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まるしのブログ一覧

2025年06月03日 イイね!

N響が来る ・・・からの、クララの矜持

N響が来る ・・・からの、クララの矜持つづきです。
←クララ15歳 カワイイ





クララは生まれた時から日記を付けており(赤ん坊の頃は父ヴィークが書き😅物心ついてから本人が引き継ぎました)、音楽史上貴重な資料になっています。ヨハネスとクララの間にかわされた書簡もかなり残っています。



それらを検証すると・・・ふたりの間に男女の関係は無かったと思われます。

厳格な父ヴィークに育てられ、クララ自身も真面目で几帳面な性格でした。何よりもロベルトを心から愛し、尊敬していました。ピアノ演奏に真摯に取り組み、子供たちを育てるために必死で働きました。
いくらヨハネスがアプローチしても、彼が入り込める隙間は無かったと思われます。

旧ドイツ100マルク紙幣



ロベルトの死後、クララが子供たちに書いた手紙が残っています。

「真の友のごとく、彼は私の悲しみのすべてを分担してくれました。精一杯努力して、私の心を明るくしてくれたのです。つまり彼はあらゆる意味で私の友でした」

ヨハネスの音楽的才能を愛し、尊敬し、支援に感謝しつつも、良き友人としてのスタンスは生涯変わりませんでした。

ヨハネスも、求愛が受け入れられなくとも、クララから離れることはありませんでした。クララとその子供たちを支援し続けました。





クララのプライベートは多くの試練がありました。

ロベルトとの結婚は長い間父に妨害され、そのロベルトとも死別。
4男4女の子だくさんでしたが、クララは5人の子供たちを見送ることになります😢

長女マリーエ 音楽教師となり、独身を通す。ロベルト亡き後、演奏旅行のため家を空けがちなクララにかわり、幼い弟妹達の母代わりをこなした。クララを支え88歳の天寿を全うした。
次女エリーゼ 若くしてピアノの教授となったが実業家ゾンマーホフと結婚、一時アメリカで暮らす。晩年はフランクフルトにもどりクララを支えた。85歳の長寿。
三女ユーリエ イタリア貴族マリモット伯と結婚しましたが第3子妊娠中に結核にかかり27歳で早世。
長男エミール 1歳で夭折。
次男ルートヴィヒ やや発達障害があり、22歳で精神を病んで入院、そのまま51歳で生涯を終える。
三男フェルディナント 丈夫な子だったが、普仏戦争に従軍中リウマチになり、治療のためモルヒネ中毒になった。妻子6人を残し42歳で早世。
四女オイゲーニエ ヨハネスにレッスンを受け、ピアニスト、音楽教師として活躍しのちにイギリスで暮らす。文才もあり父ロベルトの伝記や自身の回想録を記す。独身を通し87歳の長寿。
四男フェリックス ヴァイオリンや詩作などに多彩な才能を発揮し、ヨハネスが彼の詩に曲を付け歌曲として世に出した。が、結核のため25歳で他界。

女の子ひとりと男の子は4人みな、クララより先に亡くなっています。




演奏旅行で多忙を極めるクララでしたが、それは彼女にとっての生きがいでもありました。
が、クララも齢を重ね、リウマチに悩まされ、手がだんだん動かなくなります。

ヨハネスとも相談し、教職に就くことになりました。
59歳でフランクフルト音楽院の教授に就任し、後進を育てる事に情熱を注ぎます(のちにはマリーエとオイゲーニエも講師に加わります)。
クララの名声は欧州に轟いていたので、優秀な生徒が多数集まり、クララに新たな生きがいを与えました。



このまま安らかな晩年を・・・と願いたいですが、クララとヨハネスの間に隙間風が吹きます。



つづく<(_ _;)>





参考HP
Wikipedia:クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームス
良好な男女関係を築く方法 〜シューマンの妻クララの場合〜
ニューノーマル後の趣味ピアノ日記
クララ・シューマンの生涯と感動
ブラームスとクララ・シューマンは恋愛関係にあったのか
クラシック音楽奇譚
”恋する作曲家”ブラームスのロマンティシズム
Posted at 2025/06/04 19:52:37 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミュージック・アート | 日記
2025年06月01日 イイね!

穏やかな日曜日?

穏やかな日曜日?半年ぶりのカルム・ディモンシュに参加してきました。



カルムディモンシュとは、コロナ禍前まで月一回、広島宇品港近くで開催されていた趣味車の集まりです。

昨年10月、4年振りにカルムディモンシュ・ピクニックとして土師ダムで再開されました。以後春秋開催として、今回は2回目です。



朝7時半、オープンでGo!(^o^)
薄日の差す文字通り穏やかな晴れの日曜日です。



土師ダムは広島市内から約30キロの道のり。意外と渋滞も無く、8時半には現地着。開始は9時なので、けっこう早く着いちゃいました。
結果、本部テントの真ん前に並びました😅


私のお隣はロータス・エランが2台。S2とS4です。



最初は少なくて大丈夫かな〜と思いましたが、9時を過ぎると続々と集まり始めました。この頃には日差しもきつくて、暑い😫

新旧様々な趣味車・旧車・レア車が集合しました。


詳細はフォトアルバムにアップしますが・・・




こちらには新旧アルファも並んでます。


赤い方はモニクルで見ましたが、この白いのは?


エンブレムを見ると、

ジュリエッタ・スプリント・スペチアーレだそうです。
かなりのレア車っぽい。



セブンファミリーが大挙してます。



このケータハムのオーナー、お若いのに語り出すと止まらない熱さ💦
由来がよくわからない2L OHCエンジンが載っているそうです。通常ならKENTエンジンでしょう。
キットカーで適当に組まれた車両が並行輸入されたのではないかと推測されてました。



あまりお目にかからない新型Zも・・・


ここでは三菱MINICAの圧勝😅




このトライク、前に一度見たことある?


と、調べてみたら、10年前のキマグレミーティングで出会っていました。

キマグレミーティングはカルムディモンシュの前身です。参加者が多くなりすぎて2016年でリセットされました。

当時は真っ白な未塗装の車両。
少しずつ手造りで、まだバージョンアップ途上だそうです😅



他にも印象深い車両は数々ありましたが・・・





私の独断と偏見による今日イチは・・・






私の右隣にいた、赤いファミリアクーペです。





初代ファミリア800、セダンはわが家の愛車でした。


なんとベルトーネデザイン。クラシカルながらエッジが効いててカッコイイ。
特にクーペはそのフォルムが際立っていると感じます。

もう50年以上前のクルマ、なんとか末永く維持していただきたいですね。





今日も楽しいカルム・ディモンシュでした(^o^)


そのうちフォトアルバムもアップするので見てね。
Posted at 2025/06/02 18:58:18 | コメント(1) | トラックバック(0) | いろいろなクルマ | クルマ
2025年05月21日 イイね!

N響がくる ・・・からの、クララとヨハネス

N響がくる ・・・からの、クララとヨハネスつづきです。



1853年、ヨーゼフ・ヨアヒムの紹介でデュッセルドルフのシューマン夫妻のもとにヨハネス・ブラームスがやって来ました。

ヨアヒムは当代一流のバイオリニスト。12歳にしてライプツィヒ音楽院に入学しメンデルスゾーンに師事。師が亡くなったのち17歳からはゲヴァントハウス管弦楽団に所属してこの頃からシューマン夫妻やブラームスと親密な関係になっていました。



当時ロベルト43歳、クララ34歳、ヨハネスは20歳の若者でした。


ロベルトの前でピアノソナタ1番を演奏し、ヨハネスの才能に驚嘆したロベルトはすぐにクララを呼びに行き「クララ、まだ聴いたことの無い素晴らしい音楽を聴かせてあげるよ」と賞賛したそうです。

すぐに音楽評論にヨハネスを絶賛する記事を載せました。これ以降、ブラームスは偉大な作曲家として認知されていきます。

ヨハネスもシューマン夫妻を心から敬愛し、これ以降家族のような親密さを築いていきます。





しかしロベルトの幻聴は日に日に悪化し、精神状態は極限に達していました。
1854年2月とうとう悲劇が起こりました。
激しい幻聴に襲われたロベルトは、ライン川で投身自殺を図ったのです。
漁師が目撃していたため何とか救出されましたが、精神病院に収容されました。当時末子を妊娠中だったクララには自殺未遂の事実は隠されました。

ロベルトが廃人のようになってしまったため、子供たちを養うためクララは演奏旅行に忙殺されました。留守の間、子供達の面倒を見たのはヨハネスでした。
ヨハネスはクララ一家の引っ越し先のアパルトマンに部屋を借り、ほぼ同居のような状態で公私にわたり支援し続けました。



1856年7月29日、ロベルトは46歳の生涯を閉じました。クララがロベルトと2年振りに会ったのは臨終の前日でした。
ボンにあるシューマンの墓

ロベルトの最後の言葉は・・・”Meine... Ich kenne...”でした。

クララの日記に記されています。
Nur Einmal verstand ich "meine", gewiß wollte er "Clara" sagen, denn er sah mich freundlich dabei an, dann noch einmal "ich kenne"--"Dich" wahrscheinlich.
「私の・・・(クララ)、(君だと)分かっているよ・・・」とクララは解釈しています。

この最後の言葉が、後世のスキャンダル?のネタにされます。が、その話はもう少し先で。



多くの子供たちを残してロベルトは旅立ってしまい、クララは心身共に厳しい状況となりました。
しかし、夫妻の知人、友人が彼女を支えまました。
バイオリストのヨーゼフ・ヨアヒム、フェリックス・メンデルスゾーンの弟パウル、フェリックスと親密でクララとも仲の良かったオペラ歌手のジェニー・リンド、そしてヨハネス。





クララとヨハネスは恋愛関係にあったのではないかと、よく取り沙汰されます。
実際、1855年頃(ロベルトが精神病院に収容されている時)、ヨハネスはクララに熱烈なラブレターを何度も書き送っています。

「死ぬほど貴女を愛していますと、文字に書くのではなく、今日、僕自身の口から貴女に申し上げるのを神が許し給わんことを!」
「貴女を思い、貴女の手紙を読み返し、貴女の写真を眺める以外に、何も手につきません。いったい僕をどうなさったのでしょうか?」

もうぞっこんですね😅
それに対しクララは・・・



つづく<(_ _;)>





参考HP
Wikipedia:ロベルト・シューマン、クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームス
Robert Schumannの生涯
良好な男女関係を築く方法 〜シューマンの妻クララの場合〜
ニューノーマル後の趣味ピアノ日記 〜クララ・シューマンを支えた男性たち〜
クララ・シューマンの生涯と感動
ブラームスとクララ・シューマンは恋愛関係にあったのか
”恋する作曲家”ブラームスのロマンティシズム
Posted at 2025/05/21 23:07:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミュージック・アート | 日記
2025年05月19日 イイね!

今さら気にすることもないですが

先日、何気なく今月のPVを見てみたら😨



9日と11日だけ、この異様な伸びは何?
記録上は、誰かが私のブログを網羅して読んだことになっていますが・・・



記事を書こうが書くまいがPVがあまり変化しないのは経験済み。
ま、オワコンである私のブログならそれもしょうがないとも思いますが😅



そもそもどういう仕組みでPVをカウントしてるのかも分からないし、やっぱりあまり気にしてもしょうがないですね。
Posted at 2025/05/19 23:06:16 | コメント(4) | トラックバック(0) | ひとりごと | クルマ
2025年05月16日 イイね!

ミナモアからの、旧西国街道

ミナモアからの、旧西国街道つづきです。



広島駅前1階に降りてきました。まだ工事中でフェンスで仕切られている部分も多いですが。



正面は地下通路入口です。
広島らしく、ハトが舞うモザイク。中央のハートマークを分割したパーツを組み合わせていろいろな姿を作っています。

地下通路は道路向かいのエールエールA館やビッグフロントへ通じる広々とした空間です。イベントに使えそう。




右手はバス乗り場、左手はタクシー乗り場という配置はこれまでと同じです。
屋根付きになったので、天候が悪い日にも乗り降りが楽なのはいいですね。





ミナモアを出て、左手に進みます。
廃止となる猿猴橋町電停付近。


ちなみに猿猴とは、毛むくじゃらなカッパの一種です。



猿猴橋。小さな橋なのに豪華な造りです。10年くらい前、大正時代の姿に復元されました。



明治以前は、ここは西国街道(旧山陽道)で、猿猴橋は広島城下への入口でした。なので立派な橋なんですね。

©広島城下大絵図より
今の市街地電車通りは外堀を埋め立てていることが分かります。八丁堀は文字通り堀でした。



参考)中世の広島は三角州がまだうんと小さくて、今の平和大通りや比治山あたりが海岸線でした。江波山や黄金山は島でした😅
江戸中期以降どんどん埋め立てが進み、沖へ沖へと土地が拡大していきます。

©広島新開地発展図



荒神橋、的場町電停付近。



荒神橋は元々電車の軌道橋として架けられました。今では車と共用です。
直進方向が荒神陸橋へ繋がる、車が慢性渋滞するポイント。その手前を電車は左へ折れて猿猴橋町へ向かうので、電車も渋滞します😅



稲荷町電停手前。



本来なら駅前大橋線より東側は廃止されるはずでしたが、循環ルートとして生き残りました。



雨が降ったりやんだりしたので、雨宿りしながら自宅まで帰りました😅
ローカルネタにお付き合いくださり、有り難うございました<(_ _)>
Posted at 2025/05/17 13:38:30 | コメント(4) | トラックバック(0) | 広島愛 | 日記

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