリーらしい。
GC8インプレッサ、GrA時代で一番好きな車かもしれません。コリマクレーのアクロポリス車です、ブロックタイヤと高めの車高、グラベル仕様の証。
前作レガシーのパワートレーンを小型のボディに移植は、この時代の流れ。
フォード シエラコスワース4×4 → エスコートコスワース
三菱 ギャランVR4 → ランサーエヴォリューションシリーズ
余談ですが、日産は国内向けブルーバードからパルサーに…実戦の経験不足に加え、予算不足の退場は残念でした。
レガシーの優勝を見るまでデビューが見送られましたが、ニュージーランドで結果を出し、1000湖(フィンランド)ラリーでデビュー、アり・バタネンの手であわや優勝に王手を掛けたものの、初期トラブルに泣き2位。(555とスバルブルーを印象付けた鮮烈なデビューでした。
GrB用TA64セリカ、この時代はモンスター化した欧州車に対して、耐久ラリーで一矢報いる国産勢。
こちらもお台場で見た222D、トヨタのGrBスタディモデル。
AW11をベースに3S-GE改をミッドシップ搭載パワートレーンは4WDとGrBお約束の方程式
リレーだかスイッチだか並んでます。
デザインはともかく、メカ的に魅力的なマシン、リアスポイラーの開口部は排熱用かな?
こちらはジ初めて見ました、三菱スタリオン4WD、ランエボのご先祖様ですね。
厳密にはランサーEX2000ターボからバトンを受取り、GrBをどう戦うか三菱のスタンスが表れています。
アウディクワトロ的な市販車FRレイアウトからの4WDターボ化、時期尚早との判断から量産はされず、プロトタイプとしていくつかの実戦をこなして技術を蓄積してギャランにバトンを繋ぎました。
ほぼ一周しました。
エスカレーターで出口に向かいます、ロールスクリーンにはサルテサーキットと耐久レーサー。
入口と出口の境界にはトヨタ7、この時代のスポーツカーレースはパフォーマンス重視で、安全に対する配慮が行き届かず命を落としたレーサーもおられます…
フラットボトムですが、ウイングカー構造ではありません。リアに大型のウイングが付くようになりダウンフォースを会得し始めた頃か。
幻のターボ…CANAM用の車は鈴鹿テストで失われたと聞きます。