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Randonneurのブログ一覧

2022年12月31日 イイね!

今一度、自分自身を律するために 2022追記版

2022年
今年はレーシングカーを運転する事が全く無かった。
これを書き記し始めたのは、振り返ると私は結構スピンやクラッシュ、
事故が多いので年に一度これを見て反省し次につなげるために始めた。
レーシング運転が無ければ当然何事もおこらないんだけど・・・
今年はチームTを通じてレースを応援観戦した
回を重ね見れば見るほどに走りたいとうずく自分と、よくこんなことやるなぁとビビる自分が交互に現れるのを感じた1年だった。

クルマでも、レースでもないけれど、生きるか死ぬか(ちょっと大げさ過ぎる言い方ですが)リスクを承知で突き進むか?リスクを排除しリタイアするか?
究極の選択を今年は3回、自転車でやった。結果3回ともリタイアを選んだ私
今の私は一か八かと言うような選択は無いのだ・・・

レンタルだがカートに乗った
レースやドリフトを見てうずうずしつつも乗るクルマは無くもんもんとしているタイミングで乗った。久々のカートは純粋にたのしかった。こんなに速かったかなぁ?と感じた。乗ってから数日、体の痛みがとれないのであった・・・







2021年   7月、VITAマジカルエンデュランス耐久という、VITAワンメイクの5時間耐久レースに5人一組で参加した! 燃費も厳しい知力や作戦が物を言う面白いレースだった。 結果は15位/33台と申し分ない物だった。
しかし、私のピットサイン見落としなど、数点チョンボもあり、それがなければシングルフィニッシュも可能だったのではとレーサーの血が騒いだ。

11月、 今シーズン、このレースをもって最後といわれるツーリングカー耐久レースに3人一組で参加した! 結果は3位/6台と申し分ないものだった。
私自身はふがいない走りしかできず、反省点が多かったが結果オーライ?
パートナーさんの頑張りで表彰台に登る事ができた。一応、狙ってたし意識してたけど現実になって感無量でした。




2020年   25年ぶりにレーシングカーを所有しない自分と向き合った。それはそれで自分自身を見つめなおすいい機会になった。
幸いと言うべきか、no32は熱血86オーナーさんのもとへ渡り、しかもゴールドカップTCレースに参加するというではないか! 参加台数が少ないTCレース、結果から言えば私が走らないだけで今までと同じく、1台グリッドを埋めてくれるというのがまず嬉しかった。応援のしがいもあろうというものだ。
しかし、コロナ、水害などあり上半期はレース自体、開催されない、出来ないという事態に陥った…。
そんな逆境の最中、超過密スケジュールで2か月で3戦が行われ、新オーナーさんは何と!2位、2位、1位!と言う驚くべき速さ、成績で年間チャンピオンを獲得された! 確かに、オーナーはハチロクの神と呼ばれるほどの腕前だが、
私のno32の壊れたフロントセクションの修理、エンジンの載せ替えが主な変更であとはほとんど私の時のまんまだ。それはつまり私たちのクルマ作りが間違っていなかったとも理解できる。今年、くらい、憂鬱な事が多い年だったが旧no32の活躍は本当にうれしい出来事だった。





2019年   2018年の再現をもう一度の思いで、タイム狙いでG/Sタイヤを購し開幕戦に挑む。前日は調子よくこれは行けるか!?と思ったがNEWタイヤはやはり使えない私。結局予選でタイム出ずレースは最下位に沈む。それからの第2戦、第3戦はVITAとは混走とならずTCの参加台数があまりに少ないので寂しいな…と言うのが動機で参戦。いずれもドベだった。最終戦耐久は初の2時間レース。ここではやってはならない他車との接触をやらかす。私は辛くも走り切ったがお相手のVITAは0周リタイアでお気の毒だった…。もう少し、何とかよける事は出来なかったのか…悔やまれる結果だった。no32もなかなかの重傷を負った。。。






2018年    年頭に立てた目標は、公式の場で2分12秒代を記録する事しかしながら年間予算は50万円以内とし、限りある資金、時間を大切に使い目標に向かって邁進した。結果、開幕戦の予選で見事!目標達成!😂 うれし泣き💦
それからは資金不足、(仕事でも不足)モチベーション不足         で休戦人生初オフィシャル活動はいい刺激経験になった
仲間に鼓舞される形で最終戦である耐久レースに参戦結果は人生初優勝で総合優勝!、クラス優勝!と😂 うれし泣き💦これは長年やってきた事へのご褒美だと思いました。目標も達成、そして完全に望外の優勝も経験。
正直、こんなにうまくいったシーズンはいまだかつてないので2019年がコワい私です。
         
         
2017年   ある時はCPUがご機嫌ナナメ、またある時は足が体が不機嫌、なかなか真の実力を出してくれなかった、人生初のシリーズフル参戦でした
結局たどり着いたのは補強パーツの取外しおよび軽量化、タイヤエア圧調整、
スロットルポジションのマメな更生で何とか去年なみの速さを再現no32の魔性ぶりを存分に味わわされた1年でしたそんな感じでしたので俺が悪いのか?という疑いもあり走りも迷走2度のコースアウトと数度のスピンをやらかしました
やはり、自分自身を律する必要があるようです。

2016年   ゴールドカップツーリングカーレースの最終年だと言う事で全戦参加を目標にたてる。清水の舞台から飛び降り、いまだかつてなく諭吉を投入しno32を魔改造した。しかし、結局フル参加はかなわず、マシンは大幅にタイムUPできたものの本番で性能を発揮できず竜頭蛇尾。まぁ、でもそれは望外に速くなり高望みしたからそう思えるのであって、300km耐久も完走したし、タイムも未知の領域に踏み込めた。ap86にしてはまずまずだったじゃないのかな?

2015年   昨年の借金返済とHANS&メット購入で首が回らず、10月に何とかレース参戦。そしたら運よく表彰台登壇!13年ぶりでした。
妻の許可も出て耐久にMRチョキさんと組、フルスペックSAMな体制で参戦!
結果リタイヤでしたが山あり谷あり濃い1年でした。
        

2014年    ほぼ1年かけて86ハコ替え、ほとんどDIY。2月シェイクダウン、以降低迷トラブル多発7月ゴールドカップ復帰!11月GC耐久参加、12月自己ベスト9年ぶりの更新!山あり谷あり非常に濃い1年でした。


2013年    レース予選でタイムを出したいがために先行車を追走し、結果大クラッシュ、全損。2月頭までは順調だったのにその後86の調子が悪く修理の連 続。練習も思うように出来ず、レース日を迎えた。さらに当日朝車検直前に燃料タンク漏れ発見でテンパリまくりだった・・・。直後はやめようかと思た・・・

2012年   初めて他人の車でレース参加。新境地を開拓できた。その間1年かけて86は修理する。


2011年    1年かけて86修復。路面が変わる前に自己ベスト更新ねらい攻めた。結果ブリッジ下左コーナーでアンダコースアウト、ガードレールに激突、フレーム く の字に曲がり修理と乗り換え、それともやめるか悩む。(単独クラッシュ)


2010年    レース前日練習の夕方最後の枠で2コーナーイン巻き込みクラッシュ、リズムにのってきてどんどんタイムUPしていたので調子にのりすぎる(単独クラッシュ)応急処置で翌日レースには参加。ハンドリングベストではないが楽しくレースできたしかし後日、点検してみたらフレームにダメージが及んでいた。


2009年    スーパーGT前座レース
1ヘアピン進入でインをさすも接触。相手は長年のレース仲間、家を買うためレースは今回が最後だと語っており、本レースでのホイールは彼から借りた物だったのに・・・一瞬の判断ミスで彼をリタイヤに追い込み、私は完走したものの失格の裁定をくだされた。結構86も調子よく、前座レースであったため熱くなりすぎたのかも・・・初めて、自分が”当てた” 方になった。


2008年    スーパーGT前座レース
ただ、参加しただけ。S-GTを内から観戦するため。練習         不足、資金不足、退屈なレース。無事完走。


2007年    レース参加せず。子供は4人になりスウィートテンな贈り物をした関係で金欠。スポーツ走行3本にとどまる。


2006年   1月、自己ベスト更新、3月レース、ミッション不調でシフトミス多発、オーバーホール決意ついでにエンジンも92後期へ載せ変え、迎えた11月のレースは予選3位、86勢トップ、決勝はタイヤ選択ミスでドベ。


2005年   上位集団とからめた楽しくも激しいシーズンだった。


2004年   ゴールドカップ他、耐久に参加したりして、近年では1番走ったシーズだった。


2003年   レース2回参加、うち1回はJGTC前座、そのレースで同じ車両から左右1回づつ、インから当てられる!ドアぼこ凹!レース後殴り込みに行ったな・・・


2002年   ゴールドカップ2回参加、3位表彰台1回、耐久レース参加。


2001年   レース1回参加、PSS耐久レース参加。


2000年   レース1回参加。雨中のレース、まずまずの所を走行中、はじきだされてドベ。殴りこみに行ったな・・・


1999年   SP走行のみ、他人の86でPSS耐久参加


1998年   2月結婚、3月 86納車 9月始めての走行、2分28秒だった。


1997年   マーチ最後のレース。MINE JTCC前座。練習もせず、前座       レース楽しんだ。


1996年   マーチレース参加。最高位7位。接触すれすれ(した)のぎりぎり       バトルが楽しかった。
 

1995年   11月、SA22CサバンナRX-7、締めくくりのつもりで攻めるも最終コーナーで昇天翌年はマーチレースが決まってたし、AP閉鎖も決まってたので最後の思い出に攻めたのが間違いだった。(単独クラッシュ)10月、耐久レース参加。しかし涙の予選落ち⤵ 参加55台!予選落ち10台の今思えばすごいレースだった                              
5月、スポーツ走行、1コーナー進入で私イン、御相手MR2SW20アウト側で接触。板金だけで治る軽傷だったが御相手の方はかなりへこんでいてお気の毒だった。一瞬の判断ミスでやってしまった。明らかに自分の方が速かったので私のミスだと今でも思っている。(接触事故)


1994年   SA22C、FISCOと箱根国一がホームコース。
箱根でよく事故った。それも明日がFISCO走行会って日が多かった気がする・・・


~1993年?  FC3S、最後は富士見パークウェイで昇天、土屋圭一のJSSFISCO映像を見て熱くなりすぎていたような気がする。他に2回ほど事故ったが、新しいパーツをつけた時、先輩が横に乗ってたときだった。いいとこ見せようとしてたのか?パーツのおかげで今までより速くなってリスクが高まったか? とにかく未熟だった。 



昨年は、回数少ないにもかかわらず、走れば好成績というなんともラッキーな1年となった2021年。
今年2022年はツーリングカーレース無く、
VITA耐久は盛り上がりを見せておりこちらが乗る意思や決意を見せない限り
シートはすぐに埋まります。
のんびり構えていたらシートは無くなっていました。
今年は3月~8月の間、仕事で大事があり、なんとなくレースに気が向きませんでした。その間、ぼんやりしたり、一人になりたくて自転車にのったりはしましたがコースを走りたいという気持ちはわきませんでした。
しかし、オートポリスと疎遠になるのは嫌だ、なにか、現状自分で出来る事は無いか?考え?てもいませんが大恩あるチームTのお手伝いを、今シーズンはやろうと思い立ちました。Tさんも受け入れていただけたのでチームと合流したのは第2戦からです。
私はチーフメカの下につきお手伝いをしました
あるときはプロドライバーが乗るマシンを
あるときはVITAデビューのドライバーを
担当させていただきました。
こういう世界もあるんだなぁと楽しみながら貴重な経験をさせていただきました




番外偏、
父のRX8でのモータースポーツ活動
無しです!無理です!出来ません!
しかし、夫婦広島MAZDA旅は今年、実行出来ました
RX8は素晴らしいGTカーです
寒い時期は自転車にも乗らないから出動機会が増える?

レーシング愛車を失い、走らなくなってまる3年以上が経ち、
今年は一度もレーシング速度でコースを走りませんでした。
ピットからサポートとしてドライバーを、レースを見つめているとよくこんな凄いことやってるなぁと思う時が増えました。

サポートと言えば大恩あるカーメイクSAMさんの走行会が開催される時はなるべく加勢に出ました。気持ちよく煙をあげながら風のように滑るドリフターたち
今年はラリーJAPANもあったりしてTVでよくドリフトを目にしました。
しかし、こんな過酷な事が出来る遊べるクルマは今、持っていません。
いつかは、ほしいかなぁ




こうして簡単に振り返るだけでも・・・
事故ばかりやってた青二才な走り屋時代 1993~1995年(21~23歳)
安定期?かな?私生活でも、みを固めた レース事故もなし 1996~2008年(24~36歳)
転職、住まいも変わり、不安定期か? 走ればやらかす 2009~2013年(37~42歳)
そして、活動絶頂期か? 2014~2018年(43~46歳)
2019年は結果的に第一期活動最終年となる(47歳)
2020年はいつか来る?第二期活動までの思考充電期間か?(48歳)
2021年はレンタル車によるレース参加という新たな境地に目覚めた年かな(49歳
2022年はサポートに明け暮れた1年でした(50歳


来年のオートポリスの盛況、コロナの封じ込め、皆さまの健康ご多幸を祈りつつ
去っていく2022年、令和4年を見送りまた、自分を律したいと思います
2022年12月31日 イイね!

回顧2022

コロナは無視?するのが今年の日本国の方針だった。患者数は一向に減らない→
申告書の上では黒字だが、相も変わらず現金が無い泣→
ちょっと、書かないが会社に危機が訪れる・・・
ブルベ300km、2度目の正直で完走⤴
ブルベ300km、400km、600km 3回リタイア泣→
椿ヶ鼻参加、自己ベスト更新⤴
念願だったRX8夫婦広島MAZDA旅をやった⤴
年を通じて、レースでお世話になっているチームTのお手伝いが出来た⤴
低速の充実したゆっくりしたサイクリングがたくさん出来た⤴
妻とゆっくり過ごす時間が多かった⤴
反面、息子や娘との会話やふれあいはますます減った気がする⤵
コロナ発祥 家族ほぼ全滅⤵


2022年、令和4年、50歳、
コロナは全く改善や回復していないが、世の中はそのまま突き進む事を容認したと感じる1年だった。
仕事上で未経験の危機を経験した。絶望した時期もあったが今はそれをともに乗り越え、新しいステージへと移ったような気がしている。
辛かったけどエボリューションしたと思う。

今年も、これまでの人生でもないくらい充実?した1年だった。
充実したという言い方は満足したときに使う言葉だろうか?
では、本来経験したくないような危機を経験しその時は忘れたいほど嫌だったが今となってはそれがあったことで自身
の成長を感じるような経験を得た今年は何と表現すればいいのだろうか?

いずれにせよ人生50年を迎え変化の大きい初体験満載の1年だった。





クルマ、レーシング活動
今年もこれまでと全く異なる一年となった
いつかやりたいと思っていた大恩あるチームTのお手伝いだ。
私のレース活動は複雑怪奇だ?
母体は今は無ファクトリーWでJAF純加盟クラブC
近年の実働を支えてくれたのはカーメイクSAM
近年の現場で協力していただき、かつライバルだったSHR
近年、駆動系を中心にトラブルやレースカー保管に協力してくれたのがチームT
他にも、細かく書けばまだまだおられるのですが
ここに書き記すだけでも4つのチームが活動のベースとなっているのが分かります
愛車が無い今、これらのお世話になった方々のお手伝いが出来ればと言うのが近年の私のレース活動?の核となっているのです。

外から見ているとなんとなく近寄りがたくプロフェッショナルな雰囲気漂うチームT、私のような素人がうろうろしても邪魔だろうと言う思いで二の足を踏んでいたが今年は思い切って声を掛け、お手伝いさせていただいた。
外から見るのと中で感じるのはだいぶ違い、高いプロ意識の中にもアットホームさも感じられた。緊張感の中に責任感や楽しさを見いだせた、これまた今までとは違ったオートポリスを、ゴールドカップレースを体験できた。
一応、今年1年でお手伝いは切りをつけるが、多忙なチームT、
今後もお互いのスケジュールが合えばお手伝いに行くつもりだ。


夫婦RX8広島MAZDA旅
エイトを手に入れたときから企てていた旅だが、コロナによりミュージアムは閉館だしなかなか実行出来なかったが今年ついに決行した。
いい思い出しかないが2日目の夜におなかをこわしてテンションが下がったのが悔やまれる。あとは時間が圧倒的にたりなかったが、これはまた行きなさいという事だろう。今度もエイトか?それともノートか新幹線かは分からないが再びマツダを、広島を訪れるのは間違い無いだろう。
やりたかった旅であるがために?これを終えて少しさみしさというか喪失感を感じている今日この頃でもある。


2年を経たノートEパワー
ラフェスタの時と同じく道具として地味ながら家族を
学校へ買い物へ遠くへ安全かつ経済的につれてってくれてます
リアのブレーキホースからオイルにじみが発生しているので交換という案件がありました。ちょっと劣化速度が早くね~? と言いたい所です。
ラフェスタのように長年頑張ってもらいたいものです。










銀輪活動、
念頭に立てた目標は2つ
まず① ブルベSRあわよくば獲得
その② 椿ヶ鼻ヒルクライム自己ベスト更新


①は無理だった
オレごときが思いたった初年度に実現出来るほどあまい物ではないと言うことが嫌というほど分かった。

3月の300km阿蘇は天候不良で150km地点であきらめた。暴風雨だった。これに関しては納得している。風邪を引いて月曜日休んだり怪我をして仕事に影響しては本末転倒だからだ
輪行で逃げ込んだ豊肥線のスイッチバック体験がむしろ収穫だった笑

5月 リベンジの300km熊本宇城は無事完走出来た いい思い出だ

6月の400km平戸はとにかく暑かった。これにより疲労困憊
302km地点で夜中25時、十分時間を余していたが漆黒の山路をこれ以上すすむ勇気と気力が無くタクシーに逃げ込んだ。タクシー代は7,000円ほどだった。
これは悔やんでいる。確かにふらふら蛇行運転するほど疲労していたが
その場で寝転んで体力の回復を待ち進むという選択もあったはずだ。
あのときはベストの選択をしたと思っていたがとてもくやしいし情けない。

7月の600km霧島はこれも暑さと天候不良で260km地点でリタイアした
人生初のラブホ一人泊まりを経験した。
このブルベは暑さで昼間の速度が伸びず
夜間の山は恐ろしくなるほど寂しいところで精神を削り取られた
そこへ暴風雨が来て、その天候での山登りは危険と判断し
麓のラブホへ逃げ込んだのだった。
翌日はコース外目的地だった曽木発電所遺構へ寄った。
そして九州新幹線で輪行で帰った
残念ではあったがおかれた状況下で自分なりに出来る事をし危険を回避し楽しめたような気がする。
また、このブルベで私は決定的に暑さに弱く、暗闇に弱く、メンタルが弱いと言うところが露呈する事となった。自分のもろさ弱さを実感した。

今現在は、あのリタイアを決断したときの
「オレはなぜこんな怖い思いをして真っ暗な知らない土地走っているんだ?」
「この行為に意味はあるのか?」
という思いを引きずっておりブルベに挑む気力にならない。
11月に後輩が400kmを完走した。本当にすごいと思う、尊敬する。そして羨ましい。しかし、オレもやってやろうと言う気には、まだならない

10月に親友Nがツールド佐伯 Sコース200kmを見事完走した!
驚いたし、尊敬する。とても自分には出来そうにない





②三年ぶりに開催された椿ヶ鼻ヒルクライムは
目標だった54分代での完走を果たせた
素直にうれしい
来年は53分代を狙う!


今年の銀輪の走りはバラエティにとんでいたものだった
廃線跡を走ったり
雪山登山をしたり
石畳でコーヒーをわかしたり
砂浜を走ったり
妻と2人ポタリングもやった
ハードなヒルクライム
そしてブルベもやった
知らない町や景色を見ることが出来た(これこそ旅でありサイクリングだと思った
目標達成ならずも充実した1年だったと振り返る



さて、2023年の銀輪道中はどうなることやら笑






家族

長男は24歳を迎えました
時々LINEのやりとりはあるもののますます疎遠な今年でした
来年は夫婦で息子の町へ遊びに行きたいですね。これは目標です。


長女は大学3年生 一人暮らし 
相変わらずのコロナかでの大学生生活
明け暮れていたバイトもやめ、就活には入るそうです
入学時に抱いていた仕事とは異なる業界に興味があるそうです
どうするのか?どうなるのか?見守ります。

次女は専門校2年生 来年は国家試験が控えています
それが終わるまでは我が家皆、おとなしくするそうです(妻談)
妻にスイートテンで送ったトリロジーのネックレスが
ついに来年1個づつになります
来年早々に成人式です

末っ子次男は高1 
勉強に部活にバイトに頑張っています
勉学は文句のつけようのない成績
部活も文系と運動系の二足のわらじ
バイトも早朝から頑張る
これだけ見ると模範生のような次男
しかし我々夫婦との会話はさらに減り
態度も悪い
ま、オレもそうだったなぁと思いつつも寂しい50の父


妻は専業主婦としてしっかりと我が家を切り盛りしてくれています。
一緒に映画を見に行ったり、デートしたりも結構あった気がする。
広島旅も行ったし、サイクリングもやった。
子どもと過ごす時間が減った分、如実に夫婦の時間は増えたように感じる











仕事
年間を通して黒字だったが・・・
3月に大事が起こり、それは一応8月に解決したが
今だその影響は続いていて我が社のシステムや私の活動を根本から見直す必要に迫られた。
特に4~6月が辛く身心ともに疲弊していた
だがその中で解決策を見いだし
予想よりも回復も見られたのでどうにか今の形で商売が継続出来ている。
なんだかんだ、今まで理想と目的に向かって順調に来ていたが
こうもあっさりと日常は崩れ去るんだと思い知らされた
年末には従業員がコロナ感染、そして私も2日遅れで感染・・・
仕事に影響した
一寸先は闇
だが闇の先は明かり か?・・・



体調 健康
忙しい身体は疲労していたとは思うが
もしかしてオレ、コロナなんじゃないの?
知らずにかかって、治って、後遺症で体力無いんじゃないの?
と、言いたくなるほど日々、疲れがとれず、朝が起きれなかった
そして自転車に乗っていても持久力不足を痛感した
こんなにも体力不足を感じたのは人生初だった
絶対に2年前とかと比べると持久力は落ちている
これは歳のせいなのか?それともコロナか?(かかっていないつもり)
とにかく疲れやすく回復しないからだを実感した1年だった
そして年の瀬も迫る12月頭、
従業員の若者からコロナをもらう⤵
3日後、妻と次男へ感染
辛かった・・・













来る2023年はどんな年になるのだろう?

長男25歳というのは私が結婚した年齢ではないか・・・
長女は大学4年生、最後の大学生活をよき思い出で締めくくってほしい
次女は2月の国家試験に合格し社会人としての一歩を歩み出すはず!
私も今年の大事を引きずりながらの2年目を迎える
家族誰にとっても変化の大きい年になりそうな気がする
抑揚のない、平凡な年を期待しつつ (結局それが一番の基本ですね
去りゆく2022年を見送るとします…
みんカラな皆様、ありがとうございました。
そして、新年も宜しくお願いいたします。
Posted at 2022/12/31 14:51:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「今日は高中のおかげで良かった笑 http://cvw.jp/b/476106/47576887/
何シテル?   03/08 16:10
貧乏、暇無し、子沢山の銀輪、四輪乗りです。
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