
私の父は、私が20代前半の時に白血病で他界しました。
当時の医療は今とは違い、本人には直接告知はせず、医師から近親の家族(母と長男の私)が呼ばれて説明を受けました。
医師の説明に、自分は動揺しました。
父の入院生活は長かったです。
長い抗がん剤での闘病生活は、見ているだけでも辛かったですが、私には直接一切弱音は吐きませんでした。
私は、社会に出て1人暮らしをしていましたが、週末は母親を東京の病院に車で送るため、実家(横浜)~自分のアパート(都内)の往復生活が結構多かった気がします。
父が短い期間一時退院を許され、親族だけで旅行に行った時、自分は仕事で参加しませんでした。
再入院して亡くなった日、自分は母からの早朝の電話で起きました。
『…お父さんが…。』
自分は、そのまま家を飛び出して病院へ向かいました。
病室に飛び込んだ私の目に入ったのは、看護師さんが既に他界した父のケアをしている光景でした。
『な、何?ど、どう?…』
息荒く、気が動転している私の姿がどうも滑稽だったらしく、ケアしていた看護師さん2人はクスクス笑っていました。
勘違いかと思い顔を見ると、確かに笑っていました。
自分の親が死んで動揺している人間の目の前で、2人とも笑っていたんです…。
悲しみと怒りの混じった感情のまま、その場で黙ってしばらく動けず、長い間立ち尽くしていたのを覚えています。
(小一時間位そのままだった様です)
その後、叔母が駆けつけてくれました。
『…それなに?』
叔母が、私の手に握りしめられた紙袋に気付き、聞いてきました。それだけつかんで家を飛び出してきたんです。
『父さんの…父さんの誕生日プレゼントです…。』
私の返事を聞いて、叔母は押さえていた感情が出てしまった様で、口に手をあてました。
それは、前日が誕生日だった父のために買って、渡すつもりだった小さな置時計でした…たいした物ではありませんが、今も大事に持ってます。
その後、父の事を思い出す度、
もっと父と酒を飲みたかった…。
もっと父と話をしたかった…。
もっと父の考えを知りたかった…。
最後の旅行に、仕事を休んで(最悪辞めて)でも、参加すれば良かった。
…と、両親の脛をかじって生きてきた私は今も後悔しています。
幸い、脛をかじられたもう1人の母は健在ですが…。
これから先、自分の最後の日に、
また後悔をしない様に、
息子が同じ様に後悔しないように、
息子が人様に迷惑をかけない様に、
うざがられようが、まだ10代の息子と向き合い、残りの自分の人生、親としての責任を果たせる様に生きるつもりです…。
皆様もどうぞ、悔いの無い人生を。
長々と私のつまらない話にお付き合い頂いてありがとうございました。
Posted at 2022/03/07 23:04:46 | |
トラックバック(0)