
たまにはまじめに、仕事の話をしたいと思います。
(注)今回はかなり刺激の強い内容となっています。普段から私と仕事でかかわっている方は、以下は読まれないほうがよいと思います。何卒ご了承ください。
私は今年の4月から職場を変わりました。
子会社への出向です。
期間はMAX3年間。
部下は、その会社の正規職員が数名と、第二の人生を過ごす嘱託員が若干名です。
全員私より年上です。
よくあるパターンですね。
ただ、そこには構造的な問題が。
私は出向。
しかも遅くとも3年後にはほぼ確実に出向解除されます。
が、その背景には暗い歴史が。
私の出向元である本社はその子会社に対し、ひたすら嫌な仕事、面倒な仕事、筋の悪い仕事などを与え続けました。
そうなると子会社側の正規職員は、こう思うようになるでしょう。
「あいつら、また俺たちにこんな仕事持ってきやがって」
そういう思いは無意識のうちにいろいろな形でちょっとずつ表面に浮き出てきます。
それが続くと本社サイドはこう思うようになるでしょう。
「あの子会社のやつらの仕事はレベルが低い」
悪循環です。
そういった歴史を背負って、私は日々の仕事を進めなければなりません。
私は「カネのためだけに仕事をしているわけではない」という信念を持っているので、組織がどこであろうが、仕事内容がどう変わろうが、「自分の信じる道に向かって、一生懸命に努力する」というスタンスを変えるつもりはありません。
と言うとカッコイイのですが、むしろ「変えることができるほどの器用さを持ち合わせていない」と言うほうが正確かもしれません。
しかし、同時に「仕事は個人でなく、組織全体で進めるもの」ということも普段から強く意識している部分でもあります。
そうなると必然的にさきほど書いた歴史を、意識せざるを得ません。
ここに私の苦悩があります。
自分としては「もっときちんとした仕事をしたい」「本社と子会社の関係を少しでも改善したい」「子会社の正規職員のスキルアップを図りたい」「ひとつのことを全員で成し遂げたという達成感や連帯感を味わいたい」などと考えてしまう。
一方、部下は「あいつはどうせ3年しかいないんだから」「俺たちの気持ちなんか分かるはずはない」「あいつの出世に協力しなければならない言われはない」「自分たちがどう行動しようが、本社のやつらの見方が変わることはない」などと考えてしまう。
子会社の正規職員の一部は、確かに非常に意識が高く、仕事のレベルも高い方もおられます。しかし残念ながら、そうではないと思わざるを得ない方がいるのも事実です。
そんなことをつらつら考えながら日々を過ごして、はや3ヶ月ちょっと。
今日、近所の本屋で何気なく目をやったその先に、冒頭の写真に掲げた本がありました。
衝動買いです。
「はじめに」から一節を。
端的に言うと、「ギスギスした職場」が増えているようです。
ギスギスした職場とは、「一人ひとりが利己的で、断絶的で、冷めた関係が蔓延しており、それがストレスになる職場」です。
また、こんな一節もあります。
会社を悪くしたい、自分の勤めている職場を駄目にしたい。そんなふうに考えている人は一人もいないはずです。
うーん、そのとおりじゃないかな。
実際、自分の職場でも「笛吹けど踊らず」ということがよくあるし。
ではどうすべきか。
スミマセン。まだその先を読んでいないので、答は分かりません。m(_ _)m
こんなことを書くと、こんなコメントが入りそうです。
「正解なんかあるわけないよ」「何が正しいかなんて、誰にも分からないよ」「自分の信じる道を進むのが一番じゃない」「で、結局、何が言いたいの」・・・。
うーん、なんて言うんだろう。
なんかこう、心の中がすっきりしない、漠然とした不安感、焦燥感、不透明感、いらだち、などなど・・・。
明日からまたいつもの日常が始まります。
そしていつもと同じ顔であいさつを交わし、いつもと同じように仕事の話をするでしょう。なにか違うって思いながら。
でも、もしかしたら、こんなことはどこにでもある当たり前の現象なのかも。
自分が甘ったれてるだけなのかも。
まだまだ修行が足りないだけなのかも。
まだまだ努力が足りないだけなのかも。
うーん、いろいろ書いてるうちに、段々そう思えてきた。
やっぱ、そういうことなのかな。
なんだか今日は訳の分からないブログになってしまいました。
最後まで読んでいただいた方、すみません、おかしな文章で。
Posted at 2009/07/12 23:47:11 | |
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