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まるしのブログ一覧

2025年05月12日 イイね!

N響が来る ・・・からの ブラームス来訪

N響が来る ・・・からの ブラームス来訪つづきです。
クルマには関係ないので、興味ない方はスルーお願いします。



タイトル写真はロベルト・シューマン40歳のころ。なんか暗い😅

1840年クララとの熱愛を成就させたロベルトですが、次第に精神を病んでいきます。
ロベルトの兄弟もみな短命で、病を得やすい体質だったのかも知れません。



新婚当初は絶好調で、歌曲、室内楽、交響曲など相次いで完成させます、が張り切りすぎたのか?1842年には過労で倒れます。

1843年、メンデルスゾーンが創設したライプツィヒ音楽院に教授として招聘され、このことをきっかけにヴィークと和解しました。これで精神的にも安定したかと思われましたが・・・

1844年、クララのロシア演奏旅行に5ヶ月間同伴して帰国後から、幻聴、不眠、振戦、高所恐怖症、先端恐怖症などに悩まされ、特に幻聴はひどく作曲もままならない状態になりました。



ロベルトは作曲家・音楽評論家としてそれなりに実績を上げていました。音楽評論で紹介したメンデルスゾーンやショパンはセレブになりました。
しかしロベルト自身の収入は上がらず、子だくさんの家計はクララのコンサートに頼る部分が多かったのです。

ロベルトの病気については後世多くの研究者が議論しています。
当時一般的な疾患だった梅毒(進行した神経梅毒)、あるいはその治療に用いられた水銀中毒、双極性障害(いわゆる躁鬱病)などの可能性が上げられていますが、当時のカルテが失われており結論に至っていません。



35歳のとき転地療養のためドレスデンに引っ越し、一時は安定したかと思われましたが、
1847年若くしてメンデルスゾーンが他界。盟友と言える存在だっただけにかなりショックだったようです。

1850年には熱烈に支持していたショパンも亡くなり、同世代の才能を相次いで失いました。


これ以降、ロベルトの精神状態は悪化の一途を辿ります。



1850年友人の推薦でデュッセルドルフの音楽監督に就任しますが、精神的症状から楽団員とのトラブル、演奏会での奇行など相次ぎ、ロベルトは孤立していきます。
このような状況下でも数多くの作品を作曲しているのがすごいというか、天才と○○は紙一重というか😨



そんな中、1853年に運命的な出会いがありました。
ヨハネス・ブラームスがシューマン夫妻の元を訪れたのです。
←若い頃のブラームス、めちゃイケメン!

ブラームスというと、音楽室にある肖像は→
同一人物とは思えない😅



つづく?<(_ _;)>





参考HP
Wikipedia:ロベルト・シューマン、クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームス
Robert Schumannの生涯
良好な男女関係を築く方法 〜シューマンの妻クララの場合〜
ニューノーマル後の趣味ピアノ日記 〜クララ・シューマンを支えた男性たち〜
Posted at 2025/05/12 19:01:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミュージック・アート | 日記
2025年05月10日 イイね!

日本初ですって

日本初ですってご存知の通り、広島市には広島駅から市内中心部、西は宮島口まで広島電鉄の路面電車が走っています。

被爆した車両(タイトル写真)や、京都市電など他の都市の車両も現役で、路面電車博物館とも呼ばれる観光資源になっています。



広島駅前は路面電車の重要なターミナルですが、これまでは猿猴川を渡って狭い路地に入り、さらに道路を横断して広島駅前へ入るため、駅近くは車両が渋滞気味になっていました。広島駅は目の前なのになかなかホームに入れなくてイライラしたものです。


新たに駅前大橋線を敷設し、広島駅へは高架で直接乗り入れることで、これまでより4分以上短縮することが出来るとのことです。


JR駅に高架で路面電車が乗り入れるのは日本初のことだそうです。
まあ、車が増え大都市では路面電車は衰退傾向なのに対し、デルタ地帯の広島市では地下鉄を作ることがほぼ不可能な(あるいは資金が無い)ため、共存を図ることが必要でした。

当初案では猿猴橋町から段原一丁目までの電停は廃止される予定でしたが、近隣住民から異論が出て予定変更😅
的場町-紙屋町-市役所前-皆実町六丁目を回る循環路線も新たに加えられることになりました。






さてそれでは、ミナモアへ向かってOn footでGo!

ここは宇品路線と新しい駅前大橋線の分岐ポイントです。



新しい(仮)松川町電停もほぼ出来ています。



稲荷町電停付近。ここで旧ルートと駅前大橋線が交差します。



ミナモアが向こうに見えてきました。



駅前大橋です。


余談ですが、左の大きなビルは福屋デパートなどが入るエールエールA館
右側に西武デパートとホテルの入るB館ができる予定でしたが・・・西武が撤退したため、紆余曲折ののちビッグフロントというタワーマンション複合施設になりました。

駅前大橋を渡ります。路面電車にとって高架手前はかなりの勾配です。




さあミナモア到着です😄





つづく<(_ _:)>
Posted at 2025/05/11 17:25:34 | コメント(3) | トラックバック(0) | 広島愛 | 日記
2025年05月07日 イイね!

人混みは嫌いなんですが

人混みは嫌いなんですがGW最終日のことです。
この日は雨が降ったりやんだり。せっかくの休みなのに引きこもっていると、なんだかむずむずしてきます。

なので、小やみのときにウォーキングがてら、新しい広島駅ビルへ行ってみました。



広島駅ビルはminamoa(ミナモア)として3/24にオープンしました。
河の街広島の水面と、みんながつどうという意味がかけられています

広島初とか中四国初とかのブランドや飲食店が多数テナントとして入り、映画館もある今どきの商業ビルに生まれ変わりました。
開業間もない現在、当然人でごった返してます😅
ブランドなぞあまり興味ない私としては、当分は近寄りたくない場所です。

ただ、今回のminamoaオープンの目玉のひとつに、路面電車の直接乗り入れというのがあります。
それに伴い路線も改修されるので、その路線沿いに工事の進捗を観察しました。





その前に、年寄りの常😅として昔話を。
広島駅ビルの歴史を紹介しておきましょう。



商業施設の入った広島駅ビルとしては、1965年に開業しました。


わたしと同世代には、この広島駅ビルの姿が原風景ではないでしょうか。
当時呉駅舎はまだ瓦葺きの平屋でした。広島に出た時のこの立派なビルは印象に残っています。



1999年、広島駅ビルは大改装され、ASSE(アッセ)という名がつきました。
私が広島に引っ越してきたのは2000年なので、駅ビルと言えばアッセ。
5年前までこの姿だったので、多くの広島市民には馴染み深い姿です。


改札を出ると正面は地下通路入口。道路向かいのデパートや商業ビルに通じています。
その奥には路面電車のホームが並んでいます。


左側はタクシー乗り場でした。道路向かいにはナショナル会館というパチンコ屋(ナツカシイ)、現在も立派な建物に新築され営業しています。
タクシー乗り場のさらに左手には愛友市場という昔ながらの商店街がありました。



右手の駅前広場には通称”銀の尻”と呼ばれた噴水がありました。さらに右側にバス乗り場。


2020年にASSEは営業終了、そこから5年をかけて全面建て替えとなりました。





2000年に駅前大橋も拡幅されました。




もうこの頃から路面電車乗り入れの構想はあったようです。





これもつづく<(_ _;)>

写真は主に広島市関連のHPなどからの借り物です。問題があれば削除します<(_ _)>
Posted at 2025/05/10 10:08:18 | コメント(3) | トラックバック(0) | 広島愛 | 日記
2025年05月07日 イイね!

N響が来る からの、シューマンとクララ2

N響が来る からの、シューマンとクララ2つづきです。クルマとは全く関係の無い話題なので、興味ない方はスルーして下さい😅



ピアノの師・ヴィークの怒りを買ったロベルトとクララの交際。

ロベルトはヴィークと街で出会えば罵詈雑言を浴びせられ、周囲にはあることないこと悪評を流されるというひどい扱い。
クララは転居させられ、単独外出禁止という軟禁状態。

あまりの父の仕打ちに一時はロベルトと別れる事を承諾したりもしたようです。



しかし父の監視をくぐり抜け、ふたりは連絡を取っていたようです。
1837年、ついにロベルトとクララは秘密裡に婚約しました。
まだ未成年だったクララが結婚するには父親の同意が必要。意を決してロベルトはヴィークと直談判に及びましたが、当然の如く物別れに😭

ヴィークはクララとロベルトを会わせまいという意図もあったのか、度々演奏ツアーに出かけるようになりました。
この時期、ロベルトは「ピアノソナタ」「子供の情景」「クライスレリアーナ」等の名曲を次々と作曲しています。クララとの愛に燃える心情が込められているようです。
クララも演奏会でロベルトの曲を演奏して応えました。



1839年、ついにロベルトとクララはヴィークに対し結婚を認めるよう、ロベルトへの誹謗中傷を止めるよう裁判所に訴えました。
裁判では、ヴィークの辛辣な行動があからさまに😅

1840年、裁判所はふたりに勝訴の判決、ようやく結婚式を挙げました。ロベルトは30歳、クララは21歳の誕生日の前日でした。



5年もの苦難を乗り越え、ようやく結ばれました。めでたしめでたし。



・・・とはならない😨
ふたりの結婚生活はなかなかにハードでした。
タイトル画像は1847年(シューマン37歳)頃の肖像画。表情が暗いような気がします。

理由の一つ、子だくさん。

熱愛を貫き結婚したふたり、次々と子供が生まれます。
1841年から1854年にかけて、なんと8人、4男4女😅
長男エミールこそ1歳で夭折したものの7人は成人しました。クララは毎年のように妊娠出産、子育ては大変だったでしょう。

新婚当時、ロベルトは音楽家・評論家として徐々に存在感を増していたものの稼ぎは充分ではなく、家計は19世紀最高のピアニストの一人と評価されていた、クララのコンサートに頼っていました。
ロベルトは子煩悩で「子供は何人でも欲しい」タイプでしたが、クララは日記の中で「子供は3、4人で十分」と書いています。相当しんどかったようです😅

当時のコンサートは自分の作品の演奏会、というかたちが多かったようです。クララも自身で作曲もして、その出来映えはリストも賞賛するほどでしたが、当時は”職業婦人” ”女性の作曲家”が認められる社会風土ではありませんでした(メンデルスゾーンの姉・ファニーも同様の境遇)。
クララはシューマンやメンデルスゾーンの作品を演奏し世に広めました。演奏者と作曲者は別、という現代のコンサートの原型を定着させました。





もう一つの理由、ロベルトの病気
元々内向的な性格のロベルトでしたが、新婚当初は奥様の方が遥かに有名人
クララの演奏旅行に同伴すると”ピアニストの夫”と粗略に扱われました。日記では強がっていたもののかなり傷付いたようです。
そういうストレスもあったのか、徐々に精神を病んでいきました。



さらにつづく?<(_ _;)>





参考HP
Wikipedia:ロベルト・シューマン、クララ・シューマン
Robert Schumannの生涯
クララ&ロベルト・シューマン、時代を先行く夫婦像
ニューノーマル後の趣味ピアノ日記 〜クララ・シューマンを支えた男性たち〜
Posted at 2025/05/07 13:36:28 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミュージック・アート | 日記
2025年05月06日 イイね!

雨の日にゴソゴソ

雨の日にゴソゴソ今日、広島は雨模様。なので引きこもりです。
こんな日はエリーゼをプチドレスアップです。



自作フロントスプリッター、効果も抜群でお気に入りなのですが、3Mダイノックを貼った仕上げが今となっては少し気になるポイント。



ダイノックシートは綾目模様が露出してつや消しなので、リアルカーボン感に欠けます。

なので自作ストーンガードシールでは3Mスクラッチガードを重ね貼りして光沢感をだしました。

すでに装着したスプリッター、サイドだけでも光沢感を出したいと、スクラッチガードを貼ることにしました。



些細なことですが、サイドビューは光沢仕上げで統一されたので自己満足です😊






プチといえば、エンジンルーム。


自作塗装したヘッドカバーも熱害による傷みが少々目立ってきました😅
まあもうちょっと綺麗に掃除してればいいんですが。

これを修復するのは大仕事なので、ワンポイントのイメージアップを図ります。



超自動後退でこんなのを購入しました。
本来はガソリンフィラーキャップに貼り付けるドレスアップ商品です。


エリーゼには使えないですが、オイルキャップに流用します。
若干はみ出したところはニッパーで削りました。


ちょっと英国風味😁
自己満足な連休最終日でした。
Posted at 2025/05/06 13:35:05 | コメント(2) | トラックバック(0) | エリーゼ/ロータス | クルマ

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