今日は久しぶりに、ハモン様との美術館デート。
行き先は名古屋市美術館。
テーマは「藤田嗣治」展です。
展示内容は、藤田氏の一生を5期に分けて紹介するもの。
①
模索の時代:
自分の画風を求めて試行錯誤をしています
②
パリ画壇の時代:
乳白色の裸婦像を多く描き、一つの絶頂期を迎えます
③
迷いの時代:
各国を転々とし、作風に幅が出ますが、迷いも見られ批判も受けます
④
戦争画家の時代:
戦争礼賛的な絵を描き、国民から賞賛を受けます
⑤
レオナール・フジタの時代:
戦犯的な扱いを受けパリで洗礼を受け、裸婦像などに戻ります
それぞれの作品は様々な技法が取り入れられており、その時代時代での変化はまさに一流と言うべきものだと思われました。
また、鉛筆デッサンを趣味にしようとしている私には、掲げられている作品群の中にデッサン段階のものがあったのは大きな収穫でした。
というのは、私が下絵を書くときには、かなりアバウトなライン(輪郭だけとか)のみを描き、その上から清書するようなステップを踏んでいますが、藤田氏のデッサンは、見た目、完成品のラインをほぼ完全に描いてあるというものでした。
今後はこれを参考に描いてみようと考えることができました。
そして、全体を通して思ったこと。
上記①~⑤の藤田氏の半生では、画家としていかに認められるかということと、同時に自分自身には才能があるんだという自信のようなものが入り乱れているように感じられました。
特に①の時期の作品は、人物の目が一抹の寂しさと同時にどことなく尊厳のようなものを感じさせるところがありました。
①から②で作風を一つの完成形へ導き、でも③で迷いと批判で苦悩し、④で評価される事で自分を取り戻したと思ったら、⑤で誹謗中傷を受け、国外へ逃れてカトリックの洗礼を受けるとともに以前の作風に戻りつつ、子供の絵を描きだす。
誤解を恐れずに書きますが、自分の近年を重ね合わせてしまいました。
2年半前に原因不明で倒れて脳が損傷し、その直後に異常な職場に配転させられ、その2年間では上司と部下から常軌を逸したパワハラを受け続け、心も体もボロボロにされ人生観すら全く変えられてしまうほどのインパクトを受け、ようやくそこを脱出できたと思ったら、その先でもまた新たな苦難が待ち受けていた。
もともと承認欲求の強い私ですが、今の立場(名ばかり管理職状態)になってからというもの、「承認」されることなどほぼ皆無です。
倒れる前=3年前まではこんなことはありませんでした。
上司との距離を適切にとりながら、部下との関係をしっかりと構築する。
与えられたミッションについて真剣に考え、無謀な夢を排除しつつ現実的な選択肢を採用することで周囲からの信頼を勝ち取る。
しかしもうその力を私が取り戻せるかどうか、今は自信がありません。
藤田氏の半生も浮き沈みが激しいです。
そうした経過があって、行き着いた先が洗礼や子供の絵や、裸婦像への回帰だったのではないかと。
展示を見ながら、そんなことをつらつらと考えてしまいました。
さて、展示を見終わるとぼちぼちお昼の時間。
今日は美術館の近くにある「錦城」へ行ってきました。
私が発注したのはこちら↓
坦坦冷麺です。
若干辛めですが、おいしゅうございましたm(__)m
ということで頭もお腹も満足して帰路へ就きましたとさ。
次回は豊田市美術館へ行くつもり。
乞うご期待。
Posted at 2016/06/11 22:14:47 | |
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