昔作っていた1/700の約1/3の大きさである1/2000スケール。
空母・天城では全長約114mmほど。
そこへどこまでのディテールアップができるか、今回の工作はその挑戦でもあります。
まず手がけたのは、舷側に並ぶ高角砲や機銃のスポンソン(台)及びブルワーク(台の周囲の壁)、そしてそのステーです。
いったんキットのモールドをすべて削り取り、新たに同サイズのスポンソン等を0.2mmプラバンとプラペーパーそして伸ばしランナーで作り直します。
するとこんな感じに↓
ちなみに工作前(左)と工作後(右)の比較です。

あんまりよく分からないっすね(^_^;)
このキット、小スケールの割りにはかなり忠実に作られていて、形状や位置などの変更はほとんど必要ありませんが、数少ない修正点として、煙突を支える支柱がありません。なので、これを新設しました。
新設するにあたっては、↑に掲げた図面(設計のベースになった飛龍のもの)や↓の写真も参考にしています。
さらに艦尾付近には内火艇やカッターなどの短艇を格納するための甲板が2層に分かれて設置されているので、そちらも同型艦・雲龍の図面を見ながら再現しました。
お次は飛行甲板。
まずは2基設置されている昇降機(エレベーター)をエッチングノコで切り抜きます。
さらにクルマの水抜き剤で迷彩塗装を剥がします。
食玩等に使われている塗料は、水抜き剤ではがせるという情報を、みん友の鈍行電車さんから伺ったので、初めてチャレンジしてみました。
終戦間際の日本海軍艦船は、天城に限らずグリーン基調の迷彩が施されています。キットもそのようになっており、迷彩の柄もかなり忠実に再現されていますが、今回私が作りたいのは、終戦後1年程度経過してもなお呉に沈座している姿。
先程掲げたものも含めて、こうしたカラー写真を見る限り、迷彩は確認できません。
その理由は下記のいずれかと考えられます。
①終戦から約1年を経過したことによる塗料の劣化で剥がれた
②そもそも迷彩自体が施されていなかった
③当初はキットのような迷彩が施されていたが、その上から塗り直した
①は、放置されていたとは言え、わずか①年でほぼ完全に剥がれてしまうほど、当時の塗膜が弱かったとは考えづらいです。
②はそうした迷彩が施された写真が存在することから、否定されます。
よって③だと考えられます。
実際、同型艦葛城のWikiにはこんな記述が。
当初は、艦船の迷彩がほどこされていた。すなわち、飛行甲板には緑黒系の縞状迷彩、側面には商船誤認を期待する青系のシルエットの迷彩である。しかし、三ツ子島に係留された2隻(葛城、天城)の場合、そのような迷彩は役に立たず、特別な対空擬装を行っていた。島との間に擬装網をかけ、飛行甲板には家屋や道路を設けるなど島の一部に見せかける方法である。
そう思って↓の画像を見ると、確かに飛行甲板後端あたりに建物の姿が…
ちなみにこの画像、クレジットに「7月28日」とあります。
7月の呉空襲は24日と28日の2回。天城はその2日間に計3発の直撃弾を飛行甲板に受けており、29日に横転・沈座しています。
つまり画像は横転直前の状態を示していることになり、被害状況がかなり分かりやすく写っているものです。
キット製作は、飛行甲板の工作を↑で終了し、艦橋やマストなどに移るつもりでしたが、飛行甲板の損壊状況を再現しなければならないと感じました。
うーむ、やることいっぱい。
【ここまでの感想】
学生の頃まではウォーターラインシリーズを作る日々でしたが、特に高校生以降は、作りたい艦の写真や図面集などの資料をひたすら集め続け、思索にふけり、ちっとも工作が進まないという状況が日常でした。
最近はガンプラ中心の日々。
ガンプラは「実物がない」世界なので、写真や図面などとにらめっこすることは、基本的にありません。むしろ創造力を試される世界。
ただ、この天城製作では久々に昔のような日々を送っており、それがまた楽しい♪
改めて自分はスケールモデルに育てられていたのだな~と感じています。
今回までの工作の様子は、フォトアルバムに収めました。
・
1/2000空母天城(制作編その2)
ブログ一覧 |
艦船模型 | 趣味
Posted at
2019/02/01 23:31:18