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ザクとは違うのブログ一覧

2023年12月05日 イイね!

「戦なき世」は作れるか(後編)

明治航空基地を後にして向かったのは愛知県安城市にある本證寺(ほんしょうじ)。


ここは今放送中の大河ドラマ「どうする家康」の初めの頃に出てきたお寺で、三河一向一揆の拠点のひとつです。
境内に入るとすぐのところにこんなテントが。

期間限定で「あんじょう家康ガイド」というもので、ガイドボランティアの方が無料で解説をしてくださいます。
早速お願いして案内してもらいました。


こちらは経蔵。
1600年代頃に作られたものとのこと。


この鐘楼は屋根を支える柱が4本でなく12本あります。これは格式の高いお寺の証左なのだとか。
こちらも江戸時代に入ってから建てられたものなのだそうです。


左に見える太鼓櫓は、2階に太鼓があって時を知らせ、1階は茶室になっていて来客をもてなしたのだそうです。これも格式の高いお寺ならではの施設。

本堂の中にも入れてもらいました。
中央に鎮座する仏様は近江国(滋賀県)水田の加藤氏が寄進したものだとか。ちなみに加藤氏の一族に賤ヶ岳七本槍の1人・加藤嘉明がいます。
その後ろには本證寺を開基した僧の木像がありました。細かい説明は忘れましたが、年代測定等の結果から同僧の生まれ年は1200年代だろうとのことでした。大変歴史のあるお寺なんですね。

境内の周囲は内堀と外堀に囲まれています。


当時は深さ6mくらいあり、かなり大規模だったようです。しかも外堀と内堀の間が寺内町となっており、その広さは2万坪!東京ドームより遥かに広い面積です。

これはお城で言うところの「総構え」で、長期の籠城に耐えられる作りです。

大河ドラマではこの寺での戦いが描写されましたが、実際は無かったそうです。ドラマでは本證寺の僧兵が撃った鉄砲玉が家康に当たっていますが、実際は別のお寺なのだそうです(宮城谷昌光氏の小説が根拠とのこと)。
ただ数年前に外堀すぐ外側で当時の鉄砲玉が見つかったそうです。

ガイドボランティアの方の説明は大変分かりやすく、勉強になりました。やはり見るだけよりも遥かに深まりますね。


そしてブログタイトル。
ドラマの家康は戦なき世を作りたいと考えています(石田三成には「お前こそが戦を求むる者だ」と言われてしまいますが)。
史実では、その功罪は別として家康が開いた江戸幕府がその後400年の長きに渡る太平の世を作り出しました。
これが実現出来たのは島国であることと鎖国政策を行ったことが大きな要因と思えます。

そして現代。

ロシアVSウクライナ、ハマスVSイスラエルなど、世界に戦争が尽きることはありません。
中国は周辺国の領海にある島々を自国のものと主張しています。
そして旧ドイツの開発したV2ロケットを端緒とする大陸間弾道弾は国同士の距離を大幅に縮めました。今や島国とか鎖国では国の安寧を確保できません。
ではどうするのか。
政治的に争いを解決するのが筋ですが、それでもなお…という時には結局戦うしかないのではないでしょうか。
イヤだけど。

時々報道されますが、他国に比べて日本人は自国のために戦うという人が非常に少ないです。
しかし本当に戦わないと、好き放題蹂躙され、民族は散り散りとなり、国は滅びます。
明治航空基地で訓練し戦場に行った人たちも、戦いたいとは思っていないはず。それでもなお軍で訓練を受け戦地に赴いたのは何故か。
やはり愛する人たちを守りたかったからではないかと。
私は既に戦場で先頭に立って戦う年齢ではないと思いますが、他国に逃げる=自国を見捨てるという選択はしないような気がします。
その時にならないと分かりませんが…。

さてそんな難しいことを考えながらキャンプ場到着。
この日は爆風だったので、テントの前室を閉めその中で過ごしました。

晩酌は日本酒の緑茶割り。
初めてやってみましたが、なかなかイケます!
21時頃に空を見上げるとすばる、オリオン、ふたご座、そして冬の大三角などの冬の星座たちが確認できました♪
やっぱりキャンプは楽しいなぁ。
こうして適度に自分をリセットするのって大切ですね(^ ^)


★フォトアルバム:本證寺(愛知県安城市)
Posted at 2023/12/05 21:33:58 | コメント(1) | 城めぐり | 旅行/地域
2023年04月17日 イイね!

2023年度始めの初キャンプ

4月から一日の休みもなくずっと忙しい日々が続き、模型工作もすっかり止まってしまっています。無論、キャンプにも行けない日々。
そうなると尚のことストレスが溜まりがち。
これはやばい。

ということで無理矢理キャンプに行くことにしました(笑)
疲れた体ではあまり遠出も出来ないので、キャンプ地は近場で選定。
いつものように午前中にいくつか城跡を回りました。
そのうちの一つ、岐阜県土岐市の高山城は、城跡自体はさほどではありませんが、その麓にある池の周囲にもみじの木がたくさん!


紅葉の最盛期にはライトアップもするそうです。湖面に映る逆さ紅葉は、さぞ見事でしょう。こんなマイナーな場所(失礼)にこんな素晴らしい紅葉スポットがあるとは。
今年の秋には必ず行こうと心に誓いました。

あと1つは岐阜県瑞浪市にある小里城。
こちらもマイナーながら(失礼)なかなか大規模な城です。
作りかけの城は、ラピュタ感バリバリ。


しかも不等辺五角形の天守台まであります。

不等辺五角形の天守台と言えば安土城。ここはその先駆けという説もあるのだとか(諸説あり)。
本丸まで少々ハイキングが必要ですが、いいもの見せてもらいました(^ ^)

キャンプ場ではこれまたいつものように、読書とか昼寝などでまったり過ごしました。その合間にこんな写真も↓


その後夕飯の支度中にハモン様からLINEが。なんと、東京に住む叔父さんが我が家を訪ねて来てくれたのだそうです。
ポストに入ったメモには叔父さんの電話番号があったので、早速TEL。
叔父さんは日本百名城のうち80数箇所をまわったそうで、話題はお城中心。30分ほど話し込みましたがお互い語り尽くせず、今度東京に行きます!ということになりました(^ ^)
これまではお城友達はいなかったので、嬉しい限り♪

昨年は艦船模型仲間が2人増えて楽しい日々を過ごしていますが、更にお城友達も。
やはり同好の士がいるとモチベも上がりますし、楽しさも倍増します♪
こりゃ、仕事なんてやってられませんね(爆)
Posted at 2023/04/17 15:16:27 | コメント(2) | 城めぐり | 趣味
2022年10月08日 イイね!

入社30周年旅行(城跡編)

普段なかなか行くことの無い関東方面なので、城跡も少し見てきました。
エリアは茨城県土浦のあたり。
土浦城も見ましたが、なんと言っても素晴らしかったのは小田城!
城跡近くに小さな資料館があり、車もそこに停められます。


数分歩くと高い土塁と深い堀がどどーん!

おーっ、これはなかなか♪
この時点でかなり期待度が高まります。
ぐるりと回って大手門に行くとそこには大きな馬出しも。

もちろん周囲は高い土塁が切り回してあります。

ここは発掘作業が丁寧になされた結果、かなり広大な範囲に縄張りがされており、本丸内でも屋敷がいくつも建っていたり、庭園まで作られているなど、かなり豪壮な作りだったようです。また近年の発掘では障子堀もあったようで、技巧的な作りでもありました。

ではここの城主は誰か。
その名の通り小田氏なのですが、戦国末期に北条氏に攻められて城を奪われてしまいました。
小田氏としての最後の城主は小田氏治ですが、実はこの人すごいんです。
「戦国最弱」とまで揶揄されるし、家臣にも一騎当千の言うほどの物凄い武将がいる訳でもありませんが、北条や上杉との戦いで城を奪われても取り返し、また奪われては取り戻す。資料によっては9回も繰り返したという記録もあるそうです。
通常、一度ならず二度までも城を取られては、配下の者が付いてきません。しかし氏治は何度もリベンジを果たしています。つまりかなりのカリスマだったのでしょう。それゆえ「常陸の不死鳥」という異名も持つほどです。
小田氏は鎌倉時代に守護職も務めた名家。その名声がカリスマの根源だったかもしれませんが、だとしても氏治本人の力量がなければここまで旧領を取り返し続けることは難しかったでしょう。
そう思うと、地域の方々の努力できれいに整備されているこの城が何倍にも魅力的に思えます。見学中ずっと「おー、すげー」を連発してましたw
好きな城のひとつにこの城を加えようと思います(^^)


城跡もうひとつ、江戸城です。
江戸城と言うと皇居を中心とした堀と石垣で囲まれたエリアのイメージですが、実際の縄張りは城下町を含めた広大な地域(総構え)です。現在のエリアだけでも一通り見て回ろうとすると丸一日がかりになると思われるので、今回は北の丸中心に見学しました。

当初の築城主・太田道灌の頃はまだ鉄砲が普及していない時代でしたが、徳川が江戸城を作り直した頃は鉄砲全盛期。よって堀の幅は広く石垣も高いです。
そんな石垣を登ると太平洋戦争時代の名残が見つかります。

千鳥ヶ淵陣地九八式高射機関砲台跡です。
帝都防空のため昭和19年に設置されたもので、砲が据え付けられていた部分には化粧板が張ってあり、小休憩できるようになっています。
しかしこれらがそういう謂れのあるものだという説明板などは設置されていないので、多くの人はそうと気付かないでしょうね。
ちなみに敵機に当たらなかった弾はそのまま民家に落下し死傷者も出たようです。

そこから少し東に歩くと、旧近衛師団司令部庁舎があります。

都内に残っている明治のレンガ建築物は多くなく、この建物も貴重であるとして国指定重要文化財に指定されています。

しかしここは「宮城事件」の現場となったところ。終戦間際、政府がポツダム宣言受諾の方向と知った陸軍将校の一部が近衛師団長に徹底抗戦を主張しクーデター参加を迫るものの断られ、師団長を殺害したというものです。そして偽の師団長命令を出して宮城(=皇居)を占拠し玉音放送阻止を狙いますが、軍によって鎮圧されました。
そんな悲しい歴史が隠されています。

広島城も日露戦争時に大本営が置かれた時期がありました。他にも様々な城が戦争時に軍事利用されています。
城跡自体が大切な遺産なので、こうした愚行は二度と行ってはなりませんね。

一時は東京国立近代美術館工芸館として利用されていましたが、現在は撤退され敷地内立入禁止となっています。
こうした貴重な建物は出来れば近くで見てみたいものです。

今回の城跡巡りはこんな感じ。
やはり小田城は圧巻でした。フォトアルバムの写真の数が物語っています(笑)
Posted at 2022/10/08 20:44:55 | コメント(0) | 城めぐり | 趣味
2022年06月15日 イイね!

福井は福居か福の井か

4月以降なかなか遠出が出来ていませんでしたが、ようやく1日休みが取れたので、福井まで行くことにしました。
朝6時前に出発し北陸道・武生ICを出て小さな無名の城跡をいくつか周り、途中「越前温泉漁火」へ立ち寄る予定でした。こちらの温泉は露天風呂から日本海が見渡せるそうで、入湯料も520円と格安!
待てよ、営業開始って何時だっけ…。と調べてみると11時。到着見込みは9時半頃です。仕方ない、また次の機会に^_^;

この後、鯖江市を経由して福井市へ。
福井のまちは戦国時代まで北ノ庄と呼ばれており、その地に織田信長の部将・柴田勝家が築いたのが北ノ庄城です。
この城はかなりの規模だったようで、宣教師ルイス・フロイスによれば城下町の規模は安土城の2倍はあったとのこと。相当賑わっていたようです。すごいぞ柴田勝家!
城はその後取り壊されたので、現在は石垣などがほんの少し残っているのと、資料館が建てられているだけです。


熱心に説明板を読んでいると、つかつかと近寄ってくるご老人が。胸には「語り部」と書かれたバッチが付いています。どうやらお城の歴史に詳しい地元の方のようで、滔々と北ノ庄城と柴田勝家について語ってくださいました。
折角の機会なので「破却された北ノ庄城の石材や木材などは、福井城の築城に活用されたのでしょうか」とお尋ねしたところ、北ノ庄城がどのようにして作られたかを一生懸命説明してくださいました。聞いちゃいかんことを聞いちゃったかな…(汗)

そしてその後作られたのが福井城。


立派な石垣と広いお堀が残っており、今では県庁などの敷地になっています。

石垣を眺める亀w
天守閣は北東角に建てられていましたが江戸時代に消失したため現在はありません。

天守台には小さな井戸が作られていました。

脇に立つ看板には「福の井」の表記が。
説明によると、この井戸が「福井」の語源になっているとのこと。ただ、調べてみると福の井の前に福居と名付けられたようです。
元の地名の北ノ庄は「北」の字が敗北などに使われるため縁起が悪いとなり、より縁起の良い「福」が使われたのだとか。その後、お城の井戸が福の井と呼ばれたという順序のようです。諸説あるようですが(笑)

ここで思ったのは、福井以外にも福の付く地名として、福島や福岡があります。それらはどうなのか。福島は島ではないし、福岡も岡(高台)ではなく平野です。
調べました。
まず福島ですが、福島県ホームページに以下のような説明がありました。
信夫(しのぶ)郡は昔、見渡す限りの湖で真ん中に信夫山(しのぶやま)があった。この山には吾妻(あづま)おろしが吹きつけていたため、吹島(ふくしま)と呼ばれるようになった。
その後、長い歳月を経て、湖が干上がり陸地ができ、次々と集落が生まれた。吹島は風が吹きつけることをきらって、吹を福とし、福島と呼ぶようになった。
「信夫伊達風土記」より

他にこんな説明もありました。
語源は「深シマ」。つまり泥が深く水害の多い湿地帯という意味。

次に福岡。
こちらは豊臣秀吉の軍師・黒田官兵衛の子、長政がこの地を治めることになった際、黒田家の出身地である備前(岡山県)福岡から名前を取ったのだそうです。
では、備前福岡の語源は?と思って調べてみましたが、鎌倉時代の国宝『一遍上人絵伝』に「福岡の市」と描かれた物が残っているということは分かりましたが、それ以上のことは分かりませんでしたorz

福井は県庁所在地。
福井駅や福井城周辺は都市化が進みきれいに整備され、高いビルも多く建っていますが、同時に足元の商店街はシャッターが閉まっている所が多く見られました。
駅南側の商店街を一本入ると…

(この感じ、好きです♪)
北ノ庄城や福井城があった頃は京都にも及ばんほどの賑わいを見せた地域ですが、今は少し寂しいところもある様子。
福井を愛する人たちは、柴田勝家公の再臨を願っているかもしれません。

さていよいよキャンプ場へ。
この日は麻那姫湖青少年旅行村。三度目の利用です。
約6万㎡の巨大な敷地にわずか数組の利用という寂寥感バリバリの状況。

サイコーです(笑)

このキャンプ場は昨年の中秋の名月の日に泊まりましたが、その日にここでそらくんが亡くなった連絡を受けた場所です。
この日は満月直前の大きな月が雲に見え隠れしていました。

そらくん、お月様の上で楽しく散歩してるかな。

翌日もいくつかの城跡を巡ろうかと考えましたが、前日の山城攻略で筋肉痛になってしまったため、以前から気になっていたキャンプ場の下見だけして帰ることにしました。
しかしこのキャンプ場が…。
続きは次回!
Posted at 2022/06/15 15:04:37 | コメント(2) | 城めぐり | 旅行/地域
2021年09月29日 イイね!

2021シルバーウィーク後半

そらが亡くなって1週間。
これほどペットロスが大きく強いものだとは思っていませんでした。
その話は別途したためるかも。
今日は亡くなる時に行っていたキャンプについて綴っておきたいと思います。

シルバーウィークにどこかへ出かけようという計画をしばらく前から考えていました。第1候補は大和ミュージアム。しかしコロナで閉館。次に考えたのがお城巡り。現存12天守のうち4つが四国にあるので、ぐるっと一周する計画。しかしこれも緊急事態宣言下の高速道路割引中止により断念。
困った。
でもどこにも行かないのも寂しいので、考えた挙句、現存12天守の1つ・丸岡城(福井県)に行くことにしました。名神から北陸道へ入り、丸岡ICを降りてすぐという至便さ。現地に到着すると早速撮影。


丸岡城は織田信長の家臣・柴田勝家の養子、柴田勝豊が築城しました。
注目したのは天守台の石垣。

天守が四角形なので普通はその下のスペースを囲う石垣も四角形ですが、ここは多角形になっていました。これは元々の山の形を出来るだけ活かした作りにしようとしたことによるものかと思います。

天守は木張りの壁が印象的な古風でこぢんまりした作りです。


屋根瓦はこの地域で産出する笏谷石(しゃくだんいし)によって作られています。何百枚という石瓦はものすごい重量でしょうね。そしてそれを支えられる構造を今から400年も前に木造建築で作った技術に驚きます。
天守前には石でできた鯱もありました。

これは築城当時のものを下ろしたのだとか。貴重なものですが、割と無造作に置かれているので、簡単にさわることができます。そんなんでいいのか?w

城の縄張りはさほど大きいものではなく、城下町が復元されていたりもしませんが、敷地内の南側の一角で発掘調査が行われていました。何年かするとその成果が形になっているかも。

こうした取り組みは最近ではあちこちで見られ、その調査結果を基に当時の様子を再現するケースもあります。一般的にはお城=天守閣というイメージを持ちがちですが、実際には天守閣以外の様々な施設(郭、馬出し、門など)なども含めた「エリア」として捉えるべきと考えます。都市開発とのバランスなどもあるので一概には言えませんが、はるか昔にこんなすごい技術や知恵があったのかということを視覚的体感的にに実感できる場があるのは大切なことではないかとも考えます。

さて次に向かったのが越前大野城。丸岡城からは自動車専用道路の無料区間を走って約1時間程度のところにあります。こちらも丸岡城同様、平地の中にぽつんとある小高い山の上に築かれています。西側の駐車場からの登城ルートはかなりの急勾配階段をひたすら登り続けます。この角度↓

なかなかしんどく、途中何度か休憩を入れました(汗)
この城は山の形状を巧みに利用した郭の配置になっています。先程の急勾配もあって登城ルートが限定されることなどから、攻めにくく守りやすい城という印象です。
遺構はよく残されており、丸岡城と同じ野面積みの石垣が見事です。


天守は2層3階建の大天守と2層2階の小天守が連結されており、内陸に少し入った場所に築かれた城としてはなかなか豪壮です。
手前が小天守、奥が大天守です↓




この城は城下町がきれいに整備されています。特に城の東側は直線道路を縦横に走らせたつくりで、いかにも作られた城下町という風情。城の守りを考えれば直線より屈曲させた方がよいですし、実際そのようにした城下町も多く見られます。そこをあえて直線道路としたのは、城が攻防の拠点に加えて政治経済の中心という意味合いを併せ持たせたからでしょう。
また街並みには清水が湧き出しているスポットが多数あります。↓はそのうちの最も大きな場所で「名水百選」にも選ばれている「御清水」。



何人かの地域の人が水を汲みに来ていたので、人々に愛されているのだなと感じました。
私もその中に混じってウォーターバッグに貯水。キャンプ場で使うためです。
ちょうどお昼時でもあったので越前そばが食べたいと思ってお店を探しましたが、少し遅い時間だったこともあってかどこも「売り切れ」。漸く見つけたお店はイマイチなところでしたorz

そしてキャンプ場へ。
今回は真那姫公園です。ここは昨年秋に一度利用していますが、その広大さに驚愕するとともに、奥地ゆえの星空の美しさに再訪を誓った場所です。
この日は中秋の名月イブだったので、ドライブ途中に刈ってきたススキを地面に差し、月見団子の代わりにコンビニで買ったサーターアンダギーをお供えしましたw


夕飯の後は名月の撮影。
まずはスマホで

意外と撮れるw
次にデジイチ。300mm望遠です。

これをトリミングすると…

そして惑星とのトリオ撮影

ピンぼけでしたorz
500mm超望遠の大砲レンズを持っていくべきだったかな(笑)

この翌朝、ハモン様からそらが亡くなったという連絡が来ました。




と、こんな感じで今年度10泊目のキャンプは終了。
残り半年を同じペースで行けば1年で20泊到達!?
頑張れ、オレ!


※お城で撮ったたくさんの写真はフォトアルバムに収めました。
丸岡城
越前大野城
Posted at 2021/09/29 20:51:12 | コメント(4) | 城めぐり | 旅行/地域

プロフィール

「重巡鳥海の製作(船体の修正その4) http://cvw.jp/b/488285/48472648/
何シテル?   06/07 13:55
模型工作とキャンプが大好きなヘタレをやぢです。 私がフォローする方には2種類あります。 一つは「以前からのみん友さん」 もう一つは「ちょっと興味を持っ...
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