昨日は梅雨らしい梅雨、大人しくブログなど仕込んでいればいいものを早めの昼食後にD7500を担いで玄関を出ました。行きそびれていた銀行くらいしか用事は無かったのですが、さてどうしたものか…近所の紫陽花も今年は今いち、ということもあってスルーしてしまいました。ふと、ネットで、お台場のメガウェブで展示中のル・マンカーが思い浮かびました。小雨が降ったり止んだり、渋谷から東京臨海線直通電車に乗り東京テレポート駅へ。ビーナスフォートに到着とっとと中に入ります。
GRブースに向かうとスープラが展示されていました。思っているより小ぶりに見えます。
ライト周りや細部がもうちょっとシンプルな方が好きですが、日産フェアレディZに近い大きさです。面の抑揚と強弱でスリムに見えます。
今年のニュルブルクリンク24時間レースにも出走、MORIZO選手も3スティントドライブしました。自動車会社の社長でニュルブルクリンクオールドコースを全開でレースできる人なんて他にいないでしょう。好きでなければできない(汗)
豊田社長はスープラには並々ならぬ思いで復活を指示したそうです。当時のトヨタの開発ドライバーに「ニュルで走れるトヨタ車は中古(80系)のスープラだけ」と言わせるほどスポーツカーは枯渇していたそうです。儲けの少ないスポーツカーを復活させるにあたり先ずはスバルと協業で86を生産。続くスープラはBMWとの協業で取り組みました。
昭和の感覚でいうとせめてエンジンは自社製とか拘りたくなりますが、現在の環境下でそれをやれば大きな投資も必要。現行エンジンラインアップから適当に選んでチューンアップしても目標となる走りに届かなかったのでしょう。車体も含めて直6エンジンも欲しかった…その条件をクリアしたのがBMWだったのでしょう。
復活したスープラでもう一度、市場を耕し、車の楽しみ、移動ではなく目的としての運転を提案する。自家用車の持つ自由さや運転の楽しさが伝われば、次の世代にも車を楽しむという文化が芽生え、トヨタの中でも人材育成であるとか、将来へ向けての先行投資の意味も出てくるでしょう。
意外に見学者が多いと思ったら外国人観光客が立寄って車との写真撮っていました。
こちらは3ドアのヴィッツヤリスGRMN
ロータスに供給している2ZR-FE+スーパーチャージャーで212psとのことですが150台限定車でした。こういった車がどんどん出てくれば面白いのに…。
こちらはニュルブルクリンク24時間レースに参戦したレクサスLFA
2012年の車両です。ニュル経験豊富な木下さん、JGTCでチャンプコンビだった飯田さん、脇坂さんという豪華なドライバーを揃えてましたね。
こちらは86です、。
このアルテッツアは初期のもの…。
オイルショック後、トヨタの活動はTRDを介して童夢やトムスなどのレース屋さんとの提携で進めてきました。WRCにおけるワークス活動もトヨタ・チーム・ヨーロッパ(現在のTMG)に任せていましたが、遡ればアンダーソン・モータースポーツを子会社化してスタートしています。
現在ワークス活動はGAZOO RACING名義になっていますが、母体は開発部の人材育成の一環でスタートしたニュルブルクリンク24時間レース参戦チーム。トヨタ名義ではなく、中古のアルテッツアを転がすところからスタートしたそうです。このチームの立ち上げ時から豊田社長は深く関わり、ご自身のレース活動もスタートさせたそうです。
これまでの提携チームと生い立ちの違うトヨタ発のGAZOO RACINGを土台にしてモータースポーツに取組むようになりました。技術的な資産ともいえるTMGが活動のコアとなっていますがスピリットとしてGAZOO RACINGを前面に出しているように思われます。
きれいな青い86…
さて、今日のメインに移ります。ル・マンに参戦した車両展示へ…。

こちらは日本車初の総合優勝車マツダ787Bです。91年モデルは翌年から禁止となるロータリーエンジン最後の挑戦に挑み優勝しました。もともと90年一杯でロータリーは出走できなくなる方向でマツダはこれに合わせてマツダは787を新車で投入。ところが熟成不足で迎えた90年ル・マンで惨敗します。翌年からF1と同仕様の3.5L NAエンジンで燃料使用量制限の無いカテゴリー1でスポーツカーレースは始まりますが蓋を開けてみれば10台ちょっとしか集まらず、シリーズの盛り上げに苦慮したFIAが「カテゴリー2(燃料使用量を規制するがエンジン形式、排気量は自由な旧型グループCカー)の出走を許す」と宣言しました。ル・マンに出る条件としてシーズン全線参戦、最低重量の引き上げ、燃料使用量の削減が求められました。レースには出すけど勝負権は無いよ…という形です。トヨタ、日産は91年を休止してカテゴリー1カーの開発に充てましたがマツダはフランスのオレカチームに世界選手権の参戦を任せることで、6月のル・マン参戦権を獲得します。
ル・マンの前にFIAとメーカーによる会議があり、カテゴリー2のハンデを話し合う際にも最低重量の引き上げを回避。メルセデス、ジャガーに対して相対的な差を縮めるのに成功してます。それでも決勝ではメルセデスに先行される厳しい展開。マツダとしては3位に入るだけでも十分な成果でしたが、コンサルタントのジャッキー・イクスの助言に従いペースを上げます。「このまま走ってもメルセデスには追い付かないのだが、ドイツ人は完璧主義だからこちらが追えば彼らは引き離しにかかる、そこでマシンに負荷がかかり何かがおきる可能性がある」ということでした。ポルシェワークスで活躍したイクスならではの分析、この作戦が成功し、メルセデスはオーバーヒートでレースを失いマツダは優勝を遂げました。レース前ルールを分析しわざわざIMSAクラスで登録、巧みな交渉とマネジメントの勝利とも言えるでしょう。末期を迎えていたポルシェCカーが精彩を欠いていたのも追い風となったようです。その後、ポルシェ962Cは最後にひと花咲かせるわけですが…。
ホンダNSXは94年のル・マンに登場。車体技術部門が主体で取組んだ参戦です。走る実験室よろしく仕様の違う3台を投入、このチーム国光はGT2という改造制限の厳しいクラスで参戦、95年にクラス優勝を遂げます。
リトラクタブルライトが懐かしいです。スーパーカーの代表的な装備ですが、ポップアップ時には空気抵抗となるうえフロントオーバーハングにモーターなど重量物を置くことが嫌われ、今は見られない装備になってしまいました。フェラーリもF355が最後みたいで今は固定式ライトですね。
94年のル・マンはGT1元年でしたが、ここでポルシェはサテライトチームと手を組み「ル・マンポルシェチーム」をエントリー、実働部隊はヨーストレーシングで車両はポルシェ962Cです。前年で締め出されたグループCカーですが、ダゥアーが公道仕様に改造しナンバー取得した962でGTカーを発表。この車でホモロゲーションをクリア。GT1レギュレーションに合わせた改造を施した962Cでル・マンを制します。これが最後の活躍でしたがGT1化で最低重量が増加したこともあり足回りへの負担によるトラブルにも見舞われ、カテゴリー2で大幅に性能調整を受けたものの速いトヨタ94CVとの戦いは記憶に残る一戦でした。
日産R390GT1です、TWRとの提携で誕生したGTカーですが生い立ちも含めてちょっと長くなりますが…。
さて日産のル・マン復帰は1995年からスタートしたR33GT-Rの改造車での参戦でした。
同クラスにはポルシェ911RSR、フェラーリF40などの有名スポーツカーに加えて市販車としては珍しかったフルカーボンモノコックにBMW製V12エンジンを搭載したマクラーレンF1がいました。
個人的にはR33GT-Rはツーリングカーというくくりになるので、スポーツカーレースのル・マンでは無く当時人気だったハイテクツーリングカーレースDTM(ドイツツーリングカーレース)の方が相応しいと考えていました。
1995年日本専売車R33スカイラインGT-Rをベースに4WDシステムを殺し、ワイドトレッド化した車を1台製作この車を英国でナンバーを取得することでGT1規定を満たし参戦が実現しました。

1年目は既にシリーズを終えていたグループAツーリングカーレースのエンジンをベースにXトラックの6速シーケンシャルミッションを奢った23号車、グループNをベースにHパターン5速ミッションという作りの2種類の仕様で参戦。壊れることを承知でうさぎとなった開発車両の23号車は夜明けにはリタイア、絶対完走の使命を帯びた「亀」の22号車は責任を果たし感動のゴールを迎えました。
さて3ヵ年計画の2年目、R33GT-Rは排気量を2.6L→2.8Lにスケールアップ、昨年壊れたギアボックスも手を入れて勝負できる車として再登場しましたがライバルはそれ以上のパフォーマンスを見せてきました。
この年ポルシェの底力を見せつけられます。911のフロントバルクヘッドから上をカット、フロアを残すことで「市販車911」の衝突安全基準テストを免除することで大幅に開発期間を短縮してきました。リアセクションはパイプフレームで作り替え伝統のRRレイアウトを前後反転させることでRR→MRに作り変える発想の転換です。ボディカウルデザインを911風に装うことで911GT1というル・マンスペシャルを開発して1996年R33GT-Rを置き去りにして、前年の覇者マクラーレンをも上回るレースをやってのけました。
ここに及んで日産は方針を変更せざるをえなくなります。2年目は新エンジンで密かに狙っていたわけですが全く歯が立たない事を自覚したわけです。当時は退くに退けなくなった、限られた予算の中で如何にして世界で戦うか…ここで1996年ワークスポルシェの脱落で優勝を果たしたヨーストポルシェに目を付けます。
WSC95と呼ばれたプロトタイプカーはもともとの車体はTWR(トムウォーキンショーレーシング)が製作したもの…日産はこのシャシーに日産製エンジンを組合せル・マン優勝を目指します。NISMOを始めレース屋だけで決定権があったら、このまま話は進んだのでしょうが…当時ワークスはGT1へ傾倒しており、屋根付きのスーパーカーを作る方向に話が進んだようです。レース屋のTWRにはジャガーのグループCカーXJR9をベースにしたXJR15(V12搭載)というスポーツカーがありました。
前年のポルシェ同様、このXJR15を叩き台にして製作、1997年に間に合わせたのがR390GT1です。ジャガーの車体をベースにR92CP用のVRH35Zエンジンをコンバートした車です。エンジンは手お入れる時間と予算が厳しく、リストリクターを取り付けただけとか…とはいえっても予備予選での走りは悪くなく、後述のミッションの問題が無ければそこそこの成績は残せたようにも思えるのですが…。

カラーリングをせず、真っ黒な車体のまま予備予選に出走したR390GT1は当日の1番時計を叩きだしました。今思うと、戦闘力の高さを見てライバルチーム(おそらくドイツの方だと思いますが)はつぶさに偵察、ある1点の規定に抵触する部位を見つけたと思われます。
意気揚々、ル・マンウイークを迎えた日産チームは車検で他チームからの規定に触れる部分を指摘されます。それはトランクルーム内をメッシュ加工することでギアボックスを冷却に用いていた点。「トランクルームの壁面は塞いでいなければトランクとしての機能を満たしていない」という解釈で車検を通過できなくなります。ここで真面目な日本チームはミッションのクーリングが厳しくなるをの承知のうえでトランクルームの壁を塞ぐ追改造を施します。
今思うと「壁面の素材はルールブックに書いているのか?うちは知らないぞ、車検通さないなら日産は全チーム、引き上げる」という強硬な態度を示すのも有りだったのかな…。欧州としては日本車が速いと面白くないのですが、権威づけでは日本車がいるところ勝ちたいというのも事実。
かくしてレースはスタート、案の定ミッショントラブルを起こし脱落して行くR390勢、NISMOはオイルクーラーを追加で載せる荒業まで行いエースカー23号車を完走に導きました。
この年はTWRチームと日本のNISMOの混成、どこか一体感の欠けるチームに感じました。
悔しさをバネに1年間、R390GT1を日産主導で鍛えなおします。80年代
後半、グループCカーも内製比率を上げて信頼性を高めたことがありましたが、これを再現するように翌年のR390GT1は日本発のチームカラーも強く、一発の速さはないものの高い信頼性で出走4台が10位以内、最高位は日本人トリオ(星野さん、亜久里さん、影山さん)3位で結果を残しました。98年はトヨタTS020もデビュー、劣勢の中で「星野さんを表彰台に上げる」気迫の感じられるレースは日産が日の丸担いでやっていた最後のレースかもしれません。
余談ですが前年トランクルームの扱いで指摘を受けた日産ですが翌年登場のトヨタTS020は運転席直後に燃料タンクを置きます。独立したトランクが無いことを指摘すると…「トランクには燃料タンクを置いていいとレギュレーションに書いてある、タンクが置いてあるところがトランクスペースだ」と言ってのけました。このおかげで理想的なエアロボディを実現したと言われています。
この結果でNISMOは活動を継続、相変わらず厳しい経営の中、後継のR391を開発。ようやくエンジンも新開発できましたが99年秋のル・マン富士1000kmレースをもってプロジェクトを終了。TS020に堂々と勝って手にしたル・マン予備予選免除の切符も手放します。R390は日産の意匠をまとったスポーツカーで、日の丸背負った最後のスポーツカーのイメージが強いです。
さてようやくトヨタTS050です。この車は当初2017年から投入する予定の車でしたが、ル・マンに負け続けていた為、1年前倒しにして登場しました。V6 2.4Lツインターボに回生で得た電気をバッテリーで蓄電。フロントをモーターで駆動する4WDハイブリッドスポーツカーです。
2016年のル・マンはあまりにも有名、圧倒的な性能でレースをリードしていた5号車がラスト3分でスローダウン。ポルシェ2号車にトップを譲りリタイアとなりました。1スティントあたりポルシェ、アウディより1周余計に走れる燃費の良さに今年は勝ったと思わせるに十分でした。
残念なことに2017年はポルシェとの真っ向勝負で、双方ともに故障を抱え、修理時間の差がそのまま結果になってしまいました他のワークス不在となった2018年、2019年に連覇を果たしました。ラトヨタは2020年以降のハイパーカー(市販スーパーカー規定)にもこの車をベースにした車両で挑むそうです。F1デザイナーのエイドリアン・ニューウエイが参加するアストンマーティンが名乗りを上げているので楽しみです。気になったのが背びれの様なパーツ。単なる流行かと思っていました安全装備としてレギュレーションに載っているそうです。下面でもダウンフォースを稼いでいる分、スピンして後ろを向いてしまうとディフューザーから空気が逆流入して車体を浮かせてしまう。これを防ぐために横を向きそうになるとこの背びれが空気抵抗を生んで防ぐそうです。
さてヒストリーガレージの方も…いい感じでトヨタ2000GTが置いてあります。
50年以上前の車ですが…未だにトヨタで最高の車と思ってしまいます。
こちらは昔、父が乗っていたマツダキャロル。セダンですがエンジンはリアにあるRR車だったらしいです。懐かしくて思わず色々な角度から撮影してしまいました。当時軽自動車にしては珍しい4サイクル4気筒。だいぶ前に酒飲みながら話していた時に、点火系をいたずらして1気筒死んだまま戻せなくなり慌ててディーラーに持ち込んだことがあると話してました。
うちの車は屋根が赤かったな。
ちょっと頭が切れちゃいましたトヨタスポーツ800、撮りなおそうとしたら中国人の子がポーズを付けて撮影始めたので止めました。
前回よりも間近で見られたWRCの試作車222D、市販車MR2のモノコックを転用しているあたりに日本メーカーらしい真面目さがにじんでいます。それにしてもオーバーフェンダーが凄いです。レースするために必要なデザインなだけでこの時代で一番きれいなのはフォードRS200かな。
雨天でも貴重な車たちを見ることができました。