
もうすぐF-1が開幕する。
今年はレギュレーションが大幅に変更になり、興味は尽きない。
F-1の長い歴史の中で安全上の問題から「スピードを下げる」レギュレーション変更はあったけれど、今シーズンのように「スピードを上げる」方向へ振ったのは前代未聞である。
各チームはニューマシンを登場させ、精力的にテストを行っている。
そんな中、マクラーレンホンダに関するニュースはなかなか芳しいものが聞こえてこない。
具体的な詳細に関しては関係サイトのニュースをご覧いただきたいが、心情的には特にホンダファンではない私でも「まったく何をやってるんだ!」と言いたくなる有様である。
とはいえ、そう言ったところで何かが変わるわけじゃない。
そこで今回は、温故知新ということになるのか、80年代のF-1黎明期について少ない知識ながら書いてみたいと思う。
F-1にターボエンジンが登場したのは1977年途中だった。
ルノーが莫大な開発費を投じて作り上げたものの、この時点では自然吸気3リッターに対し
1.5リッターのターボエンジンで勝負するということに誰もが懐疑的だった。
しかし翌78年には初のポイントを獲得をし、
79年7月9日、ルノーはF-1の歴史にその名を残すことになった。
地元フランスGP、ディジョンブレノアサーキットでジャン ピエール ジャブイーユは見事ポールトゥウインを飾った。
ちなみにこれはシャーシ、エンジン(共にルノー)、タイヤ(ミシュラン)、ドライバー(ジャブイーユ)すべてがフランスという「オールフレンチ」での勝利でもあった。

このエンジンは元々F-2で使用されていた2リッターエンジンがベースとなっている。
ボアはそのままで、ストロークを変えて1.5リッターにしたもの。
ある意味、他カテゴリーからの転用エンジンだったというわけである。
しかし当時はイチからエンジンを造るより、
熟成されたエンジンをターボチャージするほうが間違いのないやり方だった。
(画像はワークスではなく、JPSロータスに搭載されたもの)
今のF-1とは直接関連はないかもしれないが、
少なくとも市販車も含めてターボという技術を大きく飛躍させたルノーの功績は計り知れない。
しかし、このターボ時代のパイオニアに勝利の女神が微笑むことはなかった。
ターボ初のタイトル獲得はバイエルンの雄、BMWだった。
もちろんエンジンだけのおかげではなく、
ブラバムのシャーシ、ピケのドライビング、そしてゴードン マレーの「燃料補給作戦」などの
総合力もあったが、ターボエンジン初のタイトルはBMWの名が刻まれた。

このエンジン、驚くべきことに市販車からの転用エンジンである。
他のレーシングカテゴリーというのではなく、市販車である。
もちろん、レースで使用された実績こそあるのだが、
昔ならいざ知らず、70年代以降のグランプリで、
市販車からの転用エンジンでタイトルを獲得したというのは
恐らくこのBMWターボが最初で最後であろう。
画像でお分かりのように、市販車らしくストレート4、いわゆる直4である。
そしてこの直4というレイアウトは、シングルシーターのレーシングマシンでは
ほとんどメリットはないのである。
重量バランスは言うに及ばず、インタークーリングをはじめとする冷却系にも悪影響が出る。
さらに直4エンジンではその形状から、シャーシ全体の剛性メンバーに含めることができない。
これはすなわち補強のための「重量増」を意味する。
これだけ不利な条件でありながら、ルノーとの接戦(1ポイント差)を制した
BMWターボというエンジンは大したものだと感心してしまう。
それにしても直4の1500㏄という排気量で600ps以上のパワーが出るとは
今さらながら驚きを禁じ得ない。
そして同じく直4というレイアウトでは、このエンジンも興味深い。
いち早く直4+ターボというレイアウトに取り組んだ、
ブライアン ハート率いる英国のハートである。
しかしこちらは市販車のエンジンではない。
直4でレーシングエンジン専用設計というのは、ちょっと驚きなのだけれど
シリンダーヘッドとブロックが一体構造になっている点など
やはり市販車向けのものではないと考えるべきだろう。
(ただし、このヘッドとブロックの一体構造は特別珍しいものではなく、
1950年代にメルセデスが市販車のエンジンで採用するなど多くの例がある。)
そしてこのハートエンジンも、ルノーや後述するホンダと同じく
長い間F-2で使われていたことから、ある意味「純レーシングエンジン」と見るべきだろう。

その外観からはあまりレーシングエンジンらしい雰囲気といったものは感じられないが
自動車メーカーのターボエンジンと互角に渡り合ったハートエンジンは称賛に価する。
1983年のデビューイヤーは予選通過すら危うかったトールマンハートであったが
トールマンのシャーシが改善された翌年は目覚ましい活躍をすることになる。
そして今や伝説となった1984年モナコGP。
降りしきる雨の中、ゼッケン19のトールマンハートは
トップを走るマクラーレンTAGポルシェのアラン プロストを猛烈な勢いで追い上げた。
しかし激しい雨の中での続行は困難と、協議長のジャッキー イクスは判断し
レースは32周でチェッカーが降られた。
トールマンハートは優勝のプロストとは7秒差での2位だったが、
レース後「あと1周あったらオレが優勝していたのに」と語ったのは
若き日のアイルトン セナだった。
そのくらいセナの追い上げは凄まじかった。
英国の小さなエンジンビルダーが、グランプリで表彰台を獲得するようなエンジンを造る。
そのあたりもこの時代の良さであり、面白さでもあった。
さらに続けて、今度はイタリア製エンジンを二つ。

まずはフェラーリ。
このエンジンは、やはりフェラーリらしく、もちろん専用の新設計エンジン。
当初フェラーリはスーパーチャージャーの研究開発も手掛けていたが
ターボのほうが現実的(?)と判断したらしく
実戦ではすべてターボで走っている。
このエンジンも実に興味深く、画像でも確認できるように
バンク角が他のエンジンに比べて明らかに広い。
他のV6ターボが80~90度なのに対し、
フェラーリは120度と明らかに広いバンク角を採用した。
これはフェラーリ独自の考えに基づくもので
吸排気のレイアウトも他のV6ターボとは逆になっている。
つまりブロック下方から吸気をし、上方で排気しタービンを回している。
普通こういったちょっと特殊なレイアウトというのは
かなりの確率でズッコケルものなのだが、そこはフェラーリ。
ヴィルヌーヴとピローニのドライビングで、このフェラーリターボは何度か優勝を飾っている。
ちなみにターボがグランプリの主流になった1981年当時でも
モナコで勝つのは難しいと言われていた。
しかしそのモナコGPでターボ初勝利を挙げたのはフェラーリのジル ヴィルヌーヴだった。
そしてあの1982シーズン。
F-1の歴史の中でも血塗られたあの年(ドライバー2名が事故死)、
ホッケンハイムでの大事故がなければ、恐らくピローニはチャンピオンになっていただろう。
そう考えると、このフェラーリの120度V6ターボというエンジンは
隠れた名機と言えるのではないだろうか。
そしてもうひとつ、イタリア製といえばコレ。
アルファロメオのターボである。

驚くなかれ、1.5リッターにしてなんとV8!
いくらイタリアのエンジン設計者が多気筒エンジンが好きだからと言って
1500㏄に8シリンダーはやり過ぎ・・・・いやいや、こういうのは大好きだ。
ラウダの著書によると、この8シリンダーというのは
3リッターに換算すると16シリンダーという計算になり、
「上限は12気筒」というレギュレーションに抵触してしまうという。
しかし実際には出走しているので、そこはなんらかの措置があったのだろう。
ヘッドにはALFA ROMEO(下)とAUTO DELTA(上)の文字が誇らしげに刻まれている。
1.5リッターながら、雰囲気満点、さすがはメイドインイタリーである。
ところが・・・
このエンジン、1.5リッターV8ターボという少々「ぶっ飛んだ」発想が災いしたのか、
実戦ではほとんど目立った成績を残せなかった。
ただ、ラウダも書いているのだが、音はレーシングエンジンらしいものだったという。
ターボは普通、自然吸気エンジンよりも低い音になるのだが、
「むしろ普通のエンジン(自然吸気)並みにカン高い排気音をしている」とのこと。
ホンダのターボがグランプリの世界で圧勝する前は
実はこのエンジンが「最強」と言われていた。

TAGポルシェターボである。
我が国では、どうもホンダターボの最強伝説みたいなものがあり、
このTAGポルシェエンジンのことは忘れさられている印象があるが、
その設計思想や実際の性能面など、ホンダに負けず劣らずの傑作エンジンである。
そして面白いことに、このTAGポルシェとホンダは外観は非常によく似ている。
それはバンク角が共に80度だからだろう。
当時、V6ターボはバンク角がメーカーによって微妙に異なっていた。
これはホンダやTAGポルシェ、前述のアルファロメオもそうなのだが、
設計を始めた当時はまだウイングカーの時代だったかららしい。
エンジン(インタークーラーやタービンも含め)のスペースを極力ミニマムにし、
空気の流れを邪魔しない設計をデザイナーは求めた。
もちろんそれだけでエンジンのバンク角が決められるわけではないけれど、
ウイングカーのターボエンジンとして設計されたTAGポルシェとホンダは
共に80度というバンク角を採用した。
ただ、ポルシェの開発担当だったハンツ メツガーは
「ホンダの影響があった」と認めている。
とはいえ、このTAGポルシェターボは、マクラーレンに載せるためだけに設計された
ある意味スペシャルエンジンなのだ。
ホンダよりひと足早くグランプリに参戦したこのエンジン、
ラウダとプロストという豪華なドライバーということもあったが、
1984シーズンは16戦中実に12勝を挙げている。(プロスト7勝 ラウダ5勝)
この年、ラウダが0.5ポイント差でタイトルを獲得し、
85年と86年はプロストが連続でチャンピオンの座に就いている。
フルシーズンで参戦したタイトルをすべて制したというのは快挙と言える。
わずか3年でTAGポルシェは撤退してしまったが、
もしこのエンジンが開発され続けていたら
間違いなくグランプリの歴史は変わっていただろう。
そして最後は我が国のホンダである。
F-2のエンジンをベースにし、16戦15勝という驚異的な成績を残したエンジン。

何度も言うけれど、エンジンだけで勝てるのがグランプリではない。
ただ、上位チームともなればシャーシもドライバーも実力は拮抗している。
当時、マクラーレン+ホンダ、そしてセナとプロストという組み合わせは
これ以上は望めないという組み合わせだったのかも知れない。
このエンジンに関して、多くを語る必要はないだろう。
この時代、日本ではホンダに関する情報・・・いや、F-1に関する情報がもっとも豊富だったから。
今、ホンダのエンジンを搭載したマクラーレンが不振にあえいでいる。
このオフのテストも充分に走り込みができていない状況に
誰もがヤキモキしていると言っていいだろう。
この先、ホンダは撤退するのか?
マクラーレンと手を切るのか?
噂が噂を呼んでいるけれど、未来のことは分からない。
多くの人たちが「80年代のターボでは、ホンダは無敵だったじゃないか!」と思っているに違いない。
私もその一人だ。
しかし、改めて当時のF-1を調べていくと、あの時代の「混沌」が分かってくる。
空力優先という優先順位の変動、ターボの台頭、そしてラジアルタイヤの出現等々・・・。
その中でホンダは蓄積した技術を開花させた。
さらに、当時は本当の意味で「会社を挙げて」F-1に参戦していた自動車メーカーは
ホンダとフェラーリだけだったのではないだろうか。
そこにホンダの勝機があったのかも知れない。
それでも、今との比較ではなく、その混沌の中で「勝てるカード」を引き当てた
ホンダの技術者は世界的に見ても優秀だった。
また、ヨーロッパ至上主義とも言えるグランプリの世界で躍進を遂げたホンダの
技術部門以外のスタッフも優秀だったのではないか。
しかし、当時と今とでは、比較するにはあまりに何もかもが違い過ぎる。
今ではフェラーりだけでなく、ルノーもメルセデスも、
それこそ会社を挙げて血眼になってF-1をやっている。
技術面に関してもレギュレーションの関係で、
昔のようにやりたい放題というわけにはいかない。
正直に言えば、私はホンダがこのまま中団に埋もれたまま撤退をしたとしても驚かない。
そしてかなりの確率で、今シーズンも泣かず飛ばずだろうと思っている。
昔ならいざ知らず、近代のF-1では開幕直前のテストでダメなマシンは
そのシーズンもダメなのである。
そう、今スペインで行われているテストで、既に大方の結果は見えているのである。
今年もマクラーレンホンダは中団から下位に沈んだままだろう。
ただ、矛盾しているように思われるかも知れないが、
私はホンダを悪く言うつもりはない。
例え結果が悲惨だったとしても、
ではホンダ以外でF-1に打って出ようという自動車メーカーが他にあるだろうか。
長いグランプリの歴史の中で、優勝経験があり、かつタイトルも獲得したエンジンを造ったのは
日本の、いやアジアの自動車メーカーではホンダだけである。
マクラーレンホンダの不振に罵声が飛んでいる。
可愛さ余ってナントヤラな面もあると思うが、
今も昔も、F-1に参戦するということは、賞賛に値するものだということを忘れてはならない。