
もうちょっと前だが李登輝が亡くなった。
小林よしのりは、ちょいちょいブログを読むくらいで、久しく漫画は読んでいなかったが、これを機会に台湾論を読んでみた。
何が言いたいの感
彼の漫画は戦争論くらいから熱心に読んでいたが、久々に読むと何の意味があるのかよくわからないシーンが多い。派手な漫画は論旨の理解を邪魔しているように思う。昔はこれを面白いと思っていたのだろうか?
民主化とアイデンティティ
台湾の歴史はよく知らなかったので、それは勉強になった。内省人と外省人という言葉も初めて知った。従来から台湾に住んでいた人を内省人といい、戦後蒋介石と共に中国から渡ってきた人を外省人というらしい。
外省人は人口の16 %ほどだが国民党の独裁体制は続き、1949年から1987年まで38年間も戒厳令下に置かれる。その体制を国民党の内部から破壊し民主化を実現させたのが李登輝だった。
という訳で、台湾は中国とは異なるアイデンティティがある。民主化は一層台湾人としてのアンデンティティを問う、らしい。日本の場合は、甘えが氾濫した訳だが今の台湾はどうだろうか。
強いリーダーと、「公」の実現
彼に一貫しているのは、人的に徳の高い人物が強いリーダーシップを発揮して日本を導いていくような国家像?だ。李登輝とのインタビューでは、彼のようなリーダーが日本にいないことを嘆く。
しかし、どうだろうか。日本は歴史的にボトムアップの意思決定システムだ。これは彼自身が天皇論の中で、天皇というのは権力を分散させ、独裁を防ぐことで平和を維持するシステムなのだと書いている通りである。
そしてうまく言えないが、彼の言う「公」意識の欠如も、このことと無関係ではない気がする。
良くも悪くも彼のいうような「公」意識は、日本には昔から存在しない。小林よしのりは、ナショナリズムによってそれを実現させようとしているが、これは福澤諭吉が「政府ありてネイションなし」と言ったことと符号する。しかし、彼が評価する戦前の日本人も戦争に負けたらあっさりアメリカ万歳でチョコレートをねだったのだ。
日本にはキリスト教のような倫理意識の規範はない。あるのは「世間」という人間関係と、それが作り出す「空気」という怪物のみである。だから、彼の目指す「公」意識の醸成というのは一神教における神を作り出すような見果てぬ夢であるように感じる。
ちょっと大げさだろうか。マシにする、くらいはできると思う。何だろう、明治維新は彼の中のモデルだろうか。
Posted at 2020/09/06 02:47:26 | |
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