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ザクとは違うのブログ一覧

2025年12月20日 イイね!

重巡鳥海の製作(艦橋の工作その6)

艦橋の製作はまだまだ続きます。
鳥海の羅針艦橋窓枠は上下二段と少々特殊で、汎用の窓枠用エッチングパーツでは再現できないので、ファインモールド社の高雄型用エッチングを購入しました。側面には半円型の出っ張りがあるので、エッチングをうまく曲げてやる必要があり少々苦労しましたが、窓枠を立てる壁面を図面通り作っていたおかげで寸法は割とバシッと合いました。気持ちいいですね♪


羅針艦橋内に12cm双眼望遠鏡や縦羅針儀などを設置。望遠鏡はベテランモデルのレジンパーツを使用していますが、縦羅針儀は手元になかったので単なる伸ばしランナーです。どうせ見えなくなるので雰囲気重視で(笑)

舷灯については、新造時は上部艦橋甲板に設置された3.5m測距儀の少し前あたりでしたが、機銃台増設後は羅針艦橋脇の1.5m測距儀台に移設されたようです。
併せて、旗甲板両側にある手旗信号台も設置します。同信号台は高雄では真横に突き出るように設置されていますが、鳥海では斜め後ろ向きに設置されていることが写真から分かるので0.1mmプラ板で作った架台の上に3Dプリンター製の信号台を載せました。



ここから更に発射指揮所や測的所などの層を積み重ねていくことになりますが、これまた複雑な形状で、シコルスキー図面やスーパーイラストレーションなどから構造を読み解くのにさんざん苦労しました。
まずは発射指揮所をプラバンで組み上げて、汎用エッチングで窓枠を設置。

さらに指揮所前天蓋部に遮風装置(?)を設置しました。装置裏側にはプラペーパーで三角ステーも付けたのですが、一部は接着剤で溶けてしまったようです…


続いて測的所も同様に作りますが、測的所の上に乗る主砲射撃所との取り合いでまた悩みだしました。それは後端の形状です。

このイラストにあるように、発射指揮所と測的所の後端はひとつのラインで繋がっていますが、その2層を隔てる屋根が側面に設置されます。これをどう組み上げるか…。
2層を別々に作って積み重ねると後端のライン合わせに苦労しそうですし、かといって全体を一つのパーツとして作ろうとすると屋根の後端付近にRを付けて壁面と合わせるのが大変そうです。さて、どちらにするか…。
これまた長く悩んだ挙句、2層を別々に作り、それとは別に屋根を1枚板で作って、その3つを積み重ね、後端部はプラバンの細切れで(気合で)整形するという作戦にすることとしました。

もう一つ悩んだのが窓枠。

側面の窓枠は羅針艦橋同様上下二段になっていますが、測的所の前面は二段ではないようです。しかし先ほどの高雄型用エッチングに入っている窓枠は面ごとの長さも合わず、しかも段数も誤っていました。これは困った…。
高雄型用窓枠エッチングはモデルアート社からも出ていますが、さすがにこれだけのために数千円を払うのは躊躇われます。
手持ちのエッチングを漁っていると上下二段の窓枠が海魂商品に含まれているのを発見!側面はこれを使うことにしました。しかし前面は汎用では高さ(1.7mm)が足りません。悩んだ挙句、0.19mm金属線を使用することにしました。
そしてようやく工作開始。

完成後のジオラマでは左舷方向の敵艦に主砲を向けている場面を再現する予定なので、測距儀等はその方向を向かせてあります。
そしていよいよ射撃指揮所と屋根と測的所を積み重ねます!

なんと…測的所窓枠のラインとその天蓋のラインが合いません…orz
いずれも図面通りに作ったはずなのに…と思いつつ、改めてシコルスキー図面を図り直してみると、図面上の寸法に整合が取れていないと判明。参りました<(_ _)>
ということで、作り直しとなります…
艦橋、いつになったら完成するのかな…
Posted at 2025/12/20 17:48:04 | コメント(0) | 艦船模型 | 趣味
2025年12月09日 イイね!

ロケット開発エンジニアの宇宙教室

現在、豊田市博物館で大好評開催中の「深宇宙展」

開館前でも長蛇の列が出来ています。

その豊田市では関連イベントを多数開催中で、先日もトヨタ自動車のエンジニアによるトークショーを聴講しました。
そして今回はロケット開発エンジニアによる講演会へ。
先日のトークショーが子供向けだったので、今回もそうだろうと思っていたらやはり(笑)
会議室には多くの机と椅子が並び、その最前列の椅子のみの席は子供の優先的席という仕切りでした。
講演者は2名。JAXA子会社のベンジャミン・ブランチという会社の方と、宇宙タレントの黒田有彩(くろだありさ)さんです。
まずは黒田さんが自己紹介して爆笑を誘い、続いてベンジャミンの方も。普段から子供向けの教室などをやっているそうなので、お二人とも上手にしゃべります。

この日のテーマは「なぜ月に行くのか」「ロケットはどうやって打ちあがるのか」の二つ。
まずは月についての説明で面白かったことを書き連ねます。
・潮汐ロックはなぜ起きるか
月が常に地球に同じ向きで自転する状態となるのが潮汐ロックです。月の重力によって潮の満ち引きが発生しますが、地球の重力によって月の自転が遅くなることによって発生するとされます。
・月の裏側はなぜボコボコなのか
3Dプリンターで作った月の模型が会場内全員にまわされました。

確かに裏側は「海」がありません。
しかし結論としては「よく分からない」。
ただ、多くの隕石は地球の重力に引かれてくるので、地球側を向いている月面に隕石が落ちようとすると先に地球に当たる確率が高くなります。もう1点は、潮汐力によって地球側の月面(及びその地下)は流動性がより高く、反対側はより低いため、地球側は隕石衝突跡が消されていくことになります。
・月面でジャンプするのはすごく危険
アポロ計画の宇宙飛行士が月面で時間ができたので試しにジャンプしたら、より重量のある背中から落ちて生命維持装置が壊れてしまい、危うく死にかけたそうです。
漫画などではジャンプする様子が描かれることもありますが、実はすごく危ない行為のようです。
・アルテミス計画潰しは対策済み
NASAは、トランプ氏の大統領返り咲きによってアルテミス計画がキャンセルされるかもしれないと恐れ、安易なキャンセルが出来ないよう、各国との約束をつけておきたいと考えました。その結果、計画策定の前に関係国との間で「アルテミス合意」が先に形成されました。
しかしそれでもNASAの予算は大きく減らされ、計画の先行きに暗雲が漂っています。そうした状況を受けての前回のトヨタ自動車のトークショーでした…
・アルテミス計画とは
計画では月に拠点を作るとともに、月と地球の間にゲートウェイ(中継点)を構築することになっています。ただ、各国でやりたいことは違っていて、NASAは火星に行きたい、日本は月に行きたいなど、温度差がいろいろとあるようです。

次のテーマはロケット打ち上げについて。
・ロケット打ち上げ映像
当日はH3の8号機打上げ日だったのでその場でライブ中継を行う予定でしたが、機器の不具合で打ち上げが延期されたので、過去のH3ロケット打ち上げ映像が大画面に流されました。この時も子どもたちは大喜び♪
国際宇宙ステーション(ISS)の話も出ましたが、星出宇宙飛行士はものすごくお酒に強いそうですw
また若田宇宙飛行士はISSでの一日2時間のトレーニングがすっかり習慣となった結果、地上でもどこへ行ってもトレーニングしないと気が済まないようになってしまったそうですw
・風船ロケットの実演
黒田有彩さんの作った風船ロケットを飛ばす実演をしていましたが、すごい勢いであちこち飛び回るのかと思いきや、ゆーっくりと垂直に上がっていきます。
これはすごい。
材料は100円ショップで売っているものばかりとのことですが、特に垂直に上がることは実際のロケットでもかなり神経を遣う部分で、事実、H3ロケット1号機ではそれがうまく行かずに指令破壊されました。
・ロケット発射ボタンは誰が押すのか
「誰も押さない」「機械でプログラミングされたタイミングで発射される」というのは以前から知っていましたが、講演では「発射ボタン以外に押すボタンがあるが、それは何か」と問われていました。子供たちからはアイデア溢れる意見がたくさん出ていましたが、正解は「準備完了ボタン」だそうです。

ロケットのリフトOFFまでには多くのステップがありますが、天候、周辺環境、機器の状態など様々な条件が整って発射のための準備が完了したと判断されるとそのボタンが押されるそうです。これは知らなかった…。

先にも書いたように、講演のあいだ中、子供たちは講演者2名にずっとしゃべり続けていました。時折講演者から質問が出ると当てられてもいないのに我先にと答えを喋り出す始末(笑)
しかしその答えが正しく、しかも大人顔負けのマニアックなフレーズが出てくるのです。
「それって第一宇宙速度でしょ!」
「月には空気が無いから喋る時に困るよね!」
などなど。
会場には本当に宇宙のことが好きな子供たちが集まったのだなと感じると同時に、その積極的な姿勢に「なんてかわいいんだろう♪」と思ってしまいました。
講演の最後にベンジャミンの方がボソッと言ったのは「こんなやりにくい講演は初めてです」と。しかしこれはネガティブな意味ではなく、質問したことへの子供たちからの回答が正解ばかりだったので、そのレベルの高さに驚いたという意味でした。
来場者の大半は豊田市内の子でしたが、私のすぐ前に座ったカップルの女の子は、講演中、終始メモを取り続け、隣の男性と楽しそうに会話していました。

このカップルの例にみられるように、基本的には子供向け講演であったものの、そこかしこに大人でも楽しめる情報がちりばめられており、大変よくできたプログラムであると感じました。
はやぶさ初号機の感動的な帰還をテレビで見て、それをきっかけに勉強を始めた小学生が今ではJAXA職員になったという例もあるとか。
あの会場からもそうした子供が出てくるといいですね♪
Posted at 2025/12/09 19:40:28 | コメント(0) | 宇宙ネタ | 趣味
2025年12月05日 イイね!

重巡鳥海の製作(艦橋の工作その5)

羅針艦橋両脇には1.5m測距儀や見張り方向盤のスポンソンがあります。まずはその位置や形状を実艦写真でチェック。



つい先日発見された戦前の鳥海の動画も確認したところ、右舷側の信号灯スポンソンにはブルワークらしきものが見られます。

シコルスキー図面にはそのように示されていませんし、冒頭の鳥海の写真(S13年時)にもブルワークはありません。ソロモン時にはどちらだったのか?引き続き写真を調べると、次のようなものが出てきました。

これを見るとブルワークはないので、動画撮影時はあったがその後撤去されたと考えられます。これらを踏まえてスクラッチしました。

二段になった各層が非常に複雑な形状をしており、しかも左右で形状が異なるので、調整と作り直しを繰り返したため右舷側を作るだけでまる3日、左舷側でもまる1日かかりましたorz
さらにこれらを取り付けると羅針艦橋の前面ブルワークの高さが0.5mmほど足りないと判明したので、その作り直しも併せて施工。なんだか今回の工作はこうした手戻りが頻発しています…。

前回ブログでは艦橋両側に13mm連装機銃が増備されたと推定しました。同機銃はナノドレッドからパーツが出ていますが、実はパッケージのイラストどおりにパーツが作られていないと判明!同じ13mmでも三連装だと本体両側に射手の座席がありますが、連装は本体後部にひとつだけです。しかしパーツは三連装と同様のフォルムとされています。

小さなものなのでこのまま使う手もありますが、どうにも納得がいかなかったのでスクラッチしました(笑)

めーちゃくちゃ小さいユニットなので銃身は0.1mm金属線を使いましたがすぐに曲がってしまうので、工作は慎重を極めました。しかし、これを機銃台に載せてみると…

機銃上方が狭すぎて、仰角をかけての射撃ができません!
測距儀等スポンソンはこの位置で間違いないので、機銃台取付位置の不良と考えられます。よって再度調べ直し。鳥海以外の高雄型は先ほどの位置に13mm連装機銃を設置していますが、そのタイミングは艦橋上半分を縮小した時です。つまり機銃上方がかなりクリアになっているので、仰角をかけた射撃に問題はありません。しかし鳥海はその工事を行っていないので、今回の問題となったわけです。
単純に考えれば機銃台の位置を下げればよいことになりますね。ということで調べ直すとこんな写真が出てきました。

確かに少し低めの位置に設置されているようです。
ネイビーヤードVol.51の内山氏作成鳥海(捷一号作戦時)でも同じ位置に取り付けられています。では機銃台の平面形状も同氏作成の図面から割り出せるのではと考え、その通りに作って仮置きしてみました。


んー、だいぶデカいな…。ちょっと違和感強めです。
考えてみると捷一号作戦時にここには25mm三連装機銃が設置されていました。連装と三連装では機銃のサイズや重量がかなり違い、操作人数も異なります。よって三連装銃座は広く作る必要があるわけです。そんなことを考えているうちに「ここには本当に13mm連装が設置されていたのか?」と再び疑問を持つようになりました。というのも先ほど上げたS17年の鳥海画像で確認できる銃座は13mm連装のものとしては大きすぎるのではないかと感じたからです。
すると、Xのとあるフォロワーさんからこんな情報が↓

福井静雄氏の私刊本にある資料だそうです。これは貴重!
これを見ると鳥海にはS17年末時点で25㎜連装機銃が6基装備されており、そのうち2基はS17年中に13mm連装から換装されたことになっています。ということはその2基が艦橋脇であることはほぼ間違いありません。
しかし!
同じ表の中で7.7mm単装機銃が2基あることになっています。
高雄型の同機銃は新造時に第一煙突両側スポンソンへ設置されたものですが、高雄愛宕では近代化改装の際に25㎜連装に換装されており、これは写真でも確認できます。

となると、この資料自体の信ぴょう性が…とも思ってしまいますが、鳥海に関しては近代化改装がされなかった(高角砲は12cm単装×4のまま)ため対空兵装強化の必要性は高雄愛宕より高いとされたようで、その点ではS17年5月の機銃増備は13mmではなく増備6基とも25㎜だったと考えることに無理はないように思いますし、S17年の艦橋脇機銃座のサイズが大きめであることとも整合します。
さて、ようやく機銃台の取り付けに移ることが出来ます。やれやれ。
いったん製作した内山氏図面ベースのスポンソンは戦時急増の直線基調の形状ですが、S17年でその形状とすることには違和感があります。25mm連装は煙突両側などにも設置されたので、サイズや形状はこれを参考にします。その形状は円形の前端が少し切り欠かれたもの。
そしてその下につくステーは内山氏作品では角型一本棒とされていますが、先ほどのS17年の鳥海写真をカラー化したものを拡大すると…

スポンソン両端に三角ステーが付いているように見えます。これらの考証を踏まえて、このように作ってみました。

いやー、艦橋脇機銃台だけで1か月近くも交渉を重ねることになるとは(苦笑)
次回はさらに艦橋のフロアを積み上げていきます。
Posted at 2025/12/05 20:49:32 | コメント(0) | 艦船模型 | 趣味
2025年12月05日 イイね!

ニイタカヤマノボレ1208

数日前から急激に寒くなった日本列島。
それまではとてもこの時期とは思えないほどの温かさで、キャンプに行きたくて仕方ない日々が続いていましたが、ようやく半日だけ休みが取れたので行ってきました。今回のキャンプ地到着前に立ち寄ったのは、愛知県刈谷市にある「依佐美送信所記念館」。

ここは昭和4年(1929年)に稼働を始めた世界最大級の長波送信施設です。
建設前の海外との通信施設は3本の海底ケーブルしかなく、激動の国際情勢情報を逐一入手するには貧弱なものでした。これに危機感を抱いた政府は日米間に新たなケーブルを設置しようとアメリカと調整しましたが、嫌がらせを受けて頓挫。これを受けて自前の長波通信施設建設の動きが出始めましたが、大正12年(1923年)の関東大震災により国家事業として行う余裕がなくなりました。
そこで立ち上がったのが我らが一万円札・渋沢栄一!
渋沢は長波通信施設建設のため大正14年(1925年)に「日本無線電信株式会社」を立ち上げ、その設立委員長を務めていたのです。

渋沢らの尽力により、その4年後に施設が完成し稼働。
当時は広大な用地に高さ250mの鉄塔8基が立ち並んでいたそうです。
壮観。

これからは1万円札を少し違った感覚で眺められる気がします(笑)
当初は民生用として運用されていた送信所ですが、長波はかなり遠方でも海底15mくらいまで届くことが判明したことから海軍に接収され、主に潜水艦との通信用に使われました。このため有名な太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ1208」はこの施設から発信されたとのこと。
ん?待てよ。
似たような話を以前に見たことがあるような…。
そうそう、佐世保にある「針尾送信所」も同じく「ニイタカヤマ…」の発信元と説明されていました。(当時のブログはこちら→

どゆこと?
と一瞬思いましたが、海上の艦船や基地宛てには    から発信し、遠方の海中に潜んでいる潜水艦には依佐美送信所から送ったということでしょう。我が家からさほど遠くない場所にこんな貴重な施設があったとは少々驚きました。立派な記念館の中には当時使われていた発電機や操作ユニットなどが所狭しと並んでおり、一見の価値があると感じました。




さてその後はキャンプ地へ移動。今回は小さな公園駐車場での車中泊を敢行します。幸い園内は誰もおらず、周囲に民家も全くないという理想的な環境で、しかもこの日は寒波襲来直前の温かく無風な日だったので、比較的軽装でも気持ちよく過ごせました。夕飯では家庭菜園で採れた小さな大根2本を一人鍋用出汁で煮込んでみました。

大根の葉は細かく刻んで軽く茹でるとエグ味が抜けて美味しく食べられます♪
この日は満月少し前でもあり、少し雲も出ていたので満天の星空こそ見られませんでしたが、煌々と輝く月が雲間から見えるというのもまた風情があっていいなと思いました。
てな感じで、僅か半日のキャンプ旅を満喫して気分よく翌日を迎えることが出来ましたとさ♪
Posted at 2025/12/05 20:13:41 | コメント(2) | ダークツーリズム | 旅行/地域
2025年11月29日 イイね!

重巡鳥海の製作(艦橋の工作その4・船体塗装)

重巡鳥海の製作(艦橋の工作その4・船体塗装)前回製作記で、上部艦橋前端両側に見張方向盤を取り付けましたが、ふと「第一次ソロモン海戦時はここに機銃が増設されていたのでは」と思い立ち、調べ直しました。
まず確認したのは戦闘詳報。ここには「25mm機銃」の表記がいくつかありますが、設置場所の分かるような記載はありませんが、機銃発射音が艦橋まで届いたようなので、その付近に25mm機銃が設置されていたのだろうと推定できます。

消費弾数が500というのはかなり少ない印象ですね。
次に「各艦機銃、電探、哨信儀等現状調査表」。これはマリアナ沖海戦後の既設機銃と増設機銃の位置が確認できます。

これを見ると既設25mmが6基ありますが、艦橋壁面は13mmのようです。しかしこの書籍のあとがきにもあるように、この表示は必ずしも正確とは限らないので他の資料で確認する必要があります。
次に調べたのは「Conbined Freet」という海外HP。旧海軍艦艇についてかなり詳細に調べた結果がまとめられており、鳥海の項には以下のような表記がありました。

こちらも25mmとなっており、13mmの表記は見当たりませんが、増設数が異なりますね。
次に確認したのは丸スペシャル121号「重巡高雄型」綴じ込みの「高雄型改装年表」。こちらの鳥海の項にはS17年5月に「機銃増備」との表記がありますが、どこに何基なのか分かりません。

スーパーイラストレーション高雄の巻末にある年表を見ると、高雄はS14年8月(横須賀工廠)に13㎜連装を、第一第二煙突両側に25mm連装計4基をそれぞれ増備したとあります。またS19年1月には艦橋両側を25mm連装へ換装し、後部指揮所両側に25mm3連装を増備したようです。
うーん、少し見えてきたかな…。
S18年12月撮影の摩耶損傷時の写真も確認したところ、第一第二煙突両側に25mm連装計4基に加え、後部指揮所両側に25mm(連装か)の設置が確認出来ました。
さて、これらを基に第一次ソロモン時の鳥海を推定します。
高雄型は対空兵装が貧弱との指摘があったため、S14年頃から高雄の例と同様の増備が同型艦にもされたものと考えられます。ここで問題となるのは後部指揮所両側の増備有無ですが、高雄がS19年であることから摩耶の増備もその少し前だろうと思われること、その位置に増設しようとすると高射装置の移設もセットで行う必要がありますが、それにしては全体工期が短いことの2点から、少なくとも第一次ソロモンの鳥海には未設置だったと考えるのが自然と思われます。
よって、上部艦橋両側は13mm連装が設置されていたことになります。
戦闘詳報にある消費弾数が少ないのは、25mm機銃の有効射程が2,500mであるのに対し、ツラギでの目標距離は最も近い第三艦でも3,000mで、その他は4,000~6,000mだったので、あまり撃たなかったのだろうと思われます。13mm機銃に至っては第三艦ですら届かないので全く発射されず、消費弾数に上がらなかったのでしょう。
ちなみにフジミの鳥海は25mm連装6基となっています。


さて、これらの考証を踏まえ、艦橋に機銃座を設けます。その参考にしたのが、近代化改装後の高雄艦橋の写真。



増備された13mm機銃は25mmより小さいので、ブルワークも小さめです。
もともとこの場所には見張方向盤が設置されていた関係で、そのフロアへ行き来するための階段などが設置されており、そのための凹みが壁面にありましたが、この写真で見るとそこへ蓋をかぶせて面一にしてあります。このほか、作業灯が移設されていたり、見張方向盤が機銃後ろに移設されているなどの状況が確認できます。
これらは愛宕でも同様です。

これらを鳥海へどう反映させるか検討します。
機銃台は高雄同様の位置とサイズで再現すればよいと考えますが、見張方向盤撤去跡のメクラ蓋は再現しません。高雄はその上方の艦橋構造物の大幅縮小を行っている関係で壁面の取り合いを調整するためメクラ蓋をしたと思いますが、鳥海は最後まで艦橋を縮小しなかったので、撤去跡に蓋をする必要がないと思われるからです。
また機銃後ろへの見張方向盤移設ですが、鳥海の同じ位置に移設するとその直前にある測距儀の回転半径に干渉するので、移設せず撤去のみと推定しました。
高雄での作業灯移設は上部艦橋付近を縮小工事した関係で行われたものと思われます。鳥海の場合、その工事を行っていないので、作業灯も移設していないと考えました。
ということでまずは機銃台を設置。


ここで気分を変えて、船体の塗装に移ります。
まず煙突頂部の塗装のため鳥海写真で黒帯の幅(2mm)を確認しました。

問題はその下の白帯(幅1mm)です。というのも、この時期以後の海軍艦艇は白帯を消していたという情報を耳にしたから。なんでも、夜戦で目立たなくするためだそうで、その際の個艦識別や指揮通信は信号灯、音声信号などによっていたと。
本当か?と思って、調べてみました。
まずは平成12年5月MA誌増刊「軍艦の塗装」を見返しましたが、これに相当する説明は見当たりません。次に実艦写真を確認。


全て昭和17年の重巡及び軽巡の写真ですが、いずれも白帯はありません。
残念ながら第一次ソロモン前後の鳥海の写真はありませんが、この状況なら「白帯なし」としてもよいだろうと判断し、黒帯のみ塗装しました。
そして喫水線の赤を筆塗りし、リノリウムのレッドブラウンを吹き、その場所をちまちまとマスキング…

この作業だけで3日かかりましたorz
そして舞鶴グレーをプシュー!

Xのフォロワー・アルセノさんによると、旧海軍艦船はどのフネも舞鶴色のレシピで塗られていたのではないかとの研究があることと、夜戦シーンの暗めの海面で映えるようフネを明るめとすることの2点を考慮しました。
ここでマスキングを剥がしたいところですが、もう少し我慢…。

艦橋の工作に戻ります。
前面には空中線引込み口があり、新造時はパラベーンも2基設置されていましたが、第一次ソロモン時にもパラベーンがあったかを検証します。こちらの写真は昭和17年にセレター軍港で撮られた鳥海です。僅かにパラベーン用デリックの端が見えますね。

また↓は昭和16年の鳥海の空撮。

不鮮明ではありますが、パラベーンらしきものがあります。
大改装後の高雄ではこのように装着されていました。

ということで、これらを参考に空中線引込み口、パラベーンなどを設置。

パラベーン用デリックはもう少しシャープに作り直す予定です…。

いよいよ羅針艦橋の工作です。
羅針艦橋甲板の両側には高射装置(直径4mm)の切り欠きがあるのでスクリューポンチで打ち抜きます。

その後、図面を参考にしながら慎重にサイズを計測し、構造物を立てました。

両側に設置する1.5m測距儀はヤマシタホビーの20.3cm連装砲(E型)にセットされているものを活用し、観測窓をプラペーパーで追加しました。

そしてこの段階でトラブル発生!
なんと、羅針艦橋甲板の位置が0.8mmほど高すぎると判明したのですorz
主な原因は羅針艦橋甲板が厚すぎること。この結果、双眼鏡や射撃式装置などを立てた時に高さに違和感が出るという艦橋製作あるあるですね。
しかし0.3mm厚で作っているので、0.2mmまでしか削れません。やむなく上部艦橋天井面を0.4mmほど削ります。この状況で水平に削るのは至難の業…。どうにか頑張って誤差の範囲まででまとめることが出来ました。ほっ。

羅針艦橋には海図台や保管庫などを設置しましたが、屋根をかぶせるとほぼ見えなくなります。でもこういう製作をしている瞬間って、なぜかめちゃくちゃ楽しいんですよね♪
この先さらにフロアが積み重なる過程はその作業の連続。至福の時間が続きます(笑)
Posted at 2025/11/29 12:01:27 | コメント(0) | 艦船模型 | 趣味

プロフィール

「重巡鳥海の製作(艦橋の工作その6) http://cvw.jp/b/488285/48828028/
何シテル?   12/20 17:48
模型工作とキャンプが大好きなヘタレをやぢです。 私がフォローする方には2種類あります。 一つは「以前からのみん友さん」 もう一つは「ちょっと興味を持っ...
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