2021年 7月、VITAマジカルエンデュランス耐久という、VITAワンメイクの5時間耐久レースに5人一組で参加した! 燃費も厳しい知力や作戦が物を言う面白いレースだった。 結果は15位/33台と申し分ない物だった。
しかし、私のピットサイン見落としなど、数点チョンボもあり、それがなければシングルフィニッシュも可能だったのではとレーサーの血が騒いだ。
11月、 今シーズン、このレースをもって最後といわれるツーリングカー耐久レースに3人一組で参加した! 結果は3位/6台と申し分ないものだった。
私自身はふがいない走りしかできず、反省点が多かったが結果オーライ?
パートナーさんの頑張りで表彰台に登る事ができた。一応、狙ってたし意識してたけど現実になって感無量でした。
2020年 25年ぶりにレーシングカーを所有しない自分と向き合った。それはそれで自分自身を見つめなおすいい機会になった。
幸いと言うべきか、no32は熱血86オーナーさんのもとへ渡り、しかもゴールドカップTCレースに参加するというではないか! 参加台数が少ないTCレース、結果から言えば私が走らないだけで今までと同じく、1台グリッドを埋めてくれるというのがまず嬉しかった。応援のしがいもあろうというものだ。
しかし、コロナ、水害などあり上半期はレース自体、開催されない、出来ないという事態に陥った…。
そんな逆境の最中、超過密スケジュールで2か月で3戦が行われ、新オーナーさんは何と!2位、2位、1位!と言う驚くべき速さ、成績で年間チャンピオンを獲得された! 確かに、オーナーはハチロクの神と呼ばれるほどの腕前だが、
私のno32の壊れたフロントセクションの修理、エンジンの載せ替えが主な変更であとはほとんど私の時のまんまだ。それはつまり私たちのクルマ作りが間違っていなかったとも理解できる。今年、くらい、憂鬱な事が多い年だったが旧no32の活躍は本当にうれしい出来事だった。
2019年 2018年の再現をもう一度の思いで、タイム狙いでG/Sタイヤを購し開幕戦に挑む。前日は調子よくこれは行けるか!?と思ったがNEWタイヤはやはり使えない私。結局予選でタイム出ずレースは最下位に沈む。それからの第2戦、第3戦はVITAとは混走とならずTCの参加台数があまりに少ないので寂しいな…と言うのが動機で参戦。いずれもドベだった。最終戦耐久は初の2時間レース。ここではやってはならない他車との接触をやらかす。私は辛くも走り切ったがお相手のVITAは0周リタイアでお気の毒だった…。もう少し、何とかよける事は出来なかったのか…悔やまれる結果だった。no32もなかなかの重傷を負った。。。
2018年 年頭に立てた目標は、公式の場で2分12秒代を記録する事しかしながら年間予算は50万円以内とし、限りある資金、時間を大切に使い目標に向かって邁進した。結果、開幕戦の予選で見事!目標達成!😂 うれし泣き💦
それからは資金不足、(仕事でも不足)モチベーション不足 で休戦人生初オフィシャル活動はいい刺激経験になった
仲間に鼓舞される形で最終戦である耐久レースに参戦結果は人生初優勝で総合優勝!、クラス優勝!と😂 うれし泣き💦これは長年やってきた事へのご褒美だと思いました。目標も達成、そして完全に望外の優勝も経験。
正直、こんなにうまくいったシーズンはいまだかつてないので2019年がコワい私です。
2017年 ある時はCPUがご機嫌ナナメ、またある時は足が体が不機嫌、なかなか真の実力を出してくれなかった、人生初のシリーズフル参戦でした
結局たどり着いたのは補強パーツの取外しおよび軽量化、タイヤエア圧調整、
スロットルポジションのマメな更生で何とか去年なみの速さを再現no32の魔性ぶりを存分に味わわされた1年でしたそんな感じでしたので俺が悪いのか?という疑いもあり走りも迷走2度のコースアウトと数度のスピンをやらかしました
やはり、自分自身を律する必要があるようです。
2016年 ゴールドカップツーリングカーレースの最終年だと言う事で全戦参加を目標にたてる。清水の舞台から飛び降り、いまだかつてなく諭吉を投入しno32を魔改造した。しかし、結局フル参加はかなわず、マシンは大幅にタイムUPできたものの本番で性能を発揮できず竜頭蛇尾。まぁ、でもそれは望外に速くなり高望みしたからそう思えるのであって、300km耐久も完走したし、タイムも未知の領域に踏み込めた。ap86にしてはまずまずだったじゃないのかな?
2015年 昨年の借金返済とHANS&メット購入で首が回らず、10月に何とかレース参戦。そしたら運よく表彰台登壇!13年ぶりでした。
妻の許可も出て耐久にMRチョキさんと組、フルスペックSAMな体制で参戦!
結果リタイヤでしたが山あり谷あり濃い1年でした。
2014年 ほぼ1年かけて86ハコ替え、ほとんどDIY。2月シェイクダウン、以降低迷トラブル多発7月ゴールドカップ復帰!11月GC耐久参加、12月自己ベスト9年ぶりの更新!山あり谷あり非常に濃い1年でした。
2013年 レース予選でタイムを出したいがために先行車を追走し、結果大クラッシュ、全損。2月頭までは順調だったのにその後86の調子が悪く修理の連 続。練習も思うように出来ず、レース日を迎えた。さらに当日朝車検直前に燃料タンク漏れ発見でテンパリまくりだった・・・。直後はやめようかと思た・・・
2012年 初めて他人の車でレース参加。新境地を開拓できた。その間1年かけて86は修理する。
2011年 1年かけて86修復。路面が変わる前に自己ベスト更新ねらい攻めた。結果ブリッジ下左コーナーでアンダコースアウト、ガードレールに激突、フレーム く の字に曲がり修理と乗り換え、それともやめるか悩む。(単独クラッシュ)
2010年 レース前日練習の夕方最後の枠で2コーナーイン巻き込みクラッシュ、リズムにのってきてどんどんタイムUPしていたので調子にのりすぎる(単独クラッシュ)応急処置で翌日レースには参加。ハンドリングベストではないが楽しくレースできたしかし後日、点検してみたらフレームにダメージが及んでいた。
2009年 スーパーGT前座レース
1ヘアピン進入でインをさすも接触。相手は長年のレース仲間、家を買うためレースは今回が最後だと語っており、本レースでのホイールは彼から借りた物だったのに・・・一瞬の判断ミスで彼をリタイヤに追い込み、私は完走したものの失格の裁定をくだされた。結構86も調子よく、前座レースであったため熱くなりすぎたのかも・・・初めて、自分が”当てた” 方になった。
2008年 スーパーGT前座レース
ただ、参加しただけ。S-GTを内から観戦するため。練習 不足、資金不足、退屈なレース。無事完走。
2007年 レース参加せず。子供は4人になりスウィートテンな贈り物をした関係で金欠。スポーツ走行3本にとどまる。
2006年 1月、自己ベスト更新、3月レース、ミッション不調でシフトミス多発、オーバーホール決意ついでにエンジンも92後期へ載せ変え、迎えた11月のレースは予選3位、86勢トップ、決勝はタイヤ選択ミスでドベ。
2005年 上位集団とからめた楽しくも激しいシーズンだった。
2004年 ゴールドカップ他、耐久に参加したりして、近年では1番走ったシーズだった。
2003年 レース2回参加、うち1回はJGTC前座、そのレースで同じ車両から左右1回づつ、インから当てられる!ドアぼこ凹!レース後殴り込みに行ったな・・・
2002年 ゴールドカップ2回参加、3位表彰台1回、耐久レース参加。
2001年 レース1回参加、PSS耐久レース参加。
2000年 レース1回参加。雨中のレース、まずまずの所を走行中、はじきだされてドベ。殴りこみに行ったな・・・
1999年 SP走行のみ、他人の86でPSS耐久参加
1998年 2月結婚、3月 86納車 9月始めての走行、2分28秒だった。
1997年 マーチ最後のレース。MINE JTCC前座。練習もせず、前座 レース楽しんだ。
1996年 マーチレース参加。最高位7位。接触すれすれ(した)のぎりぎり バトルが楽しかった。
1995年 11月、SA22CサバンナRX-7、締めくくりのつもりで攻めるも最終コーナーで昇天翌年はマーチレースが決まってたし、AP閉鎖も決まってたので最後の思い出に攻めたのが間違いだった。(単独クラッシュ)10月、耐久レース参加。しかし涙の予選落ち⤵ 参加55台!予選落ち10台の今思えばすごいレースだった
5月、スポーツ走行、1コーナー進入で私イン、御相手MR2SW20アウト側で接触。板金だけで治る軽傷だったが御相手の方はかなりへこんでいてお気の毒だった。一瞬の判断ミスでやってしまった。明らかに自分の方が速かったので私のミスだと今でも思っている。(接触事故)
1994年 SA22C、FISCOと箱根国一がホームコース。
箱根でよく事故った。それも明日がFISCO走行会って日が多かった気がする・・・
~1993年? FC3S、最後は富士見パークウェイで昇天、土屋圭一のJSSFISCO映像を見て熱くなりすぎていたような気がする。他に2回ほど事故ったが、新しいパーツをつけた時、先輩が横に乗ってたときだった。いいとこ見せようとしてたのか?パーツのおかげで今までより速くなってリスクが高まったか? とにかく未熟だった。
1年以上、サーキットを走らずに過ごした昨年、
2021年は年明け早々にVITAに乗せていただく機会をもらいました。
他人様の大事なマシンだし、21シーズンに向けて練習に励んでいる最中です。
絶対に壊してはいけないし右手シフトだしド緊張でのコースインですが、結果は楽しい体験をさせていただいたな~って感じでした。
それからしばらく経ち、7月にVITAでの5時間耐久レースがあるとのことで出たいな~
と思い、意思を告げました。それから別の車体のVITAを借りての練習走行!
目標であり、課題は13秒台は出しなさいと言う物でした。
練習に励むもスピン、コースアウトを数回。無論わざとではないですが・・・
結果は14秒代しか出せずじまい・・・しかし努力の甲斐ありチームに合流させていただく事ができました。
11月には最後通告のTCレースの2時間耐久にでないか?と誘われました。
うれしいですが、自転車と2足のわらじ状態であること、練習時間がそれほどとれない事、何よりも私自身が遅いのでそんなんでいいんですか?と問えば、
それでも構わないので出ましょう!との暖かいお言葉。
ならばとできる限り練習しますが、不器用な私、重ね重ねわざとではありませんがスピンコースアウトをやっちゃいました泣
そんなこんなでしたがゆかりのあるチームでご縁が深い仲間と最後(かもしれない?)のTCレースに参加でき、
しかもT/Mトラブル(私が走行中~泣、レース1週間前~汗)
エンジントラブルからの~載せ替え!(前日土曜日ですよ!)
からの決勝はよもやよもやの3位表彰台!
とても素晴らしい結果に恵まれました♪
と、言うことで全く走らなかった昨年とはうってかわり、
走れるだけでも楽しいのに結果までついてくるという一年でした!
番外ですが、父のRX8でのモータースポーツ活動、
あわよくばと考えていましたがムリです
と言うのも父が思いのほか8を気に入り、すごく大事にしているからです。
と言うわけでツーリングの友として楽しんでいます。最高です♪
なんと車検を通してくれ、まだ最低でも2年は乗り続けられそうです。
11月には禁断のサーキットデビューをしていまいました!
レイクサイドコースでしたが楽しめた反面、
1.2速が走行中に入らないのでストレスもたまりました。
今度は最初から1速。2速ホールドでドリフトに挑むか?
あるいは禁断の本コースデビューしちゃうか?
来年はどうしましょう?
ただ、必ず2022年にやると決めているのは夫婦でエイトで広島詣でに行くことです。(モータースポーツじゃないけど笑)
レーシング愛車を失い、走らなくなって1年以上が経ち、
今年はレンタル車両でのレースに2度参加しました。
やはり、自分と一体になれる、無茶のできる愛車での練習ができないので根本的な自分のレベルやレース感、走行感が衰えているのを感じざるををえません。
反面、準備に追われる事もなく、トラブルが起こってもどこか気楽なもの(メカさんすみません)そして、同じクルマに乗る仲間と同じ条件でタイム差がわかり、客観的に自分のレベルを自覚できるのはそれはそれで楽しいし、励み目標になることも分かった。
来年の私はどうなのだろう?VITAのタイムは縮めたいなあとは思っています。
そのためにはレンタル代金を準備し、オーナーさんに信用される走りをしなければなりませんね!
こうして簡単に振り返るだけでも・・・
事故ばかりやってた青二才な走り屋時代 1993~1995年(21~23歳)
安定期?かな?私生活でも、みを固めた レース事故もなし 1996~2008年(24~36歳)
転職、住まいも変わり、不安定期か? 走ればやらかす 2009~2013年(37~42歳)
そして、活動絶頂期か? 2014~2018年(43~46歳)
2019年は結果的に第一期活動最終年となる(47歳)
2020年はいつか来る?第二期活動までの思考充電期間か?(48歳)
2021年はレンタル車によるレース参加という新たな境地に目覚めた年かな(49歳
来年のオートポリスの盛況、コロナの封じ込め、皆さまの健康ご多幸を祈りつつ
去っていく2021年、令和3年を見送りまた、自分を律したいと思います
