8月に入ってなかなかキャンプに行けなかったザクとは違う。
半ばのペルセウス座流星群極大日には、とある山奥に行きました。
が…。
夕方頃から羽虫が増えだし、陽が落ちた頃からはランタン周り数m内に隙間なくびっしりと羽虫が寄ってくる状況。とても外には居られず車内に退避しましたが、車内の光に引かれて窓ガラスに羽虫がびっしりと…。
さすがに流星観測どころではないので、早々に退散しました。
やはりアウトドア生活が恋しい。
ということで志摩へ。
道中はいつものように城跡を巡りました。そのひとつが桑名城。
広い水堀が幾重にも巡らされており、伊勢湾の水運も生かせるような縄張りは素晴らしかったです。
櫓跡にはこんな大砲も。

特に説明などはなく出所不明とのことでしたが、1868年の鳥羽・伏見の戦いで使われたものかもしれませんね。
現在は九華公園とされており、隣接の六華苑とともに観光地になっています。ちなみに九華は「きゅうか」でなく「くはな」。くわなと掛けてあるのだそうです。
その後立ち寄った阿坂城は片道40分のハイキング。全身汗びっしょりになって登り降りしました。しんどかったー!
真夏に山城を攻めるものではありませんね(爆)
次に訪れたのは三重県津市の香良洲歴史資料館。

歴史というと一般的には江戸時代以前を指しますが、この資料館では昭和17年に設立された三重海軍航空隊の資料が展示されています。
入口脇には練習機白菊の翼と、特攻用モーターボート震洋のエンジン及びスクリューがありました。

館内では航空隊の歴史や当時の生活の様子などが、たくさんの当時の物品などとともに丁寧に解説されています。

灯火管制は昭和13年の頃には既に始まっていたんですね。この頃だとまだ本土は空襲されていないので、単に電力不足によるものでしょう。
つまり、米英と戦う前から既に様々な国力が逼迫していたことが分かります。
そして昭和17年8月に三重海軍航空隊設立。
あのミッドウェー海戦の二ヶ月後です。
ミッドウェーで負けたから航空隊(予科練)を設立したわけでもないでしょうが、戦争が始まって半年以上経ってからでは泥縄と言われても仕方ないですね。
霞ヶ浦の航空隊資料館でも説明されていましたが、戦争前半は予科練に行くことが非常に名誉なことで、しかも給料が沢山もらえるので憧れの的だったそうですが、情勢が厳しくなるにつれ特攻隊員養成所になっていきました。
私の子供たちくらいの青年が性能も不十分な飛行機に乗って片道飛行に飛び立って行くのです。
館内にはそうした方々の遺書や遺品なども数多く展示されていました(撮影禁止)。
その中の一つ。

銃後に残された家族から隊員に向けて送られる小さな袋。
その中には何が入っていたのでしょうか。
送る側ももらう側も万感の思いだったことは間違いありません。
そんな小さな袋のデザインがまた可愛らしい。思わず不覚を取りそうになったのは内緒です。
などというお勉強はここまで。
いよいよキャンプ場に入ります。
この日はほぼ完ソロ。

ちゃちゃっと設営を済ませた後は、場内の東屋で英虞湾を見ながらプシュッ!

くーっ、うんまいっ!
暑い夏には冷たい酒ですね~(笑)
その後は夕飯タイムまで日陰でゆっくりと体を休めます。
この時点では雲ひとつない青空。
このままなら久しぶりに満天の星空が望めるかも(*´ω`*)
と期待しつつ、まずは夕飯。

激ウマでした(*^^*)
さてお腹も膨れたので、撮影するか…と思ったら全天雲、雲、雲orz
仕方ない、来月の新月に期待しましょう。
てな感じて夜も更けてきたので就寝…。
と思ったら、少し離れたサイトで若い男性二人が音楽に合わせて大声で熱唱。かなり遅い時間まで続いてました。
まだこんなDQNがいるんですね。悲しくなりました。
こりゃ、早々にお口直しキャンプに行かなきゃ!(笑)
フォトアルバム
香良洲歴史資料館
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Posted at
2023/08/25 23:55:39