2泊3日の初日と3日目は城攻めです。
初日は広島城。
日本百名城の一つであり、名古屋城、岡山城と並び「日本三大平城」の一つにも数えられています。

広島城は天守閣の外壁の色合いから「鯉城」とも呼ばれます。
この「鯉」が広島東洋「カープ」の語源ともなっていますね。
天守閣の建物は、広島に落された原爆によって吹き飛ばされていますが、1958年に現在のように復元されました。

石垣も豪壮。
中には↑のように、切り出す際の穴の跡がはっきりと分かるものも。
城の南側に原爆の爆心地がありますが、石垣の南面にひと目で被爆跡と分かるような状態は確認できませんでした。

門や櫓などもしっかりと再現されています。
近年は当時のものにできるだけ忠実に再現しようという取り組みがきちんとなされますね。その分、当時の土木・建築・加工技術の研究もなされると思うので、とてもよいことだと思います。
また城内にはこんなものも。

広島大本営跡地。
大本営というと、東京や松代を思い浮かべると思いますが、広島にもあったとは知りませんでした。ここには日清戦争の際に約半年ちょっと置かれていたそうです。一時的な首都機能移転ですね。

こちらは二の丸にある被爆したユーカリの木。
見た所特に普通のユーカリの木との違いは分かりませんでしたが、被爆後70年以上経っても緑をたたえる姿には力強さを感じます。
広島城の縄張りは、広島市内を流れる太田川を天然の堀として利用しつつ、さらに三重の堀で本丸を取り囲むという重装備。平城でありながら、大変堅固な縄張りです。
天守閣の豪壮さについ目を引かれてしまいますが、いざ戦となれば天守閣は単なる「最後の砦」。つまりそこに至るまでの城下町を含めた全体の配置=縄張りが勝負となります。
それもそのはず、この城は聚楽第をベースにあの黒田官兵衛が考案したものなのだとか。
さすが官兵衛。
そんなことを感じながら城を後にし、次に向かったのが縮景園。
城の少し東側に広がる美しい庭園です。

いつもの私なら、園内をくまなく回り、写真を撮りまくっていたところですが、今回はあえてそうせず、こちらの東屋でどっかり腰を下ろし、ゆったりと時間を過ごしました。

東屋内は土足禁止となっています。
靴を脱いで板の間に上がり、柵に腕をかけて腰を下ろす。
そして見上げると…

画像では表現されていませんが、水面から反射した夏の日差しが天井裏に写り込んでゆらゆらと揺れていました。
焚き火と同じ、1/fゆらぎですね。
その様子をぼーっと見ているだけで、灼熱の夏の日差しと、日々のストレスを忘れさせてくれます…。
過酷な日々を過ごす殿様や家臣たちも同じ思いを求めて、ここを訪れたのかもしれません。
こうして1900kmの旅・初日は終わりました。
2日目は佐世保で過ごし、3日目は再び城跡へ。
岡山県姫路市にある「御着城」です。

姫路城から東に4kmほど行ったところにあります。
今では姫路城が全国的に有名ですが、戦国時代は逆。
このあたりの大名である赤松氏の被官・小寺氏の居城が御着城で、その家臣に黒田氏がいました。その黒田氏が居城としていたのが姫路城。
と言っても当時は現在のような大きな城ではなかったようです。
信長の命を受けた秀吉が西国の毛利氏を攻める際、小寺政職は毛利方に就き敗北し没落(この時、御着城は廃城)、その後姫路城主だった黒田官兵衛は秀吉に姫路城を献上し、秀吉が現在の姫路城に作り直したという経緯です。
御着城の遺構はあまり残っていませんが、以下のようなものが現地にあります。
・黒田官兵衛父祖の廟所
・二の丸跡(現在はグランド)
・小寺大明神
・天川に架かっていた石橋
正直、小さな城となめてました。
石垣もなく、堀も埋められ、土塁も破壊され、当時の遺構はほぼ残っていません。
でも現場の空気は違う。
この城跡の最大の魅力は少学生ボランティアによる解説です。

現地の小学校に通う5~6年生がそれぞれのポイントに立って、5分程度の解説を滔々と話してくれるのです。
これには驚きました。
今までいくつもの城を見てきましたが、こうした歓待を受けたのは初めて。
さらに驚くのは、生徒たち自ら志願してボランティアを務め、しかも説明内容をすべて自分たちで調べ、どんな説明にするかを自分たちで考え議論しているとのこと。実際、彼女たちの説明は官兵衛ファンの私の知識を超えたものがいくつかありました。
当日は灼熱の酷暑日。それもあってか、生徒は私に塩飴を渡してくれました。なんという気遣い!
しかも、私への説明が終わった後、全員集まって反省会までしていました↓
数年前に大河ドラマで官兵衛が取り上げられ、恐らくその頃はここにも多くの人が訪れ、少学生ボランティアが組織されたのではないかと思います。
事実、ボランティアリーダーと思われるお年寄りに「やはり地元では官兵衛はヒーローですか」と伺うと「いや、地元では小寺の殿様ですね」という答えが返ってきています。
そうした状況がありながら小学生自らがボランティアとして地元の盛り上げに一役買って出る。
こんな素晴らしいことがありましょうか。
御着城周辺には、戦国時代にまつわるポイントがまだまだたくさんあります。
国府山城跡、書写山、観音寺、そして竹中半兵衛の墓などなど…
熱い心を持った小学生たちとの再会も含め、この土地の再訪を誓ったのは言うまでもありません。
「なんと気持ちのいい連中なんだ…」
※↑に載せたモノ以外の写真は以下を御覧ください。
・
広島城・縮景園
・
御着城
Posted at 2019/08/09 00:02:30 | |
城めぐり | 旅行/地域