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Randonneurのブログ一覧

2023年12月16日 イイね!

今一度、自分自身を律するために 2023追記版

2023年のレース&モータースポーツ活動

VITA耐久
ドリフト走行会
カートレース

と、なかなかの充実したモータースポーツライフを送った1年ではあった。
しかし、どれも課題山積みの結果しか出ていない
自分に ”負けた” と感じる結果しか出ていない






2022年はレーシングカーを運転する事が全く無かった。
これを書き記し始めたのは、振り返ると私は結構スピンやクラッシュ、
事故が多いので年に一度これを見て反省し次につなげるために始めた。
レーシング運転が無ければ当然何事もおこらないんだけど・・・
今年はチームTを通じてレースを応援観戦した
回を重ね見れば見るほどに走りたいとうずく自分と、よくこんなことやるなぁとビビる自分が交互に現れるのを感じた1年だった。

クルマでも、レースでもないけれど、生きるか死ぬか(ちょっと大げさ過ぎる言い方ですが)リスクを承知で突き進むか?リスクを排除しリタイアするか?
究極の選択を今年は3回、自転車でやった。結果3回ともリタイアを選んだ私
今の私は一か八かと言うような選択は無いのだ・・・

レンタルだがカートに乗った
レースやドリフトを見てうずうずしつつも乗るクルマは無くもんもんとしているタイミングで乗った。久々のカートは純粋にたのしかった。こんなに速かったかなぁ?と感じた。乗ってから数日、体の痛みがとれないのであった・・・







2021年   7月、VITAマジカルエンデュランス耐久という、VITAワンメイクの5時間耐久レースに5人一組で参加した! 燃費も厳しい知力や作戦が物を言う面白いレースだった。 結果は15位/33台と申し分ない物だった。
しかし、私のピットサイン見落としなど、数点チョンボもあり、それがなければシングルフィニッシュも可能だったのではとレーサーの血が騒いだ。

11月、 今シーズン、このレースをもって最後といわれるツーリングカー耐久レースに3人一組で参加した! 結果は3位/6台と申し分ないものだった。
私自身はふがいない走りしかできず、反省点が多かったが結果オーライ?
パートナーさんの頑張りで表彰台に登る事ができた。一応、狙ってたし意識してたけど現実になって感無量でした。




2020年   25年ぶりにレーシングカーを所有しない自分と向き合った。それはそれで自分自身を見つめなおすいい機会になった。
幸いと言うべきか、no32は熱血86オーナーさんのもとへ渡り、しかもゴールドカップTCレースに参加するというではないか! 参加台数が少ないTCレース、結果から言えば私が走らないだけで今までと同じく、1台グリッドを埋めてくれるというのがまず嬉しかった。応援のしがいもあろうというものだ。
しかし、コロナ、水害などあり上半期はレース自体、開催されない、出来ないという事態に陥った…。
そんな逆境の最中、超過密スケジュールで2か月で3戦が行われ、新オーナーさんは何と!2位、2位、1位!と言う驚くべき速さ、成績で年間チャンピオンを獲得された! 確かに、オーナーはハチロクの神と呼ばれるほどの腕前だが、
私のno32の壊れたフロントセクションの修理、エンジンの載せ替えが主な変更であとはほとんど私の時のまんまだ。それはつまり私たちのクルマ作りが間違っていなかったとも理解できる。今年、くらい、憂鬱な事が多い年だったが旧no32の活躍は本当にうれしい出来事だった。





2019年   2018年の再現をもう一度の思いで、タイム狙いでG/Sタイヤを購し開幕戦に挑む。前日は調子よくこれは行けるか!?と思ったがNEWタイヤはやはり使えない私。結局予選でタイム出ずレースは最下位に沈む。それからの第2戦、第3戦はVITAとは混走とならずTCの参加台数があまりに少ないので寂しいな…と言うのが動機で参戦。いずれもドベだった。最終戦耐久は初の2時間レース。ここではやってはならない他車との接触をやらかす。私は辛くも走り切ったがお相手のVITAは0周リタイアでお気の毒だった…。もう少し、何とかよける事は出来なかったのか…悔やまれる結果だった。no32もなかなかの重傷を負った。。。






2018年    年頭に立てた目標は、公式の場で2分12秒代を記録する事しかしながら年間予算は50万円以内とし、限りある資金、時間を大切に使い目標に向かって邁進した。結果、開幕戦の予選で見事!目標達成!😂 うれし泣き💦
それからは資金不足、(仕事でも不足)モチベーション不足         で休戦人生初オフィシャル活動はいい刺激経験になった
仲間に鼓舞される形で最終戦である耐久レースに参戦結果は人生初優勝で総合優勝!、クラス優勝!と😂 うれし泣き💦これは長年やってきた事へのご褒美だと思いました。目標も達成、そして完全に望外の優勝も経験。
正直、こんなにうまくいったシーズンはいまだかつてないので2019年がコワい私です。
         
         
2017年   ある時はCPUがご機嫌ナナメ、またある時は足が体が不機嫌、なかなか真の実力を出してくれなかった、人生初のシリーズフル参戦でした
結局たどり着いたのは補強パーツの取外しおよび軽量化、タイヤエア圧調整、
スロットルポジションのマメな更生で何とか去年なみの速さを再現no32の魔性ぶりを存分に味わわされた1年でしたそんな感じでしたので俺が悪いのか?という疑いもあり走りも迷走2度のコースアウトと数度のスピンをやらかしました
やはり、自分自身を律する必要があるようです。

2016年   ゴールドカップツーリングカーレースの最終年だと言う事で全戦参加を目標にたてる。清水の舞台から飛び降り、いまだかつてなく諭吉を投入しno32を魔改造した。しかし、結局フル参加はかなわず、マシンは大幅にタイムUPできたものの本番で性能を発揮できず竜頭蛇尾。まぁ、でもそれは望外に速くなり高望みしたからそう思えるのであって、300km耐久も完走したし、タイムも未知の領域に踏み込めた。ap86にしてはまずまずだったじゃないのかな?

2015年   昨年の借金返済とHANS&メット購入で首が回らず、10月に何とかレース参戦。そしたら運よく表彰台登壇!13年ぶりでした。
妻の許可も出て耐久にMRチョキさんと組、フルスペックSAMな体制で参戦!
結果リタイヤでしたが山あり谷あり濃い1年でした。
        

2014年    ほぼ1年かけて86ハコ替え、ほとんどDIY。2月シェイクダウン、以降低迷トラブル多発7月ゴールドカップ復帰!11月GC耐久参加、12月自己ベスト9年ぶりの更新!山あり谷あり非常に濃い1年でした。


2013年    レース予選でタイムを出したいがために先行車を追走し、結果大クラッシュ、全損。2月頭までは順調だったのにその後86の調子が悪く修理の連 続。練習も思うように出来ず、レース日を迎えた。さらに当日朝車検直前に燃料タンク漏れ発見でテンパリまくりだった・・・。直後はやめようかと思た・・・

2012年   初めて他人の車でレース参加。新境地を開拓できた。その間1年かけて86は修理する。


2011年    1年かけて86修復。路面が変わる前に自己ベスト更新ねらい攻めた。結果ブリッジ下左コーナーでアンダコースアウト、ガードレールに激突、フレーム く の字に曲がり修理と乗り換え、それともやめるか悩む。(単独クラッシュ)


2010年    レース前日練習の夕方最後の枠で2コーナーイン巻き込みクラッシュ、リズムにのってきてどんどんタイムUPしていたので調子にのりすぎる(単独クラッシュ)応急処置で翌日レースには参加。ハンドリングベストではないが楽しくレースできたしかし後日、点検してみたらフレームにダメージが及んでいた。


2009年    スーパーGT前座レース
1ヘアピン進入でインをさすも接触。相手は長年のレース仲間、家を買うためレースは今回が最後だと語っており、本レースでのホイールは彼から借りた物だったのに・・・一瞬の判断ミスで彼をリタイヤに追い込み、私は完走したものの失格の裁定をくだされた。結構86も調子よく、前座レースであったため熱くなりすぎたのかも・・・初めて、自分が”当てた” 方になった。


2008年    スーパーGT前座レース
ただ、参加しただけ。S-GTを内から観戦するため。練習         不足、資金不足、退屈なレース。無事完走。


2007年    レース参加せず。子供は4人になりスウィートテンな贈り物をした関係で金欠。スポーツ走行3本にとどまる。


2006年   1月、自己ベスト更新、3月レース、ミッション不調でシフトミス多発、オーバーホール決意ついでにエンジンも92後期へ載せ変え、迎えた11月のレースは予選3位、86勢トップ、決勝はタイヤ選択ミスでドベ。


2005年   上位集団とからめた楽しくも激しいシーズンだった。


2004年   ゴールドカップ他、耐久に参加したりして、近年では1番走ったシーズだった。


2003年   レース2回参加、うち1回はJGTC前座、そのレースで同じ車両から左右1回づつ、インから当てられる!ドアぼこ凹!レース後殴り込みに行ったな・・・


2002年   ゴールドカップ2回参加、3位表彰台1回、耐久レース参加。


2001年   レース1回参加、PSS耐久レース参加。


2000年   レース1回参加。雨中のレース、まずまずの所を走行中、はじきだされてドベ。殴りこみに行ったな・・・


1999年   SP走行のみ、他人の86でPSS耐久参加


1998年   2月結婚、3月 86納車 9月始めての走行、2分28秒だった。


1997年   マーチ最後のレース。MINE JTCC前座。練習もせず、前座       レース楽しんだ。


1996年   マーチレース参加。最高位7位。接触すれすれ(した)のぎりぎり       バトルが楽しかった。


1995年   11月、SA22CサバンナRX-7、締めくくりのつもりで攻めるも最終コーナーで昇天翌年はマーチレースが決まってたし、AP閉鎖も決まってたので最後の思い出に攻めたのが間違いだった。(単独クラッシュ)10月、耐久レース参加。しかし涙の予選落ち⤵ 参加55台!予選落ち10台の今思えばすごいレースだった                              
5月、スポーツ走行、1コーナー進入で私イン、御相手MR2SW20アウト側で接触。板金だけで治る軽傷だったが御相手の方はかなりへこんでいてお気の毒だった。一瞬の判断ミスでやってしまった。明らかに自分の方が速かったので私のミスだと今でも思っている。(接触事故)


1994年   SA22C、FISCOと箱根国一がホームコース。
箱根でよく事故った。それも明日がFISCO走行会って日が多かった気がする・・・


~1993年?  FC3S、最後は富士見パークウェイで昇天、土屋圭一のJSSFISCO映像を見て熱くなりすぎていたような気がする。他に2回ほど事故ったが、新しいパーツをつけた時、先輩が横に乗ってたときだった。いいとこ見せようとしてたのか?パーツのおかげで今までより速くなってリスクが高まったか? とにかく未熟だった。 







今年5月
ツールド国東を無事終えた私は
4輪レーサーモードに入った
2年ぶりのレースに備え練習に入ったのだ
マシンはVITA
まずは、の目標は2年前の自己ベストタイム2.14.9秒を切ることだと
意気揚々コースインした
一本目は手探り、17秒くらい
このくらいで走ればただただ楽しい。
二本目は少しだけ気合いを入れ15.4秒がベスト。まあまあだろう
チェッカーが振られ気を抜いて一コーナーへ入る。
アクセルをふまずにだら~っとコーナーへ
すると!あろうことかテールが流れる!
カウンターもむなしくスピン!だけならまだしもケツからコースアウトした・・・
落ち込んでピットに戻る
心なしか?仲間の目が冷たい
「何年レースやってんだよ」
「30分ぐらい集中して走れよ」
無言の叱責をビシビシ感じる私
とりあえず借り物のVITAを清掃した。それしかできなかった。

6月、7月と練習する
仲間、先輩がいろんなアドバイスをくれる
いろいろ考えながら走る
しかし、一向にタイムは縮まない
むしろ、落ちている。どんどん落ちている・・・
とうとう、負の流れを断ち切れないままにレース本番を迎えた

遅いだけでなく燃費も悪い私、
しかも過去、ピットサインの見落としさえしている私
なので、最もリスクの低いアンカーを受け持つ事とした
アンカーはゴールまでマシンを導く必要のある重要なポジションであることに
違いは無い
だが、私の実力や最近の行動を考えれば、今回はそこしかつとまりそうな
ポジションは無かったと思う。
迎えたレースは7月16日
一応チーム発起人としてキャプテンという役目を任された
チームのポリシーとしては、
マシンを持たないドライバーばかりで
マシンをレンタルし、
燃費走行はせず全開で楽しむ
(無論、4回給油で完走出来るペースは作ってもらう)
というものだ。

今日、初めて顔を合わすメンバーも多数
ピットクルーは急造のチームだが
みんなレースがクルマが好きな仲間ばかり
そのうち1人H君は私が引率した21歳の若人だ。

5時間の旅に出た!
ファーストのドライバーさんはクレバーな方
60分以上走る事を意識し絶妙なペースで淡々と走る
一周も全開にしてないのが分かる
全開で走るところが見たい、Mさんは全開だと何秒で走るのだろう?
そう思いながら見守っていた。

セカンドドライバーさんは
ガンガン走っているようだ
一度スピンしている
が、それはコース上であり、リカバー出来ている
今回のレースにおける私のポリシーに最も近い走りをしているなと思った
オレもそんな走りがしたい・・・と思った

サードドライバーさんはタイヤが最も状態の悪い時に走った。
タイヤがかなり減っていた
リスキーな中で許される範囲の走りをし5時間後にむけ駆け抜けた
ベストタイムがワーストだった事がそれを物語っている
オレだったらミスったかも・・・と思った

サードからフォースへのドライバー交代、給油の際、今レース最初で最後のタイヤ交換をやった
シグナルエリアから見守る私
H君はトルクレンチ係を任せていた
うまくやれるだろうか?
するとH君、私との話では無かった仕事、タイヤ運搬もやっている
が! タイヤを転がしている! わめく私!
レースではタイヤは転がし運搬してはいけないルールなのだ!
やばい!と思った瞬間、オフィシャルに注意されていた・・・
私の知らぬ間に、メカニック同士で話し合い、Hくんに運搬させるよう役割分担していたようだ・・・
ストラテジストに謝る私
しかし、これは私たちチーム上層部の者の責任であり彼には一切罪はない
常識だろう、分かっているだろうが勘違いのもと
指導不足が招いた痛いミスだった

フォースドライバーさんはチーム一番の韋駄天さんだ
コースインするなり13秒台で駆け抜ける
オレもこんな走りが出来ればと指をくわえて見ていた
後半は意外とタイムが落ちていた
それは前半のプッシュのせいかもしれない
エンジンもくたびれているに違いない
後で語ってくれたが疲労もあったらしい
VITAとはそういうマシンだ

いよいよ、残す時間40分ほどになり
私に出番が回ってきた
エンジンもタイヤも結構キテイルからタイムは出ない
ムリせず走りよ、とのアドバイスをもらった。
一番はとにかくチェッカーを受けること
2番は楽しむ事 かなと思いながら走った。
燃費は一切考える必要は無い。だからレブるまでまわした。
ピットサインが出ることも、よほどでなければあり得ない(しかし、見落とさないように気をつけてはいた)
いろいろアドバイスはもらったが付け焼き刃で出来るものではない
迷走している私がやったのは
まるっきり自分のAE86での走りをしてみる
ということだ。
それじゃあ、VITAは速くは走らせられない
しかし、それが一番身体に染みついている安全な走り方でもある
そうこうしているとあっ!いう間にチェッカーフラッグだ
その瞬間、じわりと涙が出た。
勝ったわけでもない、入賞出来たわけでもない、バトルに競り勝ったわけでもない、逆に負けて悔しかったわけでもない
その涙は安堵からきたものだ。
無事に、マシンを返すことが出来た・・・ 正直、ホッとしたのだ。

ちなみにレース結果は9位だった
それは目標としていたシングル完走を果たせたということだ
例のミスは他チームでも頻発しており、大目に見てくれるという事でおとがめ無しだった。
もしペナルティを取られていれば順位はもう少し下だっただろう。
結果オーライ。チームの内容を考えれば望外とも言える結果で無事終わった
しかし、私個人で言えば終始うまくいかなかったレースとなった・・・




8月
お世話になっているチームのレイクサイドコースドリフト走行会に参加する事になった
いつもは旗振りの手伝いだが今回は5年以上ぶりに参加だ
クルマは何と!FC3S サバンナRX-7だ!
後輩が貸してくれるというのだ!
ありがたく好意を受け参加する事とした

FCに乗ってきちんとしたスポーツ走行をするのは初めてだ
函南の富士見パークウェイでひっくリかえしてから30年ほど経っている
そのFCのシートに腰掛け、メットをかぶりコースへ出る
タイヤのグリップが思ったより低い
ブレーキのききもあまい
しかし、素直なハンドリングではある
後期型FCはもう少しターボラグがないと認識していたけど
今日乗った感じでは4000回転を境になかなかのどっかんぶりに感じる
ドリフトマイスターに乗ってもらった
さすがにうまく、それなりにドリフトしていた。が、
これは難しいですよと助言をもらった。

助言を元に走ってみる
どうにもうまくいかない
エア圧をいじってみる
全部2.4だったので F2.2  R2.6にしてみた
少しイイ
減衰力がいじれる事がわかった
しかも最弱だったので最強にしてみた
また少しよくなった
なぜドリフトに持ち込めないのか?
分かっている。進入が遅い→ブレーキングがあまいから加重が移動しない→向きが変わらない→そこから踏んでもパワースライド出来るほどパワーがない からだ
しかし、食わないタイヤ、あまいブレーキを信用出来ず突っ込めない。
もし、コーナーの中でとっちらかったらコース上に踏みとどまれないかもしれない
そう思うとどうしても進入で流せなかった
出口でちょっぴり流すだけだ。
後半は、どうせ遅いから一速を使ってみた
するとトルクがあるので滑らせる事が出来た
とはいえそんなにカッコいいもんじゃあないけど
そうこうしているとミッションが入りづらくなってきた
心配になり、走るのをやめた
冷静に考えれば、極上コンディションのFC、壊せばパーツももうない、あっても高い
私にとっては青春のクルマであり懐かしい相棒ではあるが
今では立派なヒストリックカーなのだ
そう思うと、もう走る事は出来なくなった。

グリップでは走らなかった
今思えばそれもやっときゃあよかったかな
ドリフトしたいけど出来ないという終始ダサい走りになったが
FCと対話しながら走るのは初めてだったので楽しい時間ではあった
20歳の頃は対話出来るほどの知識も腕もなかったからだ

とはいえ、そんな感じの走りだったので
モヤモヤ感は否めない
自身の腕のなさをここでも思い知ったのだった・・・




11月
人生2度目?かな?
レンタルレーシングカートのレースに参加した
今回はスプリントレースでありコースは地元のカウベルモーターパークだ、前回は耐久で安心院だったなあ
それなりのタイムが刻めるようになった私。コースのかたにおだてられての参加となった。
結果は第1戦はまあまあ満足いくタイムも刻めたものの、接触押し出しをやってしまいドベ扱い
一人旅となった。いつも一人で走ってるがレースとなればラインの奪い合い。
その中でちょっとやり過ぎてしまった。反省
第2戦はなんと!初体験の逆走だった!
全然走れない、予選も激遅
レースでは第一戦の反省でラインを残しながら走っていたらあれよあれよとドベ
それだけならまだしも単独走行となり、ジワジワ離されていく始末
これはまいった泣 いくら初体験とは言え、ドベに落ちたとは言え、先行者を追いかければ学習出来るのでどんどんタイムは縮むはず
なのにこのていたらく
我ながら情けなかった
しかし、面白かった。
逆走を練習し、また挑みたいと思った
楽しいし、激しいし、安全だ。
今の私の身の丈に合っていると感じた。








来年だが、VITA耐久に出るのも壁がある
それは装備品の公認がほぼ全て2023年で切れるのだ
今後の活動のことを考慮すれば、大枚をはたいて準備するつもりではあるが・・・
懐が痛い。
そして13秒代を刻み、あわよくば私自身のレコード、AE86で刻んだタイムを
縮めたい。これ目標。

カートは逆走を練習し、混戦になれたい。

そして自分に勝ちたい。
全ては諭吉と相談ではあるが
それが気持ちよくできるように
仕事を頑張り、利益を上げたい
と、自分を律し、2024年も身の丈にあった形でモータースポーツを続けたいと願う私だった。


2023年11月29日 イイね!

今日は明菜のおかげで良かった笑

今日は明菜のおかげで良かった笑











運転が嫌いな私
今日、往復100kmの道のりを配達で走らなければならぬ事が分かっていたので
昨日夜、ちょっと気分を変えてなおしこんであるCDをガサゴソ
目に付いたのは中森明菜の復活ライブのCDだった。

聞きながら走る私
今年で、あと14日で51歳になる私
この頃の私は18歳、明菜ちゃんは26歳!
ライブ音源なので声援が入るんだが
「がんばって!」とか
「負けないで!」とかが泣かせる

門前仲町のレコード屋で買って
FCの車内で聞いたり
一人独身の部屋で聞いていたCD
今、51を間近にひかえ聞くとまた当時とは違う感情が沸き立つ
明菜さんもお元気で幸せにしててほしいものだ。

ともあれ、明菜さんのおかげで苦になる運転時間も快適に過ごせ、
午後の作業もはかどった
明菜さんありがとう。

そして今、このライブの動画を初めて見た
見ながらデスクワークしている
凄い世の中になったもんだ
Posted at 2023/11/29 17:30:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記
2023年11月20日 イイね!

なんか、感動した

https://cowbell-ms.com/


そこは我が家から10数分で着くカート場
先日は強者どもが集い激しくレンタルカートレースをしていた
現場が近かったのでコーヒーブレイクに寄る

すると大家族?親戚?ワンボックスレンタカーで8人やってきた
小中学生と親御さんが乗るらしい
カートは初めてとのこと
お子さんが好きでここの事を調べて来たらしい。
若干のハプニングもあったが皆無事完走
とても楽しそうにしていた。
普段と違う雰囲気のカート場、なんかよかった。

親御さんが「どこかこの付近におすすめのラーメン屋さんはありますか?」と問う
おすすめするようなラーメン屋さんが思い浮かばなかった私は想夫恋をすすめた
想夫恋ならこの辺の名物だし、一応ラーメンもある。
親御さん「想夫恋!行ってみます。名前がいいですねー」だって。
普段全然無意識だけど確かに ”想夫恋” ってイイ店名やなーと妙に納得。

遠方から飛行機での大分旅行
楽しんでもらえたかな?
いい思い出できたかな?
それを見ていた私は幸せな気分になりましたとさ


関連情報URL : https://cowbell-ms.com/
Posted at 2023/11/20 17:51:28 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記
2023年08月16日 イイね!

8月16日 雑感

8月16日 雑感











息子を10時には博多駅に送った
新幹線乗車は何と!19:30
新大阪着は驚異の翌日2:30
原因は遠い静岡で降った大雨・・・
続きはまだあり、翌朝1番の6時の列車に並んだのに来づ、結局乗れたのは8時だったらしい
新幹線の雨への脆弱性を知った



博多駅前の○I○Iの6階に駿河屋があった
マルイといえば自分が18の時は流行の発信地であり、
そこでカードを作り買い物し着こなすのは都会人の標準だとする雰囲気すらあった。
今でもおしゃれだと思う
けど、そのビルに駿河屋が入っている事に違和感を覚えた
駿河屋はプラモ、フィギィア、カード、おもちゃなどを扱うマニアな店だ(と、私は思っている)
それが○I○Iに入る事が、マルイにとってマイナスでは無いと判断されたわけだ
○I○Iも変わったんだなというより、世間の駿河屋で買い物をする方への目線が変わったんだろうなと思った。
(駿河屋をディスッてませんよ! 私は駿河屋目的で行ったんですから! たくさんマクロスプラモを買いましたよ!)
世の中変わったな~



ウエムラサイクルパーツへ行ったが何もほしい物は無かった
今、ほしいのはタイムなのだ・・・
それは売っていないのだ・・・


Posted at 2023/08/18 07:50:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | ets | 日記
2023年07月26日 イイね!

一つ目仲間♪

一つ目仲間♪

人生初プラモデル購入

そして製作




去る日、パークプレイス大分にトムクルーズに会いに夫婦で行った。
トム様に会うまでまだかなり時間がある
とりあえずホビーゾーンに入る
妻、突如ウッディのプラモデルを手に取り
「買う、作る!」と言う!
それはいいと私、箱を開け中身を確認そして価格もチェック。
かなりのランナー枚数、部品点数、これは最初のプラモとしては敷居が高いのでは・・・
しかし、作りたいというモチベーションが大事
できなければ手伝うと話し、もう買うか!?という感じにまでなったが
もう少し見てみようとぶらぶら
お城にも興味津々
そんなとき、ミニオンが目に入る
箱も小さい、かわいらしい、価格もウッディよりは安い、部品も少ない
「これにしよう!」と買ったのだった。



気づくと、リガード部隊に新しい隊員がいた
なんでも、妻いわく「一つ目仲間」だそうだ
面白い、私には思いつかなかった
確かに仲間かも・・・



妻、2作目プラモは何になるのだろう?
私とは違う、面白い感性で選び、作るんだろうなあ
楽しみ♪


Posted at 2023/07/26 07:34:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | プラモデル | 日記

プロフィール

「今日は高中のおかげで良かった笑 http://cvw.jp/b/476106/47576887/
何シテル?   03/08 16:10
貧乏、暇無し、子沢山の銀輪、四輪乗りです。
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