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Randonneurのブログ一覧

2025年06月16日 イイね!

ルマンを見ながら大昔のデイトナなマシンを

ルマンを見ながら大昔のデイトナなマシンを









たいてい、家にいてもなにかするか、掃除片付けするか
プラッとポタリングしたりする私ですが
仕事が多忙すぎて身体のダメージが大きく、
ルマンデイだった日曜日は
寝るか、ラジオ聞くか、ルマン見るか、そしてながらでプラモやるかと
お休みに努めた1日でした

いや~ ルマンすごいですね
24時間走っての各車のタイム、周回の差がない!
そして完走するマシンが多い!
今のマシンは壊れないんですね~驚
それだけにつまらないトラブル1こで順位は急落するのですね
メーカーもたくさん出てて活況のようです
なんか、ドライバーも知らない名前ばかり?
なんか、見たことあるな~って名はきっと2世だろうなぁ
ちょっと今のルマンも勉強しなきゃな~
正直、1990年代で止まってます私爆



2024年12月24日 イイね!

今一度、自分自身を律するため 2024年追記版

2024年モータースポーツ活動

レンタルカートレースに数回参加
JAF公認VITA耐久3時間レースに参加
そのために事前の練習多数

相変わらず課題は山積みだし、自分に勝ったとは言いがたいが
まぁまぁ満足できる一年だったかなぁ?





2023年
VITAレンタル車で5時間耐久レース参加  号外の9位も自分に負けた走り
ドリフト走行会  レンタルFC3Sで参加 下手くそ全開だったが楽しかった
カートレース  レンタルカートレース参加 下手くそ全開楽しんだ

と、なかなかの充実したモータースポーツライフを送った1年ではあった。
しかし、どれも課題山積みの結果しか出ていない
自分に ”負けた” と感じる結果しか出ていない






2022年はレーシングカーを運転する事が全く無かった。
これを書き記し始めたのは、振り返ると私は結構スピンやクラッシュ、
事故が多いので年に一度これを見て反省し次につなげるために始めた。
レーシング運転が無ければ当然何事もおこらないんだけど・・・
今年はチームTを通じてレースを応援観戦した
回を重ね見れば見るほどに走りたいとうずく自分と、よくこんなことやるなぁとビビる自分が交互に現れるのを感じた1年だった。

クルマでも、レースでもないけれど、生きるか死ぬか(ちょっと大げさ過ぎる言い方ですが)リスクを承知で突き進むか?リスクを排除しリタイアするか?
究極の選択を今年は3回、自転車でやった。結果3回ともリタイアを選んだ私
今の私は一か八かと言うような選択は無いのだ・・・

レンタルだがカートに乗った
レースやドリフトを見てうずうずしつつも乗るクルマは無くもんもんとしているタイミングで乗った。久々のカートは純粋にたのしかった。こんなに速かったかなぁ?と感じた。乗ってから数日、体の痛みがとれないのであった・・・







2021年   7月、VITAマジカルエンデュランス耐久という、VITAワンメイクの5時間耐久レースに5人一組で参加した! 燃費も厳しい知力や作戦が物を言う面白いレースだった。 結果は15位/33台と申し分ない物だった。
しかし、私のピットサイン見落としなど、数点チョンボもあり、それがなければシングルフィニッシュも可能だったのではとレーサーの血が騒いだ。

11月、 今シーズン、このレースをもって最後といわれるツーリングカー耐久レースに3人一組で参加した! 結果は3位/6台と申し分ないものだった。
私自身はふがいない走りしかできず、反省点が多かったが結果オーライ?
パートナーさんの頑張りで表彰台に登る事ができた。一応、狙ってたし意識してたけど現実になって感無量でした。




2020年   25年ぶりにレーシングカーを所有しない自分と向き合った。それはそれで自分自身を見つめなおすいい機会になった。
幸いと言うべきか、no32は熱血86オーナーさんのもとへ渡り、しかもゴールドカップTCレースに参加するというではないか! 参加台数が少ないTCレース、結果から言えば私が走らないだけで今までと同じく、1台グリッドを埋めてくれるというのがまず嬉しかった。応援のしがいもあろうというものだ。
しかし、コロナ、水害などあり上半期はレース自体、開催されない、出来ないという事態に陥った…。
そんな逆境の最中、超過密スケジュールで2か月で3戦が行われ、新オーナーさんは何と!2位、2位、1位!と言う驚くべき速さ、成績で年間チャンピオンを獲得された! 確かに、オーナーはハチロクの神と呼ばれるほどの腕前だが、
私のno32の壊れたフロントセクションの修理、エンジンの載せ替えが主な変更であとはほとんど私の時のまんまだ。それはつまり私たちのクルマ作りが間違っていなかったとも理解できる。今年、くらい、憂鬱な事が多い年だったが旧no32の活躍は本当にうれしい出来事だった。





2019年   2018年の再現をもう一度の思いで、タイム狙いでG/Sタイヤを購し開幕戦に挑む。前日は調子よくこれは行けるか!?と思ったがNEWタイヤはやはり使えない私。結局予選でタイム出ずレースは最下位に沈む。それからの第2戦、第3戦はVITAとは混走とならずTCの参加台数があまりに少ないので寂しいな…と言うのが動機で参戦。いずれもドベだった。最終戦耐久は初の2時間レース。ここではやってはならない他車との接触をやらかす。私は辛くも走り切ったがお相手のVITAは0周リタイアでお気の毒だった…。もう少し、何とかよける事は出来なかったのか…悔やまれる結果だった。no32もなかなかの重傷を負った。。。






2018年    年頭に立てた目標は、公式の場で2分12秒代を記録する事しかしながら年間予算は50万円以内とし、限りある資金、時間を大切に使い目標に向かって邁進した。結果、開幕戦の予選で見事!目標達成!😂 うれし泣き💦
それからは資金不足、(仕事でも不足)モチベーション不足         で休戦人生初オフィシャル活動はいい刺激経験になった
仲間に鼓舞される形で最終戦である耐久レースに参戦結果は人生初優勝で総合優勝!、クラス優勝!と😂 うれし泣き💦これは長年やってきた事へのご褒美だと思いました。目標も達成、そして完全に望外の優勝も経験。
正直、こんなにうまくいったシーズンはいまだかつてないので2019年がコワい私です。
         
         
2017年   ある時はCPUがご機嫌ナナメ、またある時は足が体が不機嫌、なかなか真の実力を出してくれなかった、人生初のシリーズフル参戦でした
結局たどり着いたのは補強パーツの取外しおよび軽量化、タイヤエア圧調整、
スロットルポジションのマメな更生で何とか去年なみの速さを再現no32の魔性ぶりを存分に味わわされた1年でしたそんな感じでしたので俺が悪いのか?という疑いもあり走りも迷走2度のコースアウトと数度のスピンをやらかしました
やはり、自分自身を律する必要があるようです。

2016年   ゴールドカップツーリングカーレースの最終年だと言う事で全戦参加を目標にたてる。清水の舞台から飛び降り、いまだかつてなく諭吉を投入しno32を魔改造した。しかし、結局フル参加はかなわず、マシンは大幅にタイムUPできたものの本番で性能を発揮できず竜頭蛇尾。まぁ、でもそれは望外に速くなり高望みしたからそう思えるのであって、300km耐久も完走したし、タイムも未知の領域に踏み込めた。ap86にしてはまずまずだったじゃないのかな?

2015年   昨年の借金返済とHANS&メット購入で首が回らず、10月に何とかレース参戦。そしたら運よく表彰台登壇!13年ぶりでした。
妻の許可も出て耐久にMRチョキさんと組、フルスペックSAMな体制で参戦!
結果リタイヤでしたが山あり谷あり濃い1年でした。
        

2014年    ほぼ1年かけて86ハコ替え、ほとんどDIY。2月シェイクダウン、以降低迷トラブル多発7月ゴールドカップ復帰!11月GC耐久参加、12月自己ベスト9年ぶりの更新!山あり谷あり非常に濃い1年でした。


2013年    レース予選でタイムを出したいがために先行車を追走し、結果大クラッシュ、全損。2月頭までは順調だったのにその後86の調子が悪く修理の連 続。練習も思うように出来ず、レース日を迎えた。さらに当日朝車検直前に燃料タンク漏れ発見でテンパリまくりだった・・・。直後はやめようかと思た・・・

2012年   初めて他人の車でレース参加。新境地を開拓できた。その間1年かけて86は修理する。


2011年    1年かけて86修復。路面が変わる前に自己ベスト更新ねらい攻めた。結果ブリッジ下左コーナーでアンダコースアウト、ガードレールに激突、フレーム く の字に曲がり修理と乗り換え、それともやめるか悩む。(単独クラッシュ)


2010年    レース前日練習の夕方最後の枠で2コーナーイン巻き込みクラッシュ、リズムにのってきてどんどんタイムUPしていたので調子にのりすぎる(単独クラッシュ)応急処置で翌日レースには参加。ハンドリングベストではないが楽しくレースできたしかし後日、点検してみたらフレームにダメージが及んでいた。


2009年    スーパーGT前座レース
1ヘアピン進入でインをさすも接触。相手は長年のレース仲間、家を買うためレースは今回が最後だと語っており、本レースでのホイールは彼から借りた物だったのに・・・一瞬の判断ミスで彼をリタイヤに追い込み、私は完走したものの失格の裁定をくだされた。結構86も調子よく、前座レースであったため熱くなりすぎたのかも・・・初めて、自分が”当てた” 方になった。


2008年    スーパーGT前座レース
ただ、参加しただけ。S-GTを内から観戦するため。練習         不足、資金不足、退屈なレース。無事完走。


2007年    レース参加せず。子供は4人になりスウィートテンな贈り物をした関係で金欠。スポーツ走行3本にとどまる。


2006年   1月、自己ベスト更新、3月レース、ミッション不調でシフトミス多発、オーバーホール決意ついでにエンジンも92後期へ載せ変え、迎えた11月のレースは予選3位、86勢トップ、決勝はタイヤ選択ミスでドベ。


2005年   上位集団とからめた楽しくも激しいシーズンだった。


2004年   ゴールドカップ他、耐久に参加したりして、近年では1番走ったシーズだった。


2003年   レース2回参加、うち1回はJGTC前座、そのレースで同じ車両から左右1回づつ、インから当てられる!ドアぼこ凹!レース後殴り込みに行ったな・・・


2002年   ゴールドカップ2回参加、3位表彰台1回、耐久レース参加。


2001年   レース1回参加、PSS耐久レース参加。


2000年   レース1回参加。雨中のレース、まずまずの所を走行中、はじきだされてドベ。殴りこみに行ったな・・・


1999年   SP走行のみ、他人の86でPSS耐久参加


1998年   2月結婚、3月 86納車 9月始めての走行、2分28秒だった。


1997年   マーチ最後のレース。MINE JTCC前座。練習もせず、前座       レース楽しんだ。


1996年   マーチレース参加。最高位7位。接触すれすれ(した)のぎりぎり       バトルが楽しかった。


1995年   11月、SA22CサバンナRX-7、締めくくりのつもりで攻めるも最終コーナーで昇天翌年はマーチレースが決まってたし、AP閉鎖も決まってたので最後の思い出に攻めたのが間違いだった。(単独クラッシュ)10月、耐久レース参加。しかし涙の予選落ち⤵ 参加55台!予選落ち10台の今思えばすごいレースだった                              
5月、スポーツ走行、1コーナー進入で私イン、御相手MR2SW20アウト側で接触。板金だけで治る軽傷だったが御相手の方はかなりへこんでいてお気の毒だった。一瞬の判断ミスでやってしまった。明らかに自分の方が速かったので私のミスだと今でも思っている。(接触事故)


1994年   SA22C、FISCOと箱根国一がホームコース。
箱根でよく事故った。それも明日がFISCO走行会って日が多かった気がする・・・


~1993年?  FC3S、最後は富士見パークウェイで昇天、土屋圭一のJSSFISCO映像を見て熱くなりすぎていたような気がする。他に2回ほど事故ったが、新しいパーツをつけた時、先輩が横に乗ってたときだった。いいとこ見せようとしてたのか?パーツのおかげで今までより速くなってリスクが高まったか? とにかく未熟だった。 



2024年今年はカートにたくさん乗った
レンタルカートは壊すリスクやスピードによる恐怖がないので
そこを考えずに純粋に速さを追求できるところが素敵だ
しかも乗り込むほどに奥が深く難しい(ま、それは4輪でも同じだけど)
今年は身の程しらずにもレースに数回参加した
いつも遅いんだがとても勉強になる
そしてオレはほんとに頭が悪くて適応力のないドライバーだと思い知る
カウベルモーターパークはブレーキを踏むところは1カ所しかない
他は行こうと思えばすべて全開でもクリアできる
そこが落とし穴でもある。全開を意識するあまりマシンの挙動は乱れ
結果タイムは遅いのだ。ちなみにそれはVITAでも同じ事が言える。
その課題は解消できていないが
2024年はそれが理解できただけでもヨシとしよう
来年もカートに乗って精進するつもりだ


2024年、なんとなく懐事情が良かったので思い切って公認が切れている
レーシングスーツ、グローブ、アンダー上下、ソックスを買った
それは自分を鼓舞するためでもある
5月から、レンタルVITAを借りて練習開始
早々に2.14.1を刻み自己ベスト更新、去年のトラウマを払拭できた
しかしその後が伸び悩む
乗っても、乗っても、また、3台のVITAを乗り比べても
皆、ベストタイムは2.14.1・・・
これは、自分自身で限界を作り、その壁の手前で走っている証拠だ
3台はクルマのセットも全然違うのだがその違いもわからない
結構悩むが、こちらはレンタルカートと違って
ハイスピードのクラッシュのリスクも
ハイスピードの恐怖も
重くのしかかる。無茶はできない
オーナーさんからは
「セクターベストをつなげば13秒には入っている。ばらつきが多いのでもっと精度を高めた運転をするためにも頭を使って乗り込むしかない」 と
暖かい助言をいただく。

そんな感じでレースウィークに入ったがなんと、前日土曜日の公式練習でやってはならないオーバーレブをやらかしてしまった・・・ しかも同じコーナーで2回も!
4→5のシフトアップで3にいれてしまい瞬間8200回転まで回ったらしい
失意の私・・・  今までシフトミスなんかしたことないのに・・・
次のドライバーさんに交代するも
「なんか上りが遅い、タイムも激遅」とのこと
サードドライバーさんは無線チェックやコースアクシデントによりまともに走れず
結局エンジンの調子はいいのか悪いのかわからずじまいでセッションは終了
鬼監督(マシンオーナー)はエンジン音やレブった回転が低かったことから判断し
オイル交換だけでOKとした。
オーナー監督が経験上大丈夫と言っているのだから大丈夫なんだろうが
私はとても心配。心配を忘れたいのもあり前夜祭は飲んで食べて騒いだのだった。

翌日レース当日
ここで今年の体制を紹介しておこう
マシンはレンタルなVITAながら、先の数年お借りしているレンタル用のマシンではなく、シリーズタイトルを狙うような個人オーナーのマシン。
これに今回はオーナーは乗らず、
私(Aドラ)、1個上の先輩(Bドラ)、3個上の先輩(cドラ)のマシンを持たない3人で参加することになった。
今回の耐久は3時間であるため、亀さん走法は通用しない、ある程度は速くはしりつつ燃費を保たして走るという去年までとはかなり異なるレースであり、体制なのだ。これに参加するために5月から走り込んだのだが、なかなか・・・

予選だ。
Aドラである私は最初にマシンに乗り込む
今回のレースはAとBのドライバーの合算タイムなので責任重大だ
しかし、タイムもださなきゃだが壊さずにバトンを渡さなければならない。
そもそも、エンジンは大丈夫なのだろうか?不安がよぎる
オーナー鬼監督にはNEWタイヤ(初めてはく)は強烈に食うのでマシンを信じて突っ込みなさいと助言された。
私は心に、 8つの誓いをたててアタックすることとした
①とにかく平常心、リラックス
②エンジンは普段よりも低い回転でシフトUPする
③シフト操作はゆっくりと確実に
④ブレーキングは踏み換える瞬間、空走距離をとり余裕でコーナーへ進入する
⑤舵角を与える箇所は気持ち早めに
⑥アクセル開度にこだわらずスピードを乗せる事に注意する
⑦アクセルワークは前後加重と相談してから
⑧必ず無事にマシンを渡す

コースインだ
速い方々がインするのを見送り、1分後ほどにインした
ピットインアウトもスピード制限があるし、通過時間が大事だから本番レースのつもりで60kmキープのつもりで走った・・・ ら?メーターに速度表示がなかった
あ、予選モードで速度表示省いてたんだった笑 これが後に笑い事ですまなくなる・・・
ブレーキを使って縦方向にタイヤを暖める
3コーナーでずるりとくる
新品特有の皮むき前のスライドだ
100R,もう、かなりグリップを感じる
ジャットコースター飛び込み、かなりのグリップを感じる
誓いを守りつつ、さあ!行ってみるか!
1ヘアを過ぎて他車に近づく
なんだかかなりの量の水をまきながら走っているマシンがいる
これはどう見てもやばい
私にとっても、コースが濡れて滑るのがやばいし、
彼らにとってはエンジンを壊すかもしれない
無線でそれを知らせると
「自分の走りに集中してください」と言われた
水漏れのマシンを抜き、気を取り直してアタック!
2周アタックしたラ・・・
2.11.7?が見えた  すごい!我ながらすごい!間違いじゃないか?と思った
アタック3週目はベストできていたが登りでつかえた。
これはもう、この先はこのマシンと一緒に走るだけになるのでアタックできんなあと判断。ピットインすることとした。ら、なんとそいつもインした・・・
行っときゃよかったと後悔するもあとの祭り
きっと、もっと、縮めることは出来ただろうが、ま、それは来年のお楽しみ
とにかくは
エンジンは大丈夫
マシンも問題なく無事に返す事が出来た
その安堵感と自己ベスト更新のうれしさが入り交じり
涙した51歳のおっさんだった。。。
ちなみにだが、自己ベストの周に燃費も自己ベストだった
Wで嬉しい結果、まるでターゲットタイムをクリアしつつ燃費の貯金を稼ぐ
グループCのレースのようではないか!昔、本で見たプロのレースのような事をやっている、出来た自分に酔いしれる私だったのだ笑

セカンドドライバーさんも自己ベスト更新で問題なく予選終了
A,B合算タイムでは12/18位とまずまずだったが・・・
モニターにはなんだか我がマシンのゼッケンが表示され「審議中」との文字が・・・
なんと、私がピットレーン速度違反をしていたのだ!!!
結局、タワー4階でお叱りをうけ、2グリッド降格の裁定をくだされたのだった泣
全く・・・ シフトミス、速度違反、今までしたことがない類いのミスを今年もやってしまった・・・ 衰えというのはこういうことなのか? 走り込んでないとこういうものなのだろうか?深く反省しつつ、決勝ではミスなく行くぞと誓い
気を取り直して頑張る事とした。

決勝は雨、強弱あるものの終始雨だった
雨のVITAは数年前に1回乗っただけだ
初めてのるようなものだ
鬼監督からはレース前、「とにかく、攻めないこと、レースだと思わないように」と雨耐久の心得をご教授いただいた
2019年のVITA混走の2時間耐久レース以来のスタートだ
ご指名でやることとなったが正直怖かった
しかも雨
あの記憶がよぎるがやるしかない
ローリングスタートだが、前のグリットのマシンがその前と結構離れている
多分スタートに慣れていないのだろう
しかし私はそのおかげで前がクリアだ
無論それは距離で離されていることとなるが気分は相当楽になった
すると左橫から猛烈に私を抜く1台が、スタートラインを勘違いしているようで
ブチ抜かれたが気にすることはない、どうせこの人はペナルティをくうだろう
そして1コーナーでは1台、1ヘアで1台抜き
目の前では2台が激しくやり合っている
しかもかなりのブロックラインで抜くのは難しい感じがした
しかしペースはこちらの方が明らかに速い
数周、後ろから伺うがその2台の前は見えなくなった
焦る私、
ペースはオレの方がいいのに抜けず、前方集団からは離されている
このままでは・・・
だが焦るな、2台のうちの1台は反則スタートのヤツだ
待っていればペナルティが施行されるはずだ
落ち着けオレと言い聞かせる
最終コーナーで抜いた
軽くだけど当てられた、借り物のクルマなのに・・・
前のマシンに追いつく
2ヘアでベタ付けだ
ジェット入り口で譲ってくれた
レコードラインから颯爽と抜く私・・・ 
通称ジェットコースターストレート10%下り勾配後の右コーナーで曲がれない!
あえなく360°以上回ってコースアウト!グラベルにはまった泣
無線で鬼監督に謝る私
マシンはどうかと聞かれ多分大丈夫と答えた
キャタピラが助けてくれるがその時間が永遠に感じた
幸いマシンは無事で走りに全く支障はなかった
砂利をおとしてコースにもどった
不名誉にもこのレースで最初のコースアウトであり長時間のイエロー区間を作ってしまったのだった。
10番手まであげていたが後の祭り
ダントツのドベに落ちたことは言うまでもない。
ちなみに私がコースに復帰した周にペースカーが入りフルコースイエローとなった
別のコーナーで私よりももっと救出に時間を要すコースアウトがあったようだ
鬼監督からは
「とにかく慎重に、コース上で生き残ってください」との指示が
はいと私、もちろんそのつもりだが・・・
目の前で2台がスピンコースアウトする!びびるオレ
もはやイエローが表示されない周の方が少ない状況だ
雨のVITAはとても危険だ
晴雨兼用タイヤであるので雨に弱い
車重がドライバー込みで620kgしかないからタイヤにかかる加重も軽い
ダウンフォースもそれほど無い
私が感じただけで
100Rから300Rの間
ジェット後の右コーナー
最終コーナー立ち上がり
の3カ所はどうしようもない
”浮く”のだ
怖くてしょうがない。なるべくGをかけずに直線的に惰性で抜けるしか方法がなかった(私にとっては、です。上手い人は全然ちがう)
それでも一瞬、浮くのだ
無論、わざとではないがまたもジェット後の右コーナーで飛び出した泣
幸い、2度目の今回はグリーン上だったので自力復帰出来たが大きなタイムロスに
違いない。やばい、苦手意識で走れなくなっているのを感じた
ただこの頃、どうしようもない3カ所以外ではふつふつと別の感情も芽生えていた
繊細なアクセルワーク、それに反応するマシンの挙動変化が楽しくもなっていた
つねづね言われていた加重と相談してのアクセルワークというのがとてもわかりやすく挙動となってあらわれるのだ。運転が楽しい♪ けど怖い泣 もう降りたい
複雑な感情が入り乱れていた。 
登り区間でスピンする 頼むからよけて~と祈りながら復帰する
その後はお嬢さん走りに終始、というかそれでいいのだ・・・ 結局それが速いのだ
長かった55分間が終わり、P-INのサイン
なんとか受け持ちの時間をこなし、たすきを渡す事に成功?したのだった・・・

先の3カ所を特に他も危ないコンディションだからと告げBドラさんに交代した。私が降りた時、ドベではなかった
私も苦労したが皆、同じ条件の中を走っている
どのチームもスピンやコースアウトをして順位は混乱していた
Bドラさん速い
私とは次元のちがうところで走っている様だ
順位も回復している!盛り上がるピット♪
100Rと300Rの間でグラベルに停止している映像が流れる
我々のマシンだった・・・  救出にはランクルが出動していた
無情に流れる時間  
私にはわかる。ドラテクの次元が違っても危険な事は同じ
Bドラさんも浮いて回ってしまったのだろう
そうなればなすすべは無い ぶつからないように祈るだけだ
幸いマシンは無事で走り出した
しかし次の周、3コーナーでスピン停止した
ああ、オレと同じだと思いつつ見守る
雨模様が猫の目のように変わるコンディションだった
さっきは行けたのに・・・ とても難しかっただろう
その後は少しタイムを落としたが安定した走りで周回を重ねる
少し雨が弱くなりタイムもどんどん縮む
そろそろp-INだなという頃
100Rと300Rの間のグリーンに止まっている我がマシン
同じ箇所で2度目のスピンコースアウトだった
幸い今回はグリーン上だったのでコース復帰し、帰ってきた。そのままP-INした
Bドラさんは昨年のレースで生き生きと走り、レース中スピンしたがちゃんとリカバーして帰ってきた、私がこんなレースをしたいと思っていた方だ
今回の3回のミスはちょっといただけないが(私の事は棚に上げて)
いつものごとく攻めて楽しんだレースをされたな~と見て思った

Cドラに交代する
Bドラさんの健闘をたたえ、給油作業を見守る私
エア抜きホースにガソリンが逆流するのを私も見た。満タン給油完了だ
Cドラさん、乗り込む
いつもスタートを担当するCドラさんはクレバーな方
しかも速い。予選では3人中、最速タイムを刻んだ
Cさんがアタックすればいいのにと話していたがCさんは思いがあり
今回、最終ドライバーになったのだった。
Cさん、今まで一度も耐久でチェッカーフラッグを受けた事がないそうだ。
だから今回は、自分がゴールを切りたいと切望していた。
いつも我慢の走りのCさん。いつも仕切りやで裏方仕事もこなすCさんの思いだったのでこれは聞き入れるしかなかった。
だからこそ、我々もたすきをちゃんと渡さなければと感じていた。
相変わらずの劣悪なコンディションの中Cさんが行く!
タイムは我々よりも慎重だった
そうだろう、2人してクルクル回る姿を見せていたもんだから慎重に行っているようだ。
すると!1コーナーで回っているCさんを確認!
すぐにコース復帰したがヒヤッとした
Cさん、自己ベストラップを刻んだ次の周!またも1コーナーでクルクル回っている!
同じ箇所で2度目の大スピン! 今回も自力復帰できたし他車を巻き込まなかったので良かった。
その後は慎重な走り、結局いつも通りなCさん走りとなったが無理もない
コースはワンミスを許さない危険な状態であることは変わっていない
トップがチェッカーを受けた
うちのマシンももう来るはずだ
シグナルエリアで待つ私たち
?おかしい?来ない? ・・・  何かあったのか?
ピットに戻りモニターを見ると・・・
ブリッジ下のコース上で止まっている我々のマシンを確認・・・
状況から見てどうやらガス欠のようだ・・・
なんてことだ・・・ あれほどチェッカーを受けたいと切望していたのにこの仕打ちは  あと500mほどだったのに・・・
結局、ランクルに牽引されピットロードに帰ってきたCさんとマシンを
迎えてのゴール。1周減算の扱い、ドベ完走となったのだった。
(ルマンなら、完走になりませんね泣)


レース後のミーティングではCさんの仕切りで感想、反省、来季へむけての発表がそれぞれあったが、印象的であり象徴的だったのは最後Cさんが発した
「我々(クルーも込みで)の力不足です」と語った事
作戦を遂行出来ないドライバー
作業をミスるクルー
全体の責任であると
とはいえ、みんな笑顔、マシンも無事に壊れずに返せたし
ドライバー3人皆、楽しく走れたし、
クルーやお手伝いさんたちもワイワイ見守りながらの応援が出来た、
鬼監督も言うことを聞かない(じゃなくて聞けないんです笑)ドライバーに
指示や激励しながら自分が走らず監督するのも楽しかったと
言うことでまずまず、いい結果で終わったと言っていいレースだったんじゃ
ないだろうか?と思う。


ここからはこのブログのタイトルに立ち返るとしよう
今年も、
スピード違反
シフトミスオーバーレブ
コースアウトスピン
とやらかした。
皆、優しいので、仕方ない、しょうが無い、レースしてるんだからと慰めてくれるし
オレはオレで自分だけではなかったので少し罪の意識は軽く感じている
しかしそれは結果大事になっていないからであって運が良かっただけだ
来年も走るだろう。より高みを求めるだろうからリスクはさらに高まる
が、来年こそはミスしないように心得て走ろう
みんカラに誓って

2024年12月  6年ぶりに自分コースレコード更新  Randonner  52歳













2023年12月16日 イイね!

今一度、自分自身を律するために 2023追記版

2023年のレース&モータースポーツ活動

VITA耐久
ドリフト走行会
カートレース

と、なかなかの充実したモータースポーツライフを送った1年ではあった。
しかし、どれも課題山積みの結果しか出ていない
自分に ”負けた” と感じる結果しか出ていない






2022年はレーシングカーを運転する事が全く無かった。
これを書き記し始めたのは、振り返ると私は結構スピンやクラッシュ、
事故が多いので年に一度これを見て反省し次につなげるために始めた。
レーシング運転が無ければ当然何事もおこらないんだけど・・・
今年はチームTを通じてレースを応援観戦した
回を重ね見れば見るほどに走りたいとうずく自分と、よくこんなことやるなぁとビビる自分が交互に現れるのを感じた1年だった。

クルマでも、レースでもないけれど、生きるか死ぬか(ちょっと大げさ過ぎる言い方ですが)リスクを承知で突き進むか?リスクを排除しリタイアするか?
究極の選択を今年は3回、自転車でやった。結果3回ともリタイアを選んだ私
今の私は一か八かと言うような選択は無いのだ・・・

レンタルだがカートに乗った
レースやドリフトを見てうずうずしつつも乗るクルマは無くもんもんとしているタイミングで乗った。久々のカートは純粋にたのしかった。こんなに速かったかなぁ?と感じた。乗ってから数日、体の痛みがとれないのであった・・・







2021年   7月、VITAマジカルエンデュランス耐久という、VITAワンメイクの5時間耐久レースに5人一組で参加した! 燃費も厳しい知力や作戦が物を言う面白いレースだった。 結果は15位/33台と申し分ない物だった。
しかし、私のピットサイン見落としなど、数点チョンボもあり、それがなければシングルフィニッシュも可能だったのではとレーサーの血が騒いだ。

11月、 今シーズン、このレースをもって最後といわれるツーリングカー耐久レースに3人一組で参加した! 結果は3位/6台と申し分ないものだった。
私自身はふがいない走りしかできず、反省点が多かったが結果オーライ?
パートナーさんの頑張りで表彰台に登る事ができた。一応、狙ってたし意識してたけど現実になって感無量でした。




2020年   25年ぶりにレーシングカーを所有しない自分と向き合った。それはそれで自分自身を見つめなおすいい機会になった。
幸いと言うべきか、no32は熱血86オーナーさんのもとへ渡り、しかもゴールドカップTCレースに参加するというではないか! 参加台数が少ないTCレース、結果から言えば私が走らないだけで今までと同じく、1台グリッドを埋めてくれるというのがまず嬉しかった。応援のしがいもあろうというものだ。
しかし、コロナ、水害などあり上半期はレース自体、開催されない、出来ないという事態に陥った…。
そんな逆境の最中、超過密スケジュールで2か月で3戦が行われ、新オーナーさんは何と!2位、2位、1位!と言う驚くべき速さ、成績で年間チャンピオンを獲得された! 確かに、オーナーはハチロクの神と呼ばれるほどの腕前だが、
私のno32の壊れたフロントセクションの修理、エンジンの載せ替えが主な変更であとはほとんど私の時のまんまだ。それはつまり私たちのクルマ作りが間違っていなかったとも理解できる。今年、くらい、憂鬱な事が多い年だったが旧no32の活躍は本当にうれしい出来事だった。





2019年   2018年の再現をもう一度の思いで、タイム狙いでG/Sタイヤを購し開幕戦に挑む。前日は調子よくこれは行けるか!?と思ったがNEWタイヤはやはり使えない私。結局予選でタイム出ずレースは最下位に沈む。それからの第2戦、第3戦はVITAとは混走とならずTCの参加台数があまりに少ないので寂しいな…と言うのが動機で参戦。いずれもドベだった。最終戦耐久は初の2時間レース。ここではやってはならない他車との接触をやらかす。私は辛くも走り切ったがお相手のVITAは0周リタイアでお気の毒だった…。もう少し、何とかよける事は出来なかったのか…悔やまれる結果だった。no32もなかなかの重傷を負った。。。






2018年    年頭に立てた目標は、公式の場で2分12秒代を記録する事しかしながら年間予算は50万円以内とし、限りある資金、時間を大切に使い目標に向かって邁進した。結果、開幕戦の予選で見事!目標達成!😂 うれし泣き💦
それからは資金不足、(仕事でも不足)モチベーション不足         で休戦人生初オフィシャル活動はいい刺激経験になった
仲間に鼓舞される形で最終戦である耐久レースに参戦結果は人生初優勝で総合優勝!、クラス優勝!と😂 うれし泣き💦これは長年やってきた事へのご褒美だと思いました。目標も達成、そして完全に望外の優勝も経験。
正直、こんなにうまくいったシーズンはいまだかつてないので2019年がコワい私です。
         
         
2017年   ある時はCPUがご機嫌ナナメ、またある時は足が体が不機嫌、なかなか真の実力を出してくれなかった、人生初のシリーズフル参戦でした
結局たどり着いたのは補強パーツの取外しおよび軽量化、タイヤエア圧調整、
スロットルポジションのマメな更生で何とか去年なみの速さを再現no32の魔性ぶりを存分に味わわされた1年でしたそんな感じでしたので俺が悪いのか?という疑いもあり走りも迷走2度のコースアウトと数度のスピンをやらかしました
やはり、自分自身を律する必要があるようです。

2016年   ゴールドカップツーリングカーレースの最終年だと言う事で全戦参加を目標にたてる。清水の舞台から飛び降り、いまだかつてなく諭吉を投入しno32を魔改造した。しかし、結局フル参加はかなわず、マシンは大幅にタイムUPできたものの本番で性能を発揮できず竜頭蛇尾。まぁ、でもそれは望外に速くなり高望みしたからそう思えるのであって、300km耐久も完走したし、タイムも未知の領域に踏み込めた。ap86にしてはまずまずだったじゃないのかな?

2015年   昨年の借金返済とHANS&メット購入で首が回らず、10月に何とかレース参戦。そしたら運よく表彰台登壇!13年ぶりでした。
妻の許可も出て耐久にMRチョキさんと組、フルスペックSAMな体制で参戦!
結果リタイヤでしたが山あり谷あり濃い1年でした。
        

2014年    ほぼ1年かけて86ハコ替え、ほとんどDIY。2月シェイクダウン、以降低迷トラブル多発7月ゴールドカップ復帰!11月GC耐久参加、12月自己ベスト9年ぶりの更新!山あり谷あり非常に濃い1年でした。


2013年    レース予選でタイムを出したいがために先行車を追走し、結果大クラッシュ、全損。2月頭までは順調だったのにその後86の調子が悪く修理の連 続。練習も思うように出来ず、レース日を迎えた。さらに当日朝車検直前に燃料タンク漏れ発見でテンパリまくりだった・・・。直後はやめようかと思た・・・

2012年   初めて他人の車でレース参加。新境地を開拓できた。その間1年かけて86は修理する。


2011年    1年かけて86修復。路面が変わる前に自己ベスト更新ねらい攻めた。結果ブリッジ下左コーナーでアンダコースアウト、ガードレールに激突、フレーム く の字に曲がり修理と乗り換え、それともやめるか悩む。(単独クラッシュ)


2010年    レース前日練習の夕方最後の枠で2コーナーイン巻き込みクラッシュ、リズムにのってきてどんどんタイムUPしていたので調子にのりすぎる(単独クラッシュ)応急処置で翌日レースには参加。ハンドリングベストではないが楽しくレースできたしかし後日、点検してみたらフレームにダメージが及んでいた。


2009年    スーパーGT前座レース
1ヘアピン進入でインをさすも接触。相手は長年のレース仲間、家を買うためレースは今回が最後だと語っており、本レースでのホイールは彼から借りた物だったのに・・・一瞬の判断ミスで彼をリタイヤに追い込み、私は完走したものの失格の裁定をくだされた。結構86も調子よく、前座レースであったため熱くなりすぎたのかも・・・初めて、自分が”当てた” 方になった。


2008年    スーパーGT前座レース
ただ、参加しただけ。S-GTを内から観戦するため。練習         不足、資金不足、退屈なレース。無事完走。


2007年    レース参加せず。子供は4人になりスウィートテンな贈り物をした関係で金欠。スポーツ走行3本にとどまる。


2006年   1月、自己ベスト更新、3月レース、ミッション不調でシフトミス多発、オーバーホール決意ついでにエンジンも92後期へ載せ変え、迎えた11月のレースは予選3位、86勢トップ、決勝はタイヤ選択ミスでドベ。


2005年   上位集団とからめた楽しくも激しいシーズンだった。


2004年   ゴールドカップ他、耐久に参加したりして、近年では1番走ったシーズだった。


2003年   レース2回参加、うち1回はJGTC前座、そのレースで同じ車両から左右1回づつ、インから当てられる!ドアぼこ凹!レース後殴り込みに行ったな・・・


2002年   ゴールドカップ2回参加、3位表彰台1回、耐久レース参加。


2001年   レース1回参加、PSS耐久レース参加。


2000年   レース1回参加。雨中のレース、まずまずの所を走行中、はじきだされてドベ。殴りこみに行ったな・・・


1999年   SP走行のみ、他人の86でPSS耐久参加


1998年   2月結婚、3月 86納車 9月始めての走行、2分28秒だった。


1997年   マーチ最後のレース。MINE JTCC前座。練習もせず、前座       レース楽しんだ。


1996年   マーチレース参加。最高位7位。接触すれすれ(した)のぎりぎり       バトルが楽しかった。


1995年   11月、SA22CサバンナRX-7、締めくくりのつもりで攻めるも最終コーナーで昇天翌年はマーチレースが決まってたし、AP閉鎖も決まってたので最後の思い出に攻めたのが間違いだった。(単独クラッシュ)10月、耐久レース参加。しかし涙の予選落ち⤵ 参加55台!予選落ち10台の今思えばすごいレースだった                              
5月、スポーツ走行、1コーナー進入で私イン、御相手MR2SW20アウト側で接触。板金だけで治る軽傷だったが御相手の方はかなりへこんでいてお気の毒だった。一瞬の判断ミスでやってしまった。明らかに自分の方が速かったので私のミスだと今でも思っている。(接触事故)


1994年   SA22C、FISCOと箱根国一がホームコース。
箱根でよく事故った。それも明日がFISCO走行会って日が多かった気がする・・・


~1993年?  FC3S、最後は富士見パークウェイで昇天、土屋圭一のJSSFISCO映像を見て熱くなりすぎていたような気がする。他に2回ほど事故ったが、新しいパーツをつけた時、先輩が横に乗ってたときだった。いいとこ見せようとしてたのか?パーツのおかげで今までより速くなってリスクが高まったか? とにかく未熟だった。 







今年5月
ツールド国東を無事終えた私は
4輪レーサーモードに入った
2年ぶりのレースに備え練習に入ったのだ
マシンはVITA
まずは、の目標は2年前の自己ベストタイム2.14.9秒を切ることだと
意気揚々コースインした
一本目は手探り、17秒くらい
このくらいで走ればただただ楽しい。
二本目は少しだけ気合いを入れ15.4秒がベスト。まあまあだろう
チェッカーが振られ気を抜いて一コーナーへ入る。
アクセルをふまずにだら~っとコーナーへ
すると!あろうことかテールが流れる!
カウンターもむなしくスピン!だけならまだしもケツからコースアウトした・・・
落ち込んでピットに戻る
心なしか?仲間の目が冷たい
「何年レースやってんだよ」
「30分ぐらい集中して走れよ」
無言の叱責をビシビシ感じる私
とりあえず借り物のVITAを清掃した。それしかできなかった。

6月、7月と練習する
仲間、先輩がいろんなアドバイスをくれる
いろいろ考えながら走る
しかし、一向にタイムは縮まない
むしろ、落ちている。どんどん落ちている・・・
とうとう、負の流れを断ち切れないままにレース本番を迎えた

遅いだけでなく燃費も悪い私、
しかも過去、ピットサインの見落としさえしている私
なので、最もリスクの低いアンカーを受け持つ事とした
アンカーはゴールまでマシンを導く必要のある重要なポジションであることに
違いは無い
だが、私の実力や最近の行動を考えれば、今回はそこしかつとまりそうな
ポジションは無かったと思う。
迎えたレースは7月16日
一応チーム発起人としてキャプテンという役目を任された
チームのポリシーとしては、
マシンを持たないドライバーばかりで
マシンをレンタルし、
燃費走行はせず全開で楽しむ
(無論、4回給油で完走出来るペースは作ってもらう)
というものだ。

今日、初めて顔を合わすメンバーも多数
ピットクルーは急造のチームだが
みんなレースがクルマが好きな仲間ばかり
そのうち1人H君は私が引率した21歳の若人だ。

5時間の旅に出た!
ファーストのドライバーさんはクレバーな方
60分以上走る事を意識し絶妙なペースで淡々と走る
一周も全開にしてないのが分かる
全開で走るところが見たい、Mさんは全開だと何秒で走るのだろう?
そう思いながら見守っていた。

セカンドドライバーさんは
ガンガン走っているようだ
一度スピンしている
が、それはコース上であり、リカバー出来ている
今回のレースにおける私のポリシーに最も近い走りをしているなと思った
オレもそんな走りがしたい・・・と思った

サードドライバーさんはタイヤが最も状態の悪い時に走った。
タイヤがかなり減っていた
リスキーな中で許される範囲の走りをし5時間後にむけ駆け抜けた
ベストタイムがワーストだった事がそれを物語っている
オレだったらミスったかも・・・と思った

サードからフォースへのドライバー交代、給油の際、今レース最初で最後のタイヤ交換をやった
シグナルエリアから見守る私
H君はトルクレンチ係を任せていた
うまくやれるだろうか?
するとH君、私との話では無かった仕事、タイヤ運搬もやっている
が! タイヤを転がしている! わめく私!
レースではタイヤは転がし運搬してはいけないルールなのだ!
やばい!と思った瞬間、オフィシャルに注意されていた・・・
私の知らぬ間に、メカニック同士で話し合い、Hくんに運搬させるよう役割分担していたようだ・・・
ストラテジストに謝る私
しかし、これは私たちチーム上層部の者の責任であり彼には一切罪はない
常識だろう、分かっているだろうが勘違いのもと
指導不足が招いた痛いミスだった

フォースドライバーさんはチーム一番の韋駄天さんだ
コースインするなり13秒台で駆け抜ける
オレもこんな走りが出来ればと指をくわえて見ていた
後半は意外とタイムが落ちていた
それは前半のプッシュのせいかもしれない
エンジンもくたびれているに違いない
後で語ってくれたが疲労もあったらしい
VITAとはそういうマシンだ

いよいよ、残す時間40分ほどになり
私に出番が回ってきた
エンジンもタイヤも結構キテイルからタイムは出ない
ムリせず走りよ、とのアドバイスをもらった。
一番はとにかくチェッカーを受けること
2番は楽しむ事 かなと思いながら走った。
燃費は一切考える必要は無い。だからレブるまでまわした。
ピットサインが出ることも、よほどでなければあり得ない(しかし、見落とさないように気をつけてはいた)
いろいろアドバイスはもらったが付け焼き刃で出来るものではない
迷走している私がやったのは
まるっきり自分のAE86での走りをしてみる
ということだ。
それじゃあ、VITAは速くは走らせられない
しかし、それが一番身体に染みついている安全な走り方でもある
そうこうしているとあっ!いう間にチェッカーフラッグだ
その瞬間、じわりと涙が出た。
勝ったわけでもない、入賞出来たわけでもない、バトルに競り勝ったわけでもない、逆に負けて悔しかったわけでもない
その涙は安堵からきたものだ。
無事に、マシンを返すことが出来た・・・ 正直、ホッとしたのだ。

ちなみにレース結果は9位だった
それは目標としていたシングル完走を果たせたということだ
例のミスは他チームでも頻発しており、大目に見てくれるという事でおとがめ無しだった。
もしペナルティを取られていれば順位はもう少し下だっただろう。
結果オーライ。チームの内容を考えれば望外とも言える結果で無事終わった
しかし、私個人で言えば終始うまくいかなかったレースとなった・・・




8月
お世話になっているチームのレイクサイドコースドリフト走行会に参加する事になった
いつもは旗振りの手伝いだが今回は5年以上ぶりに参加だ
クルマは何と!FC3S サバンナRX-7だ!
後輩が貸してくれるというのだ!
ありがたく好意を受け参加する事とした

FCに乗ってきちんとしたスポーツ走行をするのは初めてだ
函南の富士見パークウェイでひっくリかえしてから30年ほど経っている
そのFCのシートに腰掛け、メットをかぶりコースへ出る
タイヤのグリップが思ったより低い
ブレーキのききもあまい
しかし、素直なハンドリングではある
後期型FCはもう少しターボラグがないと認識していたけど
今日乗った感じでは4000回転を境になかなかのどっかんぶりに感じる
ドリフトマイスターに乗ってもらった
さすがにうまく、それなりにドリフトしていた。が、
これは難しいですよと助言をもらった。

助言を元に走ってみる
どうにもうまくいかない
エア圧をいじってみる
全部2.4だったので F2.2  R2.6にしてみた
少しイイ
減衰力がいじれる事がわかった
しかも最弱だったので最強にしてみた
また少しよくなった
なぜドリフトに持ち込めないのか?
分かっている。進入が遅い→ブレーキングがあまいから加重が移動しない→向きが変わらない→そこから踏んでもパワースライド出来るほどパワーがない からだ
しかし、食わないタイヤ、あまいブレーキを信用出来ず突っ込めない。
もし、コーナーの中でとっちらかったらコース上に踏みとどまれないかもしれない
そう思うとどうしても進入で流せなかった
出口でちょっぴり流すだけだ。
後半は、どうせ遅いから一速を使ってみた
するとトルクがあるので滑らせる事が出来た
とはいえそんなにカッコいいもんじゃあないけど
そうこうしているとミッションが入りづらくなってきた
心配になり、走るのをやめた
冷静に考えれば、極上コンディションのFC、壊せばパーツももうない、あっても高い
私にとっては青春のクルマであり懐かしい相棒ではあるが
今では立派なヒストリックカーなのだ
そう思うと、もう走る事は出来なくなった。

グリップでは走らなかった
今思えばそれもやっときゃあよかったかな
ドリフトしたいけど出来ないという終始ダサい走りになったが
FCと対話しながら走るのは初めてだったので楽しい時間ではあった
20歳の頃は対話出来るほどの知識も腕もなかったからだ

とはいえ、そんな感じの走りだったので
モヤモヤ感は否めない
自身の腕のなさをここでも思い知ったのだった・・・




11月
人生2度目?かな?
レンタルレーシングカートのレースに参加した
今回はスプリントレースでありコースは地元のカウベルモーターパークだ、前回は耐久で安心院だったなあ
それなりのタイムが刻めるようになった私。コースのかたにおだてられての参加となった。
結果は第1戦はまあまあ満足いくタイムも刻めたものの、接触押し出しをやってしまいドベ扱い
一人旅となった。いつも一人で走ってるがレースとなればラインの奪い合い。
その中でちょっとやり過ぎてしまった。反省
第2戦はなんと!初体験の逆走だった!
全然走れない、予選も激遅
レースでは第一戦の反省でラインを残しながら走っていたらあれよあれよとドベ
それだけならまだしも単独走行となり、ジワジワ離されていく始末
これはまいった泣 いくら初体験とは言え、ドベに落ちたとは言え、先行者を追いかければ学習出来るのでどんどんタイムは縮むはず
なのにこのていたらく
我ながら情けなかった
しかし、面白かった。
逆走を練習し、また挑みたいと思った
楽しいし、激しいし、安全だ。
今の私の身の丈に合っていると感じた。








来年だが、VITA耐久に出るのも壁がある
それは装備品の公認がほぼ全て2023年で切れるのだ
今後の活動のことを考慮すれば、大枚をはたいて準備するつもりではあるが・・・
懐が痛い。
そして13秒代を刻み、あわよくば私自身のレコード、AE86で刻んだタイムを
縮めたい。これ目標。

カートは逆走を練習し、混戦になれたい。

そして自分に勝ちたい。
全ては諭吉と相談ではあるが
それが気持ちよくできるように
仕事を頑張り、利益を上げたい
と、自分を律し、2024年も身の丈にあった形でモータースポーツを続けたいと願う私だった。


2022年12月31日 イイね!

今一度、自分自身を律するために 2022追記版

2022年
今年はレーシングカーを運転する事が全く無かった。
これを書き記し始めたのは、振り返ると私は結構スピンやクラッシュ、
事故が多いので年に一度これを見て反省し次につなげるために始めた。
レーシング運転が無ければ当然何事もおこらないんだけど・・・
今年はチームTを通じてレースを応援観戦した
回を重ね見れば見るほどに走りたいとうずく自分と、よくこんなことやるなぁとビビる自分が交互に現れるのを感じた1年だった。

クルマでも、レースでもないけれど、生きるか死ぬか(ちょっと大げさ過ぎる言い方ですが)リスクを承知で突き進むか?リスクを排除しリタイアするか?
究極の選択を今年は3回、自転車でやった。結果3回ともリタイアを選んだ私
今の私は一か八かと言うような選択は無いのだ・・・

レンタルだがカートに乗った
レースやドリフトを見てうずうずしつつも乗るクルマは無くもんもんとしているタイミングで乗った。久々のカートは純粋にたのしかった。こんなに速かったかなぁ?と感じた。乗ってから数日、体の痛みがとれないのであった・・・







2021年   7月、VITAマジカルエンデュランス耐久という、VITAワンメイクの5時間耐久レースに5人一組で参加した! 燃費も厳しい知力や作戦が物を言う面白いレースだった。 結果は15位/33台と申し分ない物だった。
しかし、私のピットサイン見落としなど、数点チョンボもあり、それがなければシングルフィニッシュも可能だったのではとレーサーの血が騒いだ。

11月、 今シーズン、このレースをもって最後といわれるツーリングカー耐久レースに3人一組で参加した! 結果は3位/6台と申し分ないものだった。
私自身はふがいない走りしかできず、反省点が多かったが結果オーライ?
パートナーさんの頑張りで表彰台に登る事ができた。一応、狙ってたし意識してたけど現実になって感無量でした。




2020年   25年ぶりにレーシングカーを所有しない自分と向き合った。それはそれで自分自身を見つめなおすいい機会になった。
幸いと言うべきか、no32は熱血86オーナーさんのもとへ渡り、しかもゴールドカップTCレースに参加するというではないか! 参加台数が少ないTCレース、結果から言えば私が走らないだけで今までと同じく、1台グリッドを埋めてくれるというのがまず嬉しかった。応援のしがいもあろうというものだ。
しかし、コロナ、水害などあり上半期はレース自体、開催されない、出来ないという事態に陥った…。
そんな逆境の最中、超過密スケジュールで2か月で3戦が行われ、新オーナーさんは何と!2位、2位、1位!と言う驚くべき速さ、成績で年間チャンピオンを獲得された! 確かに、オーナーはハチロクの神と呼ばれるほどの腕前だが、
私のno32の壊れたフロントセクションの修理、エンジンの載せ替えが主な変更であとはほとんど私の時のまんまだ。それはつまり私たちのクルマ作りが間違っていなかったとも理解できる。今年、くらい、憂鬱な事が多い年だったが旧no32の活躍は本当にうれしい出来事だった。





2019年   2018年の再現をもう一度の思いで、タイム狙いでG/Sタイヤを購し開幕戦に挑む。前日は調子よくこれは行けるか!?と思ったがNEWタイヤはやはり使えない私。結局予選でタイム出ずレースは最下位に沈む。それからの第2戦、第3戦はVITAとは混走とならずTCの参加台数があまりに少ないので寂しいな…と言うのが動機で参戦。いずれもドベだった。最終戦耐久は初の2時間レース。ここではやってはならない他車との接触をやらかす。私は辛くも走り切ったがお相手のVITAは0周リタイアでお気の毒だった…。もう少し、何とかよける事は出来なかったのか…悔やまれる結果だった。no32もなかなかの重傷を負った。。。






2018年    年頭に立てた目標は、公式の場で2分12秒代を記録する事しかしながら年間予算は50万円以内とし、限りある資金、時間を大切に使い目標に向かって邁進した。結果、開幕戦の予選で見事!目標達成!😂 うれし泣き💦
それからは資金不足、(仕事でも不足)モチベーション不足         で休戦人生初オフィシャル活動はいい刺激経験になった
仲間に鼓舞される形で最終戦である耐久レースに参戦結果は人生初優勝で総合優勝!、クラス優勝!と😂 うれし泣き💦これは長年やってきた事へのご褒美だと思いました。目標も達成、そして完全に望外の優勝も経験。
正直、こんなにうまくいったシーズンはいまだかつてないので2019年がコワい私です。
         
         
2017年   ある時はCPUがご機嫌ナナメ、またある時は足が体が不機嫌、なかなか真の実力を出してくれなかった、人生初のシリーズフル参戦でした
結局たどり着いたのは補強パーツの取外しおよび軽量化、タイヤエア圧調整、
スロットルポジションのマメな更生で何とか去年なみの速さを再現no32の魔性ぶりを存分に味わわされた1年でしたそんな感じでしたので俺が悪いのか?という疑いもあり走りも迷走2度のコースアウトと数度のスピンをやらかしました
やはり、自分自身を律する必要があるようです。

2016年   ゴールドカップツーリングカーレースの最終年だと言う事で全戦参加を目標にたてる。清水の舞台から飛び降り、いまだかつてなく諭吉を投入しno32を魔改造した。しかし、結局フル参加はかなわず、マシンは大幅にタイムUPできたものの本番で性能を発揮できず竜頭蛇尾。まぁ、でもそれは望外に速くなり高望みしたからそう思えるのであって、300km耐久も完走したし、タイムも未知の領域に踏み込めた。ap86にしてはまずまずだったじゃないのかな?

2015年   昨年の借金返済とHANS&メット購入で首が回らず、10月に何とかレース参戦。そしたら運よく表彰台登壇!13年ぶりでした。
妻の許可も出て耐久にMRチョキさんと組、フルスペックSAMな体制で参戦!
結果リタイヤでしたが山あり谷あり濃い1年でした。
        

2014年    ほぼ1年かけて86ハコ替え、ほとんどDIY。2月シェイクダウン、以降低迷トラブル多発7月ゴールドカップ復帰!11月GC耐久参加、12月自己ベスト9年ぶりの更新!山あり谷あり非常に濃い1年でした。


2013年    レース予選でタイムを出したいがために先行車を追走し、結果大クラッシュ、全損。2月頭までは順調だったのにその後86の調子が悪く修理の連 続。練習も思うように出来ず、レース日を迎えた。さらに当日朝車検直前に燃料タンク漏れ発見でテンパリまくりだった・・・。直後はやめようかと思た・・・

2012年   初めて他人の車でレース参加。新境地を開拓できた。その間1年かけて86は修理する。


2011年    1年かけて86修復。路面が変わる前に自己ベスト更新ねらい攻めた。結果ブリッジ下左コーナーでアンダコースアウト、ガードレールに激突、フレーム く の字に曲がり修理と乗り換え、それともやめるか悩む。(単独クラッシュ)


2010年    レース前日練習の夕方最後の枠で2コーナーイン巻き込みクラッシュ、リズムにのってきてどんどんタイムUPしていたので調子にのりすぎる(単独クラッシュ)応急処置で翌日レースには参加。ハンドリングベストではないが楽しくレースできたしかし後日、点検してみたらフレームにダメージが及んでいた。


2009年    スーパーGT前座レース
1ヘアピン進入でインをさすも接触。相手は長年のレース仲間、家を買うためレースは今回が最後だと語っており、本レースでのホイールは彼から借りた物だったのに・・・一瞬の判断ミスで彼をリタイヤに追い込み、私は完走したものの失格の裁定をくだされた。結構86も調子よく、前座レースであったため熱くなりすぎたのかも・・・初めて、自分が”当てた” 方になった。


2008年    スーパーGT前座レース
ただ、参加しただけ。S-GTを内から観戦するため。練習         不足、資金不足、退屈なレース。無事完走。


2007年    レース参加せず。子供は4人になりスウィートテンな贈り物をした関係で金欠。スポーツ走行3本にとどまる。


2006年   1月、自己ベスト更新、3月レース、ミッション不調でシフトミス多発、オーバーホール決意ついでにエンジンも92後期へ載せ変え、迎えた11月のレースは予選3位、86勢トップ、決勝はタイヤ選択ミスでドベ。


2005年   上位集団とからめた楽しくも激しいシーズンだった。


2004年   ゴールドカップ他、耐久に参加したりして、近年では1番走ったシーズだった。


2003年   レース2回参加、うち1回はJGTC前座、そのレースで同じ車両から左右1回づつ、インから当てられる!ドアぼこ凹!レース後殴り込みに行ったな・・・


2002年   ゴールドカップ2回参加、3位表彰台1回、耐久レース参加。


2001年   レース1回参加、PSS耐久レース参加。


2000年   レース1回参加。雨中のレース、まずまずの所を走行中、はじきだされてドベ。殴りこみに行ったな・・・


1999年   SP走行のみ、他人の86でPSS耐久参加


1998年   2月結婚、3月 86納車 9月始めての走行、2分28秒だった。


1997年   マーチ最後のレース。MINE JTCC前座。練習もせず、前座       レース楽しんだ。


1996年   マーチレース参加。最高位7位。接触すれすれ(した)のぎりぎり       バトルが楽しかった。
 

1995年   11月、SA22CサバンナRX-7、締めくくりのつもりで攻めるも最終コーナーで昇天翌年はマーチレースが決まってたし、AP閉鎖も決まってたので最後の思い出に攻めたのが間違いだった。(単独クラッシュ)10月、耐久レース参加。しかし涙の予選落ち⤵ 参加55台!予選落ち10台の今思えばすごいレースだった                              
5月、スポーツ走行、1コーナー進入で私イン、御相手MR2SW20アウト側で接触。板金だけで治る軽傷だったが御相手の方はかなりへこんでいてお気の毒だった。一瞬の判断ミスでやってしまった。明らかに自分の方が速かったので私のミスだと今でも思っている。(接触事故)


1994年   SA22C、FISCOと箱根国一がホームコース。
箱根でよく事故った。それも明日がFISCO走行会って日が多かった気がする・・・


~1993年?  FC3S、最後は富士見パークウェイで昇天、土屋圭一のJSSFISCO映像を見て熱くなりすぎていたような気がする。他に2回ほど事故ったが、新しいパーツをつけた時、先輩が横に乗ってたときだった。いいとこ見せようとしてたのか?パーツのおかげで今までより速くなってリスクが高まったか? とにかく未熟だった。 



昨年は、回数少ないにもかかわらず、走れば好成績というなんともラッキーな1年となった2021年。
今年2022年はツーリングカーレース無く、
VITA耐久は盛り上がりを見せておりこちらが乗る意思や決意を見せない限り
シートはすぐに埋まります。
のんびり構えていたらシートは無くなっていました。
今年は3月~8月の間、仕事で大事があり、なんとなくレースに気が向きませんでした。その間、ぼんやりしたり、一人になりたくて自転車にのったりはしましたがコースを走りたいという気持ちはわきませんでした。
しかし、オートポリスと疎遠になるのは嫌だ、なにか、現状自分で出来る事は無いか?考え?てもいませんが大恩あるチームTのお手伝いを、今シーズンはやろうと思い立ちました。Tさんも受け入れていただけたのでチームと合流したのは第2戦からです。
私はチーフメカの下につきお手伝いをしました
あるときはプロドライバーが乗るマシンを
あるときはVITAデビューのドライバーを
担当させていただきました。
こういう世界もあるんだなぁと楽しみながら貴重な経験をさせていただきました




番外偏、
父のRX8でのモータースポーツ活動
無しです!無理です!出来ません!
しかし、夫婦広島MAZDA旅は今年、実行出来ました
RX8は素晴らしいGTカーです
寒い時期は自転車にも乗らないから出動機会が増える?

レーシング愛車を失い、走らなくなってまる3年以上が経ち、
今年は一度もレーシング速度でコースを走りませんでした。
ピットからサポートとしてドライバーを、レースを見つめているとよくこんな凄いことやってるなぁと思う時が増えました。

サポートと言えば大恩あるカーメイクSAMさんの走行会が開催される時はなるべく加勢に出ました。気持ちよく煙をあげながら風のように滑るドリフターたち
今年はラリーJAPANもあったりしてTVでよくドリフトを目にしました。
しかし、こんな過酷な事が出来る遊べるクルマは今、持っていません。
いつかは、ほしいかなぁ




こうして簡単に振り返るだけでも・・・
事故ばかりやってた青二才な走り屋時代 1993~1995年(21~23歳)
安定期?かな?私生活でも、みを固めた レース事故もなし 1996~2008年(24~36歳)
転職、住まいも変わり、不安定期か? 走ればやらかす 2009~2013年(37~42歳)
そして、活動絶頂期か? 2014~2018年(43~46歳)
2019年は結果的に第一期活動最終年となる(47歳)
2020年はいつか来る?第二期活動までの思考充電期間か?(48歳)
2021年はレンタル車によるレース参加という新たな境地に目覚めた年かな(49歳
2022年はサポートに明け暮れた1年でした(50歳


来年のオートポリスの盛況、コロナの封じ込め、皆さまの健康ご多幸を祈りつつ
去っていく2022年、令和4年を見送りまた、自分を律したいと思います
2021年12月28日 イイね!

今一度、自分自身を律するために 2021年度追記版

今一度、自分自身を律するために 2021年度追記版









2021年   7月、VITAマジカルエンデュランス耐久という、VITAワンメイクの5時間耐久レースに5人一組で参加した! 燃費も厳しい知力や作戦が物を言う面白いレースだった。 結果は15位/33台と申し分ない物だった。
しかし、私のピットサイン見落としなど、数点チョンボもあり、それがなければシングルフィニッシュも可能だったのではとレーサーの血が騒いだ。

11月、 今シーズン、このレースをもって最後といわれるツーリングカー耐久レースに3人一組で参加した! 結果は3位/6台と申し分ないものだった。
私自身はふがいない走りしかできず、反省点が多かったが結果オーライ?
パートナーさんの頑張りで表彰台に登る事ができた。一応、狙ってたし意識してたけど現実になって感無量でした。




2020年   25年ぶりにレーシングカーを所有しない自分と向き合った。それはそれで自分自身を見つめなおすいい機会になった。
幸いと言うべきか、no32は熱血86オーナーさんのもとへ渡り、しかもゴールドカップTCレースに参加するというではないか! 参加台数が少ないTCレース、結果から言えば私が走らないだけで今までと同じく、1台グリッドを埋めてくれるというのがまず嬉しかった。応援のしがいもあろうというものだ。
しかし、コロナ、水害などあり上半期はレース自体、開催されない、出来ないという事態に陥った…。
そんな逆境の最中、超過密スケジュールで2か月で3戦が行われ、新オーナーさんは何と!2位、2位、1位!と言う驚くべき速さ、成績で年間チャンピオンを獲得された! 確かに、オーナーはハチロクの神と呼ばれるほどの腕前だが、
私のno32の壊れたフロントセクションの修理、エンジンの載せ替えが主な変更であとはほとんど私の時のまんまだ。それはつまり私たちのクルマ作りが間違っていなかったとも理解できる。今年、くらい、憂鬱な事が多い年だったが旧no32の活躍は本当にうれしい出来事だった。





2019年   2018年の再現をもう一度の思いで、タイム狙いでG/Sタイヤを購し開幕戦に挑む。前日は調子よくこれは行けるか!?と思ったがNEWタイヤはやはり使えない私。結局予選でタイム出ずレースは最下位に沈む。それからの第2戦、第3戦はVITAとは混走とならずTCの参加台数があまりに少ないので寂しいな…と言うのが動機で参戦。いずれもドベだった。最終戦耐久は初の2時間レース。ここではやってはならない他車との接触をやらかす。私は辛くも走り切ったがお相手のVITAは0周リタイアでお気の毒だった…。もう少し、何とかよける事は出来なかったのか…悔やまれる結果だった。no32もなかなかの重傷を負った。。。






2018年    年頭に立てた目標は、公式の場で2分12秒代を記録する事しかしながら年間予算は50万円以内とし、限りある資金、時間を大切に使い目標に向かって邁進した。結果、開幕戦の予選で見事!目標達成!😂 うれし泣き💦
それからは資金不足、(仕事でも不足)モチベーション不足         で休戦人生初オフィシャル活動はいい刺激経験になった
仲間に鼓舞される形で最終戦である耐久レースに参戦結果は人生初優勝で総合優勝!、クラス優勝!と😂 うれし泣き💦これは長年やってきた事へのご褒美だと思いました。目標も達成、そして完全に望外の優勝も経験。
正直、こんなにうまくいったシーズンはいまだかつてないので2019年がコワい私です。
         
         
2017年   ある時はCPUがご機嫌ナナメ、またある時は足が体が不機嫌、なかなか真の実力を出してくれなかった、人生初のシリーズフル参戦でした
結局たどり着いたのは補強パーツの取外しおよび軽量化、タイヤエア圧調整、
スロットルポジションのマメな更生で何とか去年なみの速さを再現no32の魔性ぶりを存分に味わわされた1年でしたそんな感じでしたので俺が悪いのか?という疑いもあり走りも迷走2度のコースアウトと数度のスピンをやらかしました
やはり、自分自身を律する必要があるようです。

2016年   ゴールドカップツーリングカーレースの最終年だと言う事で全戦参加を目標にたてる。清水の舞台から飛び降り、いまだかつてなく諭吉を投入しno32を魔改造した。しかし、結局フル参加はかなわず、マシンは大幅にタイムUPできたものの本番で性能を発揮できず竜頭蛇尾。まぁ、でもそれは望外に速くなり高望みしたからそう思えるのであって、300km耐久も完走したし、タイムも未知の領域に踏み込めた。ap86にしてはまずまずだったじゃないのかな?

2015年   昨年の借金返済とHANS&メット購入で首が回らず、10月に何とかレース参戦。そしたら運よく表彰台登壇!13年ぶりでした。
妻の許可も出て耐久にMRチョキさんと組、フルスペックSAMな体制で参戦!
結果リタイヤでしたが山あり谷あり濃い1年でした。
        

2014年    ほぼ1年かけて86ハコ替え、ほとんどDIY。2月シェイクダウン、以降低迷トラブル多発7月ゴールドカップ復帰!11月GC耐久参加、12月自己ベスト9年ぶりの更新!山あり谷あり非常に濃い1年でした。


2013年    レース予選でタイムを出したいがために先行車を追走し、結果大クラッシュ、全損。2月頭までは順調だったのにその後86の調子が悪く修理の連 続。練習も思うように出来ず、レース日を迎えた。さらに当日朝車検直前に燃料タンク漏れ発見でテンパリまくりだった・・・。直後はやめようかと思た・・・

2012年   初めて他人の車でレース参加。新境地を開拓できた。その間1年かけて86は修理する。


2011年    1年かけて86修復。路面が変わる前に自己ベスト更新ねらい攻めた。結果ブリッジ下左コーナーでアンダコースアウト、ガードレールに激突、フレーム く の字に曲がり修理と乗り換え、それともやめるか悩む。(単独クラッシュ)


2010年    レース前日練習の夕方最後の枠で2コーナーイン巻き込みクラッシュ、リズムにのってきてどんどんタイムUPしていたので調子にのりすぎる(単独クラッシュ)応急処置で翌日レースには参加。ハンドリングベストではないが楽しくレースできたしかし後日、点検してみたらフレームにダメージが及んでいた。


2009年    スーパーGT前座レース
1ヘアピン進入でインをさすも接触。相手は長年のレース仲間、家を買うためレースは今回が最後だと語っており、本レースでのホイールは彼から借りた物だったのに・・・一瞬の判断ミスで彼をリタイヤに追い込み、私は完走したものの失格の裁定をくだされた。結構86も調子よく、前座レースであったため熱くなりすぎたのかも・・・初めて、自分が”当てた” 方になった。


2008年    スーパーGT前座レース
ただ、参加しただけ。S-GTを内から観戦するため。練習         不足、資金不足、退屈なレース。無事完走。


2007年    レース参加せず。子供は4人になりスウィートテンな贈り物をした関係で金欠。スポーツ走行3本にとどまる。


2006年   1月、自己ベスト更新、3月レース、ミッション不調でシフトミス多発、オーバーホール決意ついでにエンジンも92後期へ載せ変え、迎えた11月のレースは予選3位、86勢トップ、決勝はタイヤ選択ミスでドベ。


2005年   上位集団とからめた楽しくも激しいシーズンだった。


2004年   ゴールドカップ他、耐久に参加したりして、近年では1番走ったシーズだった。


2003年   レース2回参加、うち1回はJGTC前座、そのレースで同じ車両から左右1回づつ、インから当てられる!ドアぼこ凹!レース後殴り込みに行ったな・・・


2002年   ゴールドカップ2回参加、3位表彰台1回、耐久レース参加。


2001年   レース1回参加、PSS耐久レース参加。


2000年   レース1回参加。雨中のレース、まずまずの所を走行中、はじきだされてドベ。殴りこみに行ったな・・・


1999年   SP走行のみ、他人の86でPSS耐久参加


1998年   2月結婚、3月 86納車 9月始めての走行、2分28秒だった。


1997年   マーチ最後のレース。MINE JTCC前座。練習もせず、前座       レース楽しんだ。


1996年   マーチレース参加。最高位7位。接触すれすれ(した)のぎりぎり       バトルが楽しかった。
 

1995年   11月、SA22CサバンナRX-7、締めくくりのつもりで攻めるも最終コーナーで昇天翌年はマーチレースが決まってたし、AP閉鎖も決まってたので最後の思い出に攻めたのが間違いだった。(単独クラッシュ)10月、耐久レース参加。しかし涙の予選落ち⤵ 参加55台!予選落ち10台の今思えばすごいレースだった                              
5月、スポーツ走行、1コーナー進入で私イン、御相手MR2SW20アウト側で接触。板金だけで治る軽傷だったが御相手の方はかなりへこんでいてお気の毒だった。一瞬の判断ミスでやってしまった。明らかに自分の方が速かったので私のミスだと今でも思っている。(接触事故)


1994年   SA22C、FISCOと箱根国一がホームコース。
箱根でよく事故った。それも明日がFISCO走行会って日が多かった気がする・・・


~1993年?  FC3S、最後は富士見パークウェイで昇天、土屋圭一のJSSFISCO映像を見て熱くなりすぎていたような気がする。他に2回ほど事故ったが、新しいパーツをつけた時、先輩が横に乗ってたときだった。いいとこ見せようとしてたのか?パーツのおかげで今までより速くなってリスクが高まったか? とにかく未熟だった。 



1年以上、サーキットを走らずに過ごした昨年、
2021年は年明け早々にVITAに乗せていただく機会をもらいました。
他人様の大事なマシンだし、21シーズンに向けて練習に励んでいる最中です。
絶対に壊してはいけないし右手シフトだしド緊張でのコースインですが、結果は楽しい体験をさせていただいたな~って感じでした。
それからしばらく経ち、7月にVITAでの5時間耐久レースがあるとのことで出たいな~
と思い、意思を告げました。それから別の車体のVITAを借りての練習走行!
目標であり、課題は13秒台は出しなさいと言う物でした。
練習に励むもスピン、コースアウトを数回。無論わざとではないですが・・・
結果は14秒代しか出せずじまい・・・しかし努力の甲斐ありチームに合流させていただく事ができました。

11月には最後通告のTCレースの2時間耐久にでないか?と誘われました。
うれしいですが、自転車と2足のわらじ状態であること、練習時間がそれほどとれない事、何よりも私自身が遅いのでそんなんでいいんですか?と問えば、
それでも構わないので出ましょう!との暖かいお言葉。
ならばとできる限り練習しますが、不器用な私、重ね重ねわざとではありませんがスピンコースアウトをやっちゃいました泣
そんなこんなでしたがゆかりのあるチームでご縁が深い仲間と最後(かもしれない?)のTCレースに参加でき、
しかもT/Mトラブル(私が走行中~泣、レース1週間前~汗)
エンジントラブルからの~載せ替え!(前日土曜日ですよ!)
からの決勝はよもやよもやの3位表彰台!
とても素晴らしい結果に恵まれました♪

と、言うことで全く走らなかった昨年とはうってかわり、
走れるだけでも楽しいのに結果までついてくるという一年でした!




番外ですが、父のRX8でのモータースポーツ活動、
あわよくばと考えていましたがムリです
と言うのも父が思いのほか8を気に入り、すごく大事にしているからです。
と言うわけでツーリングの友として楽しんでいます。最高です♪
なんと車検を通してくれ、まだ最低でも2年は乗り続けられそうです。
11月には禁断のサーキットデビューをしていまいました!
レイクサイドコースでしたが楽しめた反面、
1.2速が走行中に入らないのでストレスもたまりました。
今度は最初から1速。2速ホールドでドリフトに挑むか?
あるいは禁断の本コースデビューしちゃうか?
来年はどうしましょう?
ただ、必ず2022年にやると決めているのは夫婦でエイトで広島詣でに行くことです。(モータースポーツじゃないけど笑)


レーシング愛車を失い、走らなくなって1年以上が経ち、
今年はレンタル車両でのレースに2度参加しました。
やはり、自分と一体になれる、無茶のできる愛車での練習ができないので根本的な自分のレベルやレース感、走行感が衰えているのを感じざるををえません。
反面、準備に追われる事もなく、トラブルが起こってもどこか気楽なもの(メカさんすみません)そして、同じクルマに乗る仲間と同じ条件でタイム差がわかり、客観的に自分のレベルを自覚できるのはそれはそれで楽しいし、励み目標になることも分かった。
来年の私はどうなのだろう?VITAのタイムは縮めたいなあとは思っています。
そのためにはレンタル代金を準備し、オーナーさんに信用される走りをしなければなりませんね!



こうして簡単に振り返るだけでも・・・
事故ばかりやってた青二才な走り屋時代 1993~1995年(21~23歳)
安定期?かな?私生活でも、みを固めた レース事故もなし 1996~2008年(24~36歳)
転職、住まいも変わり、不安定期か? 走ればやらかす 2009~2013年(37~42歳)
そして、活動絶頂期か? 2014~2018年(43~46歳)
2019年は結果的に第一期活動最終年となる(47歳)
2020年はいつか来る?第二期活動までの思考充電期間か?(48歳)
2021年はレンタル車によるレース参加という新たな境地に目覚めた年かな(49歳


来年のオートポリスの盛況、コロナの封じ込め、皆さまの健康ご多幸を祈りつつ
去っていく2021年、令和3年を見送りまた、自分を律したいと思います

プロフィール

「なんか、槇原が作った曲を美里が歌うらしいね♪」
何シテル?   06/11 18:25
貧乏、暇無し、子沢山の銀輪、四輪乗りです。
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