つづきです。一連の物語はいよいよ最終回。
7/21のN響広島コンサート、プログラムは
シューマン ピアノ協奏曲
ブラームス 交響曲第1番
です。
まずロベルト・
シューマン(1810-56)の
ピアノ協奏曲。
当初ピアニストを目指し、世界的ピアニストのクララと結婚し、ピアノ曲の作品も非常に多いロベルトですが、意外にもピアノ協奏曲で完成したのは1曲のみです。
この曲は第1楽章が『幻想曲』として1841年に作曲され、残りの楽章は1845年、ドレスデンで完成されました。つまり31歳から35歳にかけてです。
ヴィークと格闘の後にようやく結婚したのが1840年、しばらく二人でライプツィヒに住んでいました。
新婚で幸せいっぱい・・・とばかりも言えませんでした。次々に子供が生まれ、夫婦とも仕事に育児に多忙でした。
1842年にロベルトは過労で倒れ、この頃より精神的に不安定になってきます。
1844年、クララのロシア演奏旅行に同伴し帰国してから、幻聴や高所恐怖症などに苦しみ作曲もままならなくなりました。転地療養が必要と考え、ライプツィヒ音楽院の教授職を辞し、年末にドレスデンに引っ越しました。
ドレスデンで暮らした1850年まで、徐々にひどくなる精神障害に悩まされながらも創作意欲は旺盛で、ピアノ協奏曲や交響曲第2番を完成させるなど、
円熟期と言える時期です。
シューマンのピアノ協奏曲は
ロマン派時代のもっともすぐれた協奏曲の1つとされています。
そしてヨハネス・
ブラームス(1833-97)の
交響曲第1番。
ずいぶん昔に紹介しましたが、
着想から完成までに21年の歳月を費やした渾身の作です。
20歳の時シューマン夫妻を訪れ、親交を結びました。
22歳、ロベルトのマンフレッド序曲に触発され交響曲の作曲に着手します。しかし程なくロベルトは亡くなります。
推敲に推敲を重ね、ようやく完成し初演されたのは1876年43歳の時でした。さらに改訂され翌年に決定稿が出版されています。
ここまで時間を費やしたのは、
偉大なるベートーヴェンに対する尊敬の念が強すぎ、自身が交響曲を作曲するからには生半可な物は発表できないと考えたためと言われています。超完璧主義者。
初演で大成功を収め、指揮者ハンス・フォン・ビューローは、”ベートーヴェンの
第10交響曲だ”と賞賛しました。
ちなみに、交響曲第2、3、4番も名曲ですが、いずれも半年から1年程度で完成させています😅
重々しく長い第1楽章から、希望を感じさせる第4楽章へ。暗から明へ。ベートーヴェンの第9を彷彿とさせる構成も”第10交響曲”と言われる所以でしょう。
ある時ブラームスは旅先からクララの
誕生日を祝う手紙に短いメロディを添えて送ったのですが、これと似たメロディが第4楽章の序奏でホルンによって奏でられています。
初演にも立ち会ったクララ、この曲を聴いて何を想ったのでしょうか・・・
今からコンサートが楽しみです😊
長々とお読みくださった方、有り難うございました<(_ _)>
Posted at 2025/06/20 17:59:35 | |
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