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2017年03月16日 イイね!

温故知新?

温故知新? もうすぐF-1が開幕する。
今年はレギュレーションが大幅に変更になり、興味は尽きない。
F-1の長い歴史の中で安全上の問題から「スピードを下げる」レギュレーション変更はあったけれど、今シーズンのように「スピードを上げる」方向へ振ったのは前代未聞である。

 各チームはニューマシンを登場させ、精力的にテストを行っている。 
そんな中、マクラーレンホンダに関するニュースはなかなか芳しいものが聞こえてこない。
具体的な詳細に関しては関係サイトのニュースをご覧いただきたいが、心情的には特にホンダファンではない私でも「まったく何をやってるんだ!」と言いたくなる有様である。

 とはいえ、そう言ったところで何かが変わるわけじゃない。
そこで今回は、温故知新ということになるのか、80年代のF-1黎明期について少ない知識ながら書いてみたいと思う。

 F-1にターボエンジンが登場したのは1977年途中だった。
ルノーが莫大な開発費を投じて作り上げたものの、この時点では自然吸気3リッターに対し
1.5リッターのターボエンジンで勝負するということに誰もが懐疑的だった。
しかし翌78年には初のポイントを獲得をし、
79年7月9日、ルノーはF-1の歴史にその名を残すことになった。
地元フランスGP、ディジョンブレノアサーキットでジャン ピエール ジャブイーユは見事ポールトゥウインを飾った。
ちなみにこれはシャーシ、エンジン(共にルノー)、タイヤ(ミシュラン)、ドライバー(ジャブイーユ)すべてがフランスという「オールフレンチ」での勝利でもあった。

 このエンジンは元々F-2で使用されていた2リッターエンジンがベースとなっている。
ボアはそのままで、ストロークを変えて1.5リッターにしたもの。
ある意味、他カテゴリーからの転用エンジンだったというわけである。
しかし当時はイチからエンジンを造るより、
熟成されたエンジンをターボチャージするほうが間違いのないやり方だった。
(画像はワークスではなく、JPSロータスに搭載されたもの)

 今のF-1とは直接関連はないかもしれないが、
少なくとも市販車も含めてターボという技術を大きく飛躍させたルノーの功績は計り知れない。
しかし、このターボ時代のパイオニアに勝利の女神が微笑むことはなかった。

 ターボ初のタイトル獲得はバイエルンの雄、BMWだった。
もちろんエンジンだけのおかげではなく、
ブラバムのシャーシ、ピケのドライビング、そしてゴードン マレーの「燃料補給作戦」などの
総合力もあったが、ターボエンジン初のタイトルはBMWの名が刻まれた。

 このエンジン、驚くべきことに市販車からの転用エンジンである。
他のレーシングカテゴリーというのではなく、市販車である。
もちろん、レースで使用された実績こそあるのだが、
昔ならいざ知らず、70年代以降のグランプリで、
市販車からの転用エンジンでタイトルを獲得したというのは
恐らくこのBMWターボが最初で最後であろう。
画像でお分かりのように、市販車らしくストレート4、いわゆる直4である。
そしてこの直4というレイアウトは、シングルシーターのレーシングマシンでは
ほとんどメリットはないのである。
重量バランスは言うに及ばず、インタークーリングをはじめとする冷却系にも悪影響が出る。
さらに直4エンジンではその形状から、シャーシ全体の剛性メンバーに含めることができない。
これはすなわち補強のための「重量増」を意味する。
これだけ不利な条件でありながら、ルノーとの接戦(1ポイント差)を制した
BMWターボというエンジンは大したものだと感心してしまう。
それにしても直4の1500㏄という排気量で600ps以上のパワーが出るとは
今さらながら驚きを禁じ得ない。

 そして同じく直4というレイアウトでは、このエンジンも興味深い。
いち早く直4+ターボというレイアウトに取り組んだ、
ブライアン ハート率いる英国のハートである。
しかしこちらは市販車のエンジンではない。
直4でレーシングエンジン専用設計というのは、ちょっと驚きなのだけれど
シリンダーヘッドとブロックが一体構造になっている点など
やはり市販車向けのものではないと考えるべきだろう。
(ただし、このヘッドとブロックの一体構造は特別珍しいものではなく、
1950年代にメルセデスが市販車のエンジンで採用するなど多くの例がある。)
そしてこのハートエンジンも、ルノーや後述するホンダと同じく
長い間F-2で使われていたことから、ある意味「純レーシングエンジン」と見るべきだろう。

 その外観からはあまりレーシングエンジンらしい雰囲気といったものは感じられないが
自動車メーカーのターボエンジンと互角に渡り合ったハートエンジンは称賛に価する。
1983年のデビューイヤーは予選通過すら危うかったトールマンハートであったが
トールマンのシャーシが改善された翌年は目覚ましい活躍をすることになる。
そして今や伝説となった1984年モナコGP。
降りしきる雨の中、ゼッケン19のトールマンハートは
トップを走るマクラーレンTAGポルシェのアラン プロストを猛烈な勢いで追い上げた。
しかし激しい雨の中での続行は困難と、協議長のジャッキー イクスは判断し
レースは32周でチェッカーが降られた。
トールマンハートは優勝のプロストとは7秒差での2位だったが、
レース後「あと1周あったらオレが優勝していたのに」と語ったのは
若き日のアイルトン セナだった。
そのくらいセナの追い上げは凄まじかった。

 英国の小さなエンジンビルダーが、グランプリで表彰台を獲得するようなエンジンを造る。
そのあたりもこの時代の良さであり、面白さでもあった。

 さらに続けて、今度はイタリア製エンジンを二つ。

 まずはフェラーリ。
このエンジンは、やはりフェラーリらしく、もちろん専用の新設計エンジン。
当初フェラーリはスーパーチャージャーの研究開発も手掛けていたが
ターボのほうが現実的(?)と判断したらしく
実戦ではすべてターボで走っている。
このエンジンも実に興味深く、画像でも確認できるように
バンク角が他のエンジンに比べて明らかに広い。
他のV6ターボが80~90度なのに対し、
フェラーリは120度と明らかに広いバンク角を採用した。
これはフェラーリ独自の考えに基づくもので
吸排気のレイアウトも他のV6ターボとは逆になっている。
つまりブロック下方から吸気をし、上方で排気しタービンを回している。

 普通こういったちょっと特殊なレイアウトというのは
かなりの確率でズッコケルものなのだが、そこはフェラーリ。
ヴィルヌーヴとピローニのドライビングで、このフェラーリターボは何度か優勝を飾っている。
ちなみにターボがグランプリの主流になった1981年当時でも
モナコで勝つのは難しいと言われていた。
しかしそのモナコGPでターボ初勝利を挙げたのはフェラーリのジル ヴィルヌーヴだった。
そしてあの1982シーズン。
F-1の歴史の中でも血塗られたあの年(ドライバー2名が事故死)、
ホッケンハイムでの大事故がなければ、恐らくピローニはチャンピオンになっていただろう。
そう考えると、このフェラーリの120度V6ターボというエンジンは
隠れた名機と言えるのではないだろうか。

 そしてもうひとつ、イタリア製といえばコレ。
アルファロメオのターボである。

驚くなかれ、1.5リッターにしてなんとV8!
いくらイタリアのエンジン設計者が多気筒エンジンが好きだからと言って
1500㏄に8シリンダーはやり過ぎ・・・・いやいや、こういうのは大好きだ。
ラウダの著書によると、この8シリンダーというのは
3リッターに換算すると16シリンダーという計算になり、
「上限は12気筒」というレギュレーションに抵触してしまうという。
しかし実際には出走しているので、そこはなんらかの措置があったのだろう。

 ヘッドにはALFA ROMEO(下)とAUTO DELTA(上)の文字が誇らしげに刻まれている。
1.5リッターながら、雰囲気満点、さすがはメイドインイタリーである。
ところが・・・
このエンジン、1.5リッターV8ターボという少々「ぶっ飛んだ」発想が災いしたのか、
実戦ではほとんど目立った成績を残せなかった。
 ただ、ラウダも書いているのだが、音はレーシングエンジンらしいものだったという。
ターボは普通、自然吸気エンジンよりも低い音になるのだが、
「むしろ普通のエンジン(自然吸気)並みにカン高い排気音をしている」とのこと。

 ホンダのターボがグランプリの世界で圧勝する前は
実はこのエンジンが「最強」と言われていた。

 TAGポルシェターボである。
我が国では、どうもホンダターボの最強伝説みたいなものがあり、
このTAGポルシェエンジンのことは忘れさられている印象があるが、
その設計思想や実際の性能面など、ホンダに負けず劣らずの傑作エンジンである。

 そして面白いことに、このTAGポルシェとホンダは外観は非常によく似ている。
それはバンク角が共に80度だからだろう。
当時、V6ターボはバンク角がメーカーによって微妙に異なっていた。
これはホンダやTAGポルシェ、前述のアルファロメオもそうなのだが、
設計を始めた当時はまだウイングカーの時代だったかららしい。
エンジン(インタークーラーやタービンも含め)のスペースを極力ミニマムにし、
空気の流れを邪魔しない設計をデザイナーは求めた。
もちろんそれだけでエンジンのバンク角が決められるわけではないけれど、
ウイングカーのターボエンジンとして設計されたTAGポルシェとホンダは
共に80度というバンク角を採用した。
ただ、ポルシェの開発担当だったハンツ メツガーは
「ホンダの影響があった」と認めている。
とはいえ、このTAGポルシェターボは、マクラーレンに載せるためだけに設計された
ある意味スペシャルエンジンなのだ。

 ホンダよりひと足早くグランプリに参戦したこのエンジン、
ラウダとプロストという豪華なドライバーということもあったが、
1984シーズンは16戦中実に12勝を挙げている。(プロスト7勝 ラウダ5勝)
この年、ラウダが0.5ポイント差でタイトルを獲得し、
85年と86年はプロストが連続でチャンピオンの座に就いている。
フルシーズンで参戦したタイトルをすべて制したというのは快挙と言える。
わずか3年でTAGポルシェは撤退してしまったが、
もしこのエンジンが開発され続けていたら
間違いなくグランプリの歴史は変わっていただろう。

 そして最後は我が国のホンダである。
F-2のエンジンをベースにし、16戦15勝という驚異的な成績を残したエンジン。
 何度も言うけれど、エンジンだけで勝てるのがグランプリではない。
ただ、上位チームともなればシャーシもドライバーも実力は拮抗している。
当時、マクラーレン+ホンダ、そしてセナとプロストという組み合わせは
これ以上は望めないという組み合わせだったのかも知れない。

 このエンジンに関して、多くを語る必要はないだろう。
この時代、日本ではホンダに関する情報・・・いや、F-1に関する情報がもっとも豊富だったから。

 今、ホンダのエンジンを搭載したマクラーレンが不振にあえいでいる。
このオフのテストも充分に走り込みができていない状況に
誰もがヤキモキしていると言っていいだろう。

この先、ホンダは撤退するのか?
マクラーレンと手を切るのか?
噂が噂を呼んでいるけれど、未来のことは分からない。

 多くの人たちが「80年代のターボでは、ホンダは無敵だったじゃないか!」と思っているに違いない。
私もその一人だ。
しかし、改めて当時のF-1を調べていくと、あの時代の「混沌」が分かってくる。
空力優先という優先順位の変動、ターボの台頭、そしてラジアルタイヤの出現等々・・・。

その中でホンダは蓄積した技術を開花させた。
さらに、当時は本当の意味で「会社を挙げて」F-1に参戦していた自動車メーカーは
ホンダとフェラーリだけだったのではないだろうか。
そこにホンダの勝機があったのかも知れない。

それでも、今との比較ではなく、その混沌の中で「勝てるカード」を引き当てた
ホンダの技術者は世界的に見ても優秀だった。

また、ヨーロッパ至上主義とも言えるグランプリの世界で躍進を遂げたホンダの
技術部門以外のスタッフも優秀だったのではないか。

 しかし、当時と今とでは、比較するにはあまりに何もかもが違い過ぎる。
今ではフェラーりだけでなく、ルノーもメルセデスも、
それこそ会社を挙げて血眼になってF-1をやっている。
技術面に関してもレギュレーションの関係で、
昔のようにやりたい放題というわけにはいかない。

 正直に言えば、私はホンダがこのまま中団に埋もれたまま撤退をしたとしても驚かない。
そしてかなりの確率で、今シーズンも泣かず飛ばずだろうと思っている。
昔ならいざ知らず、近代のF-1では開幕直前のテストでダメなマシンは
そのシーズンもダメなのである。
そう、今スペインで行われているテストで、既に大方の結果は見えているのである。
今年もマクラーレンホンダは中団から下位に沈んだままだろう。

 ただ、矛盾しているように思われるかも知れないが、
私はホンダを悪く言うつもりはない。
例え結果が悲惨だったとしても、
ではホンダ以外でF-1に打って出ようという自動車メーカーが他にあるだろうか。
長いグランプリの歴史の中で、優勝経験があり、かつタイトルも獲得したエンジンを造ったのは
日本の、いやアジアの自動車メーカーではホンダだけである。

 マクラーレンホンダの不振に罵声が飛んでいる。
可愛さ余ってナントヤラな面もあると思うが、
今も昔も、F-1に参戦するということは、賞賛に値するものだということを忘れてはならない。





Posted at 2017/03/16 17:20:18 | コメント(1) | トラックバック(0) | 70~80年代F-1 | 日記
2017年03月11日 イイね!

3月11日

3月11日 今日は3月11日。
6年前、東北地方を中心に大震災が起きた日。
テレビで「あのとき、あなたは何をしていましたか?」と言っていたが、
私は人生初の病気入院中の身だった。

 自分の入院生活の最中に起きた大震災ということもあり、この3月11日という日は恐らく一生「特別な日」という認識であり続けるだろうと思う。
震災の被害は未だに大きな爪痕を残しており、心休まらない被災者の方々も多いと聞く。
一日も早い復興を、などと軽々しく口にできないけれど、
被災者のみなさんの心の復旧を祈るばかりである。

 さて、その3月11日。
海の向こうから訃報が届いた。
ジョン サーティース氏、死去。83歳だった。

 ホンダF-1第一期のドライバーということもあり、
サーティースに関しては、ご存じの方も多いと思うが、今日はお付き合いいただきたい。
この人を語る上で欠かせないのは、2輪4輪両方のチャンピオンということだろう。
現時点でも、この偉業を成し遂げた人は
この人をおいて他にいない。
4輪での、F-1でのチャンピオンはフェラーリで獲得している。
ラウダやシューマッハと並んで、サーティースは歴代のフェラーリチャンピオンの一人である。

 日本で名前が知られたのは、やはり1967年のホンダでの優勝があったからだろう。
マシンはRA300。
前モデルのRA273から大幅に軽量化したマシンだった。
ただ、これもご存じの方は多いと思うけれど、
このRA300というマシンは純ホンダ製ではなかった。
 
 ホンダが英国のローラにシャーシの製作を依頼し、
それにホンダの12気筒エンジンを載せたホンダ+ローラのマシンだった。
そんな経緯を皮肉って、メディアからは「ホンドーラ」などと言われたらしい。
しかし1967年のイタリアGP。
そんな周囲の雑音を吹き飛ばすように、
中断から追い上げたサーティース&RA300は
トップを走るジャック ブラバムのブラバムを僅か0.2秒差で振り切って優勝した。

このとき、チーム監督の故 中村良夫氏は「終盤までセカンドグループのトップを走れ」と
サーティースに指示したという。
その作戦が功を奏し、3リッターF-1での唯一の勝利をものにした。


こちらは英国グッドウッドでのワンショット。
晩年もサーティースはステアリングを握っていた。
このRA300、ホンダ第一期のマシンではもっとも美しいと思う。
この時代、12気筒エンジンでグランプリに打って出たホンダの心意気に最敬礼である。

 とはいえ、このサーティースがホンダに加入した当時は
なかなかセンセーショナルだったという。
それまでチームにいたリッチー ギンサーなどの穏健派と違い
サーティースは「ズケズケとモノを言う」武闘派だったという。
ただ、そのことはレーシングドライバーとして必要な資質であり、
イタリアGPでの優勝という結果と合わせて考えると
サーティースのドライバーとしての優秀さを物語るものではないだろうか。


 ラウダとのツーショット。
今やグランプリの重鎮となったラウダだが、
そのラウダからしても「大先輩」のサーティース。
一体どんな会話を交わしていたのか・・・・。

 さて、F-1も間もなく開幕する。
今年は大きくレギュレーションが変わることもあり、興味は尽きない。
しかしそんな中、ホンダに関するニュースは暗いものばかりである。
そのことに関してはまた別に書きたいと思うが、
今からおよそ50年前、ホンダという小さなオートバイメーカーが
グランプリに挑戦したことは間違いない。
そしてそこにジョン サーティースという、その名を歴史に残した名ドライバーがいた。

ご冥福をお祈りします。
Posted at 2017/03/11 22:15:37 | コメント(3) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2017年03月09日 イイね!

ブラバムBT48というマシン

ブラバムBT48というマシン 昨年、156Bを作るにあたってカラーリングも若干の変更を施した。
それまでの156に比べて、デザインにも時間をかけ、ロゴも丁寧に製作した。
そしてそれは、何もかにも急造の「やっつけ仕事」だった前回の156では実現できなかったことができたということにもなった。

 自分がもっとも好きなF1マシン、ブラバムBT48のイメージにすることができた。

そんなわけで、いつかは書いてみたいと思っていたこと。
歴代のF1でもっとも好きなマシン、ブラバムBT48について書いてみようと思う。

 私がこのマシンを好きなのはいくつかの理由がある。
まずラウダがドライブしたこと。そしてアルファロメオエンジンであること。
ただ、最近になって思うのだが、こと「美しさ」という点では先代のBT46のほうに軍配が上がる。
それでもやはりこのBT48に魅力を感じる。

 それにはこの写真をご覧いただきたい。

 ド迫力のリアビュー!
鬼才ゴードン マレーがウイングカー時代に突入した1979シーズンへの回答が
この強烈なフォルムを持ったBT48だった。
リアウイングの位置が極端に低く、マシン全体を「一枚の翼」と考えたことがうかがえる。
同時期のロータス80同様、グランドエフェクトを最大限に突き詰めた
攻めに攻めたデザインである。
先代のBT46のようなエレガントさはないが、迫力や凄みのあるフォルムが
このBT48の最大の魅力だった。

 そしてエンジンはこのウイングカーのために新設計されたV12(60度)。


「アルファV12の前ではターボは小者に見えてしまう。」とラウダに言わしめたエンジン。
スペックはともかく、この風貌だけでも芸術的なエンジンだと思えてならない。

 しかしこのBT48、周囲の期待とは裏腹に
デビューは実に悲惨なものだった。
開幕戦のアルゼンチンGPでは、なんとラウダが危うく予選落ちするところだった。(26台中23位!)
調べてみると前年BT46で走った予選タイムよりも遅いものだった。
当時AUTO‐SPORT誌を読んでガッカリしたことは、今でも鮮明に覚えている。

 結果としてこのシーズンはラウダのキャリアの中でも惨憺たるもので、
優勝はおろか表彰台にも届かず、リタイアの連続だった。
ラウダとフルシーズンデビューのピケと合わせて完走はわずかに6回(ピケ4回、ラウダ2回)、
最高位は両ドライバー共に4位。(予選はピケの3位)

 完走が6回では話にならない。
そんなわけで、このマシンは私の中で「好きだけど遅いマシン」という認識だった。

 しかし、本当にそうなのか・・・
世の中が’79年当時に比べて驚くほど便利になった今、
そのことを今一度調べてみることにした。
そう、数字やリザルトには表れない、その走りの「内容」はどんなものだったのか。
 
 するとこれまでとは違った見方ができることになった。
確かに開幕直後は悲惨だったが、そこはさすがG、マレー率いるブラバムチーム。
すぐさま対策が施され、第3戦の南アフリカGPでは予選4位につけている。
そしてYouTubeで観た第5戦のスペインGPでは予選6番手からスタートし、
終盤この年のチャンピオンになるフェラーリのJ,シェクターをかわし
3位にポジションアップしていた。
しかしその直後、残り12周というところでエンジントラブルでリタイアしている。

 第7戦のモナコGPでもラウダは4番グリッドを獲得。
中盤までフェラーリ2台には離されるが、
リジェやウイリアムズを抑えて3位を走行していた。
しかし当時なかなか荒っぽい運転と言われていたティレルのD,ピローニに
1コーナーで追突されレースを終えている。

 その後も予選ではラウダ、ピケ共にコンスタントに10位以内、
シングルグリッドを獲得している。

 このブラバムBT48アルファロメオというマシン、
言われているような「失敗作」ではないし、決して遅いマシンでもなかった。
現にノンタイトルレースではあるが、
イモラ行われたレースではこの年のチャンピオンとなるフェラーリを追い上げ
ラウダは見事優勝を飾っている。

ただ、残念ながらその時代ゆえか信頼性に乏しく、
レースディスタンスではその性能を発揮できなかったということか。



 ゴードン マレーの手による前衛的な攻めのデザイン、
そしてアルファロメオが作ったV12エンジンという贅沢な組み合わせ。
ラウダとピケという、その名を歴史に残す名ドライバー二人がステアリングを握ったBT48。
そのカラーリングも、シンプルかつセンスに溢れた美しいものだ。

こんなマシンに魅力がないわけがない。

 そんなわけで、自分にとってあこがれの1979年仕様をモチーフに
2017バージョンを作っている。
なにもラウダの戦績の芳しくなかった’79年にしなくても良さそうだが、
自分がレースをやっているのはタイムのためでもなければ順位のためでもない。
「楽しむ」などという安っぽい言葉ではなく、
10代のころからずっと心の中にある憧れや想いといったものを具現化することに
私は時間、労力、金といったものを使う。

 そしてこんな素晴らしい遊びができることに
この上ない幸せを感じるのである。
Posted at 2017/03/09 22:15:39 | コメント(2) | トラックバック(0) | 70~80年代F-1 | 日記
2017年03月03日 イイね!

レーシングスーツ

レーシングスーツ レーシングスーツを新調した。
紆余曲折あってOMPの上級モデル、テクニカSを手に入れることができた。
ずっとスパルコ派だったが、どぅーさんのOMPを見て「なかなかイイ・・・」と思ったことと、どうせ新しくするならヘルメット同様ラウダの1979年仕様にしたいと考えたからだ。
スパルコのスーツも悪くないのだが、ちょっと昔風というか、ベーシックなデザインという点ではOMPに軍配が上がる。

 しかし、スパルコと違ってサイズ感が分からない。
近場でレーシングスーツの試着などできるところなどない。
そこでふと思いついた。どぅーさんに聞いてみよう。
さらにチームメイトのよしみで試着させてもらえることになった。
サイズは50、これはOMPのサイズ表でいけば自分にはジャストフィットのはず。

 お借りしたスーツに袖を通したところ・・・「おっ!ジャストじゃないか!」と思ったのだが、ちょっと余裕がある感じ。
もちろんレーシングスーツは少し余裕があるくらいのほうがいいのだが、
椅子に座ってみると胸からウエストあたりが少々ゴワつく感じがする。
さて、どうしたものか・・・

 そんな中、思わぬ出物を見つけた。
上級モデルのテクニカSが旧モデルとはいえ定価の半額で売られていた。
サイズは50と48の二つのみ。
悩んだ挙句、48をオーダー。
届いたモノは若干タイトだが窮屈さはない。
望み通りのスーツが手に入った。

 そうなると次はカラーリングである。
もちろんこれまでのワッペンを移植すればいいのだが、
ここでも「どうせやるなら・・・」と色々考えてしまう。

 狙うはラウダの’79年仕様。



ヘルメットもそうだけれど、完全なレプリカを作るつもりはない。
雰囲気が大切といったところ。



後ろはこんな感じ。
Marlboroのビッグワッペンはこれまでのモノを使える。

ラウダには珍しくホワイトのスーツだった。
ポイントは胸と背中のparmalatのロゴである。
さすがにこれは既製品はなく、オーダーするか作るしかない。
最近は刺繍の他に低価格でできるプリントもあるらしい。
関西にあるメジャーどころに見積もりを依頼。

 返ってきた見積もりは充分納得できる金額だった。
しかし、メールでのやりとりで完成させるには限界を感じた。
残念ながら丁重にお断りすることに。

 そうなると自分で作るしかない。
アイロンプリントで仕上げるのが現実的か。
しかしどの部分をプリントにし、ネイビーの「帯」の生地はどうする???

 アルカンタラが有力な候補となったが、割高感が拭い切れない。
そこで発見したのがアルカンタラと同じ風合いで、
しかも自動車用として認可されている「難燃性生地」のラパス2という生地だった。

 次はロゴである。
アイロンプリントを色々調べた結果、ハリロンのラバーシートという熱転写シートを購入。
これは貼りたいロゴやマークなどをカットし、(普通はマシンでカットするらしい)
さらに専用のマシンで熱を加え転写するいうもの。
家庭用のアイロンでも可能らしいが、間違いないのはマシンでの加熱らしい。
とはいえロゴをカットするマシンもなければ、加熱するそれもまたしかり。

 芸は身を助けるとはよく言ったもの。
ここはカッティングシートで鍛えた手切りでやってみようじゃないか。

 原版を反転させるというひと手間はあるが、
転写シートを切り出していく。
感触としては柔らかくてちょっと厚みのあるカッティングシートような印象で
思ったより作業はしやすかった。
(こちらは胸のロゴなので左右で分割)


こちらは背中側。
この状態で上からテフロンシートを敷き、
アイロンを150℃に設定し(目盛りで「中」)20秒間あてていく。

 熱いうちに半透明のシートを剥がすと・・・・

感動の瞬間である。
思った以上に良い出来だった。
もちろん、今後この状態からどうなるかは使ってみないと分からない。
剥がれて来るかもしれないし、
汚れが目立つかも知れない。
しかし今この時点では、素直に喜ぶことにしよう。

 残りはプロにお願いした。
洋服の直し専門店に持ち込んで、残りのワッペンと今回製作したモノの縫い付けをお願いした。
完成が楽しみだ。

 しかしこのハリロンの熱転写シート・・・他にも応用できそうな予感。


 
Posted at 2017/03/03 22:32:58 | コメント(2) | トラックバック(0) | レーシングギア | 日記

プロフィール

「@ぼうんのう さん、バッテリーとエアコンまでやれば、走り出してすぐに効果を体感できますよ(^^)」
何シテル?   06/04 11:05
アルファ156 2.5V6で走ってます。 家内用にGTV3.0V6。
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