ところでレバニラ炒め?ニラレバ炒め?どちらが正しいのか?
これは,豚レバーと牛レバーや,東日本と西日本の呼び方の違いではない。
以前チコちゃんが言っていた。
元々,中国から渡ってきたときの直訳は,ニラレバ炒め。
それをバカボンのパパが,レバニラ炒めと逆にして広めたと言われている。
たしかにパパは「ゴメン」を「メンゴ」と言うなど,スラングを頻繁に使い,ポップカルチャーの中で定着させていた。
そう言えば「タモリ」の命名も,バカボンのパパの生みの親である赤塚不二夫。
さすが「西から昇ったおひさまが東へ沈む」という天才ならではの思考回路を持った者の発想だ。
まぁ,多少無理くり感が強いような気がしなくもないが…
これでいいのだ!
子供のころ,食卓にレバニラ炒めが出ると,この料理を考えた人を呪った。
母が台所でフライパンを振る音,ジュウジュウと油が跳ねる音,その後に立ち昇る濃厚なニラの香り…
それらすべてが私に「またアイツが来る!」と警鐘を鳴らすのだった。
目の前に置かれたお皿の上で,レバーとニラがキラキラと光り,タレが照りを放っているのを見るだけで,声にならない声で叫んだ。
助けて!ギブアップ!と…
一口目を箸でつまむのにどれだけの勇気が必要だったか,今でも思い出す。
熱々のレバーを恐る恐る口に運び,歯で噛み締めると,強烈な風味と少しザラザラとした食感が口内に広がる。
それがどれほど嫌だったかを,母は理解していない。
母は「体にいいから食べなさい」と言うけれど,健康な私にとっては「美味しいから食べなさい」以上の説得力はなかった。
それがどういう訳か,いつしかレバニラ炒めが好物になったが,一体いつからなのかは覚えていない。
今夜は仕事に疲れて,もうクタクタだ。
こんなとき,定食屋で決まって注文するのは,レバニラ炒めとビール。
一口目を箸でつまむ。
あのころは分からなかったけれど,今はその美味しさも,母の愛情も,深く沁みてくる。
その味は,ただの料理ではなく,懐かしい思い出と成長の証として,私の心と胃袋にしっかりと刻まれているのだ…
私は人混みが嫌いだ。
混雑した場所では,息苦しさと苛立ちが押し寄せてくる。
それなのに,祭りとなるとなぜか足が向いてしまう。
この矛盾が不思議だ。
祭りの会場には,日常とは異なる空気が漂っている。
提灯の柔らかな光が夜空を彩り,屋台から漂う香ばしい匂いや,お囃子(はやし)の音色に心がくすぐられる。
その場に立つと,人混みの多さよりも心を奪う情景が勝り,普段なら避ける人混みも許せる気になるのだ。
祭りには,古くからの起源がある。
五穀豊穣や疫病退散を祈るために始まったものが多いという。
その本質は現代でも変わらず,人々を繋ぎ,日常から解放される特別な時間を生み出す。
屋台(ブース)に立つキャンギャルの誘惑に引き寄せられ足を止めれば,人混みを掻き分ける疲れさえも,祭りの余韻として感じられるから不思議だ。
祭りには魔法のような力があるのかもしれない。
個々の顔がぼやけ,そして一体感が際立つ。
自分もその一部であるような感覚が生まれ,孤独感や疎外感が消える。
日常に戻るとまた人混みを避けるが,次の祭りが近づくと,心のどこかで期待が膨らんでいる自分がいる。
この矛盾こそが,人間らしさの一部なのだろう。
そんな私が,年に一回のクルマの祭典,東京オートサロンに今年も足を運んだ。
車好きにとって聖地とも言えるこの祭りには,煌びやかなクルマと情熱に溢れた会場が広がっている。
そこでは人々がクルマへの愛を語り合い,非日常的な体験を共有していた。
足が棒になるほど歩き回りながらも,また来年も来ようと思わせる特別な空間であった。
ライダーの聖地北海道は,オープンカー乗りに取っても同じこと。
そこで私は,北海道移住を目論んでいると北国出身の人に明かしたところ,意外な反応が返ってきた。
その車高じゃ冬は亀の子になるよ!
亀の子?一瞬ピンとこなかったが,轍(わだち)に腹がつっかえて足をバタバタさせ動けなくなることだ。
確かに,これまで所有してきたクルマは,どれもスポーツカーばかり。
地を這うような低い車高が美しいと信じ,雪とは無縁の地でその優雅さを楽しんできた。
だが雪国では,その美しさが逆に仇となってしまうのだろう。
考えただけでも恐ろしい。
立往生して迷惑をかけるのも困るが,走り屋にとって「亀」と揶揄されるのは屈辱以外の何ものでもない。
走ることにプライドを持つクルマが,歩みの遅い亀のように見られるとは…
だが,そこで一つ閃いた。
亀ではないが,すっぽんならばどうだ?
すっぽんといえば,その力強い足取りと泥沼でも前進する粘り強さで知られる。
亀のように見えて,全く別物。
一度スリップストリームで尻に食いついたら,決っして放さない。
これこそ,冬の厳しい環境でも進むクルマの象徴ではないか!
そんなわけで,すっぽん鍋を食べに行くことにした。(単純)
個室に通されると,どこか懐かしい出汁の香りが漂い,食欲をそそる。
一献傾けながら待っていると,まず供されたのが,透明感のある黄金色のスープだ。
すっぽんのエキスが凝縮されたそれは,驚くほど旨味が深い。
ひと口飲むと,身体の芯から温まるような感覚が広がり,寒さの厳しい冬に備えるには打って付けだと思った。
次にお目当ての鍋が運ばれてきた。
大ぶりのすっぽんのぶつ切りが惜しげもなく並び,周りには長ネギ,白餅のシンプルな面々が脇を固める。
火が入るにつれ,出汁はさらに濃厚な香りを放ち,湯気とともに素材の良さを主張してくる。
その後,煮えた具材を次々と引き上げ,これまたエキスの溶け込んだ出し汁と共に口に運ぶ。
コラーゲンたっぷりのプルプルとした皮,程よい弾力のある身,そして野菜の甘み。
それぞれが絶妙に絡み合い,口の中で一つの完成形を作り上げる。
滋味深い味わいが,心も身体も満たしてくれる。
これから冬に立ち向かうためのエネルギーをたっぷりと補充した気がした。
すっぽん鍋を前にして,ふと思う。
亀のように立ち止まるクルマではなく,すっぽんのように粘り強くプルンプルン走るクルマ。
それは一体どんな姿をしているのだろうか。
鍋の熱気に包まれながら,冬を乗り切るための次なる愛車について,頭の中で思い描くのだった。
初夢で見ると縁起が良いとされる一富士・二鷹・三茄子。
富士山は一番高く,鷹は高く飛び,茄子の初値が高いことに由来するが,実は諸説ある。
富士は「無事」,鷹は「高」,茄子は「成す」という掛け詞や,かの家康公が好んだ順とも言われる。
更に続くのは,四扇・五煙草・六座頭。
一二三に四五六の対句で,末広がりの富士と扇,昇る鷹と煙草の煙,毛がない「怪我ない」のが茄子と座頭だ。
どれもが新年の縁起を担っている。
そして七は何か?
私にとってそれは「セブン」に他ならない。
今年,3年待ち続けている念願のセブンが,ようやく納車される。
富士のように堂々と,鷹のように軽やかに,そして茄子のように何かを成し遂げる覚悟で待ち続けた日々。
扇のように広がる喜び,煙のように上昇する期待,怪我なく安全に楽しみたい願い…
そのすべてを込めて,セブンという特別な存在を迎え入れる新年が始まる。
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