2022年12月28日
もしもしかめよかめさんよ
イソップのウサギとカメのお話です。
長文でもありますので、お気に召さない方は戻ってください・・・
しあわせ地蔵の寺へようこそ から
http://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/index.htm
小学生の頃
「もしもし亀よ亀さんよ、
世界のうちでおまえほど
歩みののろいものはない、
どうしてそんなにのろいのか」
という歌をうたいました。
そこからまた歌は続くのです。
「な-んとおっしゃるウサギさん。
そんならおまえとかけくらべ
向こうのお山の麓まで
どちらが先にかけつくか」
という展開になります。
この勝負の結末は既にご存じと思いますが、ウサギが途中で昼寝をしたために追い越されて亀の勝ちになります。
兎と亀が競争するこの物語は、ウサギの立場で言えば油断大敵。
亀の立場に立てば、足の遅い亀でも一生懸命努力精進すればウサギにも勝てる。
人間あきらめずに頑張ればできる!為せば成る。
ということを教えているのでしょう。
亀は寝ているウサギをなぜ起こしてあげなかったのか、フエアでないという見方もあるからおもしろい。
一方、まじめで反省好きな人は
「ウサギは途中で昼寝をしないで、ゴ-ルしてから昼寝をしたらよかった」
と、あくまで勝負にこだわる。
必死に努力した亀さんには恨みはございませんが、亀的努力がはたして「正精進」といえるかどうかを考えてみたいと思うのです。
亀は歩くのがもともと遅い、一方かけっこの得意なウサギとの競争など本来は論外であり、特徴の全く違う両者の優劣論など無用なことじゃないでしょうか。
それでも、亀は兎の挑発にのってしまう。
どうしてそんなにのろいのかと言われて、
「何~とおっしゃる兎さん・・」
と相手の言葉に心を乱してしまうところが若い。
早く走ることだけが人生ではないし、勝負に勝たなければ人生意味がないというわけではない。
その自覚があれば、
「おまえはのろい」と言われても、
「俺はのろい、それがどうした」と動じない心がもてる。
ウサギも同様であろう。
亀に「どうしてそんなにのろいのか」と
言うことになったのか・・・。
ウサギ自身の劣等感ではないだろうか。
自分に自信がないから自分より遅いものに対して
「どうしてそんなにのろいのか」ということになる。
ところで亀に負けてしまったウサギのその後の話をご存じでしょうか。
負けたウサギが村へ帰ってみると、
「カメになんぞ負けて、みっともない。よくのこのこ帰ってこれたな。
お前はうさぎ村にはおいてやれない。出ていってくれ。」
こういうわけで、村から追い出されてしまうのです。
ところが、ちょうどそのころ、山のおおかみのところから、うさぎ村に使いがきて、
「子うさぎを三びきさし出せ。」
というのです。
うさぎ村は大変なさわぎになりました。
「どこのうちの、子うさぎをさし出そうか。」
「うちの子も、ひとの子も、みんなかわいい。
おおかみにさしだすことなんか、できるものか。」
カメに負けたうさぎが、これを聞きつけて、村にもどってきました。
そして、
「おれはうさぎ村を追い出されたが、もしおれが子うさぎをさし出さなくても、いいようにしたら、この村へもどってきていいかい。」
「おまえが本当にそうしてくれるなら、また、仲間に入れてやる。」
と村のウサギたちは言いました。
そこで、亀に負けたウサギは、さっそくおおかみのところへ行きました。
「おおかみさま。このたび子ウサギを三びき差し出せということですが、あなたさまのお顔がこわいので、みんなこわがって、だれもくるものがありません。
つきましては、ちょっとのあいだ、がけの上であっちの方を向いて、すわっていてください。そうすれば、今すぐにつれてきますから。」
そういうと、おおかみは、
「おお。そんなことはわけもないわい。」
といって、がけのはしへ行って、向こうを向いてすわりました。
うさぎは、ここぞとばかりせいいっぱいの力を出して、おおかみの背中をけとばしたので、さすがのおおかみも、もんどりうって、谷底へ落ちてしまいました。
「大成功、うまくいったぞ。」
こうして、子ウサギ三びきはさし出さなくてもよくなったので、亀に負けたウサギは、また村のなかまのところへ、帰ることができるようになりましたとさ。
ところで、ある有名仏教評論家は
「競争は悪である」
「運動会の競争でもいやでいやでたまらない子もいるのだから、順番などつけるべきじゃない」
という論など主張するから、ある小学校の運動会では早い人が遅い人を待って一位もビリも皆一緒に手をつないでゴ-ルをするというようなことが起こる。
そんな癒し的教育だけでは心は強くならない。
人間の生活とは矛盾した存在です。
家族も会社も国もそれぞれ集団を作ってそれぞれが仲よく協力し合って生きている一方で熾烈な競争を余儀なくされる。
人生とは矛盾を含む「苦」なるものですが、
相手の心ない言葉に逆に奮起させられたり、恐怖の思いを乗り越えて勇気とか柔軟で強い心をつかむ機縁となるように失敗や苦労の痛手も後々の人生にとってどれだけ大きな力になるかしれない。
競争には勝ち負けが出るが、人生の競争には勝ち負けを争うのではなく、勝ち負けを超越した道を探すことが大切でしょう。
自分の能力を思う存分活かして自分の力を出し切るということが大切でしょう。
故に、勝ったからといって勝利に浮かれていると自分の能力は劣化するのです。
競争の本当の相手とは誰なのかというところが肝要なところでしょう。
お寺の住職の書かれたものですので哲学的?な口調(説教)となっていますが
なかなか考えさせられるところがあります。
本当の平等ってのを履き違えている方も増えてきているような気がしますね〜
すべては、他の人、組織がしてくれるものだ!
って言う考えてる人が多い様な?
事象の取り方も読み手受け手次第ですけども・・・・・
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Posted at
2022/12/28 14:18:39
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