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ヘルメットを脱いだ成海は、一つ大きく深呼吸をした。
そのプレハブ造の工場の裏は、大きな山がそびえ立ち、樹木が生い茂る。さらに周囲は廃車が壁さながらとなり、迷路のようになっていた。もう逃げ場はどこにも無い。
「上場見…」
成海の全身が総毛立つ。ゆっくりとした動きで下車し、工場の内部に歩み入った。
工場内は、吹き抜け構造2階建てで、広々としている。少々薄暗く、機械を扱う工場独特の、鉄と油の“つんっ”とした匂いが鼻についた。しかしそれは、子供の頃から慣れ親しんだ匂いでもあり、少しだけ、成海の心を落ち着かせる。
そこから『ひゅぅぅぅっ…』っと、空手の “ 伊吹 ” を一息吐き、五感を研ぎ澄ませ、これからの戦いに備えた時だった。薄暗い工場内の更に一層闇の深い場所から、人の気配を感じた。そしてそいつは、不気味な空気を身にまとい、音もなく “ ぬらり ” と現れた。
その姿に成海は少々 “ ぎょっ ” としたが、すぐに平静を取り戻す。そこにいたのは、ミイラ男さながら、顔の全面に、包帯を巻きつけた男だった。そして、その口から発せられる、不快な波調の声だけは、忘れたくても忘れようがなかった。
「ひーーっひっひっひ」
長い舌をベロリと垂らし、下卑た笑い声が工場内に響く。
『上場見 !! 』 もう間違いなかった。全身が身震いする『どんなにこの瞬間を待ち望んだ事か !? 』 身体にアドレナリンが湧き出し、力が溢れ出てきた。
「会いたかったよ…。上場見」
「ひっひっひ。お嬢ちゃんよぉ、そんなに俺の事が恋しかったのかい?俺もなぁ、お前を忘れた日なんて無かったぜぇ、この砕かれた顔が、疼いて疼いてよぉ ! ひーーっひっひ」
「ああ。アタシも、アンタが恋しくて恋しくてねぇ・・・。 一刻も早く止めを刺してやりたかったのさ !! 」
そう言うや否や、成海は一気に走り出し、その勢いで “ ふわり ” と宙に舞い、飛び蹴りを見舞った。しかし、それを軽くかわした上場見は、後ろ手に隠し持っていた鉄パイプで、成海の頭部へ一撃を飛ばす。が、成海は何の躊躇いもなく、右腕でブロックし、その一撃を弾き飛ばしてしまった。
鈍い音。そんな音と共に、上場見は鉄パイプを持っていた手に、痺れに似た感触を感じていた。
「ああ~~ん?プロテクターか?小癪なヤツめ」
「ハンッ ! 同じ轍は踏まないよ !! 」
なんと、M65フィールドジャケットの袖に下には、KADOYA製の丈夫なアームプロテクターが、しっかりと装着されていたのだ。
「ひーーっひっひ、好きだぜぇ~~成海ぃ~~」
そんな上場見の、興奮した声が響いた時、表でパトカー複数台の電子サイレン音が、けたたましく聞こえてきた。
「ああ~~ん、なんだぁ!?ったくよう。人の楽しみを邪魔しやがって」
なんとも、ガッカリした様子の上場見だったが。
「おい、やれ」
左手を軽く掲げ、誰かに合図をしたとたん、突然工場のシャッターが、勢いよく下ろされ、太い閂が掛けられた。そして、どこからともなく、潜んでいた3人の手下達が現れ、吹き抜け構造の2階へ向け、むき出しの鉄階段を駆け昇り、そこに用意してあった、大量の火炎ビンに火を点け、2階窓から、表に積み上げられていた廃車に向け、次々と投げつけた。
火炎ビンの中身は、揮発性の高いガソリンだった。辺りはあっという間に、火の海となり、爆発的に燃え広がった。
「ひーーっひっひ。どうだ成海ぃ、綺麗だろぉ!?これで邪魔するヤツは、一人もいないぜぇ~~」
「…アンタは狂ってるよ…」
「ひーーっひっひっひ」
そのとき外で、ひと際大きな爆発が起こった。
11
手下の一人が階段を降りてきて、上場見の近くに佇んだ。
「ひっひっ、ガンセキィ~、お前もお嬢ちゃんと遊びたいのかぁ~。いいぜぇ、たぁ~っぷりと可愛がってやんなぁ、弱ったところで、俺がなぶり殺しにすっからよぉ~」
そのガンセキと呼ばれた男は、見た目通り、分厚い筋肉に覆われた体躯を持ち、首にいたっては、その長さが分からないほどに太く、肩も巨大な筋肉で大きく盛り上がっていた。
無言で “コクリ ” と頷く。
「ガンセキはよぉ、しゃべれ無ぇんだ、だからコイツの想いをよぉ、身体で受けてやってくれよ成海ぃ、ひーーっひっひ」
上場見がそう言うや否や、ガンセキは成海めがけ、凄い勢いで肩から突進した。でかい割に、素早い動きをしていた。が、成海はそれ以上のスピードで避ける。
体捌きで相手の右側面に “ ひょい ” 交わし、肝臓めがけて、右前蹴りを入れようとしたのだが、上場見がすぐ近くに踏み込んできて、鉄パイプを振り降ろしてきた。
「しゃああーーー ! 」
またしても、それを腕で受ける成海。
「ハン、そういうこと !? 」
そこから2人の波状攻撃が始まる。右に左に2人が入れ替わり、絶え間なく成海を強襲する。
上場見の鉄パイプが振り下ろされ、それを捌く、ないし腕で受けると、次は死角となる場所から、ガンセキの大振りな拳か、体当たりが飛んでくる。
大半は交わすことができたが、少しずつ攻撃も貰っていた。しかし、そんな状況にありながらも、成海は驚くほど冷静だった。それは “ ある覚悟 ” を決めていたから他ならなかった。
やがて “ その機会 ” は訪れた。2人の呼吸が乱れはじめ、攻撃の手が緩んだ瞬間を逃さなかった。ガンセキの大振りな右拳をわざと受け、その勢いを利用して鋭く回転。そこから体重をのせた、中段の後ろ回し蹴りを、腹部に叩きこむ。雪山で鍛え上げられた、成海の重たい蹴脚は、ごついガンセキの体躯を “ くの字 ” に折り、さっきまでの激しい動きを、瞬時に止めてしまった。それだけ強烈な一撃だった。
もんどりをうつガンセキ。それから上場見の鉄パイプも捌き、懐近くまで一気に踏み込んだ。そこは超ショートレンジの間合い、指を軽く曲げ、虎指という右掌底をつくり、その一番硬い手根骨で、鼻を下から押し上げるように、人体の急所“人中”を打つ、最大の禁じ手『虎殺拳』による打撃だった。
鼻骨、涙骨、蝶形骨、上顎骨、下鼻甲介、口頭骨の顔面頭蓋を破壊して、呼吸器系を潰してしまい、相手を絶命たらしめる、禁断の技だ。
極限まで捻じられた体幹が、足、膝、腰、背中、肩の順で瞬時に開放され、螺旋の爆発的な力となり、掌が射出される。
「殺(と)った ! 」
最高のタイミングだった。それが成海の覚悟 !! 殺人をもいとわない、覚悟の一撃。
鍛えに鍛えた蹴脚は、強い打撃を生み出す。そしてこの技を、確実に極めるための土台だったのだ。
だが甘かった、次の瞬間だった。成海の爪先から脳天まで、強烈な衝撃が突き抜けた。更にその後には、肉の焦げる匂いが、鼻腔をついた。それは電圧を上げた、改造スタンガンの電撃だった。ガンセキが成海の首筋に押し当てていたのだ。
「チクショー、あと…あと少し…」
倒れながら上場見を睨んだ。
「ひーーーっひっひ」
上場見は間髪を入れず、倒れた成海の膝に鉄パイプを叩きつけた。
「ああっ !! 」
激痛が走る 『 …くっ…し、しまった… 』 膝を砕かれた。
「ひひひ、惜しかったなぁ。でもそろそろお別れだ。楽しい時間は、あっという間だなぁ、成海よぉ…」
それから上場見は、鉄パイプをゆっくりと頭上に掲げた。
12
その頃、工場の外では、警官隊がごった返し、大混乱を招いていた。
「消防隊はまだなのかーーー !? 」
「早く火を消せーーー !! 」
「そっちにも引火するぞーーー !! 」
「駄目だ ! 全然近寄れない !! 」
もはや烏合の衆であった。
そうして、そのタイミングで現れたのは、進藤と謎の人物だった。
「おい、進藤、さっき話した “ アレ ” をやるぞ ! 早く用意しろ !! 」
「な !? お前はバカか?そんな事できる訳ないだろ !? 」
「あん?バカはお前だ ! 成海に何かあってからじゃ遅ぇんだよ !! 」
その言葉を聞き、少し考えた進藤は、意を決し「よし ! 」 と短く答えた。
それからその2人は、一端その場を後にしたかと思いきや、今度はY33セドリックの覆面パトカーに乗り、勢いよく突進してきた。
そう、乗っている !? 一人は冷や汗を流しながら、運転席に座る進藤。そして、なんと、もう一人の姿は、クルマのルーフ上にあり、まるでサーフィンでもするかのような格好をして、目的地の工場を睨み付けていた。
「よぉーーーし !このまま廃車の山に突っ込め進藤 !! 」
「くそったれーー ! こんな事をして、俺は何枚始末書を書けばいいんだぁ !? 」
燃え盛る廃車の山に迫る。
「恨むぞ、下村ぁーーーー !! 」
下 村 !!
そうなのだ、クルマのルーフ上に居たのは、死んだはずの下村だった。仮に他のSANTANAが、その場に居合わせたのなら、間違いなく目を疑う瞬間だったであろう。だがしかし、それは紛れもなく彼の姿だった。
そうして、Y33セドリックはアクセル全開のまま、炎に包まれた、廃車の山に突っ込んだ。けたたましい衝突の衝撃。その勢いで、ルーフ上の下村は勢いよく、宙へ弾き飛ばされる。
その様子を見ていて慌てたのは、工場内2階の窓で、見張りに立っていた、上場見の手下であった。
「うわーーー ! こっちに真っ直ぐ来るぞーーー !! 」
「だらああぁぁーーーー !! 」
下村の気合いと共に、2階窓ガラスが激しく砕け散り、吹き抜け構造の工場内へ、3人の男達が落ちてきた。
上場見は、成海に止めを差すべく、鉄パイプを頭上に掲げていたのだが、突然の出来事に驚き、その機会を逸してしまった。
土煙が舞う工場内、そこから一つの人影が “ ゆらり ” と立ち上がり、ゆっくりと歩を進めて来た。
そして、包帯だらけの顔にも関わらず、驚きを隠し切れなくなった、上場見が呟いた。
「し…下村ぁ…」
電撃により、意識が混濁する成海であったが、その名前ははっきりと聞こえた。
「え?えっ?…下村…さん…なの?」
「死んだはずの手前ぇが、なんでここにいるんだぁーーー !? 」
動揺を隠し切れない上場見。
「テメェは確かに…、この俺がブチ殺したはずなのに !? 」
“ ニヤリ ” と笑う下村。
「はっ、ケリをつけようぜ、上場見 !? 」
「まさか !? まさか !? まさか !? 」
上場見は、完全にパニックに陥った。
そんな様子に下村は 『 ふう~ 』 と一つ溜息をつき、今度は成海に言葉を投げかけた。
「成海…すまんかったな。けど、もう大丈夫だ」
色黒で顎髭を蓄え、武骨で野生に満ちた鋭い眼付きだが、成海を見つめるその瞳は、とても温かく穏やかだった。
「ほんとに、ほんとに、下村さんなの !? 」
成海の瞳から涙が溢れる。
しなやかで力強く、細く引き締まったその体躯。間違いなく下村であった。
それから下村は、再度、上場見に向きを変え、ある問いを投げかけた。
「これは一体、誰の差し金なんだ !? 」
「ひっひっひ、下村ぁ~…」
上場見が吠える。
「こぉのバケモンがぁーーーー !! 」
突然手に持っていた鉄パイプを、下村めがけ投げつけたが、下村は一切動じることなく、回転しながら飛んでくる鉄パイプを、左腕で無造作に払い除けた。
その瞬間、視角となった右側後方から、サイのようなガンセキのショルダーアタックが、突如襲ってきた。 が、それに気付いた下村は、左足に踏ん張りを利かせ、右手だけでその突進を止めたや否や、万力のような握力で、岩石の肩を握り潰してしまう。
「●×△※ !! 」 うめき声と共に、苦悶の表情を見せるガンセキ。
「だらああぁぁぁーーー !! 」
下村は、周囲の空気が震えるほどの気合いと共に、強烈な左フックを顔面に飛ばす。その左拳が、相手の頬にクリーンヒットした瞬間、ガンセキはその場で宙を半回転し、頭から地面に叩きつけられた。
恐ろしいまでの威圧感を放つ下村。上場見を睨み付けながら歩み寄り、次の一撃に移行しようとした時、いきなり足元で、火炎瓶が狂おしく爆ぜた。
本能的に宙へ飛び、爆炎を交わす。着地と同時に地面を転がり、攻撃態勢をとろうとしたが、火炎瓶が次々と放たれ、そのうちに、辺り一面が火の海と化した。
それは、先ほど下村と共に、2階から落ちてきた、2人の手下の仕業だった。
「ひーーっひっひ。下村ぁ~~ !! 」
もはや近付けないほど、大きくなった炎の向こう側から、上場見の笑い声が響いた。
「一つ教えてやる。お前はなぁ、とんでもねぇお人から、恨みを買ってんだ ! お前が生きていたと知った以上、これから酷ぇことになるぜぇ~ ! 大人しく死んでた方が良かったかもなぁ~。まったく、同情するぜぇ、ひーーっひっひっひ」
そして上場見は、あらかじめ用意していたであろう、逃走用の出口から、手下と共に脱出していった。その遠ざかっていく、単気筒エンジンの音は、炎の中に取り残された下村を、まるであざ笑うかのようだった。
『 くそったれ!ダメか… 』 心の中で悪態をつく下村。追いかけようにも炎の壁が邪魔し、追跡は断念せざるを得なかった。しかも、最後の出口と思われる、その場所にまで、ご丁寧にも火が放たれていた。
だが、たとえ追跡が可能であったとしても、下村は決して上場見を追わなかったであろう。いま優先すべき事は “ 成海 ” だ。下村はいつも、仲間ことを最優先に考える。
「成海 !? 」
下村は、倒れている彼女の元へ駆け寄り、小さなその身体を “ひょい ” と抱え上げた。
「成海しっかりしろ ! 俺達も脱出するぞ !! 」
しかし、辺りは一面が火の海となっており、壁の炎にいたっては、今にも天井に達しようとしていた。その熱気はジリジリと肌を焼き、酸素が奪われ、息苦しさで目眩を起こすほどだった。
「ごほっごほっ…どうやって?…もう無理だよ…」
むせ返りながら、成海が弱々しく答える。
「大丈夫だ。今度は俺がお前を護る !! 」
そう言い、まだ、炎に包まれていなかったZ1000MkⅡに成海を乗せた。
それから下村は “ ぎらり ” と眼つきを鋭く周囲を見渡し、目標を捕捉する。
それは工場正面のシャッターに掛けられていた閂。
「っしゃあーーー ! 」
自分に気合いを入れ、一気に走り出し加速。それは弾丸のような勢いで、捕捉目標に迫り、そこから全力のサイドキックを放つ。
「だらああぁぁぁーーー!!」
その閂は、柱等に使用される120mm角の部材であるにも関わらず、一発目のサイドキックで亀裂が入り、追い打ちの二発目には、乾いた音を立て、見事に圧し折れてしまった。それから下村もZ1000MkⅡに跨る。
「成海行くぞ、しっかり捕まってろ」
「…はい」
成海は下村の逞しい背中を、ただただ強く抱き締めた。
「いっくぜぇーーー !! 」
その空冷モンスターは、やっと帰ってきた主の想いに呼応し、いつもより激しいエキゾーストノートを奏で、今にも焼け落ちそうになっていた、工場のシャッターに向かい、鋭く突進していった。
13
成海の怪我は、膝蓋骨粉砕骨折。いわゆる膝の皿が、砕けてしまっていた。
焼け落ちる工場から、見事な脱出劇をみせた下村は、そのまま、高度医療機関へ成海を運び、緊急手術を受けさせた。それは何時間にも及ぶ、大手術であった。
しかし、実はこのとき、医者は「 生命に危険が及ばない外傷である 」 との判断から、手術日を後日に回そうとしていたのだが、それに怒った下村は、かなり強引な説得を敢行。何を言われても、絶対に引かない下村に対し、遂には医者側が折れ、緊急手術となったのだ。
それから、その砕けた骨は、見事元通りに復元される。しかも 「リハビリ次第で元通り動くようになる 」 との太鼓判まで貰い、わがままを聞き入れてくれた、整形外科のドクターには、本当に感謝した。
手術後、成海の全治は、リハビリも含め3ヶ月。そんな診断が下され、当分は病院のベッドで、大人しくすることとなった。
14
そんなある日、成海の病室には、SANTANAのメンバーである、下村、進藤、岩野、坂本が見舞いに来ていた。
坂本に至っては、クルマで撥ねられたにも関わらず、足、腰の打撲、額の裂傷程度の軽傷で済んでしまい 「 下村さんに負けず劣らずのタフボディだぜ ! 」 と、しきりに自慢をしていた。
それからほどなくして、待ち合わせをしていた、成海の祖父・源三と妹の七菜香が到着した時に、ようやく進藤の口から、今回の件について、詳しい事情が語られた。
「道警の調べでは、上場見の逃走劇の裏には、とんでもないヤツがその背後に潜んでいる事を掴んではいたのだが、その実態がいまいちはっきりとしなかった事から、下村の安全を確保することを第一に、ひとまず死んだ事にして、犯人達を泳がせたんだ」
淡々とした進藤の語り口が、悲痛な響きに変わる。
「すると、上場見の一味と思われる輩が、SANTANAのメンバーに、あらゆる危害を加えてきたため、そのまま捜査を、続行する事になったのだが、成海ちゃんを含め、他のメンバーに、とんでもない苦しみと、悲しみを与える結果となってしまった…。ほんとうに申し訳ない」
進藤は深々と頭を下げ、心から皆に謝罪した。だが、そんな進藤の 『 他のメンバーや成海に、真実を伝えられない 』 という、やり切れない後ろめたさや、長きに渡る心労を考えると、誰も文句を言う者はいなかった。
今度は悔しそうな表情を見せる進藤。
「そして、ようやく姿を現した上場見が、下村に向け 『 とんでもねぇお人から恨みを買っている 』 との捨て台詞を吐いた事から、やはり、背後に何者かがいて、ほう助している事が明らかとなったのだが、あと一歩のところで、実態は掴めず終いであったうえ、取り逃がす結果となってしまった」
一度唇を固く結び、再度ゆっくりと話し出す。
「あの燃え盛る工場。その裏口から逃げた上場見は、あらかじめ用意していたCRF450Rに跨り、切り立った裏山に逃走したのだ。もう、その時点で、警察には追跡する術が無かった…」
肩を落とす進藤。
「ここまで追い詰めたのに、一人も逮捕する事が出来ず、非常に残念だ…」
最後にそう締めくくった時だった。
「その恨まれている俺が、こうしてピンピンしてんだ、そのうちまた、ちょっかい出して来んだろ」
などと、下村が事なし気にそう言い放ち “ ニッコリ ” と笑って見せた。
一瞬、全員唖然としてしまったが、すぐに安堵に変わる。自分が殺されるかもしれない状況下で、サラリとそんな台詞を吐き、笑って見せたのだ。なんだか、そんな下村がとても眩しく、また頼もしく思えた。
「それにしてもアイツ…、上場見は…、なんでMkⅡを捨てたり、潰したりもしないで、しかも整備までした状態で、あの場に乗って現れたんだろ?」
坂本が、ずっと気にしていた疑問をポロリと漏らす。
「そんなの、深く考えるまでも無ぇよ。結局アイツも、バイクが好きなんだよ。まあ、成海を誘い出すってのも、あったかもしれんがな。うん。 バイクは良い腕してんのにな… どこで、あんなんなっちまったんだろうな」
下村が少し寂しそうに答える。それから、続けて成海も疑問を投げかけた。
「でも下村さん、お腹を刺されて、ナイフが身体を貫通したのに、どうして大丈夫だったの?」
当然、皆も興味を示す。
「はっはっは、コレな」
Tシャツをめくり、バキバキに割れた、8パックの腹筋に残る傷跡を見せた。
「こんだけ大っきい傷なんだけどよぉ、内臓は一つも傷ついてなかったんだ。複雑に入り組んでいる腸を全て交わして、ナイフが背中に突き抜けただけでよ、結果的に腹と、背中の表面を、ちょこちょこっと、縫っただけで済んだんだよ。で、その日のうちに退院だ(笑)」
これまたサラリと、とんでもない事を言い放った。
「な、こいつバカだろ !? 医者も最初は、奇跡だ ! なんて言ってたけど、こんな調子なもんだから、終いには呆れるのを通り越して、笑いながら腹を縫ってたんだぞ !! 部分麻酔じゃなく、全身麻酔にして貰えばよかったんだ。ほんっとにバカだなお前は !? 」
進藤が呆れて言った。
「
てめぇ、人のことをバカバカバカバカ。いい加減うるせーんだよ !! 」
「なんだとバカ ! バカにバカと言って何が悪い !? って、あっコラ !! 」
そこで、下村と進藤の、取っ組み合いのケンカが始まった。しかし、本気で殴り合ったりはしていない、どこかじゃれ合っているようなケンカだ。
「もう~、病人の前で、何やってるッスか2人とも !? ほんっっとにバカっすね~」
岩野が口を挟んだ瞬間だった。
「なぁ~~にぃ~~~ !? 」
下村と進藤が口を揃えて、今度は岩野に飛びかかった。
「ああっ ! なにやってるッスか !? バカっすよ、2人ともバカっすよ !! 」
進藤は、暴れる岩野を押さえつけ、そこに下村が、岩野の両頬をつねり上げて、顔を大きく横に引き伸ばした。
「バカっすよ ! バカっすよ ! !」
岩野の些細な抵抗であった。
そんな様子を見ていた成海が、急に 「 ぷっ ! 」 と、小さく吹き出した後 「 あはははは 」 大きな声で笑い出した。
「なんなのよもう、なんて人達なの !? あはははははは」
それは、ずっと冷たく閉ざされていた、成海の心が氷解し “ 憎しみのウロボロス ” から解き放たれた瞬間だった。
「ナルちゃんが笑った」
それを見た七菜香は涙を流し、源三の腕に抱きついた。
そして下村は、何度も頷きながら、優しい眼差しで、成海を見つめていた。が、両手の力は緩めないどころか、更に力を込めて、岩野の顔を、横に大きく広げた。
「あがががが、アーーカ ! 、アーーカ ! 」
もう岩野は、まともに喋れなかった。
「あはははははは」
尚も愉快そうに笑う成海。また以前のように、向日葵のような笑顔が咲きほこった。
その場にいた、全員が同じ気持ちだった。下村という太陽に照らされ、皆が元気になり、希望の灯が点されたのだと。
GREAT DAYS。それは 『 審判の日 』 などではなく、成海とSANTANAを繋ぐ線 ( line ) を取り戻した ( Recovery )した 『 最高の日 』 となった。
その時、病室の窓の外から、夏の始まりを告げる、セミの声が聞こえてきた。
第二章・完