シューはTVの中で世界一のレースをしている雲上人
私はしがないただの日本人
何言ってんの?と言われそうですが
そんな私とシューマッハの関係を書き記してみた
1991年春
オートスポーツ紙のSWC鈴鹿戦の記事でシューマッハのことを初めて知った
その年のルマンにも参加しててメルセデスC11で5位に入賞していた
気がつけば全日本F3000に参加して上位入賞
オートスポーツ紙面を賑やかに飾っていた
知らぬ間にF1にデビューしてて
気づけばベネトンに乗っていた
この年の晩秋、オートポリスで彼の最後のCカードライブでありC291の初優勝を私はこの目で見ている。
この頃の私はF1にあまり興味がなく記事が目につけばチェックする程度だった
TV放送も気が向けば見るくらいで録画までして見る事はなかった
そんな私がF1を全戦追うようになったのは1994年からだ。
それはまさにシューの時代が開いた年だった。
TVでは今宮さんがシューのすごさ、フォードゼテックRのすごさを語っていたのを覚えている。
セナはポールこそ取るがレースで弱くシューが勝利を重ねていく
押しのヒルはいつもセナ、シューの後方で結構離されていたような気がする
そんな最中、セナが亡くなってしまう
シューと唯一やり合えたセナがいないレースはシューの独走だった(私にはそう見えた) だがシーズンが進み、ヒルが台頭してきた
正直、シューにかなうとは思えなかったが時々勝つようになった
その勝ち方はいつもハラハラするもので1周たりとも見逃せなかった
線の細いヒルはいつミスるか心配でならなかった
それにたいしてシューの堂々とした走り
彼が1位を走っていればそれはもう、そのまま完走するな、という感じがした
若いのにものすごいオーラを放っていた
チームもシューも悪いと思うのだが
フォーメーション中の追い越しや黒旗無視などまぬけなミスをやり
3戦も出場できないというハンデをシューはおった。
このとき私はいくら何でも重すぎるバツだと思った
きっと主催者はシューの独走を中断し、終盤のタイトル争いを盛り上げるため
こうしたんだと思った。
そしてシューのいないレースでヒルは勝利を重ねる
どんなレースでもどんな一勝でも価値はあると思う私だし、ましてやヒル推しではあるがここで築いた勝ち星は少しさみしい気がした。
狙い通り?終盤は激しいタイトルマッチとなった
シューが戻ってきてもヒルは意外に頑張る
最終的に寸差の最終戦となったが
結果は皆さんご存じのとおり。
私はがっかりした
ヒルがタイトルを逃したから?違う。
シューがセナやプロストと同じ穴の狢だと感じたからだ
私はセナプロ対決の終盤が大嫌いだった。見苦しかった。
若い、新時代のレーサーだと思っていたシューマッハだが、
タイトルマッチの最後の最後、セナプロの1989年、1990年の鈴鹿と同じ事をやらかしたのだ。F1という骨肉の争いのなかで頭を取るにはこれほどに欲望をむきだしにして相手をやっつけなければならないのか?そう思った。
1994年のタイトルはシューマッハのものだと思うし、彼が取るべきだったと思うしかし、取り方が残念だった。
激動だった1994シーズンが終わった。
翌1995年はヒルにとって正念場のシーズンだと、私はいちづけていた。
なぜなら、エンジンはお互い同じルノーV10 タイヤも同じ
こうなれば、マシン、チーム力、ドライバーの力量が試される
落ち着いて走れば、シューに勝てるはずだ。
前年見せたそこ力を見せてほしいと願っていた
が、結果はご存じの通り
ヒルやウイリアムズチームはくだらないミスでレースを落としていく
シューはチャンスを逃さない
残念なシーズンになった。
そんなヒルとシューの小競り合いの中この年はアレジやハーバートが初優勝したのは嬉しかったのを覚えている
1996年、何があったかは知らないがシューはベネトンを去った
行き先はフェラーリ
去年アレジが一勝しているがまだまだ低迷期といっていい跳ね馬のチームに
加入した。ヒルは今年こそは正念場だ。ライバルはチームメイトのビルヌーブ
これが私の想像よりもずっと手強い。
そしてシュー、なんと!駄馬で3勝も(でしたよね?)したのだった。
この年はフェラーリ初のV10エンジン、
仮にアレジ、ベルガーコンビだったとして3勝も出来ただろうか?
そして仮にだがこの年のベネトンは優勝はないもののアレジが安定した速さで入賞していたからもしシューが乗ってたら確実にヒルを苦しめた事は想像にかたい。
私のヒルはタイトルをとれたが、シューのすごさ、ジャックビルヌーブの将来性に大いに期待し翌年を待つのだった。
1997年、ヒルはアロウズで苦しんでいた
TWR BSタイヤ ヤマハエンジン ワールドチャンピオンデーモンヒル
話題性は高かったが開幕戦は衝撃だった。残念だった
やはりビルヌーブは速くシーズンをリードした
以外だったのはフレンツェンでなかなか成績を残せない
フェラーリ2年目のシューはもう!タイトル争いに絡んできた
どこまでもすごいヤツだと思った
そんなシューをハンガリーでヒルがうっちゃった!
最高の瞬間だった
やはり、ヒルがシューを抜く様は最高の酒の肴だ
最終戦までもつれ込んだビルヌーブとシューのタイトル争い
予選では、1~3位が同タイムが話題だったが、ヒルは4位だった
しかも実はヒルのアタックラップで右京が前でスピンしてての4位だったのだ!
ヒルは実はポールシッターのはずだったのだ!
たまにではあるがシューをやっつけるヒルを見て喜ぶ私がいた
最終戦の結果は皆さんご存じの通り・・・
シューのバンザイアタックは不発に終わり
この年の年間順位は剥奪されてしまったのだった・・・
なにやってんだオマエ・・・
潔く負けた方がどれほどカッコいいか
こういうところに憤りを感じ、シューが好きになれないのだ。
ま、そうはいってもこの時点でセナやプロストに感じていた嫌悪感とさほどは変わらなかったのだが・・・
1998年
マクラーランが激速だ
しかしフェラーリ、シューマッハも黙ってはいない
ハッキネンとシューはF3時代からやり合っているらしくようやくその再戦が
F1で繰り広げられたということらしい(その当時のことを私は知らない)
シューもハッキネンのことはリスペクトがあるようで
正々堂々、戦っているように感じた。
この年のベルギーGPは雨に翻弄されたレースだった
ヒルが1位を走行していると明らかに速いシューの赤いマシンが真後ろに詰め寄り
バスストップシケインでズバッと抜かれた
この日のヒルは速かったがシューの方がさらにそれを上回っていた
やっぱシューはすげーなー、ヒルは2位でゴールできるかなぁなんて思っていた
しかしシューを不幸なアクシデントが襲う
クルサードに追突、マシンを破損、リタイアしたのだ
あれは不幸だった。シューに同情する私
クルサード、通常加速するはずの箇所でスローダウンせずにブレーキングするところで早めに減速開始するとかすればよかったのに。
シューもシューであれほどの劣悪コンディションだったんだからもっと慎重に行けば良かったのに・・・
あれはオレでもピットにどなりこむなぁと同情した
しかし、このドラマのおかげでヒルは22勝目をウイリアムズ以外のチームでの初優勝を飾ることが出来た。やはりヒルとシューは無関係ではいられないのだ。
シューのタイトル獲得の可能性があった最終戦鈴鹿はシュー劇場だったが
ヒルが通せんぼじじいになってシューの行く手を阻んだ
といっても同一周回だから譲る必要はなくただヒルはシューとバトルしただけだ。
楽しく観戦する私がいた。
シューは素晴らしい走りを披露したが最後はタイヤのトラブルでリタイアし
タイトルはハッキネンが獲得した
シューが盛り上げた面白いシーズンだった。
1999年
ヒルは全然走れない(速く) 残念なレースが続く
母国イギリスGPでシーズン途中だが引退するという噂が流れた
フジTVの番組もそんな感じの構成になっていた
調子の悪い中にしては確か入賞フィニッシュしたのでは?と記憶している
たしかそのレースだったと思うのだが?シュー、大クラッシュでリタイアしている
両足を骨折する大クラッシュだった。シートで覆われシューは見えないが
セナの一件もあるし命は大丈夫か?と思うほどの高速クラッシュだった
(この当時はまだHANSもつけていないはず)
もし、ぶつかった個所がタイヤバリアでなくコンクリ壁だったら…と危惧するほどの高速クラッシュだった。
さすがはターミネーターというべきか、幸い足の骨折だけで(重症だけど)すんで
ホッとしたのを覚えている。シューのキャリアで最大のピンチだと思ったけど。
ヒルはイギリス以降も走り続けたが残念な結果しか出せなかった
対照的にフレンツェンが速いのでますますみじめに感じた
結果から言えばイギリスでポイントフィニッシュした時点で引退したほうがかっこよかったかなぁなんて思う私がいた。
シューがいなくても、アーバインやフレンツェン、クルサードがハッキネンを責め立て泣かしていた。
そして最終戦はハッキネンVSアーバインの構図になっていた
アーバインの援護は怪我から復帰したシューマッハだった!
シューはいい仕事をしていた。もしハッキネンを上回る成績を収めればタイトルはアーバインの、跳馬のものだったのだ。
しかし、その日のハッキネンにシューは追いつけなかった
結果、タイトルは2年連続でハッキネンに持っていかれた
ただ、あの時本当に全力でシューは走っていたのかな?と思った
自身が狙っていたフェラーリでのタイトルをアーバインにあげたくなくてレースをコントロールしていたんじゃないのか?と私は思った
なんにせよ、怪我での離脱があったがやはりシーズンを盛り上げたシューマッハだった。
2000年
ここから先、私はF1を一生懸命には見なくなった
だって、ヒルがいないから、推しがいないから興味がわかなくなった
だが、暇つぶし程度でたまに見るF1でも相変わらずシューは
勝ちまくっていた
暴れまくっていた
ときにピットアウトしたタイミングでクルマを押し出したり
ときに不条理なチームオーダーをしたり
やりたい放題のガキ大将ぶりを発揮していた
そんなことしなくても、オマエが王者だってことはみんな知ってるのに…と冷めた目で見る私。
そんなある日 シューが、生意気で粗削りで速いアロンソにぶち抜かれていた
まるでデビューしたころのシューが果敢にセナに挑んでいたのを
今度は逆にやられていた。ターミネーター、シューマッハといえどもやはり寄る年波にはかなわないか?と寂しさを感じた
気が付けば引退していたシュー
ヒルが39歳で引退したことを思えばまだまだやれそうな気がしたが
シューもいろんな思いがあるのだろう。
こうして長かったシューの時代も終わりを告げたのだった。
私のF1熱もますます冷めるばかりだ
2010年代に入り
シューが復帰するということを知った!
すごいと思った、そしてシューならやると思った!
久々に日曜夜中にTVを見た
なかなか厳しいレースをしているがそれでも応援するのはシュー一人だ。
私にとってはあれほどヒールだったシューだがシューの時代に一番F1に熱狂した私はおやじになっても頑張るシューを応援せずにはいられなかった
そしてまた、若い時のようにうまくいかないシューを見て
当時の自分と重ね、感情移入するようになっていたのだ
時はネットの時代となっていていろんな細かすぎる情報も入ってくる
相変わらずというか?王者にふさわしくないふるまいを新人にしている姑息なシュー情報が入ってきてがっかりする
気が付けば2度目の、本当の引退をしていた
いつなのか。覚えていない
シューがスキーでこけて頭を打ち意識がないと報じられていた
なんてことだ… 意識が戻るといいけど…と心配する私
しかし、どんなに時間が経過してもいい報告はない
そして今だ。
この本はみん友さんのブログで知り、購入したのだが
インタビューに答えているシューの身近な知人がまるでもう、
いなくなった人のようにコメントしているのが悲しい
私がF1に熱中していた1994~1999年の5年間
まぎれもなく横綱だったミハエル.シューマッハ
見なくなったその後も長らく一人横綱を続けていたシューマッハ
シューマッハとやりあうヒルを応援するのが好きだった私
ライバル不在で余裕綽綽で勝つヒルは想像できない
たまにでもシューを上回るヒルを見るのが好きだった
ちなみに私事だが
草レースを始めたのが1993年
公式戦に参加するようになったのが1995年から~現在までだ
私が参加していたJAF戦でもいろんなドライバーがいた
明らかな違反をする奴
グレーな行為をする奴
コース外で政治的な動きをする奴
当ててでも抜くやつ
クリーンなレースをする人
様々な人がいた。
私はシューのような、レースはしたくないと思っていた
いや、違う。いい時のシューのような走りがしたい。
と思っていた。
だからこそ、あんなにもすごいのに時々姑息なことをするのが許せなかったのだ
シューがレースで走るところが
コメントで毒を吐いているところが
見てみたい。聞いてみたい。
健康が一番だ。
事故は誰にでも不意に降りかかってくるものだ
できれば公の場に姿を見せてほしいけど
無理でも今より少しでも良くなり、元気になった報告を聞きたい
シューマッハの時代にF1に熱狂した者としては願わずにいられない。