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ザクとは違うのブログ一覧

2025年08月23日 イイね!

イフリートさよならキャンプ

少し前の交通事故の処理も漸く終了。
一方、次のクルマについて連絡があり、「9月19日から作り始める」とのこと。
はぁ?
契約前日の説明では7月末頃と言われ、その翌日に契約したら早くて8月末と変更され、そしてこの連絡。
こりゃ9月中には来ませんな。

てことで、イフリートカスタムでのドライブ期間はもう少し続きます。
とはいえ廃車確定のクルマにあまり頻繁に乗りたい訳でもないので、キャンプはあと1~2回、思い出作り程度にしようと思います。
そして行先に選んだのは、岐阜県郡上市の和良川公園オートキャンプ場。
ここは子供が小さい頃からずっと毎年利用した場所でもあり、思い出深い場所です。
午後から仕事を休んで出発。
途中で夕飯の買い物をして、現地に入ったのは15時過ぎ。山奥の川沿いなので、平地よりだいぶ涼しいです。





そして設営。
今回はここがキモです。
実はこのキャンプ場を選定した最大の理由は、かつて作ったジオラマの舞台で、そこにはイフリートカスタムが出演しているからです。
このとおり↓


若干の違いはありますが、ジオラマが現場を割とリアルに再現できているということが改めて確認でき、嬉しくなりました。

涼やかな風の中、周辺を散歩したり、酒を飲みながら本を読んだり動画を見たり。
この日は週の真ん中でしたが、なぜか数家族の利用があり、子供たちの歓声が終始聞こえている環境でした。

夕飯はこちら↓

郡上名物・ケイちゃんです。一緒に炒めたピーマンは自宅で採れました。

お腹がふくれた後は星空観測。
ジオラマでは三脚を立てて一眼レフを準備していますが、酔っ払いにはもうそんな根性はありません(爆)
この日は雲ひとつない快晴だったので、夏の大三角や北斗七星などがしっかり確認できました。
惜しむらくは私の視力低下。
大三角の中心を貫く天の川は、そこにあると思って見れば見えるかな…というくらいうっすらとした線が確認できる程度。昔のような蛇行する雄大な姿は確認できません。
少し寂しい…

ま、これも年齢から来る必然。
そういうことも受け入れながら時を過ごしていくことになるのでしょうね。
そんないろんなことを考える機会ともなったイフリートとのキャンプでした。
Posted at 2025/08/23 19:46:39 | コメント(0) | キャンプ&温泉 | 旅行/地域
2025年08月15日 イイね!

戦後80年に寄せて

今日は8月15日。言わずと知れた「終戦記念日」です。
「敗戦」でなく「終戦」という言葉を使うことに違和感はありますが、ここではそれを論じません。

今年は戦後80年。
10年スパンで考えると戦争経験者から生の声を聴けるほぼ最後のチャンスでしょう。
しかし日本社会ではあの戦争の正式名称すらはっきりせず、若い世代に至っては何が起こったのか全く知らないという人も増えつつあるようです。
半藤一利氏、猪瀬直樹氏、司馬遼太郎氏など多くの作家は「あの戦争終結は日本が経験した最大のパラダイムシフトだった」との考え方などに基づき、深く考察されています。私も彼らの著作をいくつか読み、その思いを強くしています。
そのような大きなポイントである戦争(ここでは仮に「太平洋戦争」と呼称します)に、当時の日本はなぜ突っ込んでいったのかについて考察してみたいと思います。

ちなみに史実では日清・日露戦争の勝利した勢いで日中戦争へ突入。しかし国民感情を帝国主義へ煽ったはいいが国力がついていかず泥沼化、1937年以降、中国戦線は拡大の一方で、膨大な戦費が必要になりました(ちなみに日中戦争開戦前の陸軍は天皇に対し「半年で終わらせる」という説明でした)。
日本の動きに警戒感を強めた米英は経済制裁で圧力をかけ、日本は石油・鉄鋼など戦争継続に不可欠な資源を失う危機に直面します。
そして資源確保には南方進出しかないと判断され、「たぶん米英は気にしないだろう」と思っていた南部仏印(フランス領インドシナ)侵攻をきっかけにしてアメリカの対日石油禁輸が発動。こうなると「早期に開戦しないと戦争遂行能力がどんどん落ちていく」という切迫感が生まれ、太平洋戦争に突っ込んでいきました。

太平洋戦争での「敵国」はアメリカ・イギリス・中国などのいずれも大国で、特にアメリカは圧倒的な軍事力とそれを支える生産力や技術力があり、当時の天皇及びその側近、首相だった東条英機を始め、国の指導者たちの多くは彼ら全てを相手にしても絶対勝てないことが分かっていました。
それなのになぜ戦争を始めてしまったのか。

巷間よく言われるのは「陸軍悪者論」です。
明治憲法下では、陸海軍は首相や議会の指揮を受けず、天皇直率の「独立権限」を持っていました。これにより、軍部は内閣に従わなくても政策を推進でき、内閣総辞職や方針転換を強制する力を持っていました。
また2・26事件に象徴されるように陸軍の青年将校層(特に中堅以下)は反政党・反財閥・反英米的な国粋主義思想を強く抱き、軍部内で発言力を得ていき、その勢いは政府や軍高官のみならず、天皇ですら止められませんでした。
この組み合わせにより政治と軍部の関係性が軍優位となり、軍部が事実上拒否権を握る構造になっていたので、負けると分かっている戦争に突っ込んでいったという考え方です。
ちなみに「海軍は被害者」という考え方は誤りです。太平洋戦争は海での戦いが中心となるため陸軍が主導できず、そのため海軍に対して「勝てるか」と尋ねていますが、海軍は「1年や2年なら暴れて見せる」と回答しています。つまり「負けるから戦うべきでない」と言っていないのです。これは負けると言ってしまうと軍備予算を陸軍にごっそり持っていかれるからという政治的な側面もありますが、「海軍は弱腰だ」との批判を避けたいという組織防衛的思想が先行したのが実情でしょう。従って陸軍だけが悪者ではなく、当時の指導者全体が適切な判断能力を欠いていたと言えます。

ふたつ目の要素として「国民の世論」があります。
日露戦争に勝って以降、日本人全体のプライドが高くなり列強の仲間入りをしたのだと勘違いしてしまいました。実際には明治維新以降の近代化はまだ不十分で、産業革命から100年以上の蓄積と進化を続けてきた欧米のレベルには遠く到達していませんでした。例えば太平洋戦争開戦時(1941年)には欧米では各家庭に冷蔵庫や洗濯機があるのが普通で、道路も舗装されていましたが、日本では一般家庭に電化製品はほぼ無く、舗装道路は都市部の主要道路に限られていました。
そうした環境にありながらそのプライドを好戦的プロパガンダで更に煽ったのが軍部です。
1930年代には新聞・ラジオが戦意高揚に寄与し、反戦的な論調はほぼ封殺されました。民間も「引き下がれば国辱」という感覚に染まっていき、世論の多数派は対米強硬策を支持する方向に傾きました。
こうして必敗確定と分かっていながら、自ら煽った世論に抗しきれずに戦争に突入してしまったという考え方です。
余談ですが、最近はファクトチェックが話題に上りますが当時はそうした意識も無く、正確でない情報で世論操作されていく時代でした。これは現代にも通じる大切なポイントだと思います。

3つ目の要素は「植民地政策の潮流」です。
当時の列強諸国は南半球などに植民地を持っており、そこからさまざまなものを収奪することにより国を豊かにしていた時代でした。しかし日本は第一次世界大戦にほとんど関わらなかったこともあって、持っていた植民地は朝鮮、台湾、南洋諸島に限られ、石油やボーキサイトなどの戦略物資が安定的に輸入できる状況にありませんでした。この状況に至るまでには鎖国明けが遅かったため、世界の潮流に乗り遅れたという要素もあるでしょう。
第一次世界大戦で敗けたドイツはその挽回を目指してポーランド侵攻を始めとして周辺諸国を蹂躙。こうした動きに日本も乗り遅れるなという意識が国の指導者たちにあったのだろうという考え方です。

もう一つの要素として「日本人の精神論偏重主義」もあります。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」などと言われるように、日本は昔から精神論に重きを置いてきた歴史を持ちます。鎖国によって文明の発達が遅れ、自然との共存生活が文化となっていたという経緯も無視できないでしょう。
こうした歴史の中で明治維新後の文明開化で物質による豊かさが実感されるようになりましたが、いかんせん原材料が産出されない国だったため、それを精神論で補おうとし、その考え方は軍隊にも適用されています。日清日露戦争の勝利の過程で「歩兵による突撃を繰り替えせば勝利を得られる」「1回の大海戦で圧倒的勝利を得られれば、それで戦争は終わる」という成功体験をしてしまったことが、その思想を強化した側面はあるのだろうと思います。明治の成功を昭和にまでひきずって第一次世界大戦での総力戦の意味を理解しようとしなかったのは悲劇としか言いようがありません。
とはいえ、総力戦が続けられるほどの国力を持っていないがために、精神論に頼らざるを得なかった側面も否定できませんが。

こうした考察を進めていくと、太平洋戦争は半ばなし崩し的に始めざるを得なくなってしまったものであり、開戦は不可避だったのではないかと思えます。
その部分について、もう少し深堀りしましょう。
本来、開戦という重大な決断をするには、何らかの見込み(勝算)が必要です。
特に対アメリカという点では、一部の軍幹部(山本五十六、井上成美など)は駐米経験があり、日本との国力の違いを肌で感じており、「長期戦になれば負ける」と理解も出来ていました。
しかしそうした経験のない幹部は
 「奇襲成功すれば米国は講和に応じる(これによって真珠湾攻撃を立案)」
 「アメリカ軍は遊興に溺れているので弱い(根拠のない推論)」
 「欧州戦線で米国は手一杯になる(ドイツの勢い継続が前提)」
などの楽観的想定で短期決戦論に傾きました。こう考えた背景には、日本の継戦能力の低さがあったのも事実でしょう。また経済封鎖で戦力低下が不可避なら、戦えるうちに開戦して条件を有利にする、という発想もありました。
南部仏印侵攻の時、米からは「中国戦線から全面撤退すれば石油を再輸出してもよい」と言われていますが、これまでの対外政策を全否定する譲歩は、軍部・政府ともに政治的自殺行為とみなされました。「戦わずして退く=国辱」という集団心理が意思決定を硬直化させています。内部で異論を唱える者は「弱腰」とされて排除され、その結果、必敗の戦争も「全員一致の幻想」で承認されました。
このように太平洋戦争開戦直前の時期では既に選択肢が「開戦」しかない状況に追い込まれていたと言え、その当時の指導者たちの判断能力の優劣のみを論拠として「戦争は避けられた」と考えるのは早計に思われます。
これは日本だけに限らず、世界各国特に列強でも「外交で課題解決」という選択よりも軍事力行使による国家経営の安定化は一般的な認識でした。事実、米国はフィリピン、英国はマレー・ビルマ、蘭は東インドを押さえていますし、ドイツやイタリアも、資源・植民地不足の焦燥感から拡張政策を強行し、結局英米と衝突しました。その意味でも太平洋戦争開戦は必然的な流れであったとも言えると思います。「時代の国際構造に組み込まれた罠にはまった」と言えるかもしれません。

では、いつ決断していれば太平洋戦争は回避できたのでしょうか。
いくつかの仮想を検証していきます。

仮想ルート①「日中戦争を早期に終結させる」
想定:1938~39年あたりで停戦し、満州以外から撤退。米国の経済制裁を回避する。
なぜ無理か:
満州事変以降の軍部・国民世論は中国市場・資源を死守すべきと考えており、撤退は「国辱」。
膨大な戦死者・戦費を費やした直後の撤退は政治的自殺行為。軍内でも容認されず、政府は機能不全。
仮に撤退しても、長期的には資源不足が再発し、再び拡張衝動が起こる可能性が高い。

仮想ルート②「南方進出を諦め、米英との衝突を避ける」
想定:蘭印・マレー・フィリピンの資源地帯に手を出さず、平和貿易で資源輸入を継続。
なぜ無理か:
米国の石油禁輸は日中戦争の継続そのものをターゲットにしていたため、中国から撤退しない限り制裁は解除されない。
制裁下では半年~1年で軍備も経済も立ち行かなくなるため、「戦わずして詰み」という状況。
軍部は「戦えるうちに戦う」方がまだマシという判断に傾く。

仮想ルート③「満州も中国本土も取らず、列強の経済圏に組み込まれる」
想定:英国型の半従属国として、米英の保護下に入る。安全は保障されるが自主性は制限される。
なぜ無理か:
日露戦争以来の「列強並み」という国家アイデンティティを捨てる必要があり、政治・国民感情的に不可能。
軍部・政界・財界すべてが「自主独立」を至上命題としていた。
英米の庇護下に入れば、軍備削減・関税制限などで国内勢力の利権が失われ、強烈な反発が起きる。

仮想ルート④「徹底した内需型経済・小国路線への転換」
想定:スイスや北欧諸国のように軍備を最小限に抑え、外交中立で生き延びる。
なぜ無理か:
資源ゼロの日本が外部貿易を断たれれば即死状態。スイスや北欧は周囲との交易で資源を得られたが、日本は海上輸送依存。
世界大恐慌以降はブロック経済化が進み、中立国であっても資源確保は困難。
軍部・国民とも「縮小均衡で満足する」発想がほぼ存在せず、世論支持も得られない。

仮想ルート⑤「ソ連と同盟し、米英との衝突を避ける」
想定:日ソ中立条約をより早く、より強固にし、中国・南方を諦めて北方協調することでソ連の石油を得る。地政学的にも優位。
なぜ無理か:
満州・北支の利権を巡って日ソは根本的に利益が対立。
ソ連は対独戦に備え、東アジアでの影響力を弱める気がなく、完全同盟は非現実的。
国内的にも「反共産主義」が国家理念レベルで刷り込まれており、国民・軍部の受け入れは困難。

こうして見ると、開戦を避けるシナリオは理論上存在しても、国内政治・世論・軍事構造・国際環境のいずれかで必ず破綻します。つまり「当時の構造に置かれた国なら日本でなくとも同じ道を辿る」ということとなります。
回避可能な分岐点があるとすれば1931〜37年初期まででしょう。満州事変や日中戦争初期で撤退すれば、外交的孤立や経済制裁は軽減可能です。しかし国民感情・軍部構造がすでに硬直化しており、現実には不可能に近いですね。
以後は中国戦線拡大 → 資源消耗 → 南進不可避 → 米英と衝突、という一方向の袋小路化。1939年の通商条約破棄時点で対米対立は不可逆的に確定します。1940年以降は制裁下で資源枯渇が迫り、外交交渉は相手の最大要求(中国全面撤退)を受け入れない限り成立しない構造で、開戦か屈服かの二択に追い込まれ、時間との戦いです。

なんと救いのない展開でしょう…
このように見てくると、あとは「始めてしまった戦争をいかに終わらせるか」に焦点を移さざるを得ない気がします…。


長い文面をここまで読んでくださり、ありがとうございます。
そのような高い意識を持った皆様方には、太平洋戦争は「過去の出来事」ではなく、「今後の日本に示唆を与える貴重な史実」と捉えて頂きたいと考えています。
いつの世にも戦争は尽きません。しかしなぜそうなったのか、そこで何が起きるのか、そしてどう終わらせるのかといった一連の流れを意識していくことは、人の命を守っていくために大切なことなのだと思います。

繰り返しますが、今日は戦後80年の日。
この機会に少しだけ考えてみてはいかがでしょうか。


本ブログについて様々なコメントが寄せらせると想定しています。
コメントは自由に入れていただいて構いませんが議論する気はありませんので、悪しからずご了承ください<(_ _)>
Posted at 2025/08/15 20:44:05 | コメント(0) | ダークツーリズム | その他
2025年08月04日 イイね!

パワハラ十字砲火

10日ほど前から上司3人から寄ってたかってのパワハラを受けるようになりました。
最初はそのうち1人からの暴言や人格侵害などでしたが、それを直属上司に報告したところ、面白がって一緒に私を潰しにかかるという、有り得ない行動に出られました。
彼らはいずれも私の人事評価をする立場。つまり迂闊な行動は左遷に直結します。
本来はそうした報復は出来ない仕組みが作られるべきですが、ガバガバガバナンスなので、部下への報復はやりたい放題になっています。
世間の会社では個人に対する評価は上司からと部下からの両方からというところが多いですが、私の会社は上からの評価こそが究極の正義で、部下はその奴隷であれという仕組みを採用しています。
なので今回の件をパワハラ相談窓口に申し入れるか迷いましたが、残り僅か3年間の左遷と、このまま心と体を滅茶苦茶にされて一生の傷となって残ることを比較すると後者の方が重いと考え、相談することにしました。
窓口の人は真摯に話を聞いて下さり「彼らの発言行動は全てアウトです」「近々本人たちにヒアリング後、アウトと伝えます」と言ってくださいました。
その結果どうなるかはまだこれからですが、この決断が正解であることを祈っています。

さてそんな鬱々とした気分のまま毎日を過ごすと本当に病気になってしまうので、ここは上手に気分転換をする必要があります。
模型工作は部屋にこもって黙々とやる作業なので心が晴れるというのとは少し違うと感じるので、ここはやはり大きく異なる異なる環境に心と体を持っていくべきと考え、キャンプに行くことにしました。

行先は自宅から下道で1.5hの近場。
それでも平地より9℃低い30℃。
多少は暑いので早速缶チューハイを開けます(笑)
こんな時は特に何もしないのが一番。椅子にどっかり座ってゆったり景色を眺めます。


半分以上にまで太ってきた月も見えます。
テレビで誰かが言ってましたが、巨大なものを見ると小さなことが気にならなくなる等の効果があるそうです。大きな山や広い空を眺めるキャンプは心に効くのかもですね。

夕方には長袖を着てもいいくらいの気候になり、ぼちぼち夕飯の支度。

LAWSONでもらったスモーク風味サラチキのシソ梅肉和え、茹でピーマン、枝豆の3品。
シソ、ピーマン、枝豆は家庭菜園で採れたものなので、材料費がほとんどかかってません(笑)

少し離れた場所では数家族が日帰りキャンプ中。
小さな子供が6~7人くらい走り回って遊んでいて、私のテントのすぐ近くを平気で歩いてたりします。微笑ましいですね♪

日が暮れると花火大会が始まりました。

あぁ、こっちも「一人線香花火」やればよかったなー(笑)

21時になるとその家族たちは帰っていき、その頃には満天の星空が。


夏の大三角、久しぶりに見た気がします。
今シーズン初めてかな。
見ていていつも思うのは、織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)の真ん中をはくちょうが邪魔するように横切っていくんですよね。
しかも彦星は織姫と反対方向へ飛び去る図。
実は仲悪いのかなー(笑)

8月の夜空と言えば中旬のペルセウス座流星群が有名。ぼちぼち流れつつあるとの情報も聞いていたので眺めてみましたが、残念ながら観測できませんでした。
今年の極大日は月夜なので、よっぽど場所を選ばないと見られないかもですね。
さて、こんなキャンプを満喫できたので、少し整った気がします。
とはいえ、次の出勤は気が重いですが…
Posted at 2025/08/04 11:27:06 | コメント(1) | キャンプ&温泉 | 趣味
2025年07月26日 イイね!

視力問題 さらにその後

先日のブログでは、円錐角膜への対応として角膜移植を検討しているというところまで書きました。
知り合いのつても辿りながら色々と調べたところ、名古屋市内屈指の大きな眼科では移植手術の実績が多くあると分かり、そこに行くことにしました。
早朝に受付を済ませ、順番を待ちます。まずは予診で経過などを尋ねられ、その後いくつかの検査をし、いよいよ診察。
角膜関係の大家でもある副院長大先生様のご診察です。
副院長:状態を診ましたが、あなたの場合は軽度なので移植まではやりません。
ザク違:(がーん!)そうですか…
副院長:年齢的にはこれ以上進行しないと思うので、今後はハードコンタクトレンズを勧めます。それでもいいですか?
ザク違:昔使っていましたが、角膜と当たって痛かったので辞めました…
副院長:ならばソフトの上からハードを付けるとそうしたことがなくなりますよ?
ザク違:先生がそう仰るなら…


先生は穏やかな口調で話されますが、すごいオーラを感じる方でした。
そしてコンタクトのフィッティングに移りました。二枚重ねで矯正をかけると0.9と1.2まで出るとのことですが、ハード使用当時はかなり頻繁に目にゴミが入ったので、そのたびに大粒の涙を流して大変な思いをし、しかも運転中(エアコンなしで窓を締め切った状態)にも頻発したので、かなり危険です。そこまでのリスクを冒してコンタクトを装着しようとは思えず、看護師さんにその旨を伝えました。
そして二度目の診察。
今度は別の若い先生。この先生も穏やかな口調で話されます。
先生:コンタクトは難しいですか?
ザク違:はい。極力避けたいです。今のメガネは見づらくなってきたので、処方していただくことは可能でしょうか?
先生:確かに見づらいでしょうね。分かりました。


ということで処方箋を作ってもらえるのかと思いきや、別日で予約を取るようにと。
んー、そんなに時間は取れません。なんとか今日お願いできないかと打診したところ、看護師さんから次のような説明がありました。
①角膜移植しても乱視は残る確率が高い
②眼鏡の度を上げても劇的によく見えるようにはならない
③また視野の歪みが強くなるためおススメしない
④結局、度を下げることとなり、結果的に現在のメガネと変わらなくなる


②~④は約半年前に行った眼科でも言われており、結局すごすご帰ってきました。

帰宅後、ハモン様に今日のことを説明し、自分の考えを伝えました。
・コンタクトなら1.0レベルの視力を出す能力は残っている
・日常的にはメガネで過ごし、免許更新時のみコンタクトを付ける
・艦船模型製作が最大の負担原因なので、今後は精密工作をやめてジオラマ中心にする

ザク違:今日の病院は先生も看護師さんも全員すごい丁寧な対応だったよ!
ハモン様:へー、よかったね。でもコンタクトはめんどくさいよね。
ザク違:だよねー。毎日の手入れもやりたくない。老眼対策にも困るし。
ハモン様:知り合いはコンタクトの上から老眼鏡かけるよ。
ザク違:それはそれでめんどくさいね…
ハモン様:遠近とか中近とかが一番楽だよねー。


首から上の病気は不可逆性のものが多いと言いますが、視力もその典型例の一つ。
とはいえお笑い芸人のチャンカワイがアフリカで毎日遠くを見続けたところ、視力が上がったという報告もあるので、適切にケアしていけば良くならないまでも維持は出来るかもしれません。
結局、日々の心がけ次第ですかねー。
Posted at 2025/07/26 20:58:20 | コメント(3) | 健康ネタ | 暮らし/家族
2025年07月13日 イイね!

視力問題 その後

ここ最近はいくつかの事情が重なってゆっくりとプライベートの時間を楽しむ余裕がほぼほぼ無く、去年は半年経過時に20回行っていたキャンプもまだ11回。
そんな状況の中、さらに追い込まれるような言葉を受けたこともありますが、それは自分ひとりが我慢すればよいことだと考えるようにしています。

しかし悪いことは続くもの…。

視力低下に困った結果、眼鏡を2本体制に変えたのが昨年11月。
視力検査、かーらーのー
しかしその後も視力は思うように出ず、最近では遠近ともに見づらくなってきたと感じるようになってきたので、模型工作を控えるようにしました。

実は私の左目はちょっと特殊で、「円錐角膜」という症状です。
その名の通り角膜が円錐状にとがったような形状となるもので、ピントが合わずモノがいくつにもダブって見えてしまうという状態。初期状態ではハードコンタクトによる矯正が推奨されますが、やはり角膜がコンタクトに当たって痛いのでだいぶ前に辞めました。
そうなると眼鏡による不十分な矯正で過ごすこととなりますが、角膜の曲率が大きすぎてレンズによる矯正は全く不可能。結果、左右の視力差が大きくなり、正常な角膜を持つ右のみで実質的な視力を得るという状態が約40年続いてきました。
皆さんご承知のように私の艦船模型工作は尋常でなく細かい作業なので眼への負荷も相当なもの。加齢による身体能力の全体的な低下という性質も含めて、私の右目はついに限界に達してしまったのだろうと感じました。
そんな話をハモン様としていると…
ハモン様「手術とか、根本的な解決方法って無いの?」
ザク違「あるよ。究極の治療は角膜移植だね。」

移植により改善されることは昔から知っていましたが、大きな手術でもあり、また角膜提供数が少ないゆえになかなか順番が回ってこないとも聞いていたので、選択肢として除外してきました。しかし、このまま放置すれば近い将来車の運転すら出来なくなることが想定されるとなると緊急性も感じます。
そう思って調べてみました。
まずは治療法は角膜移植だけなのか。
もう一つの方法として「角膜リング挿入」というものがあるようです。シリコン製のリング状の極細パーツを角膜内部に入れるというもので、比較的最近の技術のようです。またいったん挿入しても撤去できるという可逆性もあるとのこと。これは保険のきかない自由診療。
一方の角膜移植は角膜の表層のみを入れ替える方法と、ほぼ全入れ替えの方法の二つがあるそうです。Wikiによるといずれの方法でも術後1年間くらいは視力安定までの期間が必要で、その後も定期的な診察と投薬が必要であるものの、比較的長期間、安定的に症状の改善が見込めるようです。こちらは保険診療。
どちらにするか悩みましたが、安定性と費用を考え、角膜移植に優位性を感じました。

次に調べたのは施術できる病院。
愛知県の尾張地方でそれらが出来る病院は限られています。ググって最初に出てきたのは名古屋市内の二つの大きな眼科。しかしいずれも角膜リング挿入を強く推奨するホームページの作りとなっており、院内の写真も超きれいな作り。各種サービスもかなり充実しており、全体的にお金のにおいが…。
たまたま医療関係に詳しい知り合いと飲む機会があったので試しに尋ねてみると「妻が〇〇眼科に通ってるよ。そこはおススメ」と。調べてみると名古屋市内屈指の大眼科のようで、予約を取っても数時間待ちとか。
Googleの口コミではスタッフの親切な対応や適切な治療への高い評価と、受付の態度が悪い、先生が患者の話を聞かず横柄、誤診されたなどのネガティブな意見とが混在しています。誤診は怖いな…。
さて、どうするか。

昔から全般的に感じているのは医療関係者の態度の悪さ。基本的に上から目線で偉そうな態度の人が非常に多いです。これは医師、看護師など職種に関わりません。この背景には「私たちは多くの努力と投資により高水準の教育を受けており、それを基にして人命を救うという高潔な使命を背負っているのだ」という高い誇りがあるのだと思われますし、特に大規模災害発生時にはその極めて高い使命感が十全に発揮されることにより多くの命が助かっています。
ただ思うのは、だからといって目の前の患者を見下すような態度を取ることが許されるのか、と。「医は仁術」とも言うだろう、と。どれだけすごい能力を持っていようとも「人として」という部分はあるだろう、と。
しかしこれは単なる私の感情の部分であり、どれだけ見下されようが侮辱されようが、適切な医療を提供され症状が改善されてQOLが上がるのであれば、冒頭の話同様、自分が我慢すればよいことです。
そうなると、あとは「どの病院なら適切な医療が提供されるか」。
誤診が怖いのは事実ですが、それを頻発する病院は既に淘汰されているはずです。
たまたま自宅からほど近い場所にある眼科は検査機器も充実しており、しかも大規模眼科とのつながりもあって、手術が必要な場合はそちらを紹介してくださるとのこと。
まずはそこで診てもらって今後についての相談をすることにしました。
予約は約1週間後。どんな診察がされるかドキドキです…。
Posted at 2025/07/13 11:52:34 | コメント(4) | 健康ネタ | 日記

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「イフリートさよならキャンプ http://cvw.jp/b/488285/48615875/
何シテル?   08/23 19:46
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