普段なかなか行くことの無い関東方面なので、城跡も少し見てきました。
エリアは茨城県土浦のあたり。
土浦城も見ましたが、なんと言っても素晴らしかったのは小田城!
城跡近くに小さな資料館があり、車もそこに停められます。
数分歩くと高い土塁と深い堀がどどーん!

おーっ、これはなかなか♪
この時点でかなり期待度が高まります。
ぐるりと回って大手門に行くとそこには大きな馬出しも。

もちろん周囲は高い土塁が切り回してあります。
ここは発掘作業が丁寧になされた結果、かなり広大な範囲に縄張りがされており、本丸内でも屋敷がいくつも建っていたり、庭園まで作られているなど、かなり豪壮な作りだったようです。また近年の発掘では障子堀もあったようで、技巧的な作りでもありました。
ではここの城主は誰か。
その名の通り小田氏なのですが、戦国末期に北条氏に攻められて城を奪われてしまいました。
小田氏としての最後の城主は小田氏治ですが、実はこの人すごいんです。
「戦国最弱」とまで揶揄されるし、家臣にも一騎当千の言うほどの物凄い武将がいる訳でもありませんが、北条や上杉との戦いで城を奪われても取り返し、また奪われては取り戻す。資料によっては9回も繰り返したという記録もあるそうです。
通常、一度ならず二度までも城を取られては、配下の者が付いてきません。しかし氏治は何度もリベンジを果たしています。つまりかなりのカリスマだったのでしょう。それゆえ「常陸の不死鳥」という異名も持つほどです。
小田氏は鎌倉時代に守護職も務めた名家。その名声がカリスマの根源だったかもしれませんが、だとしても氏治本人の力量がなければここまで旧領を取り返し続けることは難しかったでしょう。
そう思うと、地域の方々の努力できれいに整備されているこの城が何倍にも魅力的に思えます。見学中ずっと「おー、すげー」を連発してましたw
好きな城のひとつにこの城を加えようと思います(^^)
城跡もうひとつ、江戸城です。
江戸城と言うと皇居を中心とした堀と石垣で囲まれたエリアのイメージですが、実際の縄張りは城下町を含めた広大な地域(総構え)です。現在のエリアだけでも一通り見て回ろうとすると丸一日がかりになると思われるので、今回は北の丸中心に見学しました。

当初の築城主・太田道灌の頃はまだ鉄砲が普及していない時代でしたが、徳川が江戸城を作り直した頃は鉄砲全盛期。よって堀の幅は広く石垣も高いです。
そんな石垣を登ると太平洋戦争時代の名残が見つかります。

千鳥ヶ淵陣地九八式高射機関砲台跡です。
帝都防空のため昭和19年に設置されたもので、砲が据え付けられていた部分には化粧板が張ってあり、小休憩できるようになっています。
しかしこれらがそういう謂れのあるものだという説明板などは設置されていないので、多くの人はそうと気付かないでしょうね。
ちなみに敵機に当たらなかった弾はそのまま民家に落下し死傷者も出たようです。
そこから少し東に歩くと、旧近衛師団司令部庁舎があります。

都内に残っている明治のレンガ建築物は多くなく、この建物も貴重であるとして国指定重要文化財に指定されています。
しかしここは「宮城事件」の現場となったところ。終戦間際、政府がポツダム宣言受諾の方向と知った陸軍将校の一部が近衛師団長に徹底抗戦を主張しクーデター参加を迫るものの断られ、師団長を殺害したというものです。そして偽の師団長命令を出して宮城(=皇居)を占拠し玉音放送阻止を狙いますが、軍によって鎮圧されました。
そんな悲しい歴史が隠されています。
広島城も日露戦争時に大本営が置かれた時期がありました。他にも様々な城が戦争時に軍事利用されています。
城跡自体が大切な遺産なので、こうした愚行は二度と行ってはなりませんね。
一時は東京国立近代美術館工芸館として利用されていましたが、現在は撤退され敷地内立入禁止となっています。
こうした貴重な建物は出来れば近くで見てみたいものです。
今回の城跡巡りはこんな感じ。
やはり小田城は圧巻でした。フォトアルバムの写真の数が物語っています(笑)
ブログ一覧 |
城めぐり | 趣味
Posted at
2022/10/08 20:44:55