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Randonneurのブログ一覧

2025年04月05日 イイね!

デジャブ・・・

8年前、長男が都会に就職し家をでた
そのあとすぐに、長男の部屋をある程度かたづけた
その時次男はまだ10歳くらいだったので一人でその部屋で寝たりはしなかった
その部屋は私の遊び部屋になり
音楽、動画、読書、そしてプラモ製作したものだ
その年のブログをみるとそんな私が見える
しかしその部屋も次男が小6になってから1人で使いだし寝るようになり
私は追い出された笑

先週、次男が就職し都会に出ていった
あのときと同じく家がなんとなく静かに広くなった気がする
今日は陽気もいいので妻と二人、部屋を片付けた
いつ帰省してきても違和感なく眠れるようにパッと見た目は変わらず
しかし押し入れの中とかは結構片付けた(ほぼ、長男や長女次女の子ども時代のものを処分した爆)

そしてまた、この部屋でプラモを作ったりしようと思っている私
しかし今度は、エアコンのない部屋で寝ている次女にとられるのかな?
子どもの成長は嬉しく頼もしくもあり、寂しくもありますね・・・
Posted at 2025/04/05 17:23:18 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記
2025年02月06日 イイね!

雪中行軍のおともはバナナラマ

雪中行軍のおともはバナナラマ








運転嫌いな私
本日、気温は終始マイナス、
雪解けの状況を見て片道40kmの山間部の現場へ行く
県境をまたぐのでラジオのはいりも悪い
ということで今回の相棒は
”バナナラマ” とした

彼女たちを初めて意識したのは長山洋子さんのヴィーナスを聞いてからだったと
思う。どうやら元の洋楽があるらしい事を知りラジオで情報収集
町のレコード屋さんで買えもしないレコジャケをガン見、
どうやら3人グループででアメリカじゃなくイギリスの方々だと知った
シボーン、カレン、サラ という三人娘らしい
私は金髪ボブの子が好みだったが名前と画像が一致してないので誰なんだろう?
とにもかくにも、当時は耳で曲を聴くだけ
何を言ってるのか当然分かりもしないが
彼女たちの歌声とノリノリのメロディーが良かった
40年たって今でもイイ♪
おかげで退屈で憂鬱で怖い雪中行軍も良かった

そして例によってヨウツベで動く彼女たちを初めて見る
こんなだったのか・・・ちょっとイメージと違った
ちなみにうちの妻は80年代から家でMTVが見れる環境だったらしく
この年代の洋楽のPVをほぼ動画で見ているというなんとも羨ましい環境
私が初めて見る40年越しの動画を見て
「懐かしい」 「昔見た」 などと懐古する
当時それが見れていればまた私の音楽趣味も幅が広がったことだろうなぁ
遠くを見る



Posted at 2025/02/07 07:35:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2025年01月16日 イイね!

昭和の少年は何事もプラモデルから教わった?

昭和の少年は何事もプラモデルから教わった?








今、目の前に作りかけのプラモがある
1985年製、タミヤの1/24トヨタトムス84Cだ
おそらく入手したのは二十歳前後と推測する
そのころ仲間うちでプラモブームがあり、
私は
そのトムス84C、
ニューマンヨーストポルシェ956
マクラーレンMP4/4
を買ったのを覚えている。

ちなみにこれより前に、
マツダ787Bと
RX7 R1(FD3S)
を入手しているが積みプラ状態だ

しかし買ったはいいがめんどくさくて組む気になれない
結果MP4/4は友人にあげた
その友人がなんと
無塗装で組んでデカールだけ貼ってくみ上げた
その姿が意外にイケてたのを覚えている
だからだろうか?
トムス84Cを無塗装で4割まで組立てている
NMヨースト956は気合いを入れて組立てた
ちゃんと色も指定通り塗り、
エンジンや駆動系、コクピットなども映える感じでくみ上げた
塗装が難しいニューマンカラーもマスキングし、何度も何日もかけ
塗り分け、自分としてはまあまあ、かっこよく出来た気がしていた
しかし、デカールを貼る段階になって気づいた・・・
ニューマンカラーの左右のカラーリングは非対称だったのだ!
白黒の説明書、持っている資料は少なく左右を見比べる事ができていなかった!
(ま、説明書よく見ればわかるんだけど・・・)
これにより一気にテンションダウン・・・
完成はしたものの愛着がわかない・・・
今思えばヤスリではがして塗り直せばいいし、
デカールだってまだタミヤからでも簡単に手に入ったはずだ
しかし、苦労して完成させたのに実在しないクルマにしてしまったショックと
かけた時間が水の泡だと思うとみる気もせず箱にしまっていたような気がする
その後、その956は子どもにあげたか?捨てたか?覚えていないががいくら探しても無い。 今、あれば修正して満足いくようにするんだけどなぁ~
ま、若気のいたりってヤツですね。

二十歳のプラモブームの時に買った三台、それぞれに購入理由がある
16戦15勝のマクラーレンホンダMP4/4はフラットフィッシュの流れをくむ
ローラインボディとホンダV6ターボを立体で見たくて買ったはず。
では、トムス84cとNMヨースト956はなぜ買ったのだろうか?

時は遡り1980年代
私は小学~中学生
地方都市で普通の昭和の少年としてすごしていた私
移り気な時期、流行り物には何でも手を出すが飽きるのも早い年頃
プラモ屋さんには足繁く通っていた
そこには実際においてあるプラモや、ポスター、カタログなど
まばゆいものばかり。そこでよく見ていたのが田宮模型のカタログ、
クルマ、バイク、船、飛行機、ミニタリー、ラジコンなど興味を引くものばかり
この時期、わざわざ書店で本物のクルマ雑誌や本を見れば情報を得ることは出来たとしてもそんなことはしない普通の小学生にとってプラモデルやカタログこそが唯一といってもいい身近な情報入手源、
そのカタログにトムスも956も載っていたように記憶している
たしかラジコンもあったはずだ
その頃はまだマツダのルマンチャレンジのことも知らない私
きっとかっこいいレーシングカーとして記憶に刻まれたに違いない
そして二十歳になったときに買ったのではないかと思うのだ

私に限らず、プラモやその資料がきっかけでいろんな乗り物なんかに興味を持った人は多いのではなかろうか?
説明書に書かれている紹介文を読みあさり、丸覚えし、さも自分の知識のごとく友達に語っていたのが懐かしい
そしてその頃に得た記憶や思い出は、いくつになっても色あせないものだ
かわいそうな別れ方をした956のためにも、トムス84cはちょっと頑張って
きれいに組んでみようかな♪


Posted at 2025/01/17 17:05:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | プラモデル | 日記
2025年01月04日 イイね!

2025年もどうぞよろしくお願いいたします

2025年もどうぞよろしくお願いいたします昨年はお世話になりました

今年もどうぞよろしくお願いいたします


どこにも行かなかったので

思いのほかはかどるプラモです♪
Posted at 2025/01/04 17:24:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記
2024年12月31日 イイね!

回顧2024

回顧2024








体力持久力ますますなくなり体重増加白髪に薄毛⤵
社会人1年生を過ごした有明へ行けた! 33年ぶりに♪⤴
売上げは年を通して黒字だったけど・・・→
椿ヶ鼻ダメダメダメ さらに数年前に逆戻り⤵
自転車は無理せず楽しくサイクリングした⤴
2年ぶりのJAF公式レース参加! VITA3時間耐久レース楽しんだ⤴
カートレース楽しんだ⤴



2024年、令和6年、52歳、
とにかく、多忙だった。仕事も遊びも充実していたと思う
だが身体がついてこなかった
仕事は言うに及ばず、遊びでさえも身体を考えセーブした
ゆっくり休んだ休日が多々あった
こんなことは今までになかった




クルマ、レーシング活動
結果はともかく充実した1年だったと言っていいだろう
相変わらずのへたれっぷりだったが回収もできた気がする

●JAF公認VITA3時間耐久レース参加
自己コースレコードを更新し、レースでもシングルフィニッシュを果たしたいと思いレース半年前から走り込んだ。なかなか速くならなかったがやったことは無駄ではなかった。おかげで自分コースレコードは更新出来た。
レースは雨に翻弄されドベだった。たら、ればだが、3者皆がもう少しでもミスを減らしていればシングルフィニッシュは可能だったと思うが3人とも初のVITAウエットじゃあ、仕方が無いでしょ?来年も頑張る。来年はシート作る!

●3回かな?
レンタルカートのガチレースに参加した
私のへたれっぷりが露呈したレースだったが楽しんだ
来年はもっと練習して自己満足できるレースをしたいものだ




銀輪活動
① 飛行機輪行で東京へ行き18歳の私の足跡をたどる旅
② ブルベ200km 1リタイア  1完走  無理せず楽しんだ
③ 熊本へ100km 博多往復130km 南阿蘇ポタ50km 夜の中州往復130k
  博多から遠賀川遡上210km  大分佐賀関臼杵110km 
ほかソロサイクリング楽しんだ
④ 椿ヶ鼻ヒルクライム、ダメダメダメ
⑤ ツールド佐伯お気楽Dコース堪能 これで佐伯フルコンプリート 


①は昨年秋から周到に計画した
その時点で、1年で一番 福岡ー羽田 が安い日を確認、予約した
片道で9,000円だった。ANAで輪行も込みでだ 
これを知った事から、この計画は始まった
つまり3ヶ月前から周到に用意していたわけだ
だが、なかなかだった。まず1月の後半だったのだが寒波がきて前日夜から高速道路は通行止めになったぐらいだ。そうなるだろうと思っていたので夕暮れ時に地元を出発、高速移動したが小郡で下ろされた。それからは下道で板付まで移動
3時間かかった。快活クラブで1泊、飛行機は無事飛んでくれた。
だが凍結防止剤を機体にまくとかで離陸は10分遅れた
羽田到着は予定時刻通りだった。
羽田からお台場へ移動するつもりだったが間違えて国際展示場駅で降りた
気づいてよかった。駅で自転車を組み立てる。
それは当時、18歳のときに一緒に東京にいたランドナーだ。
つまり、51歳になった私が、当時の自転車で、当時の住まいのあった場所に立ち
そこからいつも乗っていた都バスの路線で門前仲町まで行き、
それからは永代通りで皇居へ、そして本社のある新橋へ行き、
浜松町駅から輪行で帰るという青春をたどる旅だ。
これを当時からの相棒であるランドナーに乗ってやりたかったのだ
ついに実現した。
江東区有明1番地は西の方角のレインボーブリッジだけが当時と変わらぬ景色だが、あとは全て「ここはどこ!?」と言いたくなるほど変わった。
当時はまだ建設中だったレインボーブリッジ、ユニクロの社屋に少し隠れているが33年前と変わらぬ姿で私を迎えてくれた。しばし30分ほどその場でぼーっと過ごした。紛れもなくここで、社会人としての第一歩を、オレは歩みはじめたのだ
そして今、そこにいる。感慨無量だった。
そこから都バスの路線をゆっくりと堪能しながら進む。
有明テニスの森は変わらずそこにあるが木を切ったのか?エントランスも変わったのか雰囲気が全然ちがった。なんか高架の線路や駅も出来てた。
東雲界隈に来ると懐かしい景色が出迎えてくれた。
都営団地はそのままだし、廃棄物処理の会社やなんかもまだあった。
いつもお金を下ろしていた東雲の〒局は建物はそのままだったけど
空いていた。通り沿いの都営団地の1階にある大衆中華屋さんに入った。
聞けば50年、ここでやっているらしい。昔は通り沿いではなく団地公園沿いだったらしいが。ここで〒局は交差点の向こうに最近移動したと聞いた。
何も買わなかったが東雲の7-11も健在だった。有明寮から一番近いコンビニで良く利用した。
東雲の交差点を左折すると次は豊洲の交差点となるがここは激変していた
おしゃれになっていた。ブルーカラーの労働者はそこにはいない
いるのは観光客ばかりだ。
豊洲交差点もまた激変していた。変わってないのは地下鉄の出入り口くらいだ
豊洲は有楽町線に乗るときに乗降していた。人生初で胃カメラを飲んだ昭和大学付属豊洲病院はなかった。近くに移転したらしい。
豊洲の7-11で記念撮影。ここもよく行った。ここから覗く団地方面の景色は面影があった。しかし商店はほぼ閉まっている。
越中島方面を目指す
すると当時の借り上げ女子寮だったマンションが名前もそのままにあった!
自分の記憶では門前仲町の先の首都高の向こうだと記憶していたが
実際は越中島だった。何度かお邪魔した女子寮、東北出身のきれいなおねえさんがたが4人一部屋で共同生活してた。有明男子寮との違いに驚いたものだ。
越中島を抜け、右折、門前仲町は目の前だ。赤札堂が見える
あそこで一人暮らしの日用品を買い込んだものだ
門前仲町は東西線に乗るときに乗降した街だ。
豊洲よりにぎやかで日用の事はほぼここですました。
散髪、服、本、CD、弁当、飲食などなど
古めかしいアーケードの名残と新しい店が混在しており賑やかなのは今も変わらない。さすがに店先にビニ本を並べていた書店はもうなかった笑
地下鉄駅ビルの店はラーメン屋だったが今は喫茶店になっていた
赤札堂の店内にも入り、しばし30分ほど門仲散策、ノスタルジーに浸った。
ここからは永代通りを皇居方面へ行く
東京の自転車乗りのあまりのマナーの悪さに驚く
これじゃあ、事故が起こるはずだと妙に納得した
彼らのせいで自転車の法規の締め付けが厳しくなるのだろう・・・
クルマのマナーが素晴らしい東京だが、自転車になると正反対なんだなぁ。
永代橋は素晴らしい鉄橋だった。
右手に日本橋が見える。行く。ここは目的地だった。日本国道路元標を見に行きたかったのだ。レプリカでは記念撮影している方がたくさん。
今今、○○道から帰ってきましたというハイカー?さんと談笑、銀座も見える。
東京駅へむかう。ガード下が面白い。レンガ作りの部分、鉄筋コンクリの部分
在来、新幹線、いろんな電車が上を通り、目の前は最新のクルマが通っている
時間と空間がおりまじる雰囲気がいい
丸の内口へむかう。東京駅すばらしい、一生懸命、2ショットを撮ろうとしている女子2人がいたので声を掛け、撮ってあげた。代わりに私も撮ってもらった。
皇居へむかう。TVでよく見る風景、今そこにいることに感動
実際にあるんだなぁって感じ
東京にいた頃は興味関心事が少なく、せっかくいるのにどこも見に行ってない
駐車場に苦労するのでクルマでも素通り
なら自転車で行けばいいのにあの頃は飽きていたので数回やったくらいで
それもそんなに楽しく高揚した記憶も無い
もったいないけど18歳の若者にとっては東京とはきらびやかなもので
それしか目に入ってなかったんだと回想する
皇居、2周半した。すばらしい。「半蔵門からお届けの・・・」とよくFMラジオで聞く放送局があった。目についた
二重橋前の広場で押しチャリしてたら止められて怒られた
押しチャリでもダメらしい。
新橋へ移動するが、霞ヶ関ビルに行きたかったので寄り道
少し迷ったが信号待ちのおじさんに聞いたら丁寧に教えてくれた
この旅のなかで何人の方に道や駅を聞いただろう
東京の方、皆親切丁寧に教えてくれた
世の中捨てたもんじゃない
最終目的地、新橋へついた
あの機関車と新橋ビルが目の前にある
懐かしい。研修期間中、有明寮からここまで公共交通で通勤していた
駅そばを食べ、Macを食べた
せっかく新橋に来たのだからニュー新橋ビル内の有名店とかに行けば良かった気もするが中を散策しただけであえたやめた。
新橋のMacは思い出がある
当時、昼食難民だった私はようやくMacで昼食にありついていた
そこではハゲたおっさんサラリーマンが急いでハンバーガーにかぶりついていたのが忘れられない。勝手な私の想像だがおっさんは定食屋やそばやが満席でやむなくMacに入ったのだろうと思った。客層から見ても違和感ありありだったからだ。
あくまで私のイメージだが、Macは若者が食べるものだと思い込んでいた
(当時、休日に久留米や博多に行けば、Macは若者しかいなかったからねー)
平日のオフィス街であるから当然といえば当然なんだけど東京って昼飯食うのも大変なんだなぁと思ったのだ。
そして今そこでおっさんになった私がコーヒーを飲んでゆっくりしている
見渡せば他のお客さんは皆PCを開いている
仕事をしているのだ?今回は14時過ぎだったが、昼はどんなだったんだろう
興味がある。
さて、本当の最終目的地、当時の会社の本社へ着いた
会社は合併しており、社名は変わっていたが会社としては残っており、本社機能も同じ場所だった。本社も含め周りの建物は変わっている様に思う
唯一変わっていない、当時のまんまだったのはモーターマガジン社だった。
ここにはいつも珍しいクルマが止まるので見てて楽しかったのを思い出す
記念撮影はした。このまま帰るか・・・と思ったが本社に2人、スーツの男性が入ろうとしている。意を決して声をかけた。
「私は今、御社の福岡支店とお付き合いがあるもので、32年前は務めていました」 そしてこういうものですと私と福岡支店長の名刺を見せた
すると、なんと、新社屋をご案内してくれた!♪
驚きの展開、嬉しかったことは言うまでも無い。
有明寮の話や当時の寮生がどこどこの支店長になってますとか所長になってますとか楽しい話を聞けた。名残惜しくも仕事の邪魔をするわけにはいかないので
あとにした。
時間的にはあと1時間くらい余裕があったが何しろ寒い日だった
東京タワーや東大赤門に行きたい気持ちもあったが寒さに負けた
浜松町駅で愛車を分解し袋に詰めた
モノレールに乗り羽田を目指す
窓の外ばかり見る
他の人はスマホばかり見ている
そういえば網棚の上はきれいなものだった
昔は雑誌や新聞が必ずあったものだった
羽田空港でお土産を買い、まったりと過ごす
飛行機上では人生初でスパイファミリーを見た。面白い。
福岡空港で自転車を待つ
羽田では驚くほど早く荷物が届いたが福岡は遅かった
しかも、上下シールを貼っているのに上下逆さまで運ばれてきた!
これには閉口したが、文字通り何も言わず受け取った。
軽の運バンで帰宅したのは23:00だった
前日19時に出発しての弾丸東京飛行機輪行私青春ツアーはこうして無事
終わった。
翌日、見慣れない着歴を確認したのでかけてみたら当時、有明寮にいた先輩から電話がかかっていた!嬉しいサプライズ。夜にでも会えないかと夕方に電話をくれていたらしい。どのみち弾丸ツアーだったので無理だったが32年ぶりに先輩の声を聴けて最高だった。
過去を振り返る旅だったが、明日への活力をもらった旅になった
飛行機輪行は自転車破損のリスクは確かにある(フェンダーがへこんでいた泣)
しかし、短い時間で超遠方へ行けるので新たな旅の楽しさを開拓できそうな気がする。その扉を、開けた今回の旅だった。




②はBRM200に2回、参加した。楽しかった。
1回目は3月で小倉スタートの吉富経由で日田を通り大山へ、それから小倉へ戻るコースだったのだが日田についた時点でずぶ濡れだった。ので心折れそのまま帰宅リタイアした。30分ほども湯船につかり冷えた身体を温めた。
それほど冷えていたのだ。今の私の中には我慢してまで走る理由がない
リタイアもブルベです笑
2回目は7月で嘉麻スタートの遠賀川下り→響灘→洞海湾→日明→門司→北九州空港からの山こえで嘉麻ゴールだ。これがスタート21時のオールナイトだった。
夜景を見るという主旨の大会でとても楽しかった。
だが、夜というのに高温多湿でまいった
今年の夏はえげつなく暑いんで日中のサイクリングはできなかったなぁと回想
今後もどうなる事やら・・・

③はソロでまったり走った
それも~5月までか夜かだ。6月~12月まではヒルクライム練習や朝活以外は昼間走っていない。暑すぎて走る気が起きないのだ。ま、趣味なのだから楽しいのが一番。暑い寒い思いをして無理に走る必要は全く無いのだ。と、自分に甘える。


④去年が去年だったので練習はそれなりにしていたんだが・・・
タイムが遅い。悪かった去年よりもさらに平均して遅い
体重は平均して去年より1kgほど重い
息も切れるし筋力も持たない。足や体がつらないだけマシか?
一昨年から出てきた下腹は油断するとどんどん出てくる!
もはやヒルクライマー以前の問題か?とも思った
結局、練習でのベストは64分と去年よりもさらに2分遅い
本番は台風接近で結局中止だったのだが
当日は台風一過で晴れ上がったので
仲間で模擬大会を実施、その時のタイムはなんと・・・
67分だった泣  異常に遅いタイム、もう正直どうでもいい気になった。
破れかぶれで打ち上げでは飲んで食った
2025年はどうしよう・・・参加は必ずするつもりだが何か手を打たないと・・・


⑤ツールド佐伯Dコース40km大入島一周に参加
ランドナーでのお気楽参加。私の旅のポリシーでもある寄り道も満喫して最高に楽しんだ。これにてツールド佐伯の全てのコースを走破したこととなる
今、こういう類いのサイクリングが一番楽しいわ





仕事
多忙の極みだった
なんとなく金回りが良かったおかげでVITAに乗れたりしたのでなんとも言えないが忙しさから来る、現場数の多さから来るミスや嫌な思い出しか残っていない
正直、個人的にはもう少し仕事を減らしたい。私のキャパは超えている
お金はないが経理上残っている事になっている
節税対策が必要だ。




体調 健康
これは仕事とリンクするが・・・忙しい身体は疲労していたが
昨年以上に疲れがとれない、朝起きれない、休日も休んでいる日が多い一年だった
自転車に乗っても遅いし持久力不足を痛感した
こんなにも体力不足を感じたのは人生初だったと語った昨年だったが今年はよりをかけてそう感じたと語った昨年をさらに上回る疲労蓄積…
これは歳のせいなのか?多忙のせいなのか?両方だろうが…
どこか悪いとこでもあるのか?健康診断は例年通り ほぼ正常 だが・・・
とにかく疲れやすく回復しないうえに、言うことを聞かない体に対するはがゆさもあいまって、メンタル的にも我慢がきかなくなっているのをを実感した1年だった
大人げなくブチ切れたり、うまくいかない事を周りのせいにしてみたり・・・
腹も出てくるし、髪は薄くなるし、アンチエイジングのハードルはますます高くなるばかりだ・・・


プラモデル
昨年、大人買いしたVA-1Dの三形態、
結局積んだままです
今年は1個のプラモも組みませんでした。
気まぐれで年末にMAZDA767Bを買いました。
32年間積みプラの787Bと同時に年末年始でとりかかりました!
タイトル画像は裏庭サフがけしている767Bと787Bです♪



来る2025年はどうなるだろう?
春には第四子、次男が都会へ就職し家を出る
私、妻、次女の3人生活となる

来年も家族誰にとっても変化の大きい年になりそうだ。
私はと言えばどうしたいのだろう?どっちへ舵を切るのだろう?
どうあれ、
父と仕事が出来る時間はカウントダウンにはいっている事はまちがいない。
勤続9年目を迎える若人の病は改善しないと考えて戦力分布を考える必要がある。経営者としての決断をせまられそうだ。
52歳・・・ いろんな同級がいる
今だ攻めの姿勢を貫くヤツ
落とし所を見つけてそこそこにしているヤツ
体を壊して、思うようにいかないヤツ
私は・・・どうだろう?いいほうなのかなぁ?
これでいいのだろうか?いいはずは無い 悩める52歳です。

なんだかんだ慌ただしかった、去りゆく2024年を見送るとします…
みんカラな皆様、ありがとうございました。
そして、新年も宜しくお願いいたします。
Posted at 2024/12/31 16:30:28 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記

プロフィール

「天気悪いんで3連ローラーばっかこいでたら立ちこぎ出来るようになってそれはそれで嬉しい♪」
何シテル?   08/12 11:22
貧乏、暇無し、子沢山の銀輪、四輪乗りです。
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