• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

すた☆君のブログ一覧

2012年09月11日 イイね!

小西行長 屋敷跡

ピンポイントで場所を調べて、石碑があると思われる場所の前まで行ったのですが、どうにも駐車スペースが見つからずに、辺りを2周ほどしましたが、結局あきらめて去りました。

大阪府堺市に、阪堺電軌阪堺線 の  妙国寺前 という駅の北東の信号のある交差点の角 にあります。


小西行長は、堺の薬問屋出身で、秀吉のところにつきそいで訪れた時に、その大物たる素質を見出され、30万石の戦国大名へと大出世をしていきました。

文武両道で、商人からここまでの大大名まで出世する人物は、めずらしかったそうです。

朝鮮出兵では、韓国の山中に砦を造ったりしました。

関ヶ原合戦では、西軍として、宇喜多隊と島津隊の間、北天満山のてっぺんに布陣して参加しまし
た。

しかし、朝鮮出兵で疲れていたのか、あまり戦わず、山中に逃亡し捉えられ、合戦の2週間後に石田三成らとともに京都の六条河原で斬首され、この世を去りました。



・・・関ヶ原合戦を代表する武将の史跡。。。

また今度リベンジしよう。

^^
Posted at 2012/09/11 01:19:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 堺の戦国史跡 | 旅行/地域
2012年09月10日 イイね!

千利休 屋敷跡

大阪府堺市の宿院町西というところに、千利休屋敷跡 というのがあります。

ビルの間の一角です。




堺市博物館で学芸員の方とお話する機会があり、いろいろ教えてもらったのですが、大坂夏の陣の前哨戦で堺は焦土と化したので、この屋敷址と言うのは、本物ではないそうです。

ただ、焼け残ったいくつかの大きなお寺を基準に場所を探していったら、この宿院町西という地区であることは間違いないので、とりあえずここを屋敷跡と指定した ということらしいです。


千利休は、大徳寺山門の事件で秀吉に切腹を命じられましたが、それまでの間、堺のこの辺りの屋敷で最後の日々を過ごし、その後京へ行って切腹をしてこの世を去りました。

戦国時代を代表する、大きな大きな人物の人生の幕がおろされました。


TVドラマなど物語ではあまり出ませんが、当時は屋敷の100~200メートルほど西が海でした(現在は埋立地)。

もしかすると利休は死の前に、屋敷に聞こえるさざなみの音を聞いて、静かに人生を振り返ったりしたのかもしれませんね。。。




Posted at 2012/09/11 00:59:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 堺の戦国史跡 | グルメ/料理
2012年09月08日 イイね!

堺幕府の史跡を求めて~  南宗寺~三好海雲(元長)菩提寺~元長戦死の地へ

皆さんは、幕府というと、何を思い浮かべるでしょうか・・・?

鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府。

だいたい、一般的には、こんなところでしょう。

しかし、この室町幕府の後期に、ここ堺にて、 堺幕府 というのがあったのは、みなさんご存知でしょうか?


南宗寺 仏殿






わずか5年間ですが、三好一族にて、京都が制圧され、畿内を中心とした国々が支配されていた時代があったんです。

それが、堺幕府 です。

その堺幕府を作ったのが、三好元長、細川晴元・・・、1527年3月の事でした。

そして、ここ南宗寺は、父・元長を弔う為に、息子の三好長慶によって建てられたお寺です。

一般にはあまり知られていませんが、三好長慶は、織田信長の前に天下を統一した男 としても知られています。

正確に言うと、規模を大きくしたというところですが。




私が三好一族の史跡を調べている途中、はじめてこの 堺幕府 という言葉を知りました。

その時、ますます、三好一族について興味が出たのは、言うまでもありません・・・。




ガイドさんとお話をしていると、勝瑞城の名前が出てきました。

『昨日行ってきました!』 というと、笑い話になりました。


三好一族の宗教と堺の宗教は同じで、そういう意味でも、三好は堺から受け入れられやすかった、と言われています。

そして現在、この堺市には、徳島県出身のお坊さんが3割いるということも知りました。

これには驚きました。

堺の町を走っていると、自分の田舎と同じ風景に見えてきたのは、そのせいかもしれません。

ちなみに、和歌山市を走っているときも、徳島と同じ町のような感じもします。

どちらも海を挟んですぐ両岸なので、似ているのかもしれません。



葵の御紋


ガイドさんは、本当に丁寧にいろいろな事を教えて下さいました。

たった一人の観光客の為に、たくさんの時間を割いてくださって、本当にありがとうございました。

心からお礼をいいたいです。


説明 

三好一族の史跡を巡っているというと、他にもこんなお寺があるから、そちらへも是非行って下さいと、二つのお寺を教えて下さいました。


三好長慶一族の墓


まず一つは、けんぽん寺。

堺市の地図にも、名前しか載っていない小さなお寺なのですが、ここに三好の誰かのお墓があるから といわれ、行ってきました。

あとから復習してはじめて、この人が 三好元長 といい、三好長慶の父親で、堺幕府を作った人だと知りました。

とりあえず行ってはみましたが、正直誰やらよく分からなかったので、ただ写真を撮るだけで終わりました。


歴代の墓 


そしてもう一つは、あぐち神社。

ここは、三好元長の戦死の地です。

これも、パッと石碑の写真を撮っただけで終わりました。

やはり、よく勉強してから行かないと、いまいちピンと来ません。

時期的に、行くのが早すぎたような気もしました。





南宗寺を出た後、駐車場で母の作ってくれた弁当を食べました。



弁当 


とりあえず、あぐち神社まで行ったとき、三好一族の史跡にはもう満足状態でした。




けんぽん寺 


しかしこのあと、堺の博物館へ行った時に、この町の学芸員さんと出会い、三好一族についてさらにコアな話に発展するとは、このときはまだ知るよしもありませんでした。



^^;



元長ポスター


というわけで、三好一族のお話は、この後もまた出てきます。

(笑)



石碑 元長  






あぐち神社 戦死の地


堺編、まだまだ続くよ♪
Posted at 2012/09/08 17:33:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 堺の戦国史跡 | 旅行/地域
2012年09月08日 イイね!

南宗寺③ 『古田織部の庭園』 徳島帰省日記 8月17日

家康のお墓の次に、


古田織部がイメージした庭 に、案内されました。


教えてもらったときには、大変感動致しました。

なんせ私は、毎週、NHKのTVアニメ 『へうげもの』 を見ておりまして、その主人公が古田織部なので。

まさか、ここのお寺に、あの、古田織部の庭があるなんて、全く想像もしていなかったので。


その庭は、本堂の前にありました。



本堂の廊下



庭は、古田織部がイメージして、造らせたそうです。


お堂の窓


この庭は、どうにでも想像できるそうです。




枯山水 横から全体



激しい流れの川 




と見ることもできるし、




手前から



おだやかな流れの川




と見ることもできる。



左側 




・・・ああ、これがへうげた男の造った庭かぁ・・・。



右側




・・・風情があって、面白いなぁ・・・。



枯山水 アップ 



そう思いながら、奇跡的に!? 現代まで残っている古田織部の世界に身を浸し、

ゆったりとした時間の流れを楽しんでおりました。

^^
Posted at 2012/09/08 14:32:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 堺の戦国史跡 | 旅行/地域
2012年09月07日 イイね!

8月17日 南宗寺② 『後藤又兵衛に殺された徳川家康の墓 』 徳島帰省日記

まず初めに、このタイトルを読んで、

そら違うだろっ!!

\(゜□\)


と、ツッコミを入れたくなった人は、たくさんいると思います。

しかしここは、頭を空っぽにして、素直に読んで下さい。。。

(爆)





はい、ではしょっぱなからいきます。

これが、徳川家康のお墓です。




謎の徳川家康の墓 正面

横から見ると、こんな感じ。

左端にあるのは、三好一族のお墓ですが、これは後で 『 堺幕府 』 と銘うって、一緒にまとめて紹介したいと思いますので、ここでは省略させていただきます。



謎の徳川家康の墓 横から


なんでも、大坂の陣で後藤又兵衛が駕籠をやりでついたら、手応えがあった。

槍を引き抜いたら、血がついていた。


それに加えて、秀忠や家光の訪問、お堂の下から出てきた謎の墓石、江戸時代末期に置かれた石版に刻まれた文章 『無名の塔 家康さん諾す 観自在  』  などの推測から、

あれは家康だ。

だから、この卵形の石は家康のお墓だ ということになったそうです。

さらに、日光東照宮に祭ってある家康が使用したといわれている駕籠の天井に、槍で突いた様な穴がある。

あれは、あの時に後藤又兵衛が突いた槍の後だ! 

となって、家康の墓 となったそうです。



・・・私もこうやって資料を引っ張り返して、復習しながら文章を書いていて、何が何だか訳が分からなくなっているのですが、まあそこは大人の愛嬌という事で、さらっと流してやってください。


やはり当然のごとく、ここにやってきて、いろんな理由をいって否定をする人たちもいるようですが


・・・まあ、あくまでも想像上のお話。


軽いノリで行きましょう。

(爆)



東照宮跡 



こちらには、もっと立派な徳川家康のお墓がありました。

こちらは、慰霊碑みたいですよ。



綺麗な徳川家康の墓 手前



ふむふむ、確かに 徳川家康 墓  と、書かれていますねぇ~。

これだけ堂々としていると、とても痛快だ。

^^
 
家康の墓アップ


墓の裏には、松下幸之助の名前が。。。



墓の裏 松下幸之助

この理由は松下幸之助が若かりし頃、道端で開発した商品(二又ソケット)を売っていたけど、全然売れなくて、そのときにお金を貸して助けてくれた人が、水戸黄門の三木啓次郎で、そのつながりでこのお寺の人とつながって、このお墓のお金を出した・・・ みたいなことを聞きました。


という訳で、興味のある人は、南宗寺へ 、 GO!


(爆)
Posted at 2012/09/08 13:13:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 堺の戦国史跡 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

霧の中の決戦地 
カテゴリ:関ヶ原合戦の史跡
2010/12/24 11:25:35
 
関ヶ原町の史跡 『十九女池・六部地蔵・七つ井戸・与市の墓』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:40:04
 
関ヶ原町 『常盤御前の墓・鶯の滝』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:36:11
 

愛車一覧

トヨタ ノア ハイブリッド トヨタ ノア ハイブリッド
ノアハイブリッド
マツダ ロードスター マツダ ロードスター
2代目の戦国ロードスターです。 出陣時は関ケ原バージョンになります。
日産 ラフェスタ 日産 ラフェスタ
中古で買って、5年間乗りました。 4WDです。 買って半年後に底から大きな「ブーン」と ...
マツダ ロードスター すた号 (マツダ ロードスター)
マイナス2℃で、オーポン走行しました。 冬でも幌をあけるオーポン漢を目指しています。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation