2023年08月28日
知識と知恵
知識は、憶えることで蓄えていく。
知恵は、考えることで生まれてくる。
昨今では知識より知恵が大事というが、本当だろうか。
インターネットとパソコンの普及で、知識の位置は以前より低下したのは間違いがない。
試験問題を解いていて、単純な知識の有無、
しかもどうでもいい些細な知識を尋ねる問題にあたると、
「ネットがあれば3秒で解決する問題を出すなよ」と呟いてしまう。
知識や情報が、手軽にそして瞬時に手に入る世の中になったからこそ、
考えること・知恵が大事になるというのである。
しかし知識編重も、困ったものである。
「これ知ってる?」と矢継ぎばやに聞かれてもむかつくだけである。
生兵法は大怪我の元であるという。
昔から兵書を丸暗記しただけでは、戦に勝てないのは常識であった。
暗記だけの知識偏重でもよくないのである。
知識も知恵も、憶えることも考えることも、両者はともに大切なのである。
車の両輪である。
思考とは、それ単独で存在するものではない。
いくら天賦の頭脳があろうとも、考えるべき材料となる知識やデータがなければ、
よき結論、優れた判断、見識にたどり着くことはできない。
逆もまた然り。
データばかり、本に書かれていることばかり、
パソコンの前ばかりで知識を求めて蓄積しても無用有害である。
知識−知恵の関係と憶えること−考えることの間柄は、バランスが大切なのである。
想像してみよう。
片一方の車輪が大型トレーラー用のタイヤで片方のタイヤが軽自動車用のタイヤであれば、
実に走行は骨が折れるであろう。
実際にそんな大きさのタイヤで走れば、どちらかのタイヤに高負荷がかかり、磨耗はあっという間である。
試験勉強にあてはめる。
憶えるだけの記憶だけの勉強はしんどい。
同時に、考えるだけの勉強もしんどい。
それはタイヤの例宜しく、編重した勉強は実に負担が大きいからである。
負担が大きければ、それだけ勉強を止めるリスクは高くなる。
知識があるから考えることができる。
そして、よく考えることができるのである。
また、さらによく考えるには、新しい知識が要求されてくる。
知識がなければ考えられず知恵も湧かないのである。
問題を考えてもわからないのなら、その問題のテーマの知識を充実してみることである。
まず、テキストに戻ろう。
テーマに関する重要語句をキチンと憶えているか確認してみる。
定義や法則、公式の記憶に不備はないかを確かめてみる。
解答に役に立つ表やリストを暗記できているかチェックする。
考えてダメなら、新たな知識を憶えるか既存の知識を磨き上げる。
さすれば、今以上に更によく考えることができるであろう。
うんうん唸るのは恋の問題だけでよい。
コツコツまじめに努力し、知識は蓄えられ、記憶が充実しているのに、
点数が伸びない、実力がつかないのは、考えることが少ない証拠である。
考えないからこそ、点数を生む知恵が湧いてこないのである。
問題演習をしてみることだ。解説をまずは土台にして、
なぜ答えはこうなるのか、
こう導かれるのか、考えていくことである。
今ある知識が十分こなれていない状態になっている。
新しい記憶や知識の追加投入は止めて、今ある手持ちの知識を生かす方針でいく。
考えることが苦手なら、まずは解説通りに思考の道筋をたどればよい。
誰もあなたに新たな知の世界を切り開くことや、哲学を構築してと頼んでいない。
解説を支えにして、考える練習をしていけばよいのである。
わたしも解説を元に考えることにしている。
知恵が湧かぬなら知識を追い求めよ。
まずは元手になる知識を身につけよ。
元本たる知識が身に付いたならよく考えよ。
よく考えて知恵を長じさしむべし。
広く深い知恵が湧くようになれば、こんどは知恵が新たな知識を呼んでくる。
利息の如し。結果、元手の倍以上の知識になるだろう。記憶にも残りやすい。
上手に学ぶとは、何を憶えれば効果的に考えることができるか、
どう考えていけばたくさんの知識を呼び込めるかを見ている。
考えるだけの作業、憶えるだけの作業を別個単独に行うよりも、
実はこっちの複合重複の方が楽なのである。
知識と知恵は相反するものではない。
ともに叡智を占めている仲である。われわれが真に必要とするのは叡智なのである。
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Posted at
2023/08/28 17:52:20
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