・概要
1978年10月、発売までに6~9年はかかるものの、フォードグラナダ、オペルレコルト、BMW5シリーズ、メルセデス・ベンツEクラスといったサルーンに対抗出来る新しいフラッグシップ・最高級セダンを共同開発し、開発コストを削減することにサーブ・ランチアという2つの自動車メーカーの間で合意しました。
この当時サーブ・ランチャの両社とも業績不振に陥っており、当時展開していた車種のモデルライフの長期化に伴う旧態化などが目立っていたことに加え、それ以前にランチャでは「Y9プロジェクト」、サーブでは「X29プロジェクト」というフラッグシップの新型車を開発する計画はあったものの、資金不足で独自での開発は困難になったことも背景にあったと言われています。
これが、有名な「
ティーポ4プロジェクト」(Tipo-Quattro Project)の始まりでした。
それは、前輪駆動(FF)であり、4輪駆動も設定するというもので、サーブを除いて、4輪独立型マクファーソンストラットサスペンションを使用しました。
ボディデザインは巨匠・ジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザインによるもので、大きなリアガラスを持つ5ドアハッチバックのデザインとなりました。エンジンの搭載方法、足回りやデメンジョンなど基本構造が決められたが、両社の設計思想、マーケティング思想に大きな隔たりがあったことから、1981年以降は独自に開発を進めることとなります。
まあイタリアらしいエレガントな高級車といった雰囲気のランチャと、スウェーデンらしさと航空機メーカーならではの質実剛健なクルマ造りのサーブではだいぶクルマ造りが違いますからね…
そしてこの直後の1982年にフィアットとアルファロメオも開発に加わることになりました。
アルファロメオにおいても同じように「プロジェクト156」という独自でFRのフラッグシップセダンの計画があったものの、やはり業績不振による資金不足で困難になっていました。
*サーブ・9000
*ランチア・テーマ
まず、サーブ・9000とランチア・テーマが1984年に発売されます。
1年後の1985年にフィアット・クロマがデビューし、
遅れて参加したアルファロメオ・164が1987年に登場したことによりラインナップが完成しました。
フィアット・クロマ、サーブ・9000、サーブ・9000は互いにボディを共通化しておりデザインもよく似ていましたが、アルファロメオ・164はシャーシこそ共有ながらボディは全く別のものでした。
ホイールベースは、すべてのモデルで2.67 m(105インチ)となっています。サーブとフィアットでは5ドアのハッチバックとして発売され、アルファロメオとランチアでは4ドアのセダンとして販売されました。
さらにランチアは1986年に4車種で唯一のワゴンを追加し、サーブは1988年に最終的に9000のセダンバージョンを追加しました。
ブランドに関係なく4車種の間で多くの部品を共通化しており、例えばフィアット・クロマのドアやフロントガラスはサーブ・9000に直接付けることが可能です。
ただし、逆にサーブ・9000のドアはスウェーデンのメーカーらしく安全性にこだわり重い側面衝撃保護機構を装備しているため、それらが非装備のクロマには適合しません。
そのプラットフォームは他の3台の車と密接に共有されていたため、サーブ・9000のイグニッションキーは、他の兄弟に合わせたため、サーブ車の特徴の一つであるセンターコンソール上のキーシリンダーは採用されず、通常の位置(ステアリングコラムの右下)に配置されていました。
・サーブ9000
1984年5月24日にスウェーデンのコルマーデンにある公園にて発表されました。同社としては初となるEセグメントクラスの高級車で、サーブのデザイナー、ビョルン・エンヴァルによってアレンジされたデザインが特徴です。当初は5ドアハッチバックのみでしたが1988年にCDセダンと言われる4ドアセダンも加わりました。
これに伴い5ドアハッチバックにはCDセダンおよびその後のCSリフトバックと区別するために、後に「コンビクーペ」を表すCC識別子が付けられました。
またその前年のマイナーチェンジではフェイスリフトが行われ、直角に近かったフロントデザインが傾斜のあるスラントノーズに変更されています。
エンジンは900と同じ直4・2LのB202型を搭載し、NA版とターボ版がありました。後に1990年に新型エンジンの直4・2.3LのB234型に一新されました。またさらに1995年にはようやくV6モデルが登場し、親会社のGM製のV6・3.0LをアレンジしたB308E型が加わっています。
1986年にはアメリカのタラデガサーキットで10万km連続走行世界新記録を打ち立てて、ターボエンジンの耐久性をアピールしました(後に10万km連続走行世界新記録はレガシィに抜かれることになります…そしてどちらも後にGM傘下入り…)
これに合わせて1990年にはタラデガというスポーティモデルが追加されました。
サーブの自動車部門は1990年にGM傘下入りし、この際航空機部門とは切り離されました。そのGMグループ入りして初の新型車となるのが1992年のマイナーチェンジに合わせて登場したリフトバックのCSです。
CSは同じハッチバックでもそれまでのCCとは異なり、よりスタイリッシュなデザインとなったのが特徴です。またフロントデザインもこのマイナーチェンジで薄型のスッキリしたデザインとなりました。
またこの3つのタイプの他にもクーペやコンバーチブル、さらに本車種をベースにしたMPVも計画されていたようですが実現しませんでした。
1997年に後継の9-5が登場すると1年後の1998年をもって生産終了しました。
・ランチア・テーマ
1984年11月にトリノモーターショーで一般公開されたテーマは、それまでのフラッグシップだったガンマやアッパーミドルセダンのトレビに代わる車種として登場しました。当初から4ドアセダンのみで登場し、5ドアハッチバックの設定はありませんでした。
ランチャの伝統に従い、内装のデザインは、高級家具メーカー、ポルトローナ・フラウがデザイン・製作した本革トリムを用い、エルメネジルド・ゼニアの生地やアルカンターラをシートやドアトリムに用いたり、本木のアフリカン・ローズウッドのパネルを用いるなど、ふんだんにこだわった素材を使用した同社のフラッグシップにふさわしいものでした。
また装備としてはフロントとリアの3つのメモリー機能を備えたシートヒーター付きパワーシート、アームレストに内蔵された自動車電話、AUTO/SPORTの2つのモードを備えたダンピング付き電子制御サスペンション、2種類の自動空調システムを備えていました。
エンジンのバリエーションにより当初は3つのバリエーションが用意され、標準的なテーマie、ターボのテーマieターボ、V6エンジン搭載のテーマ6Vが用意されました。
V6エンジンはプジョー・ルノー・ボルボの3社共同開発のV6・3.0LのPRVエンジンを使用し、シトロエンと同様に開発に携わっていないながら採用していました。
1986年には4兄弟車の中で唯一のステーションワゴンのバリアントが追加されています。これはランチアとピニンファリーナによって共同で開発され、生産されていました。
ランチアではホワイトボディのみ組み立てており、それがピニンファリーナに送られて最終的な組み立てが行われました。
なおステーションワゴンバージョンは、右ハンドル車の設定はありませんでした。
1988年にマイナーチェンジが行われ、シリーズ2と呼ばれるモデルに移行します。1500億リラの投資が行われたイタリアのデザイン会社のI.DE.Aによるリデザインで全く新しい丸みを帯びたデザインとインパネに変更されました。
この際、ディーゼルターボのターボdsが新たに加わっています。
1992年にもマイナーチェンジが行われ、シリーズ3と呼ばれる最終モデルに移行し、バンパーの形状が変更されるなどの変更が行われてより現代的なフォルムとなりました。またV6エンジンはPRVエンジンから164と同じアルファロメオ製のV&エンジンに変更されました。
1994年をもって他の兄弟車より一足早く世代交代し、後継モデルのカッパにバトンタッチしました。このモデルはアルファロメオ版の164の後継である166とプラットフォームを共通化しています。
テーマを語る上で非常に重要なモデルがこのテーマ8.32で、1986年にトリノショーで発表されたものの、手の込んだモデルということもあって1988年まで発売はずれ込みました。
何と!!!!あの超高級車フェラーリのV8エンジンをオーソドックスな4ドアセダンにぶち込んでいます!!!!
フェラーリ・308クアトロヴァルヴォーレ用V型8気筒32バルブのエンジンを組み込んでおり、エンジンのヘッドカバーにはしっかりと「
ランチャbyフェラーリ」のロゴが入っています!
通常のテーマが120馬力だったのに対し、テーマ8.32の最高出力は210馬力もありました!重量のあるV8をFF車にフロントに搭載したことで恐ろしいまでのフロントヘビーとなって重量バランスが崩れたため、グッドイヤーが新しくタイヤを開発したというエピソードもあるほどです。
星型のホイールデザインや格子状グリルなどフェラーリの意匠をスタイリングの随所にちりばめたほか、格納式のリアスポイラーも装備しています。
さらに内装材にはローズウッドを使うなど当然のことながらこだわりのある造りであったため、
価格は通常のテーマの倍近い金額だったそうです。
ところで、日本では当時、マツダ5チャンネル計画の一環(これもまた面白いのでまた語ります)で展開した販売チャンネルであるオートザム店において、ラインナップを補完すべくランチャの車種を正規輸入しており、その中ではテーマ、そしてこの伝説のじゃじゃ馬、テーマ8.32も販売されていました。
しかしこの
オートザムって店、今でも形を変えながら残る店もありますしご存知の方も多いと思うんですが、
元はキャロルなどの軽自動車を売るサブディーラーのような店なんですよね…
サブディーラーと言いますと、整備工場や中古車屋に併設されたような小規模な店も多く今でもスズキやダイハツの店はそういうところ多いですよね…
そんなところでこの
イタ車のランチャを売るだけでも無謀ですし、ましてや
フェラーリのエンジンを積んだクルマをその辺の整備工場で売った訳なんですよね…
なので、庶民的な軽トラのスクラムと、スーパーカーのエンジンを積んだ超高級セダンのテーマ8.32を同じ店で売っておいたのです!!!
こんな信じられない話…本当にあったんですよ…流石バブルと言いたいところですが、ご存知の通り
案の定マツダはこの後死にかけました…
ちなみに正規輸入元であったために日本向けのテーマにはマツダのコーションプレートが貼られていました。
他にも伝統的にランチャのフラッグシップはイタリアの公用車として用いられることもあり、テーマも後席部分を300mm延長したストレッチリムジンを元首や要人向けに極少数がトリノにある小規模のサン・パオロ工場で製造されました。エンジンは6Vと同じPRVのV6を積んでいます。
またイタリア本国においてテーマは"L'Auto dei Signori(紳士のクルマ)"と呼ばれ人気を博しました。要するに日本で言うクラウンの「いつかはクラウン」と同じような、憧れの高級車としての扱いを受けていた訳です。このため、販売実績においてもこの4兄弟の中では一番の成功作でした。
・フィアット・クロマ
1985年に発表されたクロマはそれまでのフラッグシップだったアルジェンタに代わる車種として登場しましたが、アルジェンタが1972年登場の132を1981年にマイナーチェンジしたものだったため、実質的に12年ぶりのフルモデルチェンジとなりました。
開発段階において途中からランチア・テーマから派生させ、短期間でフィアット版を作ったために大幅な開発コストの削減を果たしました。
特徴としては他の車種が完全なるアッパークラス(現在で言うEセグメント)クラスだったのに対し、フィアットでは上級クラスの車種の少なさや先代のアルジェンタがミドルクラスであったことから4兄弟の中では最小の直4・1.6Lまで設定し、それ以外にも直4・2.0L、直4・2.0Lターボ、V6・2.5L、直4・1.9Lディーゼルターボ、直4・2.5Lディーゼルターボと幅広いエンジンバリエーションを確保していました。
フィアットには70年代まで130という堂々たるEセグメントのフラッグシップセダンとクーペの車種があったのですが、ブランド力の差で後継が無いまま撤退に追い込まれていました。これについてはモデル途中でランチャを傘下にしたからという理由でした。
しばらくはDセグメントのミドルセダンの132→アルジェンタでしのいでいましたが、フルモデルチェンジに際してDセグメントのみならずEセグメントも狙った(ましてや元々Eセグメントの車種ベース)、このクロマで高級車市場に再チャレンジしたかったのでしょう…
しかし、本国イタリアでは企業の役員向けなどで何とかそれなりの販売実績はあったものの、売れたとまでは言えず、ましてやそれ以外の地域では散々たる結果となってしまいました。
中身は人気だったテーマや164と同じですし、インテリアはこのようにこだわっていて電動本革シート装備のモデルもありましたが、見た目の雰囲気がパンダとあまり変わらないし地味過ぎるし高級車としてのブランド力で劣るしで売れませんでした…
日本で言うならデボネアVやバブル崩壊後のレジェンドが苦戦したように、やはり高級車ってブランド力が大衆車以上に重要視されるんですよね…そりゃあかなりの大枚はたいて買うモノですから、せっかくならいいモノにしたいですもんね…
そこで挽回すべく1991年にマイナーチェンジが行われ、同時期のティーポやウーノと同じイメージの丸みを帯びたデザインに変更されました。この際、1.6Lは廃止され、2.0Lも新しいエンジンに切り替わっています。またモデル末期の1994年にはエアバッグとABSがようやく設定されました。
しかし挽回することは結局出来ないまま1996年をもって生産終了し、他の兄弟車と違って後継モデルの無いまま高級車市場から撤退しました…
それ以降は一番上のクラスはCセグメントのマレアかミニバンのウリッセとなってしまいました。
なお、2005年になってようやく後継と言える同じ名前のクロマという車種が出ましたが、これは短期間の提携に終わったGMとの提携によって生まれたミドルサイズのワゴンで少し異なりますが、それでもフラッグシップと言えるものでした。
しかしこれも販売不振に終わり、5年後には生産終了再びクロマの名前は消えました。
その後新たに提携したクライスラーからSUVのダッジ・ジャーニーのOEMを受けて、ミニバンのウリッセと統合した後継車であるフリーモントを販売していましたがこれも生産終了し、以降現在に至るまでフィアットは完全にCセグメント以下の小型車に特化しています。
同じヨーロッパの大衆車メーカーでもフォルクスワーゲンやオペル、ルノー、プジョー、シトロエンといったメーカーはEセグメントの最高級車こそ撤退したメーカーが多い中で、Dセグメントのセダン・ワゴンとかなら何とか続けている中、フィアットはそれからも撤退してしまった訳です…
クライスラーに頼むという手段もあったでしょうが、やはり売れてもイタリア本国のみになってしまうのは過去の販売実績からして明らかですからねぇ……
・アルファロメオ・164
またイタリア政府傘下だった80年代において当初、「プロジェクト156」という独自でFRのフラッグシップセダンを開発する計画がありましたが前述した通り資金不足で頓挫し、1982年に「ティーポ4プロジェクト」に加わることになりました。
1987年のフランクフルトモーターショーで発表された164は、それまでのフラッグシップだったアルファ6やアッパーミドルセダンの90に代わる車種として登場しました。これはアルファロメオがフィアットに買収された翌年のことでした。
*試作車とスケッチ
遅れて参加・登場したこともあり、他の3兄弟がボディを共通化して同じ設計だった中、164だけは独自のボディを採用しておりオリジナリティを高めています。
このオリジナルのデザインはピニンファリーナのデザイナー、エンリコ・フミアによるものです。
また164は登場から絶版まで4ドアセダンのみであり、兄弟車にあった5ドアハッチバックの設定はありませんでした。
ただし開発段階では2ドアクーペやステーションワゴンの試作車が制作されており、バリエーション展開をすることも検討していたようですね。
164は、ブランドの歴史上初めてフレームとさまざまなボディパネルに亜鉛メッキ鋼を幅広く使用したため、以前のアルファに比べて品質が向上したのも特徴でした。これには70年代、イタリア政府の親ソ連政策により品質の悪いソ連製鋼板を使用したことによる品質低下への反省と思われます。
当初、164は直4・2.0Lのツインスパーク(「T.SPARK」のエンブレム付き)、直4・2.5Lディーゼルターボ(「TD」のエンブレム付き)、V6・3.0Lの3.0i V612バルブの3種類が用意されました。他の兄弟と異なり他社からの供給は無く全てアルファロメオ自社製のエンジンでした。このことからも4兄弟の中では独自性の高いモデルと言えます。
1990年には直4・2.0Lターボのの2.0iターボ、スポーツモデルのV6・3.0Lのクアドリフォリオ、ラグジュアリーモデルのLが加わっています。
クアドリフォリオとは「四つ葉のクローバー」を意味し、ジュリア以来アルファロメオの高性能モデルに付けられている名称で、200馬力のV6エンジンを積んでいます。このユニットは「世界一官能的なV6」とも言われました。
またフルエアロのパーツとスピードライン製の15インチアルミホイール、レカロシートが装備されています。
1992年にマイナーチェンジが行われ、イメージは引き継ぎながらフロントデザインがよりシャープなものに変更されるなどの改良が行われ、より現代的なフォルムとなりました。
そして翌1993年には4兄弟で唯一の4WD車となるQ4が加わっています。前述した通りティーポ4プロジェクトの初期の段階から4WD車の設定を構想していたものの、結果的に4WD車は164のみとなりました。
*プロテオ
これは1991年のジュネーブショーに出品されたコンセプトカーのプロテオに搭載された、オーストリアのシュタイヤープフ社と共同開発したビスコマティックと呼ばれるフルタイム4WDシステムと、ドイツのトランスミッションメーカーのゲトラグ社製の6速MTを搭載したモデルでした。
シートはQVと同様のレカロシートを装備し、ホイールは専用のスピードライン社製16インチアルミホイールでした。また4WDシステム搭載のためトランクが若干狭くなっていました。
その後、1998年に後継モデルとなる166が登場し、世代交代しました。このモデルはランチャ版のテーマの後継であるカッパとプラットフォームを共通化しています。