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Randonneurのブログ一覧

2024年12月24日 イイね!

今一度、自分自身を律するため 2024年追記版

2024年モータースポーツ活動

レンタルカートレースに数回参加
JAF公認VITA耐久3時間レースに参加
そのために事前の練習多数

相変わらず課題は山積みだし、自分に勝ったとは言いがたいが
まぁまぁ満足できる一年だったかなぁ?





2023年
VITAレンタル車で5時間耐久レース参加  号外の9位も自分に負けた走り
ドリフト走行会  レンタルFC3Sで参加 下手くそ全開だったが楽しかった
カートレース  レンタルカートレース参加 下手くそ全開楽しんだ

と、なかなかの充実したモータースポーツライフを送った1年ではあった。
しかし、どれも課題山積みの結果しか出ていない
自分に ”負けた” と感じる結果しか出ていない






2022年はレーシングカーを運転する事が全く無かった。
これを書き記し始めたのは、振り返ると私は結構スピンやクラッシュ、
事故が多いので年に一度これを見て反省し次につなげるために始めた。
レーシング運転が無ければ当然何事もおこらないんだけど・・・
今年はチームTを通じてレースを応援観戦した
回を重ね見れば見るほどに走りたいとうずく自分と、よくこんなことやるなぁとビビる自分が交互に現れるのを感じた1年だった。

クルマでも、レースでもないけれど、生きるか死ぬか(ちょっと大げさ過ぎる言い方ですが)リスクを承知で突き進むか?リスクを排除しリタイアするか?
究極の選択を今年は3回、自転車でやった。結果3回ともリタイアを選んだ私
今の私は一か八かと言うような選択は無いのだ・・・

レンタルだがカートに乗った
レースやドリフトを見てうずうずしつつも乗るクルマは無くもんもんとしているタイミングで乗った。久々のカートは純粋にたのしかった。こんなに速かったかなぁ?と感じた。乗ってから数日、体の痛みがとれないのであった・・・







2021年   7月、VITAマジカルエンデュランス耐久という、VITAワンメイクの5時間耐久レースに5人一組で参加した! 燃費も厳しい知力や作戦が物を言う面白いレースだった。 結果は15位/33台と申し分ない物だった。
しかし、私のピットサイン見落としなど、数点チョンボもあり、それがなければシングルフィニッシュも可能だったのではとレーサーの血が騒いだ。

11月、 今シーズン、このレースをもって最後といわれるツーリングカー耐久レースに3人一組で参加した! 結果は3位/6台と申し分ないものだった。
私自身はふがいない走りしかできず、反省点が多かったが結果オーライ?
パートナーさんの頑張りで表彰台に登る事ができた。一応、狙ってたし意識してたけど現実になって感無量でした。




2020年   25年ぶりにレーシングカーを所有しない自分と向き合った。それはそれで自分自身を見つめなおすいい機会になった。
幸いと言うべきか、no32は熱血86オーナーさんのもとへ渡り、しかもゴールドカップTCレースに参加するというではないか! 参加台数が少ないTCレース、結果から言えば私が走らないだけで今までと同じく、1台グリッドを埋めてくれるというのがまず嬉しかった。応援のしがいもあろうというものだ。
しかし、コロナ、水害などあり上半期はレース自体、開催されない、出来ないという事態に陥った…。
そんな逆境の最中、超過密スケジュールで2か月で3戦が行われ、新オーナーさんは何と!2位、2位、1位!と言う驚くべき速さ、成績で年間チャンピオンを獲得された! 確かに、オーナーはハチロクの神と呼ばれるほどの腕前だが、
私のno32の壊れたフロントセクションの修理、エンジンの載せ替えが主な変更であとはほとんど私の時のまんまだ。それはつまり私たちのクルマ作りが間違っていなかったとも理解できる。今年、くらい、憂鬱な事が多い年だったが旧no32の活躍は本当にうれしい出来事だった。





2019年   2018年の再現をもう一度の思いで、タイム狙いでG/Sタイヤを購し開幕戦に挑む。前日は調子よくこれは行けるか!?と思ったがNEWタイヤはやはり使えない私。結局予選でタイム出ずレースは最下位に沈む。それからの第2戦、第3戦はVITAとは混走とならずTCの参加台数があまりに少ないので寂しいな…と言うのが動機で参戦。いずれもドベだった。最終戦耐久は初の2時間レース。ここではやってはならない他車との接触をやらかす。私は辛くも走り切ったがお相手のVITAは0周リタイアでお気の毒だった…。もう少し、何とかよける事は出来なかったのか…悔やまれる結果だった。no32もなかなかの重傷を負った。。。






2018年    年頭に立てた目標は、公式の場で2分12秒代を記録する事しかしながら年間予算は50万円以内とし、限りある資金、時間を大切に使い目標に向かって邁進した。結果、開幕戦の予選で見事!目標達成!😂 うれし泣き💦
それからは資金不足、(仕事でも不足)モチベーション不足         で休戦人生初オフィシャル活動はいい刺激経験になった
仲間に鼓舞される形で最終戦である耐久レースに参戦結果は人生初優勝で総合優勝!、クラス優勝!と😂 うれし泣き💦これは長年やってきた事へのご褒美だと思いました。目標も達成、そして完全に望外の優勝も経験。
正直、こんなにうまくいったシーズンはいまだかつてないので2019年がコワい私です。
         
         
2017年   ある時はCPUがご機嫌ナナメ、またある時は足が体が不機嫌、なかなか真の実力を出してくれなかった、人生初のシリーズフル参戦でした
結局たどり着いたのは補強パーツの取外しおよび軽量化、タイヤエア圧調整、
スロットルポジションのマメな更生で何とか去年なみの速さを再現no32の魔性ぶりを存分に味わわされた1年でしたそんな感じでしたので俺が悪いのか?という疑いもあり走りも迷走2度のコースアウトと数度のスピンをやらかしました
やはり、自分自身を律する必要があるようです。

2016年   ゴールドカップツーリングカーレースの最終年だと言う事で全戦参加を目標にたてる。清水の舞台から飛び降り、いまだかつてなく諭吉を投入しno32を魔改造した。しかし、結局フル参加はかなわず、マシンは大幅にタイムUPできたものの本番で性能を発揮できず竜頭蛇尾。まぁ、でもそれは望外に速くなり高望みしたからそう思えるのであって、300km耐久も完走したし、タイムも未知の領域に踏み込めた。ap86にしてはまずまずだったじゃないのかな?

2015年   昨年の借金返済とHANS&メット購入で首が回らず、10月に何とかレース参戦。そしたら運よく表彰台登壇!13年ぶりでした。
妻の許可も出て耐久にMRチョキさんと組、フルスペックSAMな体制で参戦!
結果リタイヤでしたが山あり谷あり濃い1年でした。
        

2014年    ほぼ1年かけて86ハコ替え、ほとんどDIY。2月シェイクダウン、以降低迷トラブル多発7月ゴールドカップ復帰!11月GC耐久参加、12月自己ベスト9年ぶりの更新!山あり谷あり非常に濃い1年でした。


2013年    レース予選でタイムを出したいがために先行車を追走し、結果大クラッシュ、全損。2月頭までは順調だったのにその後86の調子が悪く修理の連 続。練習も思うように出来ず、レース日を迎えた。さらに当日朝車検直前に燃料タンク漏れ発見でテンパリまくりだった・・・。直後はやめようかと思た・・・

2012年   初めて他人の車でレース参加。新境地を開拓できた。その間1年かけて86は修理する。


2011年    1年かけて86修復。路面が変わる前に自己ベスト更新ねらい攻めた。結果ブリッジ下左コーナーでアンダコースアウト、ガードレールに激突、フレーム く の字に曲がり修理と乗り換え、それともやめるか悩む。(単独クラッシュ)


2010年    レース前日練習の夕方最後の枠で2コーナーイン巻き込みクラッシュ、リズムにのってきてどんどんタイムUPしていたので調子にのりすぎる(単独クラッシュ)応急処置で翌日レースには参加。ハンドリングベストではないが楽しくレースできたしかし後日、点検してみたらフレームにダメージが及んでいた。


2009年    スーパーGT前座レース
1ヘアピン進入でインをさすも接触。相手は長年のレース仲間、家を買うためレースは今回が最後だと語っており、本レースでのホイールは彼から借りた物だったのに・・・一瞬の判断ミスで彼をリタイヤに追い込み、私は完走したものの失格の裁定をくだされた。結構86も調子よく、前座レースであったため熱くなりすぎたのかも・・・初めて、自分が”当てた” 方になった。


2008年    スーパーGT前座レース
ただ、参加しただけ。S-GTを内から観戦するため。練習         不足、資金不足、退屈なレース。無事完走。


2007年    レース参加せず。子供は4人になりスウィートテンな贈り物をした関係で金欠。スポーツ走行3本にとどまる。


2006年   1月、自己ベスト更新、3月レース、ミッション不調でシフトミス多発、オーバーホール決意ついでにエンジンも92後期へ載せ変え、迎えた11月のレースは予選3位、86勢トップ、決勝はタイヤ選択ミスでドベ。


2005年   上位集団とからめた楽しくも激しいシーズンだった。


2004年   ゴールドカップ他、耐久に参加したりして、近年では1番走ったシーズだった。


2003年   レース2回参加、うち1回はJGTC前座、そのレースで同じ車両から左右1回づつ、インから当てられる!ドアぼこ凹!レース後殴り込みに行ったな・・・


2002年   ゴールドカップ2回参加、3位表彰台1回、耐久レース参加。


2001年   レース1回参加、PSS耐久レース参加。


2000年   レース1回参加。雨中のレース、まずまずの所を走行中、はじきだされてドベ。殴りこみに行ったな・・・


1999年   SP走行のみ、他人の86でPSS耐久参加


1998年   2月結婚、3月 86納車 9月始めての走行、2分28秒だった。


1997年   マーチ最後のレース。MINE JTCC前座。練習もせず、前座       レース楽しんだ。


1996年   マーチレース参加。最高位7位。接触すれすれ(した)のぎりぎり       バトルが楽しかった。


1995年   11月、SA22CサバンナRX-7、締めくくりのつもりで攻めるも最終コーナーで昇天翌年はマーチレースが決まってたし、AP閉鎖も決まってたので最後の思い出に攻めたのが間違いだった。(単独クラッシュ)10月、耐久レース参加。しかし涙の予選落ち⤵ 参加55台!予選落ち10台の今思えばすごいレースだった                              
5月、スポーツ走行、1コーナー進入で私イン、御相手MR2SW20アウト側で接触。板金だけで治る軽傷だったが御相手の方はかなりへこんでいてお気の毒だった。一瞬の判断ミスでやってしまった。明らかに自分の方が速かったので私のミスだと今でも思っている。(接触事故)


1994年   SA22C、FISCOと箱根国一がホームコース。
箱根でよく事故った。それも明日がFISCO走行会って日が多かった気がする・・・


~1993年?  FC3S、最後は富士見パークウェイで昇天、土屋圭一のJSSFISCO映像を見て熱くなりすぎていたような気がする。他に2回ほど事故ったが、新しいパーツをつけた時、先輩が横に乗ってたときだった。いいとこ見せようとしてたのか?パーツのおかげで今までより速くなってリスクが高まったか? とにかく未熟だった。 



2024年今年はカートにたくさん乗った
レンタルカートは壊すリスクやスピードによる恐怖がないので
そこを考えずに純粋に速さを追求できるところが素敵だ
しかも乗り込むほどに奥が深く難しい(ま、それは4輪でも同じだけど)
今年は身の程しらずにもレースに数回参加した
いつも遅いんだがとても勉強になる
そしてオレはほんとに頭が悪くて適応力のないドライバーだと思い知る
カウベルモーターパークはブレーキを踏むところは1カ所しかない
他は行こうと思えばすべて全開でもクリアできる
そこが落とし穴でもある。全開を意識するあまりマシンの挙動は乱れ
結果タイムは遅いのだ。ちなみにそれはVITAでも同じ事が言える。
その課題は解消できていないが
2024年はそれが理解できただけでもヨシとしよう
来年もカートに乗って精進するつもりだ


2024年、なんとなく懐事情が良かったので思い切って公認が切れている
レーシングスーツ、グローブ、アンダー上下、ソックスを買った
それは自分を鼓舞するためでもある
5月から、レンタルVITAを借りて練習開始
早々に2.14.1を刻み自己ベスト更新、去年のトラウマを払拭できた
しかしその後が伸び悩む
乗っても、乗っても、また、3台のVITAを乗り比べても
皆、ベストタイムは2.14.1・・・
これは、自分自身で限界を作り、その壁の手前で走っている証拠だ
3台はクルマのセットも全然違うのだがその違いもわからない
結構悩むが、こちらはレンタルカートと違って
ハイスピードのクラッシュのリスクも
ハイスピードの恐怖も
重くのしかかる。無茶はできない
オーナーさんからは
「セクターベストをつなげば13秒には入っている。ばらつきが多いのでもっと精度を高めた運転をするためにも頭を使って乗り込むしかない」 と
暖かい助言をいただく。

そんな感じでレースウィークに入ったがなんと、前日土曜日の公式練習でやってはならないオーバーレブをやらかしてしまった・・・ しかも同じコーナーで2回も!
4→5のシフトアップで3にいれてしまい瞬間8200回転まで回ったらしい
失意の私・・・  今までシフトミスなんかしたことないのに・・・
次のドライバーさんに交代するも
「なんか上りが遅い、タイムも激遅」とのこと
サードドライバーさんは無線チェックやコースアクシデントによりまともに走れず
結局エンジンの調子はいいのか悪いのかわからずじまいでセッションは終了
鬼監督(マシンオーナー)はエンジン音やレブった回転が低かったことから判断し
オイル交換だけでOKとした。
オーナー監督が経験上大丈夫と言っているのだから大丈夫なんだろうが
私はとても心配。心配を忘れたいのもあり前夜祭は飲んで食べて騒いだのだった。

翌日レース当日
ここで今年の体制を紹介しておこう
マシンはレンタルなVITAながら、先の数年お借りしているレンタル用のマシンではなく、シリーズタイトルを狙うような個人オーナーのマシン。
これに今回はオーナーは乗らず、
私(Aドラ)、1個上の先輩(Bドラ)、3個上の先輩(cドラ)のマシンを持たない3人で参加することになった。
今回の耐久は3時間であるため、亀さん走法は通用しない、ある程度は速くはしりつつ燃費を保たして走るという去年までとはかなり異なるレースであり、体制なのだ。これに参加するために5月から走り込んだのだが、なかなか・・・

予選だ。
Aドラである私は最初にマシンに乗り込む
今回のレースはAとBのドライバーの合算タイムなので責任重大だ
しかし、タイムもださなきゃだが壊さずにバトンを渡さなければならない。
そもそも、エンジンは大丈夫なのだろうか?不安がよぎる
オーナー鬼監督にはNEWタイヤ(初めてはく)は強烈に食うのでマシンを信じて突っ込みなさいと助言された。
私は心に、 8つの誓いをたててアタックすることとした
①とにかく平常心、リラックス
②エンジンは普段よりも低い回転でシフトUPする
③シフト操作はゆっくりと確実に
④ブレーキングは踏み換える瞬間、空走距離をとり余裕でコーナーへ進入する
⑤舵角を与える箇所は気持ち早めに
⑥アクセル開度にこだわらずスピードを乗せる事に注意する
⑦アクセルワークは前後加重と相談してから
⑧必ず無事にマシンを渡す

コースインだ
速い方々がインするのを見送り、1分後ほどにインした
ピットインアウトもスピード制限があるし、通過時間が大事だから本番レースのつもりで60kmキープのつもりで走った・・・ ら?メーターに速度表示がなかった
あ、予選モードで速度表示省いてたんだった笑 これが後に笑い事ですまなくなる・・・
ブレーキを使って縦方向にタイヤを暖める
3コーナーでずるりとくる
新品特有の皮むき前のスライドだ
100R,もう、かなりグリップを感じる
ジャットコースター飛び込み、かなりのグリップを感じる
誓いを守りつつ、さあ!行ってみるか!
1ヘアを過ぎて他車に近づく
なんだかかなりの量の水をまきながら走っているマシンがいる
これはどう見てもやばい
私にとっても、コースが濡れて滑るのがやばいし、
彼らにとってはエンジンを壊すかもしれない
無線でそれを知らせると
「自分の走りに集中してください」と言われた
水漏れのマシンを抜き、気を取り直してアタック!
2周アタックしたラ・・・
2.11.7?が見えた  すごい!我ながらすごい!間違いじゃないか?と思った
アタック3週目はベストできていたが登りでつかえた。
これはもう、この先はこのマシンと一緒に走るだけになるのでアタックできんなあと判断。ピットインすることとした。ら、なんとそいつもインした・・・
行っときゃよかったと後悔するもあとの祭り
きっと、もっと、縮めることは出来ただろうが、ま、それは来年のお楽しみ
とにかくは
エンジンは大丈夫
マシンも問題なく無事に返す事が出来た
その安堵感と自己ベスト更新のうれしさが入り交じり
涙した51歳のおっさんだった。。。
ちなみにだが、自己ベストの周に燃費も自己ベストだった
Wで嬉しい結果、まるでターゲットタイムをクリアしつつ燃費の貯金を稼ぐ
グループCのレースのようではないか!昔、本で見たプロのレースのような事をやっている、出来た自分に酔いしれる私だったのだ笑

セカンドドライバーさんも自己ベスト更新で問題なく予選終了
A,B合算タイムでは12/18位とまずまずだったが・・・
モニターにはなんだか我がマシンのゼッケンが表示され「審議中」との文字が・・・
なんと、私がピットレーン速度違反をしていたのだ!!!
結局、タワー4階でお叱りをうけ、2グリッド降格の裁定をくだされたのだった泣
全く・・・ シフトミス、速度違反、今までしたことがない類いのミスを今年もやってしまった・・・ 衰えというのはこういうことなのか? 走り込んでないとこういうものなのだろうか?深く反省しつつ、決勝ではミスなく行くぞと誓い
気を取り直して頑張る事とした。

決勝は雨、強弱あるものの終始雨だった
雨のVITAは数年前に1回乗っただけだ
初めてのるようなものだ
鬼監督からはレース前、「とにかく、攻めないこと、レースだと思わないように」と雨耐久の心得をご教授いただいた
2019年のVITA混走の2時間耐久レース以来のスタートだ
ご指名でやることとなったが正直怖かった
しかも雨
あの記憶がよぎるがやるしかない
ローリングスタートだが、前のグリットのマシンがその前と結構離れている
多分スタートに慣れていないのだろう
しかし私はそのおかげで前がクリアだ
無論それは距離で離されていることとなるが気分は相当楽になった
すると左橫から猛烈に私を抜く1台が、スタートラインを勘違いしているようで
ブチ抜かれたが気にすることはない、どうせこの人はペナルティをくうだろう
そして1コーナーでは1台、1ヘアで1台抜き
目の前では2台が激しくやり合っている
しかもかなりのブロックラインで抜くのは難しい感じがした
しかしペースはこちらの方が明らかに速い
数周、後ろから伺うがその2台の前は見えなくなった
焦る私、
ペースはオレの方がいいのに抜けず、前方集団からは離されている
このままでは・・・
だが焦るな、2台のうちの1台は反則スタートのヤツだ
待っていればペナルティが施行されるはずだ
落ち着けオレと言い聞かせる
最終コーナーで抜いた
軽くだけど当てられた、借り物のクルマなのに・・・
前のマシンに追いつく
2ヘアでベタ付けだ
ジェット入り口で譲ってくれた
レコードラインから颯爽と抜く私・・・ 
通称ジェットコースターストレート10%下り勾配後の右コーナーで曲がれない!
あえなく360°以上回ってコースアウト!グラベルにはまった泣
無線で鬼監督に謝る私
マシンはどうかと聞かれ多分大丈夫と答えた
キャタピラが助けてくれるがその時間が永遠に感じた
幸いマシンは無事で走りに全く支障はなかった
砂利をおとしてコースにもどった
不名誉にもこのレースで最初のコースアウトであり長時間のイエロー区間を作ってしまったのだった。
10番手まであげていたが後の祭り
ダントツのドベに落ちたことは言うまでもない。
ちなみに私がコースに復帰した周にペースカーが入りフルコースイエローとなった
別のコーナーで私よりももっと救出に時間を要すコースアウトがあったようだ
鬼監督からは
「とにかく慎重に、コース上で生き残ってください」との指示が
はいと私、もちろんそのつもりだが・・・
目の前で2台がスピンコースアウトする!びびるオレ
もはやイエローが表示されない周の方が少ない状況だ
雨のVITAはとても危険だ
晴雨兼用タイヤであるので雨に弱い
車重がドライバー込みで620kgしかないからタイヤにかかる加重も軽い
ダウンフォースもそれほど無い
私が感じただけで
100Rから300Rの間
ジェット後の右コーナー
最終コーナー立ち上がり
の3カ所はどうしようもない
”浮く”のだ
怖くてしょうがない。なるべくGをかけずに直線的に惰性で抜けるしか方法がなかった(私にとっては、です。上手い人は全然ちがう)
それでも一瞬、浮くのだ
無論、わざとではないがまたもジェット後の右コーナーで飛び出した泣
幸い、2度目の今回はグリーン上だったので自力復帰出来たが大きなタイムロスに
違いない。やばい、苦手意識で走れなくなっているのを感じた
ただこの頃、どうしようもない3カ所以外ではふつふつと別の感情も芽生えていた
繊細なアクセルワーク、それに反応するマシンの挙動変化が楽しくもなっていた
つねづね言われていた加重と相談してのアクセルワークというのがとてもわかりやすく挙動となってあらわれるのだ。運転が楽しい♪ けど怖い泣 もう降りたい
複雑な感情が入り乱れていた。 
登り区間でスピンする 頼むからよけて~と祈りながら復帰する
その後はお嬢さん走りに終始、というかそれでいいのだ・・・ 結局それが速いのだ
長かった55分間が終わり、P-INのサイン
なんとか受け持ちの時間をこなし、たすきを渡す事に成功?したのだった・・・

先の3カ所を特に他も危ないコンディションだからと告げBドラさんに交代した。私が降りた時、ドベではなかった
私も苦労したが皆、同じ条件の中を走っている
どのチームもスピンやコースアウトをして順位は混乱していた
Bドラさん速い
私とは次元のちがうところで走っている様だ
順位も回復している!盛り上がるピット♪
100Rと300Rの間でグラベルに停止している映像が流れる
我々のマシンだった・・・  救出にはランクルが出動していた
無情に流れる時間  
私にはわかる。ドラテクの次元が違っても危険な事は同じ
Bドラさんも浮いて回ってしまったのだろう
そうなればなすすべは無い ぶつからないように祈るだけだ
幸いマシンは無事で走り出した
しかし次の周、3コーナーでスピン停止した
ああ、オレと同じだと思いつつ見守る
雨模様が猫の目のように変わるコンディションだった
さっきは行けたのに・・・ とても難しかっただろう
その後は少しタイムを落としたが安定した走りで周回を重ねる
少し雨が弱くなりタイムもどんどん縮む
そろそろp-INだなという頃
100Rと300Rの間のグリーンに止まっている我がマシン
同じ箇所で2度目のスピンコースアウトだった
幸い今回はグリーン上だったのでコース復帰し、帰ってきた。そのままP-INした
Bドラさんは昨年のレースで生き生きと走り、レース中スピンしたがちゃんとリカバーして帰ってきた、私がこんなレースをしたいと思っていた方だ
今回の3回のミスはちょっといただけないが(私の事は棚に上げて)
いつものごとく攻めて楽しんだレースをされたな~と見て思った

Cドラに交代する
Bドラさんの健闘をたたえ、給油作業を見守る私
エア抜きホースにガソリンが逆流するのを私も見た。満タン給油完了だ
Cドラさん、乗り込む
いつもスタートを担当するCドラさんはクレバーな方
しかも速い。予選では3人中、最速タイムを刻んだ
Cさんがアタックすればいいのにと話していたがCさんは思いがあり
今回、最終ドライバーになったのだった。
Cさん、今まで一度も耐久でチェッカーフラッグを受けた事がないそうだ。
だから今回は、自分がゴールを切りたいと切望していた。
いつも我慢の走りのCさん。いつも仕切りやで裏方仕事もこなすCさんの思いだったのでこれは聞き入れるしかなかった。
だからこそ、我々もたすきをちゃんと渡さなければと感じていた。
相変わらずの劣悪なコンディションの中Cさんが行く!
タイムは我々よりも慎重だった
そうだろう、2人してクルクル回る姿を見せていたもんだから慎重に行っているようだ。
すると!1コーナーで回っているCさんを確認!
すぐにコース復帰したがヒヤッとした
Cさん、自己ベストラップを刻んだ次の周!またも1コーナーでクルクル回っている!
同じ箇所で2度目の大スピン! 今回も自力復帰できたし他車を巻き込まなかったので良かった。
その後は慎重な走り、結局いつも通りなCさん走りとなったが無理もない
コースはワンミスを許さない危険な状態であることは変わっていない
トップがチェッカーを受けた
うちのマシンももう来るはずだ
シグナルエリアで待つ私たち
?おかしい?来ない? ・・・  何かあったのか?
ピットに戻りモニターを見ると・・・
ブリッジ下のコース上で止まっている我々のマシンを確認・・・
状況から見てどうやらガス欠のようだ・・・
なんてことだ・・・ あれほどチェッカーを受けたいと切望していたのにこの仕打ちは  あと500mほどだったのに・・・
結局、ランクルに牽引されピットロードに帰ってきたCさんとマシンを
迎えてのゴール。1周減算の扱い、ドベ完走となったのだった。
(ルマンなら、完走になりませんね泣)


レース後のミーティングではCさんの仕切りで感想、反省、来季へむけての発表がそれぞれあったが、印象的であり象徴的だったのは最後Cさんが発した
「我々(クルーも込みで)の力不足です」と語った事
作戦を遂行出来ないドライバー
作業をミスるクルー
全体の責任であると
とはいえ、みんな笑顔、マシンも無事に壊れずに返せたし
ドライバー3人皆、楽しく走れたし、
クルーやお手伝いさんたちもワイワイ見守りながらの応援が出来た、
鬼監督も言うことを聞かない(じゃなくて聞けないんです笑)ドライバーに
指示や激励しながら自分が走らず監督するのも楽しかったと
言うことでまずまず、いい結果で終わったと言っていいレースだったんじゃ
ないだろうか?と思う。


ここからはこのブログのタイトルに立ち返るとしよう
今年も、
スピード違反
シフトミスオーバーレブ
コースアウトスピン
とやらかした。
皆、優しいので、仕方ない、しょうが無い、レースしてるんだからと慰めてくれるし
オレはオレで自分だけではなかったので少し罪の意識は軽く感じている
しかしそれは結果大事になっていないからであって運が良かっただけだ
来年も走るだろう。より高みを求めるだろうからリスクはさらに高まる
が、来年こそはミスしないように心得て走ろう
みんカラに誓って

2024年12月  6年ぶりに自分コースレコード更新  Randonner  52歳













2024年12月13日 イイね!

積みプラは罪? ゆるせ誕生日だから笑

積みプラは罪? ゆるせ誕生日だから笑昨日先輩の文具店でインクカートリッジを買った
そこで出会ったコイツ
3000円か・・・
エンジンついてねーし・・・
悩んだ末買わずに帰ったのだが・・・



一晩寝て、考えた
やっぱ、買っとこう
今日はオレの誕生日だし♪






かくて、32年前から積んである787Bに兄貴分の767Bが加わった
787B、ウイングとパワートレーンだけ組んでいまだ手つかず
767Bはどうなる事やらどうするやら
Posted at 2024/12/13 17:24:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | プラモデル | 日記
2024年12月07日 イイね!

遠い街のどこかで

昨晩は忘年会
聞きたくて飲み屋のおねえちゃんにリクエストするも
知らない歌えないとのこと(39歳)
そうかー そうかもね= もう33年前前の曲だから・・・
結局、人生初で自分で歌った。結構歌えた

今日はyoutubeで聞きながらタイヤ交換4台やった
オレの冬の定番曲なんだけど
今日は別の意味でしみた・・・

Posted at 2024/12/07 17:28:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年11月18日 イイね!

6:00 20機ほどの縦列編隊 東の方へ高速で移動を確認?

満月と
北斗七星と
オリオン座の
コラボを見上げていたら
東の空へ高速移動している機体を発見
なんだろう?
今日もいい日でありますように・・・
Posted at 2024/11/18 06:08:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | ets | 日記
2024年11月16日 イイね!

シューマッハと私

シューマッハと私











シューはTVの中で世界一のレースをしている雲上人
私はしがないただの日本人
何言ってんの?と言われそうですが
そんな私とシューマッハの関係を書き記してみた



1991年春
オートスポーツ紙のSWC鈴鹿戦の記事でシューマッハのことを初めて知った
その年のルマンにも参加しててメルセデスC11で5位に入賞していた
気がつけば全日本F3000に参加して上位入賞
オートスポーツ紙面を賑やかに飾っていた
知らぬ間にF1にデビューしてて
気づけばベネトンに乗っていた
この年の晩秋、オートポリスで彼の最後のCカードライブでありC291の初優勝を私はこの目で見ている。

この頃の私はF1にあまり興味がなく記事が目につけばチェックする程度だった
TV放送も気が向けば見るくらいで録画までして見る事はなかった
そんな私がF1を全戦追うようになったのは1994年からだ。
それはまさにシューの時代が開いた年だった。
TVでは今宮さんがシューのすごさ、フォードゼテックRのすごさを語っていたのを覚えている。
セナはポールこそ取るがレースで弱くシューが勝利を重ねていく
押しのヒルはいつもセナ、シューの後方で結構離されていたような気がする
そんな最中、セナが亡くなってしまう
シューと唯一やり合えたセナがいないレースはシューの独走だった(私にはそう見えた) だがシーズンが進み、ヒルが台頭してきた
正直、シューにかなうとは思えなかったが時々勝つようになった
その勝ち方はいつもハラハラするもので1周たりとも見逃せなかった
線の細いヒルはいつミスるか心配でならなかった
それにたいしてシューの堂々とした走り
彼が1位を走っていればそれはもう、そのまま完走するな、という感じがした
若いのにものすごいオーラを放っていた

チームもシューも悪いと思うのだが
フォーメーション中の追い越しや黒旗無視などまぬけなミスをやり
3戦も出場できないというハンデをシューはおった。
このとき私はいくら何でも重すぎるバツだと思った
きっと主催者はシューの独走を中断し、終盤のタイトル争いを盛り上げるため
こうしたんだと思った。
そしてシューのいないレースでヒルは勝利を重ねる
どんなレースでもどんな一勝でも価値はあると思う私だし、ましてやヒル推しではあるがここで築いた勝ち星は少しさみしい気がした。

狙い通り?終盤は激しいタイトルマッチとなった
シューが戻ってきてもヒルは意外に頑張る
最終的に寸差の最終戦となったが
結果は皆さんご存じのとおり。
私はがっかりした
ヒルがタイトルを逃したから?違う。
シューがセナやプロストと同じ穴の狢だと感じたからだ
私はセナプロ対決の終盤が大嫌いだった。見苦しかった。
若い、新時代のレーサーだと思っていたシューマッハだが、
タイトルマッチの最後の最後、セナプロの1989年、1990年の鈴鹿と同じ事をやらかしたのだ。F1という骨肉の争いのなかで頭を取るにはこれほどに欲望をむきだしにして相手をやっつけなければならないのか?そう思った。
1994年のタイトルはシューマッハのものだと思うし、彼が取るべきだったと思うしかし、取り方が残念だった。
激動だった1994シーズンが終わった。

翌1995年はヒルにとって正念場のシーズンだと、私はいちづけていた。
なぜなら、エンジンはお互い同じルノーV10 タイヤも同じ
こうなれば、マシン、チーム力、ドライバーの力量が試される
落ち着いて走れば、シューに勝てるはずだ。
前年見せたそこ力を見せてほしいと願っていた
が、結果はご存じの通り
ヒルやウイリアムズチームはくだらないミスでレースを落としていく
シューはチャンスを逃さない
残念なシーズンになった。
そんなヒルとシューの小競り合いの中この年はアレジやハーバートが初優勝したのは嬉しかったのを覚えている

1996年、何があったかは知らないがシューはベネトンを去った
行き先はフェラーリ
去年アレジが一勝しているがまだまだ低迷期といっていい跳ね馬のチームに
加入した。ヒルは今年こそは正念場だ。ライバルはチームメイトのビルヌーブ
これが私の想像よりもずっと手強い。
そしてシュー、なんと!駄馬で3勝も(でしたよね?)したのだった。
この年はフェラーリ初のV10エンジン、
仮にアレジ、ベルガーコンビだったとして3勝も出来ただろうか?
そして仮にだがこの年のベネトンは優勝はないもののアレジが安定した速さで入賞していたからもしシューが乗ってたら確実にヒルを苦しめた事は想像にかたい。
私のヒルはタイトルをとれたが、シューのすごさ、ジャックビルヌーブの将来性に大いに期待し翌年を待つのだった。

1997年、ヒルはアロウズで苦しんでいた
TWR BSタイヤ ヤマハエンジン ワールドチャンピオンデーモンヒル
話題性は高かったが開幕戦は衝撃だった。残念だった
やはりビルヌーブは速くシーズンをリードした
以外だったのはフレンツェンでなかなか成績を残せない
フェラーリ2年目のシューはもう!タイトル争いに絡んできた
どこまでもすごいヤツだと思った
そんなシューをハンガリーでヒルがうっちゃった!
最高の瞬間だった
やはり、ヒルがシューを抜く様は最高の酒の肴だ
最終戦までもつれ込んだビルヌーブとシューのタイトル争い
予選では、1~3位が同タイムが話題だったが、ヒルは4位だった
しかも実はヒルのアタックラップで右京が前でスピンしてての4位だったのだ!
ヒルは実はポールシッターのはずだったのだ!
たまにではあるがシューをやっつけるヒルを見て喜ぶ私がいた
最終戦の結果は皆さんご存じの通り・・・
シューのバンザイアタックは不発に終わり
この年の年間順位は剥奪されてしまったのだった・・・
なにやってんだオマエ・・・
潔く負けた方がどれほどカッコいいか
こういうところに憤りを感じ、シューが好きになれないのだ。
ま、そうはいってもこの時点でセナやプロストに感じていた嫌悪感とさほどは変わらなかったのだが・・・

1998年
マクラーランが激速だ
しかしフェラーリ、シューマッハも黙ってはいない
ハッキネンとシューはF3時代からやり合っているらしくようやくその再戦が
F1で繰り広げられたということらしい(その当時のことを私は知らない)
シューもハッキネンのことはリスペクトがあるようで
正々堂々、戦っているように感じた。
この年のベルギーGPは雨に翻弄されたレースだった
ヒルが1位を走行していると明らかに速いシューの赤いマシンが真後ろに詰め寄り
バスストップシケインでズバッと抜かれた
この日のヒルは速かったがシューの方がさらにそれを上回っていた
やっぱシューはすげーなー、ヒルは2位でゴールできるかなぁなんて思っていた
しかしシューを不幸なアクシデントが襲う
クルサードに追突、マシンを破損、リタイアしたのだ
あれは不幸だった。シューに同情する私
クルサード、通常加速するはずの箇所でスローダウンせずにブレーキングするところで早めに減速開始するとかすればよかったのに。
シューもシューであれほどの劣悪コンディションだったんだからもっと慎重に行けば良かったのに・・・
あれはオレでもピットにどなりこむなぁと同情した
しかし、このドラマのおかげでヒルは22勝目をウイリアムズ以外のチームでの初優勝を飾ることが出来た。やはりヒルとシューは無関係ではいられないのだ。
シューのタイトル獲得の可能性があった最終戦鈴鹿はシュー劇場だったが
ヒルが通せんぼじじいになってシューの行く手を阻んだ
といっても同一周回だから譲る必要はなくただヒルはシューとバトルしただけだ。
楽しく観戦する私がいた。
シューは素晴らしい走りを披露したが最後はタイヤのトラブルでリタイアし
タイトルはハッキネンが獲得した
シューが盛り上げた面白いシーズンだった。

1999年
ヒルは全然走れない(速く) 残念なレースが続く
母国イギリスGPでシーズン途中だが引退するという噂が流れた
フジTVの番組もそんな感じの構成になっていた
調子の悪い中にしては確か入賞フィニッシュしたのでは?と記憶している
たしかそのレースだったと思うのだが?シュー、大クラッシュでリタイアしている
両足を骨折する大クラッシュだった。シートで覆われシューは見えないが
セナの一件もあるし命は大丈夫か?と思うほどの高速クラッシュだった
(この当時はまだHANSもつけていないはず)
もし、ぶつかった個所がタイヤバリアでなくコンクリ壁だったら…と危惧するほどの高速クラッシュだった。
さすがはターミネーターというべきか、幸い足の骨折だけで(重症だけど)すんで
ホッとしたのを覚えている。シューのキャリアで最大のピンチだと思ったけど。
ヒルはイギリス以降も走り続けたが残念な結果しか出せなかった
対照的にフレンツェンが速いのでますますみじめに感じた
結果から言えばイギリスでポイントフィニッシュした時点で引退したほうがかっこよかったかなぁなんて思う私がいた。
シューがいなくても、アーバインやフレンツェン、クルサードがハッキネンを責め立て泣かしていた。
そして最終戦はハッキネンVSアーバインの構図になっていた
アーバインの援護は怪我から復帰したシューマッハだった!
シューはいい仕事をしていた。もしハッキネンを上回る成績を収めればタイトルはアーバインの、跳馬のものだったのだ。
しかし、その日のハッキネンにシューは追いつけなかった
結果、タイトルは2年連続でハッキネンに持っていかれた
ただ、あの時本当に全力でシューは走っていたのかな?と思った
自身が狙っていたフェラーリでのタイトルをアーバインにあげたくなくてレースをコントロールしていたんじゃないのか?と私は思った
なんにせよ、怪我での離脱があったがやはりシーズンを盛り上げたシューマッハだった。

2000年
ここから先、私はF1を一生懸命には見なくなった
だって、ヒルがいないから、推しがいないから興味がわかなくなった
だが、暇つぶし程度でたまに見るF1でも相変わらずシューは
勝ちまくっていた
暴れまくっていた
ときにピットアウトしたタイミングでクルマを押し出したり
ときに不条理なチームオーダーをしたり
やりたい放題のガキ大将ぶりを発揮していた
そんなことしなくても、オマエが王者だってことはみんな知ってるのに…と冷めた目で見る私。
そんなある日 シューが、生意気で粗削りで速いアロンソにぶち抜かれていた
まるでデビューしたころのシューが果敢にセナに挑んでいたのを
今度は逆にやられていた。ターミネーター、シューマッハといえどもやはり寄る年波にはかなわないか?と寂しさを感じた
気が付けば引退していたシュー
ヒルが39歳で引退したことを思えばまだまだやれそうな気がしたが
シューもいろんな思いがあるのだろう。
こうして長かったシューの時代も終わりを告げたのだった。
私のF1熱もますます冷めるばかりだ

2010年代に入り
シューが復帰するということを知った!
すごいと思った、そしてシューならやると思った!
久々に日曜夜中にTVを見た
なかなか厳しいレースをしているがそれでも応援するのはシュー一人だ。
私にとってはあれほどヒールだったシューだがシューの時代に一番F1に熱狂した私はおやじになっても頑張るシューを応援せずにはいられなかった
そしてまた、若い時のようにうまくいかないシューを見て
当時の自分と重ね、感情移入するようになっていたのだ
時はネットの時代となっていていろんな細かすぎる情報も入ってくる
相変わらずというか?王者にふさわしくないふるまいを新人にしている姑息なシュー情報が入ってきてがっかりする
気が付けば2度目の、本当の引退をしていた


いつなのか。覚えていない
シューがスキーでこけて頭を打ち意識がないと報じられていた
なんてことだ… 意識が戻るといいけど…と心配する私
しかし、どんなに時間が経過してもいい報告はない
そして今だ。
この本はみん友さんのブログで知り、購入したのだが
インタビューに答えているシューの身近な知人がまるでもう、
いなくなった人のようにコメントしているのが悲しい


私がF1に熱中していた1994~1999年の5年間
まぎれもなく横綱だったミハエル.シューマッハ
見なくなったその後も長らく一人横綱を続けていたシューマッハ
シューマッハとやりあうヒルを応援するのが好きだった私
ライバル不在で余裕綽綽で勝つヒルは想像できない
たまにでもシューを上回るヒルを見るのが好きだった

ちなみに私事だが
草レースを始めたのが1993年
公式戦に参加するようになったのが1995年から~現在までだ
私が参加していたJAF戦でもいろんなドライバーがいた
明らかな違反をする奴
グレーな行為をする奴
コース外で政治的な動きをする奴
当ててでも抜くやつ
クリーンなレースをする人
様々な人がいた。
私はシューのような、レースはしたくないと思っていた
いや、違う。いい時のシューのような走りがしたい。
と思っていた。
だからこそ、あんなにもすごいのに時々姑息なことをするのが許せなかったのだ
シューがレースで走るところが
コメントで毒を吐いているところが
見てみたい。聞いてみたい。
健康が一番だ。
事故は誰にでも不意に降りかかってくるものだ
できれば公の場に姿を見せてほしいけど
無理でも今より少しでも良くなり、元気になった報告を聞きたい
シューマッハの時代にF1に熱狂した者としては願わずにいられない。







Posted at 2024/11/16 09:55:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記

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何シテル?   08/12 11:22
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