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papanenのブログ一覧

2019年07月23日 イイね!

ひと月ぶりの撮り鉄

長雨は無いものの梅雨の空模様が続きます。
ついつい腰が重くなり撮影もサボり気味。神保町に行って古本漁りでもしようと思ったのですがカメラを担いで寄り道(?)を試みました。久しぶりの常磐線金町駅のホームから撮影。都心部では少ないEF64の牽く貨物列車から。到着後すぐの撮影となったためロクに設定を詰めづに撮って出し。
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なんか尻手みたいです。
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次は隅田川所方面へEF65が通過してゆきます。
カメラはD7500タムロン18-400mmを使用、今のところレンズも増えていませんが広角寄りのレンズが欲しいところです。
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少し寄せて流し撮りです。
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最後にもう一本EH500牽引のコンテナ列車。
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この後神保町へ行き古本屋で車、電車関係の雑誌を漁りました。
久々に歩き回って少々くたびれた休みとなりました。

Posted at 2019/07/23 12:00:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年07月23日 イイね!

ガンダムスタンプラリー 1.5カ月戦争の記録 -9-

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 人類が増えすぎた人口を首都圏に集中するようになって、既に半世紀が過ぎていた。


東京の周りの大小の地方都市は人類のベッドタウンとなり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。西暦2018年、都心の交通網の大部分を担うJR東日本は東京コロニーを名乗り、新人類世代にガンダムスタンプラリーを挑んできた。この一ヶ月半あまりの戦いで、サラリーマンの財布の中身の半分を減少させるに至らしめた。人々はみずからの行為に恐怖した。戦争は膠着状態に入り4週間あまりが過ぎた。

さてこのままでは2年過ぎてしまいそうな勢いの…。京浜東北線の西エリアを仕留めます。
ここ蒲田駅はガデムの旧ザクです、そのサブメカ度合いに反比例するポップに胸熱です。
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多摩川を渡り最初の駅、スタンプラリーでも端っこですが旧ザクというのもちょっと地味…
JR東的には中央線、山手線に主キャラを配置しています。最もハードルの高い常磐線の端にブライトさんを配置、一つ先のゴール駅にジョブジョンさんとか…意図的なのか?。

電車を降りて改札を目指しつつ歩き出すと…。ファーストガンダム世代が思わずニヤリとしてしまう案内ポップが躍ります。ちゃんとガデムの台詞ぢゃないですか!
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階段には段ごとにきら星の様な台詞が迎えてくれます。
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あなたなら、全駅制覇…このときは未だ環椎する気が無かったのですが…。
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連邦、ジオン入り乱れての名台詞が雪崩のように目に飛び込んできます。
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インク薄いぞ!とか、その台詞まで拾うか…。
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…で改札に向かうと…ルウム戦の黒い三連星版旧ザクとか。台詞はドズル閣下かな?
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スタンプ台は普通です、台詞も微妙です、しかも旧ザクに食いつく一般市民はいないです。
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ウイットのこもった駅メッセージも秀逸です。写真もいいな。ギレン総帥の台詞で〆ています
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押印完了!!
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自由通路となるコンコースの広告スペースもグッズで飾ります、この力の入れ様は渋谷以上かも。
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こんなTシャツ有るんだな…色的にもザク…ミリタリー感ありますね。
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この2か月間、広告収入が減るをの承知全力戦を挑んだ蒲田駅に敬礼です。
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切符売り場の宣伝もガデムの台詞に拘りました。
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これ素組のプラモデルっぽいですが手作り感が溢れててGOODです。
完全にジオンサイドのプロパガンダ…。
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もうね、通常業務を逸脱しているのではないかと心配になってしまいます。
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老兵ですが応募してしまったやうな…。
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大人の悪乗り…いやはや楽しませてもらいました。
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さて、あと2つ、大森と大井町と落してゆきますが…駅外観写真撮り漏らしてました。
大森駅はララァです、最初見た時天然の不思議なキャラクターという印象でした。
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確かに、遅すぎたか…スタンプラリーも、後10日というタイミング
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女性駅員さんが花を添えます。
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ソロモン戦の後くらいでしたっけ?気がついたら被弾しているとか…恐ろしい。
シャアとの出会いはジオリジンに描かれました。
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お次は大井町駅へ、重MSドムです。
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おお、黒い三連星のガイアの台詞ですね。ホバーで高速移動する三連星は敵機ながらカッコ良かったな。テレビ版ではオデッサ作戦の前、補給中に攻撃されて防戦に出たマチルダさんが死んでしまうという展開でした。
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駅メンバーの記念撮影がいいですね。なんかひとり袋被ってる人が…。
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蒲田に比べて控えめな大森、大井町でしたが無事スタンプを奪取。次の公休日に山手線と総武中央線エリアを打ち取ってゆきます。2月18日時点で西の端はおさえましたが後10日、2月末までの期限です。常磐線金町までなら都区内パスでコストを抑えてゆけますがあとは時間との相談です。
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これでも未だ25駅が未踏の地です。
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Posted at 2019/07/23 11:29:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年07月05日 イイね!

メガウェブで車撮り

昨日は梅雨らしい梅雨、大人しくブログなど仕込んでいればいいものを早めの昼食後にD7500を担いで玄関を出ました。行きそびれていた銀行くらいしか用事は無かったのですが、さてどうしたものか…近所の紫陽花も今年は今いち、ということもあってスルーしてしまいました。ふと、ネットで、お台場のメガウェブで展示中のル・マンカーが思い浮かびました。小雨が降ったり止んだり、渋谷から東京臨海線直通電車に乗り東京テレポート駅へ。ビーナスフォートに到着とっとと中に入ります。
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GRブースに向かうとスープラが展示されていました。思っているより小ぶりに見えます。
ライト周りや細部がもうちょっとシンプルな方が好きですが、日産フェアレディZに近い大きさです。面の抑揚と強弱でスリムに見えます。
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今年のニュルブルクリンク24時間レースにも出走、MORIZO選手も3スティントドライブしました。自動車会社の社長でニュルブルクリンクオールドコースを全開でレースできる人なんて他にいないでしょう。好きでなければできない(汗)
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豊田社長はスープラには並々ならぬ思いで復活を指示したそうです。当時のトヨタの開発ドライバーに「ニュルで走れるトヨタ車は中古(80系)のスープラだけ」と言わせるほどスポーツカーは枯渇していたそうです。儲けの少ないスポーツカーを復活させるにあたり先ずはスバルと協業で86を生産。続くスープラはBMWとの協業で取り組みました。

昭和の感覚でいうとせめてエンジンは自社製とか拘りたくなりますが、現在の環境下でそれをやれば大きな投資も必要。現行エンジンラインアップから適当に選んでチューンアップしても目標となる走りに届かなかったのでしょう。車体も含めて直6エンジンも欲しかった…その条件をクリアしたのがBMWだったのでしょう。

復活したスープラでもう一度、市場を耕し、車の楽しみ、移動ではなく目的としての運転を提案する。自家用車の持つ自由さや運転の楽しさが伝われば、次の世代にも車を楽しむという文化が芽生え、トヨタの中でも人材育成であるとか、将来へ向けての先行投資の意味も出てくるでしょう。
意外に見学者が多いと思ったら外国人観光客が立寄って車との写真撮っていました。
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こちらは3ドアのヴィッツヤリスGRMN
ロータスに供給している2ZR-FE+スーパーチャージャーで212psとのことですが150台限定車でした。こういった車がどんどん出てくれば面白いのに…。
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こちらはニュルブルクリンク24時間レースに参戦したレクサスLFA
2012年の車両です。ニュル経験豊富な木下さん、JGTCでチャンプコンビだった飯田さん、脇坂さんという豪華なドライバーを揃えてましたね。
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こちらは86です、。
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このアルテッツアは初期のもの…。
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オイルショック後、トヨタの活動はTRDを介して童夢やトムスなどのレース屋さんとの提携で進めてきました。WRCにおけるワークス活動もトヨタ・チーム・ヨーロッパ(現在のTMG)に任せていましたが、遡ればアンダーソン・モータースポーツを子会社化してスタートしています。
現在ワークス活動はGAZOO RACING名義になっていますが、母体は開発部の人材育成の一環でスタートしたニュルブルクリンク24時間レース参戦チーム。トヨタ名義ではなく、中古のアルテッツアを転がすところからスタートしたそうです。このチームの立ち上げ時から豊田社長は深く関わり、ご自身のレース活動もスタートさせたそうです。
これまでの提携チームと生い立ちの違うトヨタ発のGAZOO RACINGを土台にしてモータースポーツに取組むようになりました。技術的な資産ともいえるTMGが活動のコアとなっていますがスピリットとしてGAZOO RACINGを前面に出しているように思われます。

きれいな青い86…
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さて、今日のメインに移ります。ル・マンに参戦した車両展示へ…。
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こちらは日本車初の総合優勝車マツダ787Bです。91年モデルは翌年から禁止となるロータリーエンジン最後の挑戦に挑み優勝しました。もともと90年一杯でロータリーは出走できなくなる方向でマツダはこれに合わせてマツダは787を新車で投入。ところが熟成不足で迎えた90年ル・マンで惨敗します。翌年からF1と同仕様の3.5L NAエンジンで燃料使用量制限の無いカテゴリー1でスポーツカーレースは始まりますが蓋を開けてみれば10台ちょっとしか集まらず、シリーズの盛り上げに苦慮したFIAが「カテゴリー2(燃料使用量を規制するがエンジン形式、排気量は自由な旧型グループCカー)の出走を許す」と宣言しました。ル・マンに出る条件としてシーズン全線参戦、最低重量の引き上げ、燃料使用量の削減が求められました。レースには出すけど勝負権は無いよ…という形です。トヨタ、日産は91年を休止してカテゴリー1カーの開発に充てましたがマツダはフランスのオレカチームに世界選手権の参戦を任せることで、6月のル・マン参戦権を獲得します。
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ル・マンの前にFIAとメーカーによる会議があり、カテゴリー2のハンデを話し合う際にも最低重量の引き上げを回避。メルセデス、ジャガーに対して相対的な差を縮めるのに成功してます。それでも決勝ではメルセデスに先行される厳しい展開。マツダとしては3位に入るだけでも十分な成果でしたが、コンサルタントのジャッキー・イクスの助言に従いペースを上げます。「このまま走ってもメルセデスには追い付かないのだが、ドイツ人は完璧主義だからこちらが追えば彼らは引き離しにかかる、そこでマシンに負荷がかかり何かがおきる可能性がある」ということでした。ポルシェワークスで活躍したイクスならではの分析、この作戦が成功し、メルセデスはオーバーヒートでレースを失いマツダは優勝を遂げました。レース前ルールを分析しわざわざIMSAクラスで登録、巧みな交渉とマネジメントの勝利とも言えるでしょう。末期を迎えていたポルシェCカーが精彩を欠いていたのも追い風となったようです。その後、ポルシェ962Cは最後にひと花咲かせるわけですが…。
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ホンダNSXは94年のル・マンに登場。車体技術部門が主体で取組んだ参戦です。走る実験室よろしく仕様の違う3台を投入、このチーム国光はGT2という改造制限の厳しいクラスで参戦、95年にクラス優勝を遂げます。
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リトラクタブルライトが懐かしいです。スーパーカーの代表的な装備ですが、ポップアップ時には空気抵抗となるうえフロントオーバーハングにモーターなど重量物を置くことが嫌われ、今は見られない装備になってしまいました。フェラーリもF355が最後みたいで今は固定式ライトですね。
94年のル・マンはGT1元年でしたが、ここでポルシェはサテライトチームと手を組み「ル・マンポルシェチーム」をエントリー、実働部隊はヨーストレーシングで車両はポルシェ962Cです。前年で締め出されたグループCカーですが、ダゥアーが公道仕様に改造しナンバー取得した962でGTカーを発表。この車でホモロゲーションをクリア。GT1レギュレーションに合わせた改造を施した962Cでル・マンを制します。これが最後の活躍でしたがGT1化で最低重量が増加したこともあり足回りへの負担によるトラブルにも見舞われ、カテゴリー2で大幅に性能調整を受けたものの速いトヨタ94CVとの戦いは記憶に残る一戦でした。
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日産R390GT1です、TWRとの提携で誕生したGTカーですが生い立ちも含めてちょっと長くなりますが…。
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さて日産のル・マン復帰は1995年からスタートしたR33GT-Rの改造車での参戦でした。
同クラスにはポルシェ911RSR、フェラーリF40などの有名スポーツカーに加えて市販車としては珍しかったフルカーボンモノコックにBMW製V12エンジンを搭載したマクラーレンF1がいました。
個人的にはR33GT-Rはツーリングカーというくくりになるので、スポーツカーレースのル・マンでは無く当時人気だったハイテクツーリングカーレースDTM(ドイツツーリングカーレース)の方が相応しいと考えていました。
1995年日本専売車R33スカイラインGT-Rをベースに4WDシステムを殺し、ワイドトレッド化した車を1台製作この車を英国でナンバーを取得することでGT1規定を満たし参戦が実現しました。
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1年目は既にシリーズを終えていたグループAツーリングカーレースのエンジンをベースにXトラックの6速シーケンシャルミッションを奢った23号車、グループNをベースにHパターン5速ミッションという作りの2種類の仕様で参戦。壊れることを承知でうさぎとなった開発車両の23号車は夜明けにはリタイア、絶対完走の使命を帯びた「亀」の22号車は責任を果たし感動のゴールを迎えました。

さて3ヵ年計画の2年目、R33GT-Rは排気量を2.6L→2.8Lにスケールアップ、昨年壊れたギアボックスも手を入れて勝負できる車として再登場しましたがライバルはそれ以上のパフォーマンスを見せてきました。
この年ポルシェの底力を見せつけられます。911のフロントバルクヘッドから上をカット、フロアを残すことで「市販車911」の衝突安全基準テストを免除することで大幅に開発期間を短縮してきました。リアセクションはパイプフレームで作り替え伝統のRRレイアウトを前後反転させることでRR→MRに作り変える発想の転換です。ボディカウルデザインを911風に装うことで911GT1というル・マンスペシャルを開発して1996年R33GT-Rを置き去りにして、前年の覇者マクラーレンをも上回るレースをやってのけました。
ここに及んで日産は方針を変更せざるをえなくなります。2年目は新エンジンで密かに狙っていたわけですが全く歯が立たない事を自覚したわけです。当時は退くに退けなくなった、限られた予算の中で如何にして世界で戦うか…ここで1996年ワークスポルシェの脱落で優勝を果たしたヨーストポルシェに目を付けます。
WSC95と呼ばれたプロトタイプカーはもともとの車体はTWR(トムウォーキンショーレーシング)が製作したもの…日産はこのシャシーに日産製エンジンを組合せル・マン優勝を目指します。NISMOを始めレース屋だけで決定権があったら、このまま話は進んだのでしょうが…当時ワークスはGT1へ傾倒しており、屋根付きのスーパーカーを作る方向に話が進んだようです。レース屋のTWRにはジャガーのグループCカーXJR9をベースにしたXJR15(V12搭載)というスポーツカーがありました。
前年のポルシェ同様、このXJR15を叩き台にして製作、1997年に間に合わせたのがR390GT1です。ジャガーの車体をベースにR92CP用のVRH35Zエンジンをコンバートした車です。エンジンは手お入れる時間と予算が厳しく、リストリクターを取り付けただけとか…とはいえっても予備予選での走りは悪くなく、後述のミッションの問題が無ければそこそこの成績は残せたようにも思えるのですが…。
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カラーリングをせず、真っ黒な車体のまま予備予選に出走したR390GT1は当日の1番時計を叩きだしました。今思うと、戦闘力の高さを見てライバルチーム(おそらくドイツの方だと思いますが)はつぶさに偵察、ある1点の規定に抵触する部位を見つけたと思われます。
意気揚々、ル・マンウイークを迎えた日産チームは車検で他チームからの規定に触れる部分を指摘されます。それはトランクルーム内をメッシュ加工することでギアボックスを冷却に用いていた点。「トランクルームの壁面は塞いでいなければトランクとしての機能を満たしていない」という解釈で車検を通過できなくなります。ここで真面目な日本チームはミッションのクーリングが厳しくなるをの承知のうえでトランクルームの壁を塞ぐ追改造を施します。
今思うと「壁面の素材はルールブックに書いているのか?うちは知らないぞ、車検通さないなら日産は全チーム、引き上げる」という強硬な態度を示すのも有りだったのかな…。欧州としては日本車が速いと面白くないのですが、権威づけでは日本車がいるところ勝ちたいというのも事実。
かくしてレースはスタート、案の定ミッショントラブルを起こし脱落して行くR390勢、NISMOはオイルクーラーを追加で載せる荒業まで行いエースカー23号車を完走に導きました。
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この年はTWRチームと日本のNISMOの混成、どこか一体感の欠けるチームに感じました。
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悔しさをバネに1年間、R390GT1を日産主導で鍛えなおします。80年代
後半、グループCカーも内製比率を上げて信頼性を高めたことがありましたが、これを再現するように翌年のR390GT1は日本発のチームカラーも強く、一発の速さはないものの高い信頼性で出走4台が10位以内、最高位は日本人トリオ(星野さん、亜久里さん、影山さん)3位で結果を残しました。98年はトヨタTS020もデビュー、劣勢の中で「星野さんを表彰台に上げる」気迫の感じられるレースは日産が日の丸担いでやっていた最後のレースかもしれません。
余談ですが前年トランクルームの扱いで指摘を受けた日産ですが翌年登場のトヨタTS020は運転席直後に燃料タンクを置きます。独立したトランクが無いことを指摘すると…「トランクには燃料タンクを置いていいとレギュレーションに書いてある、タンクが置いてあるところがトランクスペースだ」と言ってのけました。このおかげで理想的なエアロボディを実現したと言われています。
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この結果でNISMOは活動を継続、相変わらず厳しい経営の中、後継のR391を開発。ようやくエンジンも新開発できましたが99年秋のル・マン富士1000kmレースをもってプロジェクトを終了。TS020に堂々と勝って手にしたル・マン予備予選免除の切符も手放します。R390は日産の意匠をまとったスポーツカーで、日の丸背負った最後のスポーツカーのイメージが強いです。
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さてようやくトヨタTS050です。この車は当初2017年から投入する予定の車でしたが、ル・マンに負け続けていた為、1年前倒しにして登場しました。V6 2.4Lツインターボに回生で得た電気をバッテリーで蓄電。フロントをモーターで駆動する4WDハイブリッドスポーツカーです。
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2016年のル・マンはあまりにも有名、圧倒的な性能でレースをリードしていた5号車がラスト3分でスローダウン。ポルシェ2号車にトップを譲りリタイアとなりました。1スティントあたりポルシェ、アウディより1周余計に走れる燃費の良さに今年は勝ったと思わせるに十分でした。
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残念なことに2017年はポルシェとの真っ向勝負で、双方ともに故障を抱え、修理時間の差がそのまま結果になってしまいました他のワークス不在となった2018年、2019年に連覇を果たしました。ラトヨタは2020年以降のハイパーカー(市販スーパーカー規定)にもこの車をベースにした車両で挑むそうです。F1デザイナーのエイドリアン・ニューウエイが参加するアストンマーティンが名乗りを上げているので楽しみです。気になったのが背びれの様なパーツ。単なる流行かと思っていました安全装備としてレギュレーションに載っているそうです。下面でもダウンフォースを稼いでいる分、スピンして後ろを向いてしまうとディフューザーから空気が逆流入して車体を浮かせてしまう。これを防ぐために横を向きそうになるとこの背びれが空気抵抗を生んで防ぐそうです。
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さてヒストリーガレージの方も…いい感じでトヨタ2000GTが置いてあります。
50年以上前の車ですが…未だにトヨタで最高の車と思ってしまいます。
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こちらは昔、父が乗っていたマツダキャロル。セダンですがエンジンはリアにあるRR車だったらしいです。懐かしくて思わず色々な角度から撮影してしまいました。当時軽自動車にしては珍しい4サイクル4気筒。だいぶ前に酒飲みながら話していた時に、点火系をいたずらして1気筒死んだまま戻せなくなり慌ててディーラーに持ち込んだことがあると話してました。
うちの車は屋根が赤かったな。
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ちょっと頭が切れちゃいましたトヨタスポーツ800、撮りなおそうとしたら中国人の子がポーズを付けて撮影始めたので止めました。
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前回よりも間近で見られたWRCの試作車222D、市販車MR2のモノコックを転用しているあたりに日本メーカーらしい真面目さがにじんでいます。それにしてもオーバーフェンダーが凄いです。レースするために必要なデザインなだけでこの時代で一番きれいなのはフォードRS200かな。
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雨天でも貴重な車たちを見ることができました。
Posted at 2019/07/05 21:13:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 写真 | 日記
2019年07月04日 イイね!

鶴見線散歩-2-

お久しぶりです、更新がどんどん遅れています。さて5月に訪れた鶴見線でのひととき…。
浅野駅から隣の安善駅まで浜川崎行きに乗ります。安善駅からは米軍の燃料庫まで引き込み線が敷かれています。概ね火曜日と木曜日に運行されるということですが、あくまでも臨時列車なので運行するしないはギャンブル…そもそも米軍が暇なときは少なくとも、裏返せば平和ともいえるわけです。
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新鶴見のDE11が操車にあたっていました。
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鶴見行きの電車が到着…。
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鶴見行きを見送りつつじっくり見たいのはやまやまでしたが、
日中は本数の少ないレアな扇町行き電車が来たので乗ってみたいと思います。
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安善駅から出発、乗務員室の窓ごしにタキを見送ります。
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浜川崎駅の先でPFが待機していました、これからタキを迎えに行くのかな?
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扇町駅に到着、長細いホームの先は行き止まり、右手の貨物線は三井埠頭まで延びております。秩父と往復する石炭輸送の列車もここまで来ています。
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乗ってきた電車を見送ります、この後は2時間くらい電車が来ません。
暇ぢゃなくちゃできないですね。
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閑散としたホームを眺めます。乗っていた人、他にいたのかな?
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コンクリートブロックの駅舎…公衆ト〇レに見えなくもないです、無論無人駅。
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駅員?というかこの辺りを根城にしている猫…2匹くらいいました。
こちらを細い目で見やり、媚びるでもなく眠ってしまいました。
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三井埠頭方面は立ち入り禁止。
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徒歩で浜川崎駅まで向かいます。線路越しに運河が見えました。この手のロケーションは好物です。浜川崎までは2km半ほど…。
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昭和駅に立ち寄り…更新された駅舎はちょっと残念な佇まい。今日は立寄らなかったけど武蔵白石の駅舎とか好きなので撮っておかないといけないな。
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浜川崎駅でしばらく貨物撮り…列車番号は割愛(手抜き)
ついに換算600mmが威力を発揮します。手持ちでここまで撮れるのは感動しました。
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国鉄色に復元が進んでいるPF、やっぱ見かけると嬉しいです。
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単機回送が浜川崎駅方面へ向かってきます。
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ちょっと狙ってみた、雑誌表紙の様な…D7500になってからボケが強くなったので主題がはっきりするようになりました、でもまだ全然使いこなせていないです。
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DX系では中級機、D500に対してフォーカスポイントがやや狭くなります。NIKON1V1は当時のCX機で上級もでるだったからほぼ全面フォーカス(フォーカスポイントの分割は荒かったですが)
このあたりをうまく使いこなせるようになりたいです。今は未だカメラの性能に撮らされている感が強いですなんていうか自分の絵を描けていないような…。
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でも色のメリハリが違い、NIKONの進化に圧倒されている今日この頃です。
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今日は生憎の雨、でもちょっと出かけたいな…。
Posted at 2019/07/04 10:29:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | 写真 | 日記

プロフィール

「本日バッテリー交換完了、トゥインゴでは初めての交換となりました。ノートの時は手持ちの工具(自転車用)で事足りたのですが、ソケットとエクステンションバーが無いと厳しそうなのでTONE製をセット購入。
ディーラーさんには申し訳ないけどバッテリーと合わせてもコストを抑えられました。」
何シテル?   08/03 20:15
ちょっと昔のレースが好き、JTC BNR32時代にINTER-TECに通ったのは良い思い出です。スポーツカー耐久レースも好きです。 2012年より鉄道...
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負けるな、日産! 出してよコンパクトFRスポーツ6MT 
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2025/05/18 22:41:37
🍹マツコの知らない世界で紹介されたフレンチトーストを食べてきました。 
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2024/06/08 01:31:05
CPA Connective System 
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2022/10/02 23:10:25

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2023年3月末納車、 ph2インテンスキャンバストップです。納車時22㎞からのスタート ...
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