
S師匠に頂いた
ロータスF1ミニカーシリーズも、第十二弾です d(*・ω・*)b
17個のうち残り4個です。ランダムに選ぶので何が出るかはそのときのお楽しみ。
さて、第十二回目は・・・
ロータス88でした。
ダブりました。
カーナンバー12、
ナイジェル・マンセルの幻のマシン。
さて、もうひとつ。次は・・・
ロータス91でした。またまた
ダブりました。
カーナンバー12、これも
ナイジェル・マンセルのマシン。
さすがに終わりが近いのでダブりも多くなります。気を取り直してもう一つ。
残り2個です。
さて本当に第十二回目は・・・
ロータス102でした。
カーナンバー12、
マーティン・ドネリーのマシン。
Wikipediaより抜粋
ロータス102は、チーム・ロータスが1990年のF1世界選手権参戦用に開発した。
1990年の開幕戦から全16戦に投入された。前年のマシン101をベースに開発され、エンジンは、V型8気筒のジャッドCVからV型12気筒のランボルギーニ3512に変更された。ロータスとしては唯一のV12エンジン搭載車である。シャシーは改良を加えつつ1992年序盤まで使用された。
1990年シーズン
ネルソン・ピケと中嶋悟はチームを去り、デレック・ワーウィックとマーティン・ドネリーというイギリス人コンビがドライブした。第14戦スペインGP予選中に、ドネリーが大事故を起こし重傷を負ったため、以後の2戦は代わりにジョニー・ハーバートがドライブした。最終獲得ポイントは3ポイントで、最高位は5位、コンストラクターズランキングは8位と低迷した。このポイント数はチーム参戦以来もっとも少ないものであった。
また、この年をもってメインスポンサーのキャメルが撤退した。チームは存続の危機に陥り、チームマネージャーのルパート・マンワーリング、チーフデザイナーのマイク・コフラン、テクニカルディレクターのフランク・ダーニーなど主要スタッフの離脱が続いた。
ロータスの終焉。
1991年はキャメルというメインスポンサーを失い、日立製作所とか田宮、小松、塩野義製薬といった日本企業の小口スポンサーを集めた緑/白のようなカラーリングとなりました。資金難でろくにマシン開発は行えず、1994年を最後にチームロータスは消滅しました。
ミカ・ハッキネンという後のワールドチャンピオンを飛躍させるきっかけとなったのが
名門たる最後の意地だったでしょうか。

1992年ロータス107のハッキネン
いよいよ次回は最終回です<(_ _)>
ネットで拾った画像も掲載しています。問題があれば削除します。
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Posted at
2016/04/06 22:13:14