今年度8回目の泊まりキャンプです。
まずは岩村城下のまちある記。
ここは国の重要伝統的建造物群保存地区(略して「重伝建」)に指定されており、織田信長の叔母・おつやの方が城主を務めたことから「女城主の里」としても知られています。

家々は税を安くするため、間口は狭く、奥に向かって敷地が続いています。
まちなみは江戸中期以降に発達したようですが、町中を流れる天正疏水は戦国武将・河尻秀隆が防火や家庭用水として使うために作ったものだそうで、今でも清らかな水が流れています。

またほとんどの家の玄関には一輪挿しと女性の名が書かれた暖簾がかかっていました。これは30年くらい前に、時の岩村町長が観光客おもてなしのために始めたのだそう。
ちなみになぜ女性の名前かと言うと、岩村城が「女城主」の城だからだそうです。
またこんな看板も多くの建物に掛けられています。

これは岩村出身の幕末の儒学者・佐藤一斎の言葉です。一斎は弟子に佐久間象山や渡辺崋山らがおり、佐久間象山の弟子には 勝海舟や坂本龍馬、吉田松陰などがいます。
おー、一斎すげー!
まちある記中、建物を通り過ぎるたびに一斎の言葉が目に入ります。
古い建物の中で特に印象的だったのは「木村邸」。

木村氏は豪商だったようで、藩主などのお偉いさんを迎えるための様々な凝った作りがあちこちに見られました。

さらには少し前まで存命だったこの邸宅の主(お祖母様)のプライベートスペースが蔵の2階にあります。

お友達とちょくちょく海外旅行にも行かれていたとか。
なんとハイカラな…。
邸宅内はボランティアのおばちゃんが案内してくれます。こんなに素晴らしい建物が、なんと入館料無料!ありがたやありがたや…。
でも。
ボラさんは言います。
これだけの建物を維持するのはお金と手間がすごくかかります。最近では雨漏りも治せず、植木の剪定すらままならない状況。
にもかかわらず入館無料。
さらに言えば町の住民は高齢化が進み、若い人は都会へ出ていって戻りません。町内の運動会をやっても、子供の競技は子供の数が少なすぎて実施できないそうです。
せっかくの重伝建の維持が不十分になるだけでなく、まちの存続すら危惧されるという状況のようです。
そんなことを聞いてしまうとこのままここを立ち去るのは…と思い、入り口付近に設置された「志納」と書かれた箱に少しだけ入れてきました。
戦国時代には城があったがために武田と徳川に翻弄され、幕末には智者を排出し、昨年は「半分、青い」で盛り上がり、来年は大河ドラマの明智光秀で再び脚光を浴びるでしょう。
そんな岩村城下町、時間が無くて半分くらいしか回れませんでした。
カステラやかんから餅なども食べてないし。
これは再訪必須。
ぼちぼちお昼なので移動開始。
目的地は長野県下伊那郡の「下條そばの城」です。
というところまでで長くなったので続きは後編で。
岩村の町並みは以下のアルバムを御覧ください。
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岩村城下町
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Posted at
2019/10/29 22:02:16